交流
ポアと眞理は道場を後にし、探偵事務所に戻った。
「にしても、今まで会ったことのないタイプの人達だから何だか新鮮だよねー」
彼はソファーでゴロゴロしながら、チラッと眞理を見た。
「そ、そう……かな? うん、そうかも」
乾いた食器を棚に戻す彼女の表情は上の空。
そんな様子にポアが頬を膨らませる。
「むー! 眞理ちゃんは奇人変人に免疫つけすぎなんだよー。まぁ上司があんな人だし仕方ないけどさ」
「はいはい」
あしらった眞理は棚の整理を続けた。
「……やっぱりダリタツかな」
「はい?」
いきなり零れた彼女の独り言にポアが振り返る。
眞理は顔を火照らせたまま固まってしまった。
「そ、そういえば。ダリアさんとは会ったことあるんだっけ?」
「いや、本当に顔を見たくらいで絡んでたとかは無いんだよね」
彼は頬をかきながら続けた。
「前にクラブで女の子に絡んだら、そいつ男連れててさ? 男がブチギレて俺に殴りかかってきてさ。そしたらあの人がそいつボコボコにして追い払ってくれたんだよね」
軽い口調とは裏腹に修羅場な話だ。
聞かされた眞理が思わずため息を吐く。
「いっそ助けてもらえなかった方が、教育的によかったんじゃ……」
「ぶー!」
「もう、女の子たぶらかすのも程々に……」
彼女が言いかけた時、ポアの携帯から音楽が騒々しく流れた。
画面を見た彼がにんまりする。
「明蘭ちゃんからだー! もしもーし」
「言った傍から! というかいつの間に?」
彼は携帯を耳に当てながら、左右の足を軽やかに上げ下げしていた。
「うん、うん。マジでー! 行く行く! じゃあ後でねー!」
電話が終わって浮かれた笑顔で起き上がった彼は、自分のバッグを勢いよく引っ手繰った。
それから舞うように鏡の前へ駆け、髪形をチェック。そして引き出しから、助手の私物である使い切りタイプのマウスウオッシュを取り出し口を濯ぐ。
「メイちゃんから何の電話だったの?」
「この後お茶しに出掛けるから、俺と眞理ちゃんもおいでってさ」
「何時頃?」
「んーと、三時半くらいって」
腕時計を見た眞理は、既に三時を五分も過ぎている事に気づき、慌てて顔に粉をはたいた。
「眞理ちゃん気合入れるねー」
「そういうつもりはないんだけど、お茶って聞くとメイクのダメ出しされるような気がしちゃってね……」
苦い顔でリップを引く彼女の脳裏に口の辛い友人達が浮かぶ。
事情を知らないポアは首を傾げた。
しばらくして、髪まで整えた彼女が振り返る。
「眞理ちゃんおっけー?」
「まぁ、ね」
二人が支度を終えた丁度その時、窓の外から重々しくも滑らかなエンジン音が。
再びポアの携帯が鳴る。
「ついた? 今行く!」
バタバタと戸締りした二人は、散らばるゴミを蹴飛ばしながら階段を駆け下りる。
外に出た二人を迎えてくれたのは、白く煌めく大型セダンのベントレー。
駐車場で見る時とは違い、その気品からくる存在感の大きさを改めて放っている。
黒い窓の後部座席が開き、中からバーバリーチェックのワンピースに身を包んだ明蘭がぴょこんと降りてきた。
「お待たせー!」
「すっげー! メイちゃんかっわいい!」
はしゃぐポアの言葉に彼女は微笑み、軽やかにターンをした。ショコラのような色味のケープと綺麗なAラインのスカートがふわりと広がる。
「探偵さんコーデだね。似合います!」
「嬉しい! 眞理姉さん謝謝!」
笑顔の明蘭はそのまま眞理の腕を抱き、クリーム色の本革が張られた後部席へ招き入れた。
次に助手席の窓が降りる。
「ポア、こっち乗りな」
運転席からタツが呼ぶ。
「えー俺メイちゃんの隣が……」
「タツさん、発車していいですよ」
「助手席嬉しいなー!」
わざとらしく喜ぶ彼をタツは大きく笑い飛ばした。
「車内ひろーい! 超映えるじゃんこれ!」
ポアが腰かけると、セミアニリン牛革のしっとりした感触と、英国の気品と技術が織りなす極上の座り心地が彼の身体を包んだ。
背中と腰がとろけるような感覚に、ポアの口から力の抜けきった吐息が溢れる。
後部席の眞理もスエード素材のヘッドレストに頭を預け、手で席をさすりその滑らかさと弾力を味わっていた。
「パパの愛車すごいでしょ? タツ君、あれやってよ!」
明蘭がダッシュボードを指さす。タツはダッシュボード中央のパネルの上で指を滑らせ、テキパキと画面を展開させた。
すると、車内に巡らされた白いイルミネーションがジワジワと桃色、赤色、紫色、青色、水色へと変化していく。
「なにこれやっべー!」
「こんなの初めて……」
すると、見惚れる眞理の顔に明蘭が頬を寄せ、携帯のカメラを向けた。
――パシャリ。
「メイちゃん後で俺とも撮ってよ」
「うん、後でね」
「出すぞ」
タツがギアを入れると、四人を乗せた宮殿がスーッと動き出す。
「いっぱい楽しもうね!」
「いえーい!」
英国高級車は晴天の中を駆け、街へ皆を運んで行った。
カーオーディオが奏でるビッグバンドのスウィングの中、眞理は車窓をぼんやり眺めていた。黒い窓の向こうで変哲の無い街並みがただただ流れていく。
彼女の頭に上司の愛車が浮かぶ。
同じく英国製の最高級車。名前こそはわからないが、明蘭家のベントレーに並ぶ一台だ。
だが、上司の愛車で流れている音楽は決まって時代錯誤のアニメソング。それも垢抜けないロボットアニメのテーマばかり。
勝るとも劣らないインテリアではあるが、ムードの違いでこうも空気が変わるものかと、眞理は頭の中をぐるぐるさせていた。
「眞理姉さん?」
呼ばれた彼女が気が付くと、明蘭が子猫のような顔でじっと見つめていた。とろんとした瞳に、眞理の上の空な表情が映る。
明蘭は席の真ん中にあるコンソールをたたみ、そのか細い体を眞理に寄せた。手と手が重なる。
「楽しみじゃないの?」
ハンドルを握るタツはバックミラー越しにその様子を見ていた。少しもの言いたげな表情だ。
「ご、ごめんね。どうしても事件の事考えちゃって」
助手席のポアが振り返る。
「もー、そういうのは俺がばっちり考えとくからさ」
「はは、ポア公は頼もしいな」
こんな調子で、車は街の中心部へ到着。タツは立体駐車場前の道路脇に停車した。
「メイ、ポア、二十歳組は先に降りててくれ」
「ん? おっけー」
タツは二人が降りてドアを閉めた事を確認すると、車をゆっくりと駐車場に侵入させた。
「眞理ちゃん、ごめんな」
「え? 何がですか?」
「メイは少し、愛情的な物に飢えてる所があるから。うまくは言えねぇんだけどよ」
「愛情的な物、ですか」
「愛情と言うか友情と言うか微妙な所なんだけどな。メイなりに友達とか作ろうと色々やってきたみたいだけど、イマイチすれ違ってうまくいかなかったみたいでさ。だから今回もグイグイ行っちゃって……」
慣れた手さばきでハンドルを切りながらタツは続ける。
「ポアの奴は楽しんでるっぽいから良いけど、眞理ちゃんが困ってたら悪いなって、まぁそんな話さ。行こっか」
「そんな、困ってなんか無いですよ。本当に少しだけ違うこと考えていたんですよ」
彼女は降りながら答えた。
「そうか。なら良いけどよ」
車のロックを確認した後、二人はエレベーターに乗り込んだ。操作盤を触ろうと、タツが眞理に背を向ける。
小さく少しとがった耳に、アッシュグレーの髪を無造作に流したようなヘアスタイル。
意外と小柄な背中からは、二つに割れた長い裾が伸びていた。
黄ばんだエレベーター内、エレガントな服装、野暮さの残る本体。眞理にはどれからも調和を感じることはできなかった。
特に会話もなく、一階出口へ。だが、華の二十歳組の姿が見当たらない。
「は?」
歩道へ駆けだしたタツが辺りを見渡す。
「メーイ!」
見ていた眞理もガクッとうなだれた。
『さん、にー、いち! ……こんな風に撮れたよ!』
「いえーい! めっちゃ盛れてる!」
ポアが画面に映る現実離れしたツーショットを指した。元々大きい二人の目を現代技術で拡大している物だからまるで少女漫画の様。
「ポア君可愛い!」
明蘭がポアの腕を掴む。カメラのシャッターがそのまま次々と切られ、切り替わった画面に撮れた写真が並べられる。
にっこりピース、二人そろって指ハート、包拳礼、頬に指つん。
二人は賑やかにはしゃぎながら画面の写真に色々と付け足した。
「そう言えば、眞理姉さん置いて行って大丈夫だったの?」
「大丈夫大丈夫! メイちゃんこそタツ兄は大丈夫?」
「無問題」
二人はお互いにケロッと答えた後、印刷された写真シートを受け取りハサミのあるカウンターへ向かった。
ほかの客やゲーム機体の騒音の中でポアがシートを切り分けていると、明蘭が小さな張り紙に気が付く。
「本日限定、入店五〇組目の男女ペアに帝都ホテルのペア宿泊券プレゼント……だって」
「うわ、センス悪い企画。人によってはきっと地獄のようなプレゼントじゃね?」
「どうして?」
「……知らなくていいよ」
手際よく切り取られたシートを明蘭が受け取ると、二人はさっさと外へ出た。
日は少し傾いてきているが街はまだまだ明るく、行き交う人々の足は絶えない。
「そうだ、メイちゃんはクレープとか好き? この辺にテラスで食べられるお店があるんだけど」
「好き! 行こ行こ!」
二人は手をぎゅっと握り、スキップ気味にお店の方へ向かっていった。
一方、二人が去った少し後、タツと眞理がゲームセンターの入り口に到着。
「あいつらどこ行ったんだ? 電話も出ねぇし……。眞理ちゃん、ポア公から返信あったか?」
タツが振り返ると、少し離れた先で眞理が携帯を眺めていた。
「つーか、眞理ちゃん。さっきから思ってたんだけど、俺から少し距離取ってないか……」
「そ、そんなこと無いですよー。それよりも、ひょっとしたら二人でプリクラでも撮っていたりして」
眞理がゲームセンターの看板を指さす。
二人は顔を見合わせた後ゲームセンターへ入っていった。
ポアと明蘭が路地を抜けると円形の広場があり、テントの下に白いテラス席が並べれていた。
友達同士ではしゃぐ女子高生、大人びたカップル、子供を連れた母親に、パソコンと睨めっこしているサラリーマン。色々な人たちが腰を掛けている。
「ここ?」
明蘭が尋ねるとポアが首を縦に振る。
「最近できたところで、俺もまだ行ったことなかったんだよねー」
レンガ調の外壁に取り付けられた白いドアをポアが開けると、木造りの北欧調な内装が二人を迎えた。
店内に漂う小麦やバターの甘い香り。ポアは目を閉じ、深呼吸するとその表情をとろんと緩ませる。
「私、桜桃とホイップにする! ポア君は?」
「どーしよっかなー?」
彼は顎に指を添え、カウンターに掲示されたメニューを端から端まで目でなぞった。
幸い、並んでいるのは二人だけ。急ぐ必要は無い。
「きめた、苺とチョコホイップ! ドリンクはソーダフロートで」
「あ、私も飲み物それにする!」
彼女はそう言いながら、ハイブランドのロゴが敷き詰められたピンクのポシェットから財布を出し、そこから黒光りするカードを抜きだした。
ポアも慌てて財布を出すが、待つ間もなく決済処理が済まされる。
彼は当たり前のようにニコニコしている明蘭の横で頬を人差し指で掻いた。
二人は注文を待つために、入口横のベンチに腰掛けた。丁度その時、壁掛け時計のチャイムが流れ出す。
「もう五時なのね」
「早いなぁ……。ん?」
ドアの向こうがざわざわと騒がしい。
気になったポアがドアに手をかけた。その時、勢いよくドアが開き彼の額を打った。
「いってぇ!」
バタバタと店内に入ってきたのはワイシャツ姿の男数名。彼らが手にしているのは、カメラ、レフ版、何かの冊子で、全員胸に名札を付けている。
『朝火TVディレクターチーム』
「ポア君大丈夫?」
明蘭の指がポアの前髪を分ける。
男達は二人の事など気にかけず、バタバタと何か支度をしていた。
「では、瑆さん、お願いします!」
冊子を持った小太りの男が外に叫ぶと、もう一人誰かが店内に入ってきた。
その入ってきた人物を見て、明蘭が目を丸くする。
タキシードに包まれた驚くほどの長身に、彫刻のような陳美たる顔立ちに、艶めくブロンドの長髪。
「あの瑆っていう人、この前繁華街で私に声かけてきた人だ」
「そうなの? つーかマジ謝れよぉ」
二人が御一行を睨んでいると、店員が注文を持ってきてくれた。だがその店員の顔も何とも言い難い困惑に満ちている。
「何あれ、取材?」
「多分……。だとしても、何も聞いていないもので」
「まじ?」
ポアの顔が引きつる。そんな彼に、ひびきはゆっくり視線を送った。刻んだような二重の、鋭くも甘い目にポアが映る。
瑆は黒光りする革靴をコツコツと鳴らしながらポアに近づく。そして、先程の明蘭と同じようにポアの前髪を指で分けた。
彼はうっすらとポアにできた痣を見た後、撮影陣を睨んだ。
「……誰か手当を」
男達の顔が強張り、皆それぞれに鞄を漁る。
「いや、いいっすよ」
瑆の指を払い、ポアは前髪を整えた。
「そうか」
顎に指を添えながら瑆は続けた。
「……いいね、君。可愛い顔をしている。もし良かったら俺のお店で働いてみないか?」
彼はそう言い、懐から白銀のケースを取り出し、そこから黄金に輝く名刺を一枚ポアに差し出した。
硬い、冷たい、重たい……金属製だ。受け取ったポアがぎょっとする。
『Club Blade 天内瑆』
「もし興味があったら、そこの番号に連絡しておくれ。じゃあね」
そう言うと瑆は振り返り、店員のもとへ行き何か相談を始めた。
ふと、明蘭がポアの袖をそっとつまむ。
「フロート溶けちゃう。外行こう?」
二人は静かにテラスへ出た。
――ゲームセンターに入ったタツと眞理を、突然スタッフが明るく囃し立てながら囲む。
「おめでとうございます! 本日五〇組目ご入店のカップルです!」
真っ白になり固まるタツ。隣で眞理は周囲の目を見ながら顔を強張らせていた。
周りの若者たちがヒソヒソしている。
「すげぇカップル」
「彼氏の何あれ? コスプレ?」
「てか賞品は?」
「ホテルのペア宿泊券だって」
「わぁ……」
賞品の内容を聞いた、頭の悪そうな男性が眞理を見つめた。その薄ら気味の悪い笑みが眞理の身体に悪寒を走らせる。
「くそったれ、てめぇら見てんじゃねぇ! こんなもんいらねぇよ!」
タツは宿泊券を引っ手繰りカウンターにあったテープをちぎり、眞理を見つめていた男の顔面に張り付けた。この間約三秒。
周囲が驚嘆の声を上げる。
「何しやがる」
男が掴みかかる。が、タツは目に見えぬ手さばきでその腕を叩き落した。
何が起きたか理解が追い付かなかった男は、ただ顔を青ざめさせるだけだ。
「悪ぃな、金髪でパステルカラーの派手な服着た男と、チェック柄の何かこう……ひらひらした服を着た女の子を見てねぇか?」
「あのー……」
別の男がタツに声をかける。
「さっき、そんな感じの二人が広場に向かっていくのを見ました……」
「サンキュー!」
タツは眞理の手を引いて外へ出た。