安心院希望は確かめたい
ある日の昼休み、安心院が中央広場を歩いていると、ベンチで新聞を読んでいる中津を見つけた。安心院はいつも通り自然な感じで声を掛けようとしたら、中津は突然頭を抱えて周りを見渡し始めた。中津の急な行動に安心院はなぜか咄嗟に身を隠してしまった。そして中津は立ち上がり、ある女子生徒を追いかけ始めたので、安心院も中津の後を追いかけた。
中津が追いかけていた女子生徒は、以前安心院も会ったことがある、津久見輝だった。二人は何か話しているようだったが、離れていたので会話は聞こえなかった。
どうして二人が話しているの!? もしかして知り合いだった!?
安心院はそう推測したが、遠くから見た様子ではそんな風には見えなかった。
昼休みの終わりのチャイムが鳴ると、津久見は急いだ様子で午後の講義に向かい始め、中津は少しして津久見の後を追って行った。
中津くんがストーカーしてる!? いや、中津くんはそんな人じゃない。何か理由があるはず。
安心院は、中津が津久見をストーキングする理由を探るため、中津をストーキングし始めた。
これは中津くんのためにしているの。もし中津くんがストーカーだったら、全力で阻止しなければならないし、違う理由だったらそれを知る必要がある。私は生徒会長だから! これは仕方ないことなの。
と、安心院は自分の行動を正当化して言い聞かせていた。
津久見が入った教室と同じ教室に中津が入って行ったため、安心院も入ろうとしたが、入り口近くの席に中津が座っていたため、入ると気づかれてしまうと思い、教室の外で待つことにした。
講義が終わり、先に中津が出てきて身を隠していた。おそらく津久見が教室から出てくるのを待っているのだろう、と推測し、その場で待ち続けた。それからしばらくすると、一度中津が焦った様子で教室を覗き、ドアを閉めたあと急いで隠れていた。すると、津久見が教室から出てきた。津久見が移動を始めると、一定の距離を保ったまま中津が後をついていき、等間隔に離れた後ろから安心院がついて行った。
そのまま後を追っていると、突然津久見が走り出し、中津も後を追って走り出した。安心院もその後を追いかけようとしたとき、突然声を掛けられたのだった。
「安心院さん。こんなところで何をしているのですか?」
「夢乃森さん!」
声を掛けてきたのは夢乃森叶愛だった。
「すみません。安心院さんが身を隠しながら怪しい行動をしているように見えましたので、気になって声を掛けました」
「そう。そんなつもりはないのだけれど」
「そうですか。すみません。誰かの…後を追っているように見えましたので」
「気にしないでいいわ」
安心院は内心ドキドキしていたが、叶愛にこれ以上怪しまれないように平静を装った。そのときチラッと中津の方を確認したが、すでに姿が見えなくなっていた。
「そういえば、安心院さんはこのニュースをご存じですか?」
叶愛はそう言ってスマホの画面を安心院に見せてきた。スマホには先日『夢乃森』の看板が落ちてきたという事故のニュース記事が載っていた。
「ええ。知っているわ。大きな看板が落ちたらしいけど、幸い怪我人はいなかったらしいわね」
「そうですね。不幸中の幸いでした」
「それがどうかしたの?」
「ニュースではそのくらいしか書かれていないので、あのことは当然知らないのですね」
「あのこと…?」
「実はこのとき、私は看板が落ちてくる真下にいました」
「えっ、大丈夫だったの?」
「はい。間一髪のところで夢翔様が助けてくれたのです」
「そう。中津くんが」
「これがそのときの写真です」
叶愛はまたスマホを安心院に見せてきた。安心院がスマホに視線を移すと、そこには中津と叶愛が抱き合って倒れている写真があった。
「こ、これって!」安心院は叶愛のスマホを取る勢いで画面を凝視した。
「この写真はネットにはありません。撮影者にデータをもらったあと消してもらいましたので、今は私しか持っていません」と叶愛は自慢げに言った。
安心院はつい「クッ!」と言葉が漏れ、悔しい気持ちが表情に出てしまった。そして張り合うために「でも、私は中津くんの怪我の処置をしたわ!」と反撃した。
「夢翔様が怪我!? いつですか?」
「あれはたしか…」と安心院が振り返ったとき、あることを思い出したのだった。そしてもう一度叶愛のスマホを見た。「そっか。あのときの怪我って、これだったんだ」
「ん? 何のことですか?」
叶愛の反応から察して、中津がこのとき怪我したことを知らないようだった。中津のことだから、わざわざ言う必要のないことだと判断したのだろう。それを尊重して、安心院も誤魔化すことにした。
「いえ、なんでもないわ。ちょっと他のことを考えていただけ」
安心院はそう答えたが、叶愛は怪しむような目で安心院を見て、一人考え込み始めた。そして少ししてハッとした顔になり、何かに気づいたようだった。
「もしかして、夢翔様はこのとき怪我をされたのですか?」
たった二言の情報だけでそこまで察する叶愛はさすがだった。安心院は、こうなったら誤魔化しきれないと判断し、正直に打ち明けることにした。
「ええ、そうよ。右肩を擦りむいていたから私が処置をしてあげたの」
「右肩……」
明らかに叶愛が落ち込んでいる様子だったので、安心院は少しフォローすることにした。
「中津くんの体、結構がっしりしていたわ。さすが男の子ね」
「なっ!? 夢翔様の体に触れたのですか!?」
「触れないと処置できないからね。服を着ていたときはわからなかったけど、結構筋肉もガッツリしていたわ」
「はっ、裸も見たのですか!?」
「ええ。もちろん」
叶愛は「くっ」と悔しそうな顔をしていた。安心院の作戦は成功したようで、少しは落ち込みも解消したようである。そして「安心院さん。教えていただき、ありがとうございました」と一礼し「では、失礼します」と言った。
「ええ。また」
安心院と叶愛は決して仲が悪いわけではない。むしろ、学園を盛り上げようと日々努力している仲間である。ただお互いに譲れないものが一つだけ重なってしまったのである。
安心院は中津を見失い、もう一度探そうか迷っていた。
まだ、津久見の後を追っているのなら、彼女の近くにいるはず。でも、もう追っていなければ、自分の講義を受けているはず。いや、もう帰っているかもしれない。
いろんな可能性が考えられるため、どこにいるのか絞り切れず、諦めようとしていたそのとき、偶然目の前を走っている中津の後ろ姿を見つけたのだった。中津は津久見の後を追いかけるのを止めて、走ってどこかへ行っているようだった。安心院はそれを見てホッとしたが、中津が焦っているようだったので、再び中津の後を追い始めた。
中津は夢乃森学園前駅の近くで立ち止まり、周りを見渡し始めた。建物を一軒ずつよく見たり、歩道を見たりして何かを確認しているようだった。そして近くのビルとビルの間に隠れてから、歩道を見張り始めた。どうやら誰かを待ち伏せしているようだった。先程のことから察するに、おそらく中津は津久見を待っているのだろう、と安心院は推測した。
もし中津くんがここで津久見さんを襲おうとしたら、それは全力で止めなければならない! 同じ学校の生徒会長として! でも、中津くんがそんなことするはずない。私は中津くんを信じている。だから、ちゃんと確認しないと!
と、安心院は自分に言い聞かせながら、中津を見張った。
小一時間ほどそこで待っていると、安心院の推測通り、津久見がやって来た。津久見の姿を見つけた中津が歩道に出て行こうとしていたので、襲おうとしているという推測も当たってしまったように見えた。安心院は心を鬼にして、中津を止めようとしたとき、ちょうど同じタイミングで突然銀髪の女子生徒が現れたのだった。
銀髪女子は興奮した様子で津久見に話し掛けていた。どうやら津久見のファンのようで、偶然居合わせたようである。銀髪女子の登場で中津は出て行かずにその場に留まっていた。このまま思い留まってくれればいいのに、と願いながら観察を続けていると、後方から「ドカン! ガシャン! パリーン!」という大きな音がした。視線を送ると、車が店に突っ込んでいた。安心院は周りを見渡し、交通事故が起きたことを冷静に理解し、急いで事故現場に向かった。事故を起こした車の中に運転手がいたので、彼を助け出してから、警察と救急車を呼んだ。幸い大怪我した人はいなかった。
それがわかって一安心していると、遠くから猛スピードで走るシルバーの高級車が視界に入った。その車は中央分離帯にぶつかってからコントロールを失い、津久見が立っている場所に飛び込んでいった。そこに中津が飛び込んで、津久見を助けていた。中津のおかげで津久見は助かり、中津も怪我をしていないようだった。
二人のことが心配になったので、安心院は声を掛けに行こうとしたのだが、そのとき、事故を起こした車の中から白い何かが出てきて、どこかへ飛んでいくのが見えたのだった。安心院は事故を起こした人が逃げ出したと思い、その白い物体の追跡を始めた。
白い物体は建物から建物へと飛び移ったり、人通りの少ない路地裏を通ったりして、とても素早かったが、運動神経抜群の安心院も負けていなかった。白い物体にしっかりと張り付いて、逃がさないように追いかけていた。しかし、足の速い安心院でもなかなか追いつくことができなかったのである。
ビルからビルへ飛び移りながら追いかけている途中、何もないはずの斜め上から「えっ、生徒会長!?」という女性の声が聴こえたので、声のした方に視線を送ったが、当然そこには誰もおらず、夕焼け空が見えただけだった。安心院は、何もない空中から声が聴こえたことに少し疑問を抱いたが、今はまず目の前の白い物体を捕まえることに気持ちを切り替えて集中した。
しかし、とうとう白い物体を見失い、安心院の追跡は失敗に終わったのである。そのときすでに周りは暗くなっていた。謎の白い物体を追いかけるのに集中し過ぎて、いつの間にか何時間も経っていたのだった。さすがの安心院も諦めて帰ろうとしたとき、ビルの屋上から誰かに見られているような気がしたので、その場所を見たが、そこには誰の姿もなく、月明かりが綺麗なだけだった。
夢乃森学園前駅の近くを歩いていたとき「津久見さん、逃げて!」という中津の声が聴こえたのだった。声のした方に視線を送ると、ナイフを持った男が津久見に襲いかかっていた。安心院は急いで間に割って入り、男を蹴り飛ばした。白い物体を取り逃がしたことで少し腹が立っていたので、つい力が入ってしまい、男を一発KOしたのだった。その姿を中津に見られてしまったので、内心恥ずかしさでいっぱいだったが、冷静さを装った。
それから三人で一緒に帰ることになった。
「津久見さん、今日もお仕事だったの?」
「はい」
「そう。頑張っているのね。体調は大丈夫?」
「はい。いろいろありましたけど、今は元気です!」
「そっか。よかったわ。何と言っても自分が元気じゃないと、仕事と学業の両立なんてできないからね」
「そうですね」
「この前会ったときは、何か悩んでいるようだったけど、それも解決したみたいね」
「えっ、そんな風に見えていましたか?」
「ええ。でも、津久見さんはあのとき何も言わなかったから、もう少し待ってみることにしたの。言いたくないことを無理やり聞くのもいけないと思って」
「そ、そうだったんですか。……ありがとうございます」
「あ、そういえば、私も前に芸能関係の仕事をしているっていう人から声を掛けられたことがあるのだけれど、女優ってどんな感じなのかしら?」
「えっ、安心院先輩スカウトされたんですか!? あ、いや、安心院先輩なら当然か」
「スカウトかどうかわからないのだけれど、女優に興味ありませんか? て、声を掛けられたわ」
「それ、スカウトですよ! 安心院先輩はなんて答えたんですか?」
「断ったわ。特に興味なかったから」
「そう…ですか」
「でも、津久見さんを見ていると、少し興味が湧いてきたわ」
「え!?」
「津久見さんの演技を観ていると、何かこう、心が揺さぶられるというか、ジーンと来るものがあるのよね。そしてつい感情移入してしまって、頑張れーって応援したくなるの」
「そうなんですか!?」
「ええ」
「安心院先輩にそう言っていただけて、とても嬉しいです。ありがとうございます」
「私の方こそ、いつも津久見さんから元気をもらっているわ。ありがとう」
「い、いえ、恐縮です」
「この前のドラマもとても面白かったわ」
「『見えない天使』ですか?」
「そうそう。あのドラマの津久見さんの演技、最高だったわ」
「ありがとうございます」
見えない天使とは、ベストセラー小説の原作をドラマ化して、そのドラマが昨年社会現象になるほど大ヒットした作品である。
内容は、主人公である天使が様々な背景を持った人たちの人生を陰で支えるというストーリーである。天使は人生の中で挫折したり、何かに負けて絶望してしまったりした人たちに生きる気力や元気を取り戻してもらうために陰でいろんな行動をして助けることを使命としている。
天使は人の姿形をしているが、人間ではないため、歳を取らないし、寿命もないし、食べ物、飲み物も必要ない。それに一定期間人と関わらなければ忘れられてしまう、という少し切ない存在である。だから『見えない天使』というタイトルなのだろう。
天使が助ける人や場所は章ごとに変わる。ドラマでは、第一章が芸術家で美術館がメイン、第二章が駅員で駅がメイン、第三章が看護師で病院がメイン、第四章が歌手でライブコンサート会場がメイン、第五章が教師と学生で学校がメインだった。
津久見はこのドラマの主人公である天使を演じていた。そのときの演技は圧巻で、見ている人すべてを虜にしていた。
原作者は大野文護である。大野文護はメディアに一切出ないし、SNSもやっていないので、謎の多い存在である。大野文護が本名かどうかもわからないので、性別もわからない。前に夢乃森学園の名簿に目を通していたとき、三年生の欄に同じ名前を見つけたが、偶然同じ名前という可能性もあるので、本人かどうかわからない。
大野文護は、すでに多数の作品を世に送り出しており、その中のいくつかは、ベストセラーとなっているので、実力は確かである。個性的な登場キャラクター、繊細な心理描写、豊富な知識、細かい情景描写などが魅力的で多くの人に評価されている。
安心院は原作とドラマどちらも制覇している。特に小説の最初の一文が気に入っている。「天使はみんなのそばにいる。ただ、みんなそれに気づいていないだけ。キミのそばにもいるんだよ」
という出だしが一番のお気に入りである。
人生の中では様々なことが起こり、嬉しかったり楽しかったりするときもあれば、悲しかったり辛かったりするときもある。ただ、どんなときでも人は独りじゃない。たとえ一人暮らしで孤独を感じている人でも、実は近くには見えない天使がいる。いつも見えない天使が見守ってくれているという、人の孤独感や寂しさを減らしてくれ、前向きに励ましてくれる文である。
「あ、そうだ。もしよかったら連絡先を交換しない?」と安心院は言った。
「えっ、いいんですか!?」
「ええ。津久見さんが良ければだけれど」
「も、もちろんです! むしろありがたいです!」
「そう。良かった」
ということで、安心院と津久見はスマホを取り出しお互いの連絡先を交換した。さらに、津久見は中津にも連絡先を教えていた。そのときの津久見は顔を赤くして照れているようだった。それを見た安心院は、また一人強力なライバルが増えるかもしれない感じがしたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回もお楽しみに。
感想、お待ちしております。