接触
ある生温い夜の事。
「痛い!」
路地の裏から飛び出した男が、レースやフリルをあしらった紅いワンピース姿の小柄な女を弾き飛ばした。
尻餅をついた女がぶつかった相手を探すと、その背中はもうネオンの輝くビルの谷間に吸い込まれて行った。
「明蘭!」
遠くから燕尾の黒い服を着た細身の男が駆け寄ってくる。
「タツ君遅い、早く手を貸して」
紅い服の女、明蘭が白く細い手を伸ばすと、タツと呼ばれた男がそれを掴んでそっと引いた。
「もー、せっかく下ろしたてのコーデだったのに……」
立ち上がった明蘭が、パニエで薔薇の様に広がったスカートを手で払う。
「悪い、立体駐車場が思いの外混んじまっててさ。怪我は?」
「少し手を擦りむいたみたい。何なのさアイツ」
タツは、彼女の透き通る様な肌の小さな手にクラッチバッグから出した絆創膏を巻きながら周辺を見渡した。
暇そうにしている代行の客待ち、少し朽ちた案内所の看板や、凹んだ自販機にヒビだらけの缶捨て。そう、此処は繁華街でも人気の少ない裏通り。
だがすぐに黒いスーツ姿の若い男がニ、三人程周辺に駆け込み、執拗に辺りを見渡し始めた。
「そこのおニ人さん、少し良いでしょうか?」
低くとも甘い男の声に明蘭とタツが振り返ると、そこに立っていたのはキリッとした黒いタキシード姿の青年だった。
モデルも顔負けの背丈に、小さくもクッキリとした端正な顔立ち。ブロンド色の長い髪は非常に丁寧に巻かれてセットされている。
そんな青年の目を見たタツが、明蘭を背中に庇って一歩後ずさる。
「なんだ?」
「今、痩けたような顔をした男が走って行きませんでしたか?」
聞かれたニ人は顔を見合わせた。しばらくして明蘭が先の男の消えた方向を指さす。
「ありがとうございます」
青年が軽くお辞儀すると颯爽とその方向へ向かっていった。彼の髪から漂う柑橘系の甘く強い香りがすれ違い様にタツと明蘭を包む。
「何だったんだ?」
「うーん、わかんない」
疑問を抱えながら、ニ人はスクランブルのある賑やかな大通りに出た。
「あれ? タツ君あのトラック見て……」
明蘭が指さしたのは、信号待ちしている大型トラックだった。そのコンテナには先程の青年の顔が大きく印刷されている。
『CLUB Blade 天内瑆』
「何だあれ?」
ニ人が目を凝らしていると、隣に立っていた客引きが声をかけてきた。
「先々月くらいにできたホストクラブっすよ。最近あの宣伝車走らせているんすよ。何でかわかんないけど儲かってるっすよねぇ」
「は、はぁ……」
「てなわけで一軒どうっすか?」
「悪いね、今夜は決まっているんだ」
丁度信号が変わり、立ち止まっていた人々が一斉に行き交う。
タツと明蘭もその雑踏に飲まれていった。
所変わって此方は判沢市の商店街外れにある住宅地。
晴天の下、メモを片手に立ち尽くす女性がいる。
「本当にここで良いのかな……」
目の前には周りに馴染まない色褪せた雑居ビルが建っていた。
蔦の絡む外壁や水垢だらけの窓を目にした女性の表情が曇る。
意を決して入り口を潜ると、内部の階段にはジュースの容器や吸殻を突っ込んだ空き缶が。
彼女は一度外に顔を出し、綺麗な空気を吸い直した。そして息を止め、薄暗い建物内へ再び足を向けた。
淡い青色のロングスカートの裾を摘んで、ゴミの間を一歩一歩踏みながら階段を上がる。三階まで上がると、プラカードがかかった無機質なドアが見えた。
『丸井探偵事務所』
雑な文字で書かれた名前。
そんな看板のかかったドアに細い手が伸びる。
ーーガチャ。
「すみません……」
ドアの向こうには、一面に貼られた見た目うるさいポスターや要素不明のマネキン、埃の被った照明やミラーボールが。
部屋を見渡した女性はもう一度ドアのプラカードを確認した。
「ここで合っているよ」
どこか幼い雰囲気の残った男の声に女性が振り返る。
すると、背を向けたソファーの向こうからピースサインをした腕が一本伸びていた。
「あの……、丸井さん。ですか?」
彼女が尋ねると、声の主がひょこんと顔を出し歯並び綺麗な口でニカッと微笑んだ。
「そーそー、俺が丸井ポアだよ」
前髪重めのブリーチをした明るい金髪に、ポップなデザインのピアス。服は非自然的な水色のセーラー襟にサイケデリックなネクタイを緩く巻いている。
初めてみる種類の人間に女性が後ずさる。
「人探しの依頼でしょ? まあかけなよ」
彼は軽いトーンで言いながら、軽い身のこなしで上座のソファーに飛び移り足を組んだ。
「どうして人探しの依頼って……」
困惑しながら女性もソファーに腰を下ろす。
「見たら何となくわかっちゃうんだよねー。雰囲気って奴? んで誰探すの? 元カレ? 元旦那? ぶっちゃけ兄弟とかその辺でしょ?」
無邪気に聞いてくるポアに、女性はどこから説明しようか固まってしまった。
するとまた入り口のドアが開き、別の女性の声がした。
「ちょっとポアくん、いきなり突っ込みすぎだよ。あと、お客様にはお茶でも出さないと」
二人が振り向くと、ポニーテールヘアーの真面目そうな女の人が買い物袋を下げて入ってきた。
「眞理ちゃんごめーん! 普段そう言うの阿笠さんに任せてたからさ」
「その阿笠さんは一週間留守なんだから……」
ポニーテールの女性、眞理はそう言いながらテーブルに来客用のお茶とお菓子を並べ始めた。
「色々と戸惑ったでしょう? ごめんなさいね、初めて来た人は皆そうなんです」
苦笑いをしながら眞理が続ける。
「ところで、貴女のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「あ……、私は法橋りえです。依頼はお察しの通り人探しです」
りえがそう言うと、向かいのポアは無邪気な笑顔で顔をくしゃっとさせた。
「探し人は兄です。名前は法橋サトル、年は26歳」
そう言いながら彼女はカバンからファイルを取り出し、そこから一枚の写真を抜いて差し出した。
「これが最近の写真です」
「ふーん……」
ポアは渡された写真を眺めた。
サトルらしき好青年がトヨタのスポーツカーと並んでピースしている。そんな普通の写真だった。
「これ、ハチロクって車だけどさ。今サトルさんの家に停まってる?」
「えぇ、兄のマンション敷地にずっと停まりっぱなしです。不動産からの連絡で行方不明という事がわかったのです」
りえの説明を聞き、横から眞理が尋ねる。
「サトルさんとは頻繁にご連絡されてはいなかったのですか?」
「ええ、何も言わなくても半年に一度は実家に顔を出してくれていたので……」
「ふんふん、なるほどねぇ」
他の資料を隅々まで眺めるポア。彼の組んだ足は、資料とともに頻繁に入れ替わる。
その様子を眺めながらりえが続けた。
「友達思いの優しい兄なんです。黙って消え去るなんて考えられなくて」
「ふーん。りえちゃん、その友達の中で1番仲良かった人ってわかる?」
「え、ええ。近場に一人……」
ポアは資料を置き、ゆっくり立ち上がった。
「よーし、じゃあ早速かかろっか。ほらほら、眞理ちゃんも支度支度」
「私も?」
「休み三日もあるでしょ? ほらほら」
「はぁ……」
押された眞理が渋々鞄を肩にかける。
「りえちゃん、心当たりの案内頼んだよ」
「は、はい」
眞理がドアのプラカードに留守と書き換えた後、三人は事務所を後にした。