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夢人  作者: たか
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津久見輝の悩み事

中学三年の津久見輝は悩んでいた。ストーカーにつきまとわれていたからだ。

ある日の仕事の帰り道、輝は人につけられている気配を感じた。輝が歩いていると、後ろから足音がして、立ち止まるとその足音も止まった。そしてまた歩き始めると、足音も聴こえたのだった。一度立ち止まり、振り返って辺りを見渡したが、怪しい人物の姿はなかった。なので、歩いていて、ストーカーの足音が聴こえている最中に振り返ったが、それでも怪しい人物はわからなかった。

それが数日間続いたので、輝は事務所のマネージャーに相談した。そしてマネージャーから警察に相談するように言われたので、行ってみたが、雑な対応だった。輝の帰り道の見回りを強化すると言っていたので、それを信じた。

警察に相談してから一週間、特に警察を多く見ることはなかったが、ストーカーの気配を感じなくなった。本当に警察が動いてくれた、と思って安心していたが、その後再びストーカーの気配を感じるようになった。どうやら、警察に相談したことで一時だけやめていたようだった。輝は再び警察に相談したが、見回りをした結果、怪しい人物はいなかったようで、ストーカーされている証拠もないということだったので、適当に対応されたのだった。証拠がないと警察は動かない。輝はそう考え、証拠を集めることにした。

ある日の帰り道、ストーカーの気配を感じた輝は、スマホで自撮りをしている振りをして、後方を撮っていた。それを数か所で行い、家に帰り着いたあと見返した結果、どの写真にも全身黒い服装にフードを深く被った人物が映っていることに気づいた。

その写真を証拠に警察に持って行ったが、警察は動こうとしなかった。映っている人物が小さいので同一人物かわからないし、仮に同一人物だったとしても偶然帰り道が一緒だった可能性がある、という言い分だった。このとき、輝は警察が当てにならないと悟った。ドラマによく出てくる民間人を親身になって助けてくれる警察などいないという現実を受け入れたのだった。

そうなると、頼れるのは自分だけだった。輝は友達がいないし、事務所に相談しても警察に行けと言われるだけだし、両親も仕事で忙しくて家ではすれ違ってばかりで会話することもほとんどなかった。輝には他に相談できる相手がいなかったのである。

輝は覚悟を決めて、行動することにした。数日間、ストーカーの気配を感じては、自撮りして証拠を集めた。いつ、どこで撮っても全身黒服でフードを被った人物が映っていたので、この人物がストーカーだと確信した。

そしてある日の帰り道、いつも通りストーカーの気配を感じた輝は、突然振り返り、全身黒服フードの元へ走って行った。黒服フードは逃げることもなく、立ち止まったまま両手を広げて輝が来るのを待ち構えていた。

その姿を見て輝は怖くなったが、頼れる相手がいない以上ここで終わらせたい気持ちが強かったので、勇気を振り絞って向かっていった。周りに人の目もあったので、襲われることはないだろうと思っていた。

輝が黒服フードの目の前に着くと、奴は「やあ。やっと僕に気づいてくれたんだね」と言って被っていたフードを取った。黒服の正体は大学生くらいの若い男で知らない人だった。

「あなた、最近あたしのあとをついてきていますよね?」

「うん。僕に気づいてもらうために」

「それ、やめてくれませんか? 正直、迷惑です」

「どうして? 僕はキミを愛しているのに」

 輝はこの発言を聞いて、相手がヤバい奴だと認識したが、どう対応すればいいのかわからなかったので、とにかくやめてほしいということを訴えることにした。

「応援してくれるのは感謝します。ですが、つきまとう行為はやめてください」

「でも、それを続けたから、キミは僕に気づいた」

「怖かったからです。もし、あなたがこのまま続けるようなら、警察に言いますよ」

「警察に言っても動かなかっただろ?」と黒服はニヤリとして言った。「警察に言っても無駄だ。奴らは無能だから、キミを護ることができない。……だから、僕がキミを護るよ」

「護るって、一体何から護るんですか?」

「すべてから護るよ。大丈夫。僕はキミの味方だから」

 輝の予想通り、黒服は話の通じる相手ではなかった。言っていることとやっていることが無茶苦茶だし、自分の行動が周りにどう影響しているのかもわかっていないようだった。サイコパスみたいだった。

 黒服は不気味な笑みを浮かべながら輝に手を伸ばしてきたが、それが怖くて輝は身を引いた。その対応に黒服は驚いていた。

「どうして僕の手を取らないんだ? ひょっとして僕のことが嫌いなのか?」

「当たり前でしょ! 大っ嫌い!」

 黒服はその言葉を聞いて情緒不安定になり、頭を掻きながらブツブツと独り言を呟き出した。目は焦点が定まっておらず、絶望したような顔になっていた。そして近くにあった自動販売機を思いっきり蹴り始めた。輝は黒服の異常な行動を目の当たりにして怖くなってその場から動けなくなっていた。早く逃げ出したかったが、足が思うように動かなかったのである。そしてとうとう黒服が輝に襲いかかろうとしたとき、突然横から腕が伸びてきて、黒服の腕を掴んだのだった。

 輝を助けてくれたのは、黒髪ロングストレートの髪にキリっとした目つきのカッコイイ女性だった。制服を着ていたので、女子高生のようだった。

「ちょっとお兄さん。女の子に乱暴をしてはダメですよ」と彼女は言った。

「なんだお前は!? 僕の邪魔をするな!」

 黒服は彼女に殴りかかろうとしたが、彼女は黒服の腕を軽く捻り、地面に倒した。彼女の身のこなしに輝は見惚れていた。黒服が立ち上がり、また襲ってきそうだったが、そのときちょうど見回りをしていた警察が声を掛けてきたことにより、事態は収束したのだった。警察に状況を聞かれたが、輝は上手く答えることができなかったので、黒髪ロングの彼女が代わりに説明してくれたのだった。その結果、黒服は警察に連れて行かれた。

「あ、ありがとうございました」

「どういたしまして。世の中にはああいう人もいるから、夜道は気をつけるのよ」

「はっ、はい」

「じゃあ、さようなら」

「あ、あの!」

「ん? なにかしら?」

「お、お名前は?」

「私? 安心院希望よ」

「安心院…希望さん。……また、会えますか?」

「フフ、そうね。夢乃森学園に来ればいつでも会えるわ!」

 安心院はそう言って凛としたカッコいい後ろ姿で去って行った。

 このとき、まだ進路を決めていなかった輝の進学する高校が決まったのである。

 

この日以降、ストーカーの気配を感じなくなり、輝はようやく安心することができたのだった。しかし、その安寧とした日々も長くは続かなかった。ストーカーと入れ代わるように新たな問題が出てきたのだった。

それは、SNSでの誹謗中傷だった。以前からいくらかの誹謗中傷はあったが、ストーカー事件が解決して以降、明らかに数が増え、内容も過激になっていたのである。

 輝はあまり気にしないようにしていたが、事実無根の噂を流されたり、自身のSNSに人格を貶すようなDMが送られてきたりして、見過ごせないほどになっていた。そのことが気になって、仕事に集中できずミスが増え、注意されることが多くなっていた。そしてさらにへこむという悪循環に陥っていたのである。

 そんな状態のまま、輝は四月から夢乃森学園に通うことになっていた。専攻はメディア・芸術学科。将来役者を目指す人が集まる学科である。輝はすでに女優デビューしているが、自分はまだまだだと思っているので、学ぶことは多いだろうと考えていた。


新しい学校に初めての一人暮らし、夢乃森学園に通うのは楽しみなはずだった。しかし、入学式当日から、輝は多くの人に注目され、声を掛けられたり、握手を求められたりした。普段はファンを大切にする輝だったが、このときの輝は誹謗中傷のせいで、疑心暗鬼になっており、作り笑顔で対応していた。

みんな「ファンです」とか「前から好きでした」と言いながら笑顔で声を掛けてくるけど、本当のファンはどのくらいいるのだろうか。口先だけでは何とでも言うことができる。もしかしらた、この中にSNSで誹謗中傷している人がいるのではないか、とみんなが怪しく見えていたのである。

それくらい輝のメンタルは疲弊していた。それでも、入学式での安心院の挨拶を聞いたときは感動して一時的に元気一〇〇倍になっていた。


輝が初めて演技をしたのは、幼稚園での劇だった。内容は妖精たちが旅をしながら歌ったり踊ったりする劇だった。そのときの演技が他の園児と比べ、ずば抜けて上手かったのである。その演技を観た母は感動していた。

ある日、母があるドラマの子役オーディションがあることを知り、勝手に応募したのだった。輝は事後報告で知らされ、特に演技が好きという気持ちはなかったが、母に頼まれたので、一応受けてみると、まさかの合格だった。それが津久見輝の女優デビューであり、当時まだ五歳だった。そしてそのドラマが社会現象になるほど人気になり、子役の演技が上手いということも話題になった。それで一気に注目を浴び、津久見輝の名前はあっという間に世間に広まったのである。

世間では天才子役ともてはやされている輝だが、実際はたゆまぬ努力の結果である。セリフを覚えること、泣きたくなくても泣かなければならないこと、そのときの感情を顔だけで表現しなければならないこと、細かい動作など、女優業はとても大変な仕事だった。それに学校の勉強も怠るわけにはいかなかったので、輝は人一倍努力していたのである。そして誰にも弱音を吐かなかった。両親にさえも。

そんな生活をしていたため、学校で友達はできず、周りから一定の距離を取られていた。輝の努力している姿が近づき難かったようである。

そうやって一人で努力していた輝の前に、あの日突然安心院が現れて助けてくれたのである。安心院の可憐な姿に輝は一瞬で憧れを抱いたのだった。


入学式後は、各学科に分かれて集合し、教員から学園内のルールや講義の選び方、各施設の利用方法など学園生活で必要な説明を受けた。説明中も輝は周りから注目をされているようで四方八方から視線を感じていた。輝は、ここに集まっている役者の卵たちに当然のように知られており敵意を向けられているようだったが、そんなことより、早く安心院に会いたいという気持ちが強くて、あまり気にしなかった。

説明が終わり、講義を選ぶ時間になった。周りの生徒は友達と話し合って決めているようだったが、輝は一人で学びたいと思った講義をササッと選択し、誰よりも早く教室を出て行った。これで初日の学校は終わりなので、早速生徒会室に挨拶しに向かったのである。

高鳴る鼓動を感じながら、速足で向かっていると、あっという間に生徒会室に着いた。輝は、焦げ茶色の立派な西洋風の両開きドアの前に立ち、深呼吸をして落ち着いてからドアを三回ノックした。しかし、返事がなかったので、もう一度三回ノックをし「失礼します。安心院生徒会長はいらっしゃいますか?」と声を掛けたが、返事がなかった。輝はドアノブを握り開けようとしたが、鍵がかかっていたため、開けることができなかった。どうやら外出中のようだった。

きっと生徒会長だから忙しいんだ。

輝はそう思い、この日は帰ることにした。同じ学校に通っているのなら会う機会はあるだろうと判断したからだ。だが、輝の予想は浅はかだったようだ。翌日も朝、昼、放課後と輝は何度か生徒会室を訪ねたのだが、いつも鍵がかかっていて誰もいなかったのである。

きっと新年度が始まったばかりだから忙しいんだ。

輝はそう考え、しばらく生徒会室の訪問をやめることにした。早く安心院に会いたいという気持ちは強かったが、仕事の邪魔をしたくないと思ったからだ。これでまだ当分安心院と話はできないだろうと思っていたが、その予想も外れたのだった。


ある日の昼休み、輝は学園内の売店で買い物をしていた。

夢乃森学園には、二四時間営業の無人売店がいくつかある。ほとんどコンビニと同じ作りで、品揃えが豊富であり、困ったときには頼りになるところである。スマホを持って入店するだけで、あとはコンピューターが勝手に処理してくれるため、支払いなどの手間がまったくないのである。客は商品を選んでそのまま持ち帰るだけでいいため、混雑することもないし、万引きされる心配もないのである。

輝は、昼から仕事が入っていたので昼食を手短に済ませようと、おにぎりかサンドイッチを買おうとしていた。

 初めてきた売店だったので、一通り見て回っていると、安心院の姿があった。安心院はある商品棚の前で腕を組んで考え事をしているようだった。

「あっ、安心院…先輩…」

「ん? あら。あなたはたしか…前に会った…」

「お、覚えてくれているんですか!?」

「ええ。たしか、津久見輝さん、よね?」

「え!? どうしてあたしの名前を!?」

「当然知っているわ。あなたほどの人なら」

「ああ、ありがとうございます!」

「フフ、一緒の学校で学ぶことができて嬉しいわ」

「あ、あたしの方こそ、感謝感激です!」

「新しいことばかりでわからないことがあると思うけれど、そのときはいつでも言ってね」

「はい! ありがとうございます」

「それと、何か悩み事があったらいつでも相談に乗るわ」

「あ……はい」

「ん? 何か悩んでいることがあるの?」

「あ、いえ、なんでもないです」

 輝は誹謗中傷のことを相談しなかった。学校とは関係のない個人的なことだったので、安心院を巻き込みたくないと思ったからだ。

「そう。……ところで、津久見さんは何を買いに来たのかしら?」

「あ、はい。お昼ご飯を買いに来ました」

「そう。学食には行かないの?」

「はい。今日はこのあと仕事があるので、移動しながら食べようと思って」

「そうだったの。ごめんなさい。忙しいのに話し掛けてしまって」

「い、いえ。声を掛けたのはあたしなので、安心院先輩が謝ることではありません。あたしは話ができて嬉しいです」

「そう言ってもらえると、私も嬉しいわ」

「……ところで、安心院先輩は何を買いに来たのですか? 何か悩んでいるように見えましたけど」

「私? 私はワイシャツを買いに来たの」

「ワイシャツ…ですか…?」

「ええ。目当てのものは見つけたのだけれど、サイズがわからなくて」

 安心院はそう言って棚から三枚パックの白シャツSサイズとMサイズを手に取った。

「安心院先輩。それ、メンズですけどいいんですか?」

「ん? あ、これは私用じゃなくて、中津くんに買っているの」

「な、中津くん…?」

「中津夢翔くん。私と同じ二年生で首席の人。今、怪我して服が汚れたから、代わりに着替えを買ってあげているの」

「へ、へぇー、そうなんですか。……先輩の彼氏さん…ですか?」

「かっ、彼氏だなんて! そんなんじゃないわ。たしかに、中津くんは魅力的な人だけれど、まだそんな関係じゃ…」

 この反応にこの発言、これはもう好きと言っているようなものだったが、輝はあえて追及しなかった。というより、普段凛としている安心院の女の子である一面を見られたので嬉しかったのである。

「じゃ、じゃあ、そろそろ行くわね。中津くんを待たせるのもいけないから」

 安心院は少し焦った様子でSサイズ、Mサイズの白シャツ両方を買っていた。結局二つとも買って失敗しないようにしたらしい。

そして安心院は店から出て行く前に振り返り「津久見さん。仕事頑張ってね」と笑顔で言った。輝は「はい!」と笑顔で返事をした。

 輝は予想外の安心院との再会、そして励まされたことでやる気に満ちていた。誹謗中傷なんかに負けないぞ、という気持ちになり、仕事を頑張れたのである。

さらに、その日の仕事終わりの帰り道、夢乃森学園中央広場を通りかかったとき、路上ライブが行われていたので、立ち止まって聴いてみることにした。歌っていた姫島響歌という名前は聞いたことなく、初めて聴く歌声だったが、透き通るようなやさしくて響き渡る歌声に感動し、つい聴き惚れてしまった。気がつくと最後まで聴いており、いつの間にか涙が頬を流れていた。そのくらい、姫島の歌声が輝の心に突き刺さったのである。

輝は早速「姫島響歌」という人物を知るためにスマホで検索したが、ヒットするのはどれも再生回数の少ないカバー曲ばかりだった。最初は同姓同名の別人だろうと思っていたが、その中の一つ、路上ライブでも歌っていた曲を試しに聴いてみると、同じ歌声だということがわかったのだった。その他の曲も聴いてみたが、すべて姫島と同じ歌声だった。このとき、輝は姫島の素晴らしい歌声がその他大勢の中に埋もれているということを察し、多くの人に知ってもらいたいという気持ちから、SNSに「姫島響歌さんの歌声。最高です!! 奇跡の歌声を持った歌姫がいる!!」と呟いたのだった。その呟きが輝の想像以上に拡散し、姫島響歌の名前はあっという間に世間で注目されたのだった。すぐにプロの人から声も掛かったようで、歌手デビューも決まったらしい。元々ポテンシャルは高かったので、上手くいくだろう、と輝は思っていた。


 安心院と姫島に出会ったことで、輝は元気を取り戻すことができたのだった。またこれから頑張ろう、という気持ちになっていた。しかし、そう思っていた矢先、輝のSNSにある不気味なDMが届いたのである。「お前をずっと見ている」という怖いメッセージだった。輝はただの嫌がらせだろうと、自分に言い聞かせようとしたが、ふと半年前のストーカーのことを思い出して怖くなった。

 それから輝は、マスクとサングラスをして顔を隠し、学校に通うようになった。この変装なら誰にもバレないだろうと謎の自信を持っていたのである。実際、周りから見られている気はしたが、誰にも声を掛けられないし、嫌な視線も感じなかったので、作戦は上手くいっているだろうと思っていた。しかし、それは長く続かなかった。知らない男子生徒にあっさり見破られてしまったのである。

 輝が午後の講義に向かっていると、その男は突然併進してきて、輝の顔を覗き込んできた。最初、輝は無視していた。反応して変に絡まれたら面倒だと思ったからだ。

 もしかして、こいつがあの怖いメッセージを送ってきた人!?

 輝は一瞬そう推測したが、直観でこの男がそんなことするようには見えなかったので、考えを改めた。

 それでも、いつまでもついて来るこの男が煩わしくなり、輝は先に話しかけてしまったのだった。男の話を聞く限り、ただのファンだと思った輝は、適当にサインして済ませようとしたのだが、なぜかその男は輝のサインを拒んだのだった。それに自分から絡んできたくせに無視するし、さらに、輝のことを知らないようだった。

 なんて無礼な人だ、と思いながら話を進めていると、どうやらその男は輝に見惚れてナンパしてきたようだった。輝は今までファンに声を掛けられることはあったが、ナンパは初めてだったので少し戸惑い、どう対応すればいいのかわからなかった。なので、最後に名前を尋ねてしまったのである。彼は「中津夢翔です」と答えた。

 輝はその名前に聞き覚えがあったので、思い出そうとしていたが、考えているうちに昼休みのチャイムが鳴り響いたので、考えるのを止め、急いで午後の講義が行われる教室まで向かった。


 チャイムが鳴り、時間通りにダンスの講義が終わった。輝の今日の講義はこれで終わりだった。このあと夕方から仕事があるので、それまでゆっくり過ごそうと一休みできる場所を探していると、誰かにつけられている気配を感じた。輝は以前ストーカー被害に遭っていたので、そのことに敏感になっており、つけられていることにすぐ気づいた。ただ、今回の気配は前と違い、嫌な感じや怖さを感じなかった。

 輝は一度立ち止まり、スマホを取り出して前髪を整えている振りをしながら、後方を確認した。そこに映っていたのは、さっき声を掛けてきたナンパ野郎だった。輝は中津を欺くために走り出し、建物の後ろに隠れた瞬間全速力で走り、建物を一周した。そして建物の裏を覗き込んでいる中津にそっと近づき、「わっ!」と大きな声で脅かした。中津は飛び跳ねて驚いていたので、輝の作戦は成功したのだった。

 中津に後をつけていた理由を問いただすと、こう答えた。

「津久見さんの話を聞きたい」と。

その答えを聞いたとき、輝は内心驚いた。最近SNSで悩んでいることを見破られたと思ったからだ。だけど、そのことを知っている人はいないので、警戒もした。中津が誹謗中傷をしている人物には見えなかったが、後をつけられるのは嫌だったので、少し強い口調で警告した。中津はそれに従った様子で、後を追って来ることはなかった。

 その後、輝は学園内のカフェ『ドリームバックス』でゆっくり過ごして気分を落ち着かせることにした。「速見」と書かれた名札をしたショートボブの店員に案内され、カウンターの右から二番目の席に座り、ハーブティーを注文した。そして届いたハーブティーを飲んで心が安らいでいたとき、ふと「中津夢翔」という名前を安心院が言っていたことを思い出したのだった。

 あの人が安心院先輩の言っていた中津夢翔!? いや、まだ同姓同名という可能性もある。あんな謎な行動をする人が学年主席なはずがない。ましてや安心院先輩の……。

輝がそう自分に言い聞かせているとき、突然右隣に座っていた女子生徒に声を掛けられた。

「こんにちは。どうかされたのですか?」

「えっ、あ、すみません、うるさかったですよね」

 輝は自分が独り言を呟いていたことが、隣に座っていた人の迷惑になったと思い込んで謝った。

「いえ、そんなことないですよ。こちらこそすみません。突然声を掛けてしまいまして」

「い、いえ。謝らないでください。あたしの独り言が原因なので」

 話し掛けてきた女子生徒はとても上品で気品のある雰囲気を纏っており、ピンクブラウンの髪に綺麗なエメラルドグリーンの瞳をしていて、とても可愛い人だった。

「……ところで、あなた、どこかで見た覚えがあるのですが、何年生でしょうか?」

「あ、あたしはメディア・芸術学科一年の津久見輝です」

「津久見輝?……ひょっとして、あの津久見輝さんですか?」

「はい。一応女優しています」

「そうですか。お会いできて光栄です」

「あ、ありがとうございます。あの…あなたは…?」

「申し遅れました。私は教育学科二年の夢乃森叶愛です」

「夢乃森…叶愛……? えっ、夢乃森!? それってもしかして…」

「はい。夢乃森学園理事長、雲海の孫です」

「そ、そうだったんですか!? すみません、あたし知らなくて失礼な態度を…」

「気にしないでください。逆に畏まられると私も話しにくくなりますので、普段通りに接していただけると嬉しいです」

「そっ、そうですか…」

「どうですか? 学園生活は。まだあまり日が立っていませんが、少しずつ慣れてきましたか?」

「は、はい。まだわからないことだらけですけど、楽しくやっています」

「そうですか。それならよかったです。一応私はこの学園の運営にも携わっておりますので、何か気になることがありましたら、気兼ねなく言ってください。可能な範囲で力になれるかもしれません」

「はい。ありがとうございます」

「では、失礼させていただきます。お話しできて楽しかったです。ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 そして叶愛は『ドリームバックス』を出て行った。

輝は叶愛に対して終始緊張していたが、嫌な緊張ではなかった。それは叶愛の話し方からやさしさを感じたからである。また機会があれば会いたいな、と思ったのだった。


輝は『ドリームバックス』を出たあと、一度寮に帰宅して着替えてから夢乃森学園前駅に向かった。

 駅に向かっている途中、突然夢乃森学園の制服を着た銀髪の女子生徒が声を掛けてきた。

「あー、津久見輝さん! あたし、国東栞って言います! あなたのファンです! 握手してくれませんか?」と興奮した様子で早口で迫ってきた。

 どうやら国東は輝のファンで結構熱心なタイプのようだった。今までもこのようなタイプのファンに突然絡まれたことが何度かあったので、輝は慣れた様子で冷静に対応しようとしたが、握手をすると国東はより一層興奮してしまったのだった。

「キャー、ありがとうございます! この手、もう一生洗いません! 家帰ってからも、お風呂入っているときも、ご飯食べる前も洗いません!」

「いや、それはちょっと…」

「あっ、あとサインいただいていいですか? ここに三枚色紙があるので!」

 国東はそう言って鞄から色紙三枚とマジックペンを取り出して渡してきた。

「三枚? 誰か友達にもあげるの?」

「いえ、全部自分のです」

「え?」

「一枚は鑑賞用。一枚は保存用。一枚は予備の保存用です」

「そ、そうなんだ…」

 輝は若干引きつつも、三枚ともサインを書いた。国東はサインを受け取り、「やったー。これ家宝にします!」と嬉しそうに喜んでいたので、輝も嬉しくなった。

 輝は国東がこれで満足したと思い、先に行こうとすると、国東に行く手を塞がれたのだった。国東はまだ満足していない様子で話を続けてきた。まるで、先に行かせないようにしているようだった。

「あ、あとですね、この前の…」

「ごめんなさい、国東さん。あたしこれから仕事があるから、そろそろ行きますね」

「そうなんですか。なんの仕事なんですか?」

「ドラマの撮影です」

「ドラマの撮影ですか! あ、そういえば、この前のドラマの演技、最高でした! 見ているあたしにも緊張感が伝わってきて、さすがプロだなぁって思いました!」

「そうですか」

「それに…」

「ごめんなさい。そろそろ…」

 輝がそう言いかけたとき、少し先の方から「ドカン! ガシャン! パリーン!」という大きな音がした。驚いて視線を送ると、グレーの高級車が店に突っ込んでいた。

輝は目の前の光景に驚いて固まっていた。事故現場を目の前で目撃したのは初めてだった。もう少し前を歩いていたら、自分が巻き込まれていたかもしれない。そう思って少しゾッとした。国東が声を掛けてくれたから、助かったのである。輝はそう思って辺りを見渡したが、国東はいつの間にかいなくなっていた。

すると今度は、後ろの方から「ドカン! ガシャン!」という音が聴こえ、振り返ったときには目の前に大きな車体が迫っていた。突然のことに何が起きているのかわからず立ち尽くしていると、急に誰かが飛びついてきたのだった。輝はその誰かに抱き寄せられ一緒に倒れ込んだ。少しして相手の手が緩んだので起き上がり周りを見渡した。飛びついてきた相手は中津で、近くにはシルバーの高級車が壁にぶつかって大破していた。

この状況から察して、どうやら中津が助けてくれたようだった。中津のおかげで輝は無傷だった。中津は気を遣った様子で自分も無傷であるとアピールしていたが、地面に倒れ込んだせいで、制服が汚れたり破れたりしていた。

輝は中津に対して、少し前に強い口調で警告したばかりなので、助けてもらったお礼を言うのが恥ずかしくなり、黙ってしまった。中津もなぜか何も言わなくて気まずい沈黙が流れているところに、今度は上から大きくて分厚い鉄の板が落ちてきたのだった。今度こそ避けきれないタイミングだったのだが、そこへ突然イケメン男子が現れて助けてくれたのだった。助けてくれた別府剣悟というイケメンは中津と少し会話をしてから、慌ただしい様子ですぐにどこかへ行ってしまった。

そしてそのあとすぐに、今度は姫島響歌が声を掛けてきたのだった。偶然近くのカフェにいたらしく、中津の心配をして来たらしい。輝は突然の姫島の登場に驚いていた。あの日に歌声を聴いて以降、また聴きたいと常々思っており、すっかりファンになっていたからだ。チャンスがあれば、直接会いたいと思っていた姫島が今、目の前にいる。その現実に驚きを隠せなかったのである。

そんな輝に姫島の方から話し掛けてきた。姫島は輝のことを知ってくれており、感謝を述べてきた。輝はそのことが嬉しすぎて興奮したまま握手やサインを求めて、連絡先も交換したのだった。

そんな幸せな時間も長く続かず、ふとスマホを見ると、仕事の時間が迫っていることに気づいた。輝は名残を惜しみつつも切り替えて仕事に向かった。

 輝は姫島と出会えたことで、頑張ろうという気持ちが強くなり、仕事もやる気に満ちた状態で取り組むことができたのだった。


 仕事が終わると緊張感が解け、溜まっていた疲れが一気に押し寄せてきたのだった。

 早く帰って休みたい。

 輝は速足で帰り始めた。しかし、少し歩いたところで突然「あ、津久見輝だ!」という女性の声がして、周りにいた人たちが集まり出した。輝は溜まっていた疲れを隠して、ファンたちとの握手や写真撮影に応じた。輝が成功したのは、応援してくれるファンがいるからなので、なるべくファンを大事にしたいという考えだったからだ。

集まったファンの対応を終え、再び帰り始めると、今度はチャラい見た目の若い男二人組が絡んできた。先程のファンたちと違い、今度の二人は「ねぇ、今から飲みにいかねぇ?」「俺たちと遊ぼうぜ」などと無礼な態度で馴れ馴れしく話しかけてきたので、輝は構わず無視して歩いていたが、柄シャツを着た男が突然腕を掴んできたのだった。輝は掴まれた腕を振り払おうとしたが、男の力が強くてなかなか放れなかった。輝が必死に抵抗していると、突然細身の男が割って入ってきた。細身の男は「この人に手を出すな」と言ってチャラ男たちと睨み合った。チャラ男たちは「何だてめぇ?」「いきなり来て邪魔すんじゃねぇよ」と脅し文句を言っていたが、細身の男は一歩も引く気配がなかった。結局、チャラ男たちが先に諦めて去っていった。

輝は助けてくれたお礼を言おうとしたが、振り返った細身の男の顔を見て驚きを隠せず、言葉が出なかった。その男は、半年前にストーカーをしていた黒服だった。輝は怖くなり、すぐにその場から逃げた。

無事駅に辿り着き、男が後を追って来ている様子もなかったので、輝は落ち着きを取り戻すためにワイヤレスイヤホンをして、大好きな姫島の歌を聴き始めた。姫島の歌のおかげで少し落ち着くことができたのだった。そして気がついたときには、夢乃森学園前駅に到着していた。

輝は電車を降りてから速足で歩き、一刻も早く寮に帰ろうとした。なんとなく嫌な予感がしていたからだ。改札口を出て駅の出口付近を歩いていたとき、後ろから「津久見さん、逃げて!」という中津の大きな叫び声が聴こえた。輝はその声に反応して立ち止まり振り返った。すると、ナイフを持った先程のストーカーが迫って来ていた。輝は怖くて体が固まってしまい、身動きが取れなくなってしまった。そんなとき、突然輝の目の前に黒髪ロングの綺麗な髪が現れ、視界を覆ったのである。




読んでいただき、ありがとうございます。

次回もお楽しみに。

感想、お待ちしております。

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