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蒼白の天狼  作者: ベルトに乗った肉
道化暴乱編
28/34

27 彼の地にて、待つは暴徒

 新月が迫り、【白銀(しろがね)狩人(かりうど)】とプロキオンの旅は終わりを迎える。

「“白銀”さんは、どうして【禁忌狩り】になったの?」

 プロキオンは突然、当たり障りもないようなことを訊いた。

 しばらく考えているようだった【白銀(しろがね)狩人(かりうど)】は、立ち止まると、プロキオンの方を向いた。

「元々、冒険者をやってたんだ。君にも教えた、拳闘術(ケントウジュツ)、私はその対を成す武術、脚闘術(キャクトウジュツ)を使うの」

 拳闘術と脚闘術は、人狼族に古くから伝わる対魔獣武術だ。それが現代に至るまで、様々な型や流派が編み出されてきた。

 “白銀”が得意としているのは、脚闘術の正統派を基盤としながら、自身の固有術式と合わせた完全我流である。

「言ってみれば、力試しってとこかな? 自分がどこまでいけるのか、どれくらいの敵に勝てて、どれくらいの敵に負けるか。遊びみたいなものだよ。ま、それなりに情熱はあるけどね」

 生まれながらにして武術の才に長けていた彼女の生きる指針(テーマ)は『飽くなき挑戦欲』。簡単に言えば、戦闘狂だ。

 飄々とした性格も、絶対的な勝利の自信と確信があってこそ。分が悪い相手にはそれなりの表情を見せることだってあるのだ。

「さすがにあの時は肝を冷やしたよねぇ。ホラ、君が【道化(ジョーカー)】と初めて戦った時」

「――あの時…………」

 脳裏に浮かんだ、己の弱さを痛感した瞬間。

 “欠けた道化の仮面の男”こと、禁忌識別名:【道化(ジョーカー)】と対峙したあの時。プロキオンが見たのは、その【道化】と、元の姿など見る影もなく、形容し難い姿に変貌した死体。それが、今目の前に立っている彼女――【白銀の狩人】。

「……でも――」

 彼女の生死の真偽はこの際どうでもいい。

 気になるのは、【道化】の戦闘スタイルと、現在の彼女とプロキオンの状態。

「“白銀”さんは、固有術式を奪われなかったの?」

 純粋な疑問。浮かぶべくして浮かんだそれを、“白銀”に投げかけた。

 プロキオンは【道化】との交戦で、『“盗奪(アルセーヌ)”』とかいう術式によって固有術式を奪われてしまった。

 しかし、プロキオンより先に戦っていたであろう“白銀”は、固有術式を奪われている様子は無かった。

「あぁ、それね…………」

 “白銀”の表情は曇る。まるで、己を卑下しているかのような目だ。

 次に口を開いた時、プロキオンは耳を疑った。

「弱いの。私の固有術式」

「え……?」

 弱い……? プロキオンには理解ができなかった。

 圧倒的戦力差を【道化】に見せつけた彼女が、弱い……?

「君は、私の術式に既視感を覚えたはずだ」

「……そう、だね」

「私と似た固有術式を使う者を、君は知っている。 …………人狼王だね? 私と似たものを持つのは」

 プロキオンは驚いた。シリウスが人狼王になったことも、プロキオンが人狼王と関係があることも彼女は知っている。しかし、術式の詳細まで話した覚えはない。そんな彼女が、人狼王の固有術式をズバリ言い当てたのだ。

「私は…………アレに比べたら、価値のないものなんだよ」

 上手く返す言葉が見つからず、プロキオンは黙ったままだ。

 “白銀”は続けた。

「アイツさ、なんて言ったと思う?」

「……ええっと………………」

「『お前のはいらない』だってさ」

「…………」

「ま、悔しくはないよ。事実だし」

「――で、でも! ボクは、強いと思うよ、“白銀”さんは……!」

「フフッ、ありがと」

 “白銀”はプロキオンの頭を撫でた。

 目を細めるプロキオン。元は魔獣であったことを感じさせる反応に、“白銀”は口角を綻ばせた。

 さて、と話題を変える“白銀”。

「君は、これまで私が教えてきたことをよく理解していた」

「そうかな……」

「勿論。私が思っているよりもずっと早くね」

 今まで彼女から武術とは何たるかを教わっていた時とはまるで別人のように褒める様子に、プロキオンは困惑しているようだ。

「おかげで時間が余っちゃった」

 “白銀”は、プロキオンと距離を取るように歩き始めた。

「本当はこんなこと、滅多にしないんだけど――」

 プロキオンは固唾を飲んだ。

 目の前に立っている人物は、向き直った時、戦闘の構えを取っていたのだ。

「今までのことを踏まえて、特別試験といこうか」

「っ…………!」

 手のひらを上に向けて、クイっと指を引き、手招きをする“白銀”。

「いつでも、どうぞ」

 目を閉じるプロキオン。

 次に目を開くと、その逞しい視線を“白銀”に向けた。

「良いね。ワクワクしてきた……!!」


「お願い、します……!」

 言って、ふぅ、と一息。

「――スッ…………!」

 短い吸気と共に、地面を蹴る。以前とは見違える速度。全身の筋肉を全身全霊で感じ取り、全身全霊で“白銀”に立ち向かう。

 旋回し、蹴りを放つプロキオン。それに僅かに背を逸らして避ける“白銀”。

 だが、“白銀”の視界に飛び込んできたのは、プロキオンの拳だった。

(嫌なところを突いてくるね……!)

 先の蹴りは牽制のため。本命は、蹴りの勢いを使った拳での一撃だ。

 “白銀”もまた、背を逸らした勢いのまま、バック転し、プロキオンの腕を蹴り、逸らす。

 また、着地した足を軸に旋回し、バネのように強く蹴り上げた。

 プロキオンの目はまだ死んでいない。彼の表情を見た“白銀”は、僅かに戦慄した。

(全部、見てる。正面から受けるの?)

 眼前に迫る足を左手で受けると、蹴りの勢いを推進力に変え、体を捻るようにして右でフックを放つ。

「クッ……!」

 プロキオンの表情が渋くなる。

「ッ…………!!」

 鈍い音が響いた。

 プロキオンの拳を、“白銀”は額で受けていた。

 ひんやりとした感覚。“白銀”の額には、薄氷が現れていた。

 恐ろしい重心の切り替えの速さ。プロキオンが見てもわかる、“白銀”の芯のブレの無さは異常だ。

脚闘術(キャクトウジュツ)・漆ノ(しちのかた)飄風(ヒョウフウ)”』

 額で拳を押し切り、起き上がると、横に旋回し、転向力を用いてプロキオンの胸元に鋭く一撃を放った。

「ッーーーー!!」

 吹っ飛ばされたプロキオン。

「ハッ……!?」

 瞬きのうちに“白銀”はプロキオンに追いつくと、踵を高く上げていた。

『脚闘術・肆ノ(しのかた)獅子威(シシオドシ)”』

 蹴り下ろし。

「グハッ…………!!」

 地面に叩きつけられたプロキオン。“白銀”は追撃することなく、プロキオンが立ち上がるまで待っていた。

「面白いね、君、ちょー硬い」

 拳と脚を交えて分かった、プロキオンの特異性。まるで鉄の塊でできているかのような、頑丈な体。外骨格があると言っても過言ではない。

「似てるね、私のと」

 ニヤリと笑う“白銀”。

 彼女の視線の先には、よろけながらも立ち上がる、プロキオンの姿があった。

「教えてくれたよね、“白銀”さん」

「……?」

 一歩一歩、噛み締めるように、“白銀”と距離を縮める。

「どんな動きにも、“ゼロ点”があるって」

 ゼロ点。それは“白銀”の造語ではあるが、戦闘におけるほとんどの動きに存在する、無の瞬間のこと。

 つまりは、動き始めから、攻撃が発生するまでの中で、最も弱い瞬間。

 例えば、パンチ。このゼロ点は、拳を出す、その瞬間だ。拳が加速する前に受け止めてしまえば、簡単に無力化される。他にも、拳を出し切った瞬間もゼロ点となる。

「捉える。“白銀”さんのゼロ点を……!」

「アハッ…………なんだか久しぶりに、自分の実力を疑いそうだよ」

 プロキオンは力強く地面を蹴り出した。

 “白銀”は不適な笑みを絶やさなかった。

(良い。だけど、まだまだだね。確かに、相手のゼロ点を突けば、相手の攻撃を“無力化”できるだろう。でも、それは相手の隙を突いたとは言えない。本来突くべきは――)

 プロキオンの攻撃を極限にまで引き付ける“白銀”。

 プロキオンが攻撃を繰り出した瞬間、それを上回る速度で、“白銀”は攻撃を被せてきた。

 ――本来突くべきは、相手が攻撃をしている真っ最中。最も別の動きに転じにくい瞬間、“満点”。

 隙が少ない動きでゼロ点を取らせない、かつ、相手の満点を突くように攻撃を繰り出す“白銀”。

 プロキオンに足りなかったのは、攻撃を無力化することと、相手の隙を突くことの違いを理解していないことだ。

(だから、まだまだだよ――)

「――ダメじゃないですか……」

「………!?」

 ――寸止め……!

 拳を振り切ることなく直前で止めたプロキオンは、切り返し、“白銀”の襟を掴む。

 そのまま軸足を払うと、“白銀”は宙を舞った。

「わっ………!」

 かろうじて受け身を取るも、“白銀”は地面に叩きつけられたまま放心していた。

「他人の言葉を簡単に信用するな。教えてくれたのは、“白銀”さんですよ?」

「フフッ、フフフッ…………」

 額を抑え、笑う“白銀”。

「アッハハハハハハハ!!!!!」

 ひとしきり笑ったあと、「はぁ」とため息のように一息吐き、体を起こす。

「少年、君の勝ちだ」

「え…………?」

 いまいち理解しかねているプロキオンを他所に、“白銀”は肩を回しながら哀愁混じる声で呟く。

「私も、もう歳かな」

 “白銀”は、プロキオンの目的の方角とは真逆の方向に歩き出す。

「どこに行くの? “白銀”さん」

「――太陽と逆の方に行けば、キノエの森に着くよ」

「え……」

「もう、君に教えることはない。ゴールも目前だ。私の任務は、達成した。だから、お別れ」

「そ、そんな……! まだシリウスにも会ってないのに――」

「少年」

「っ……」

「君は強い。私がいなくても、大丈夫」

 ニッ、と、“白銀”は獰猛な笑みを浮かべた。

 その表情に、プロキオンは主人(シリウス)の顔を思い出した。

 下を向き、意を決したように再び顔を上げると、たくましい表情を見せた。

 それを見て、“白銀”の笑みは優しく綻ぶ。

「…………またね、少年」

「うん……!」

 “白銀”の言葉に強く頷き、互いに背を向け、歩き出した。

 10数歩進んだ時だろうか、突然背後から声がした。

「プロキオン!!」

 プロキオンは声のする方を向いた。

 果たしてそこには“白銀”が立っており、プロキオンのもとへ歩み寄ってくる。

 やがて2人の距離はゼロになる。すると、“白銀”はプロキオンを強くも優しく抱きしめた。

「っ……?」

 呆気に取られているプロキオン。

 そこに追い討ちをかけるように、額に口づけをした。

 プロキオンを見つめる“白銀”。その目には、プロキオンが写り、その先にある、プロキオンの目に写る自分を見た。

「“白銀”……さん……?」

 プロキオンが言うと、“白銀”は、両手でプロキオンの頬に触れた。

 そして口を開く。

「シリウスを、お願いね」

「――え……? …………うん」

 暖かい手がプロキオンから離れていく。先まで遮られていた部分に風が当たると、少し冷たく感じ、共に、何故か寂しさを感じた。

 “白銀”は、どこか名残惜しそうにプロキオンを見るも、すぐに後ろに振り返った。

「っ、ありがとう! “白銀”さん!」

 プロキオンが叫ぶと、“白銀”は振り向くことなく、右手を上げて応えた。

 そして、プロキオンが一度(ひとたび)瞬きすると、いつの間にか“白銀”の姿は無くなっていた。“白銀”が立っていた所には、心なしか、白い羽根のようなものが舞っているように見えた。

 ぽつんと、広い平野に立ったプロキオン。

 “白銀”に言われた通り、太陽と逆の方を向くと、いくつかの木が立っていた。おそらくあそこから森が始まっている。

「――あと少し!」

 プロキオンは自分に言い聞かせるように強い口調で呟く。

 そしてその足を前に踏み出した。


 森に着くまでに、時間はそれほど要さなかった。

 ざっと4キロ弱。プロキオンなら1時間と経たず、到達できる。

 辺りを見回すと、いつか見た大きな森が広がっていた。

 少し息が詰まるようだ。何せ、ここ『キノエの森』は魔力濃度がとても高い。それは森のどこかにある、精霊の国への入り口を隠すためでもある。魔力は、この世界の全ての生物、特にプロキオンのようないわゆる魔獣と呼ばれる者は特に必要不可欠なモノだが、あまりに多いのは、身体に良いとは言えない。

 すんすん、とプロキオンは鼻を鳴らした。まだ近くに人狼王(シリウス)の気配は無い。少し早く来すぎただろうか。

 そういえば、数日前から影の様子がおかしかった。“回廊”がすっかり閉じてしまったのだ。カリストの言葉『シリウスとプロキオンなら、どこに居ようとも“回廊”は繋がる』というのが間違いだったのか、あるいは――

 ふと、自分が今どのような状況なのかを思い出した。一瞬、きゅんと心臓が締め付けられるような不安感がプロキオンを襲った。

 しかし、そんなものを吹き飛ばすように、大きな声がプロキオンを呼んだ。

「プロキオン!!!!」

 その声は、シリウスのものではなかったが、記憶の片隅にある、どこか聞き覚えのある声だった。

 声の方を見ると、真紅の髪の少年が、大きなリュックを背負いながら、こちらに手を振っていた。

 シリウスと同じ、狼の耳と尾を持つ、プロキオンよりも少し背の高い少年。

 大きなリュックの影から、ちらりと蒼白の髪が見えた瞬間、プロキオンの表情が明るくなる。

「みんなーーーーー!!!!」


―プロキオン合流―

 シリウスは誇らしげにプロキオンに話しかけた。

「よくできたな、プロキオン」

 その言葉ではっとしたプロキオンは、その顔から笑みが消えた。

 そして俯き、言った。

「ごめん、ボク、シリウスとの約束守れなかったよ」

 シリウスから微笑が消える。

「……どういうことだ?」

 あまり理解できていない様子。

 説明を求めるように、優しく問いかける。

 プロキオンは答える。

「ボクは、1人でここまで来たんじゃないんだ」

 拳を固く握る。

「強くなんかなかったよ。ボクは、みんなが思っているよりもずっと、弱かった。だから、1人でなんて、できるわけなかった」

 きっと雷が落ちる。そんな思いで、シリウスを見た。

 しかし、シリウスに怒りの色は一切見えなかった。それどころか少し呆けたような表情だ。

 ふっと笑うと、シリウスは言った。

「じゃあ、お前は強くなれるな」

「――え?」

「自分がどれだけ弱いか、分かったんだろ? だったらその弱いところを直せばいい。過去の自分から学べ。ハンメンキョーシってやつだよ」

「…………うん」

 しばらく無言が続いた。

 しかし、それを破るように、カリストがプロキオンに近づく。

 その小さな手を、プロキオンの胸元に当て、言った。

「わたしとおなじ。だいじょうぶ? プロキオン」

「え…………」

 カリストの言動。プロキオンの反応。その違和感にいち早く気づいたシリウスは、迫真の表情でプロキオンに迫る。

「プロキオン、オレたちと別れてから、何があった……!?」


◇◇◇


 プロキオンまでも固有術式を奪われた。

 口を紡ぎ、目を見張るシリウス。口に出さずとも、その場にいる誰もがシリウスの心情を理解できた。

 プロキオンの肩にある手は、僅かに力がこもる。

「オレの、せいだ…………」

 シリウスの手が、プロキオンの肩から離れる。力なく地面に膝を突く。

 拳を強く握るシリウス。

 気がつけば、辺りは冷気に包まれ、弱い草木はすでに凍りつつある。

 慌ててカムイが入ってきた。

「おい、抑えろ! 気持ちは分からなくもねぇが、今は違う!」

「っ…………あぁ、悪い。取り乱した」

 我に返り、辺りの氷は解けた。しかしその感情は未だ小さく燻っている。

「よし、決めた」

 立ち上がったシリウスは、力強く宣言する。

「【道化(ジョーカー)】、ブッ飛ばす……!!」

「良いぜ……! 俺も手伝うぞ」

 ふっと笑うシリウス。

「カムイ、お前が仲間で良かったよ」

 その言葉に、カムイは満面に獰猛な笑みを浮かべた。

 さて、と森の方を見るシリウス。それに釣られ、一同も同じ方を向いた。

「先ずは、目の前の仕事だな」

 言うと、シリウスはひと足先に森の中へと足を踏み出す。

 後に続くのはプロキオン。その両手にはカリストが。最後列に大きなリュックを背負ってカムイが歩く。


 キノエの森の中は、外よりもずっと重く、詰まったような空気をしている。この膨大な魔力が、精霊の国に続く入り口を隠す役割を果たしている。

 なぜここまで膨大な魔力が溢れているのかというと、豊穣の国ケレス大公国から流れてくる本流、世界最大級の竜脈と、エデン帝国から流れる支流の合流地点であり、それが森の中にいくつも開いた“魔洞”から漏れ出ていることが原因だ。

 前回訪れた時は、ジークによって強制的にこちらの世界と精霊の国との境界線を歪めようとしたが、シリウスにそんなことはできないので、あらかじめネレイスから聞いている道を辿って、正規ルートでの入国となる。

 キノエの森、深部某所。大きな『コケなし岩』のある池。

 『鏡池(かがみいけ)』の名の通り、池の底はほとんど見えず、あたりの景色が逆さまに映り込んでいる。

 ここに精霊の国へ続く入り口があるという。

 シリウスは迷いなく池の周りを歩いていき、あるところで止まった。

 トントン、とつま先で地面を叩く。

「うん、ここだな」

 地面には雑草が生い茂っているが、そんな中でも地面を叩いた時のわずかな反発の違いから場所をズバリ当ててみせた。

 そこには、石の板のようなものが雑草に埋もれていた。

 シリウスは土と石の違いをつま先の感覚だけで当てたのだ。

 手をお椀のようにして池の水を掬い上げる。

 カムイが興味深そうに言った。

「驚いた……まるで濡れやしねぇ」

 掬い上げた水は普通の水と違い、手の上で大きな水玉となっていた。

 驚異的な表面張力。どれだけ掬っても、布を浸そうとも、表面を大きな水玉が滑り落ちていくだけ。

 ふとシリウスは立ち上がり、頭を掻きながら呟く。

「ネレイスさんによると、この辺りに入り口があるんだけど……」

 しゃがみながら聞いていたカムイは、シリウスが探り当てた場所から辿るように、池の中に手を突っ込む。

「――これじゃあないか?」

「へ?」

 顔を顰めながら、カムイが指すところをじっと見つめる。と、何かがあった。

「あ……!!」

 よく目を凝らすと、池の中には、底へと続く石階段があった。

 見つけた喜びと共に、僅かに抵抗感を覚えた。

「これを、降りるのか……?」

 月に一度。夜空に浮かぶ月が見えなくなる、新月の夜。『鏡池』にて、二つの世界は繋がる。

 辺りには小さな光がいくつも浮かび、飛び回る。それとともに、微かに笑い声が聞こえた。

 『鏡池』の中にある石階段は、月に一度だけ、別の場所と繋がる。

 それが、精霊の国への入り口。常人には、入ることは愚か、見つけることさえ困難とされる。

「――行こう」

 シリウスの言葉に、一同は頷く。

 ゆっくりと、池の中の石階段を踏み締める。

 感じるのは液体の圧力と、熱が奪われる冷たさのみ。衣服が濡れる感覚は皆無。

 膝、腰、肩と、(くだ)っていくにつれて体が沈んでいく。

 顔まで浸かることに僅かに躊躇するも、意を決して息を吸い、止める。その勢いのまま、目を瞑り、ついにシリウスの姿は池の中に消えた。

「おい、行きやがったぞ……」

「ボクたちも行こう!」

 プロキオンが先導し、シリウスの後に続く。

 カムイはプロキオンの後を行き、数段降りて後ろを向いた。

「ホラ、大丈夫だ」

 カリストに手を差し伸べる。

 カリストは小さく頷くと、カムイの手を取り、一緒に石階段を降りていった。

 そしてシリウス一行は、キノエの森から忽然と姿を消したのであった。


 池の中に潜った先は、階段を登るようにして先の『鏡池』から出てきていた。

 周囲の景色は変わっていないが、空の色は夕焼けのように橙に染まっている。

 一見すると何も変わっていないようだが、シリウスには分かる。

 キノエの森の、濃厚なマナによる息苦しさは無く、辺りには小さな光が飛び交い、笑い声が聞こえる。

 いくつかの光はシリウスを知っているのか、取り囲むように飛び回る。それに、シリウスは微笑で応えた。

 ここが精霊の国。キノエの森の『鏡池』にある石階段。それを新月の夜に降りることで、精霊の国にある同じ『鏡池』の登り階段へと繋がっているのだ。

 シリウスの後からやってきたのはプロキオンだ。そしてカムイとカリストが手を繋ぎながら階段を登り、池から出てきた。

「すげぇ…………!!」

 目を光らせるカムイ。

「カムイは、精霊の国は初めてなんだよな?」

「あぁ、旅行感覚で来れるところじゃないからな」

 メモ帳を取り出し、筆を走らせるカムイ。

 全員が池から出たことを確認すると、シリウスはカムイに告げた。

「この先を行くと、精霊の国にある王城に着く。カムイはどうする?」

「少しこの辺りを歩いてくる」

「――分かった。じゃあ、また後でな」

「おう」

 カムイとは一旦別行動をすることになった。

 シリウスは、プロキオンらと共に王城へ向かうことにした。

 池の石階段から街へと、石畳の道が伸びている。これを辿るように歩いていけば、精霊の国の中心部のメインロードに繋がるそうだ。

 森から出ると、ポツポツと家屋が現れ始める。

 ふと後ろを振り返る。当然、そこには先ほど歩いてきた石畳の道が森の中へ続いている。

 この森は、シリウスらが暮らす次元の、キノエの森と対を成す、精霊の国ので入り口。その名は『キノトの森』。

 まるで反転世界とでも言うべきか。キノエの森そのものが、精霊の国の入り口を隠す役割を持ち、また森そのものが精霊の国の一部であったのだ。

 やがて街に入ると、一人の女性がシリウスを出迎えてくれた。

「久しぶりぃ!! 元気そうで嬉しいわぁ!」

「やあ、ネレイスさん」

「プロキオンくんも! 前見たときよりも、たくましくなったじゃない!」

「こんにちは、ネレイスさん!」

 なんと、現在種族王がいない精霊の国で、代理として精霊王をしている元精霊王ネレイス・ヴァールハイト、その人が立っていたのだ。

 ネレイスはシリウスに駆け寄るなり、その両手を掴み、悲痛の表情を浮かべた。

「ジークくんから聞いたわよ? カリストちゃん、大丈夫……?」

 言われたシリウスは、悪いことを思い出したように肩を少し跳ねさせた。微笑を湛えていた顔はたちまち曇り、俯き、背後に立つ、プロキオンと手を繋いだ二人の獣竜族の少女を見た。

「大丈夫…………じゃない、けど……大丈夫だよ、ホントに……だいじょうぶ……」

「――無理しないでね。困った時は、私も、現役種族王(フリーくんたち)も居るんだから」

 シリウスは強く微笑み、頷いた。

「うん、頼りにしてるよ」

 目の前の少女の姿に、ネレイスは優しく口元を綻ばせた。

「さぁ、こっちよ」

 ネレイスの案内で、街中を歩き、王城へ向かう。

 精霊の国の王城は、とても美しい外見をしていた。

 天高く伸びる数棟の塔、ゴシック式の城の前には広大な庭園。寸分違わぬシンメトリーのそれは、まさに芸術。

 正門を潜ると、大勢の役人が整列しており、一同は深々と頭を下げる。

「お待ちしておりました、人狼王シリウス・ブラウ様」

「こんちは」

 超絶フランクに、シリウスは返した。ピクリと役人の眉が僅かに歪んだ。

「どうぞ、こちらへ」

 役人に案内され、城の中へ。

 城の中は、フリーの城とは少し違うようだったが、感覚的にはほとんど変わりない。

 唯一違うところと言えば、そこかしこに高そうな骨董品などが置かれていることだろうか。フリーの城にはそんなものは一切なかった。

 シリウスが気になった部屋は全てスルーされ、こぢんまりとした部屋に通された。

 魔導書が本棚にぎっしりと詰められ、部屋の中央には硝子製のローテーブル、それを挟むようにソファが置かれている。

 読書の趣味はないシリウスだが、ジークの家で嫌というほど読み散らかしたせいか、視線が自ずと本棚に吸われた。

 しかし、得られた結果は残念なものだった。

 全て読んだことがある。

(なーんだ、精霊の国ならではのものがあると思ったんだけど……)

 同時に、ジークの収集力の高さに改めて驚かされた瞬間でもあった。

「どうぞ、座って」

「うん」

 全員が座ったことを確認すると、ネレイスは役人に目配せ。役人らは頭を下げると、部屋の扉を静かに閉めた。

「さて、先ずは、よく来てくれたわね、シリウスちゃん。大変だったでしょぉ?」

 訊かれたシリウスは、プロキオンとカリストを見ながら答えた。

「大丈夫って言ったら嘘になるかもしれない。でも、今のオレたちに足りないことや、課題が何となく見つかったから、全然大丈夫。ここに来ることも含めてね。むしろ、まだまだここから! って感じ」

「――種族王としての高みを目指す、その姿勢、飽くなき向上心…………さすが、フリーくんのお弟子さん!」

 楽しげな雰囲気を醸し出すネレイスだったが、次に口を開いた時には、妙に落ち着いていた。

 シリウスを見るその目は、何かを懐かしんでいるようにも見えた。

「本当に、そっくりね……」

「え……?」

「あ、あぁ! 気にしないで、昔の話よ」

「――そっか」

 シリウスが言った時、コンコンコン、と部屋のドアをノックする音が響いた。

「どうぞ」

 ネレイスはドアの方を見ることなく答えた。

 次いでドアが開く。

「失礼致します。紅茶をお持ち致しました」

「あらあら、ありがとう」

 美しいティーカップが一同の前に置かれ、澄んだ紅の液体が注がれる。

 さらに、注がれたそれをティースプーンでかき回したのち、そこにミルクを注ぎ込む。白と紅の見事な螺旋が生まれた。

「シリウスちゃん、紅茶は好き? 精霊の国の紅茶は、とっても美味しいと評判なのよ?」

「――ん、美味しい……!」

 フローラルな香りが鼻を突き抜け、さっぱりとした甘味が口の中で程よく残り、完璧なタイミングで抜けていく。まさに、美しい味。

「この道20年のメイド長、ルフナちゃんの会心の一杯! 今日は一段と美味しいわねぇ 」

「恐縮でございます」

 さすがはメイド長。おそらく、紅茶だけだなく、料理の腕前も一流なのだろう。

 ところが、一同が口を揃えて美味しいという中、プロキオンは少し渋い顔をしていた。

「あらあら、お口に合わなかったかしら?」

「なっ…………!」

(あ、ヤバい…………!)

 思わぬところに無礼者がいたようだ。否、ある程度、頭の片隅に、ほんのちょっぴりあった可能性だ。

 そしてそんな無礼者は、怪しくなり出した空気に、火に油を注ぐ発言をする。

「…………マズい……」

「ななっ…………!!」

 ルフナの顔はますます怒りに染まっていく。

「――おい、表へ出ようか、プロキオン」

 プロキオンの肩を強く掴むシリウス。

「ま、まあまあ……! 落ち着いて、シリウスちゃん――」

「……不味いですってぇ!!?」

「ルフナちゃん!?」

「そこの貴方、今、私の淹れた紅茶を……なんと!?」

 荒れるルフナ。

「お、落ち着いてルフナちゃん!」

「いいえ、奥様! この者は、私の会心の一杯を、あろうことか、ま……まず……“不味い”とッ!!! 私の積み上げてきた、20年を、20年、をぉぉぉぉ!!」

「ッ……!?」

「いけない、ルフナちゃん……!」

 種族王2人の目つきが変わった。

 感じたのだ。おぞましい魔力の気配。

 このルフナという女性。とんでもないものを持っている。

 ――このままでは城が吹き飛ぶ。どうする……!?

「『星に宿りし大地の怒りよ――』……え?」

 ルフナが詠唱を始めかけたところで、魔力の気配は薄れていった。

 そして、彼女は、メイド服のスカートの裾を引っ張る人物を見た。

 純白の髪と瞳を持つ、片角片翼の獣竜族の少女、カリスト。

「何でしょうか!」

「ひっ……」

 怯えるカリスト。

「ルフナちゃん、落ち着いて」

「……何でしょうか」

「…………プロキオン、あまいのがすき。にがいの、すごくきらい」

 プロキオンの甘党は常人をはるかに上回る。紅茶の、僅かな苦味でさえも、彼の舌は敏感に感じ取り、“不味い”と言う。

 その時、ルフナの中で、何かが蘇った。そんな気がした。

「わ、わた、くし、は――」

 ずっと忘れていた。彼女の中に、根底にあった、メイドとは何たるか。

 いつしか変わってしまった、食への想い。歪んだ、味への執着。

「――大変、お恥ずかしいところをお見せしました。プロキオン殿、こちらにお砂糖を入れていただくと、より美味しくお召し上がりいただけます。お砂糖はこちらに、お好きなだけ、どうぞ」

 忘れていた。

 人が喜ぶような料理を作りたい。

 その人が好きな料理を、味を、自らの腕で振る舞いたい。

 ただそれだけが、彼女の揺るぎない信念だ。

 若くしてメイド長まで上り詰めた。だが、それだけ背負うものも大きくなっていった。それがいつしか、彼女の考えを凝り固まったものにしてしまった。

 プロキオンは、砂糖をこれでもかというほどティーカップに投入した。それはもはや、紅茶に砂糖というよりも、砂糖に紅茶を注いだというべきレベル。

 超絶甘ったるいそれを、プロキオンは一飲み。彼の顔に笑顔が浮かんだ。

「甘い!!」

「左様でございますか。――プロキオン殿、私は失念しておりました。昔、母の誕生日に手料理を作ったことがあるのです。私の料理に、母はとても喜んでくれました。とても美味しい、とても好きな味だと、そう言ってくれました。その時に思ったのです。その人が喜ぶような、その人が好きな味を、私自身の手でご提供する。メイドを目指したのも、それがきっかけです。単なる料理の、本来の味の押し付けではなく、その人好みにアレンジする。料理への関心、魅力。その始まりは、“好きな味”から。プロキオン殿、貴方は私に気づかせてくれた、思い出させてくださいました。どうやら、私の世界はまだまだ狭いようです」

「ルフナちゃん……」

 ルフナは部屋の扉の前に立ち、それを開く。視線をネレイスとシリウスに、そしてプロキオンに向け、再びネレイスのもとへ。

「奥様、僭越ながら、少し部屋に篭らせていただきます。何かお有りでしたらすぐに飛んで行きますので、ご心配なく」

「そう、頑張ってね」

「それでは失礼致します」

 扉の音を一切立てることなく、彼女は部屋を出た。

 少しの間、沈黙が流れた。

 それを破ったのは、ネレイスだった。

「ごめんなさい、シリウスちゃん。ルフナちゃん、お仕事にはすごく情熱を注いでいるのよ。だから、あんな風になっちゃうこともあるの」

「ネレイスさんも、ルフナさんも悪くないよ。それよりお前、人が作ってくれたものに、簡単に“不味い”なんて言うもんじゃないぞ。そりゃあ誰だって味の好みはあるさ。でも、たとえ好きな味じゃなくても、一生懸命作ってくれたのに、いきなり“不味い”なんて言われてみろ。プロキオン、お前だってルフナさんの気持ちはわかるだろ?」

「うん……ごめんよ、シリウス」

「オレじゃなくて、ルフナさんに謝るんだ」

「――いいのよ、シリウスちゃん、プロキオンくん。それより、続き、話しましょ?」

「あ、あぁ、悪い。それで、こういう時は、何を話せばいいんだ?」

 ジークから、種族王同士の会談についてはざっくりとしか聞いていなかった。

 いざ精霊の国に来てみたはいいものの、何も話さないまま終われない。

「まぁ、ほとんどは近況報告を兼ねた雑談、と言ったところかしらねぇ。でも、近況報告といえば、その、シリウスちゃんたちのことはジークくんを通して聞いているから、そのことについての話、かしらぁ? あっ、それとも、せっかく精霊の国に来たんだし、私に聞きたいこと、ある?」

 言われ、シリウスは思考を巡らせた。

「聞きたいこと、ねぇ……」

 そんなシリウスを、つんつんと突くカリスト。シリウスがそちらを見ると、カリストは言った。

「シリウス、せいれいのくにで、やりたいこと」

「――あっ……!!」

 思い出したのか、声を上げるシリウス。

「ネレイスさん、少し無理言ってもいい?」

 訊かれたネレイスは満面の笑みで答える。

「もっちろん! シリウスちゃんだもの、何でも答えるわよ!」

 その言葉に、シリウスの表情が変わった。

 カリストやプロキオンも、シリウスの目的を、ここで初めて聞くことになる。一同は固唾を呑んで、シリウスの言葉を待った。

 だが、次の瞬間、ネレイスの顔から笑みが消えた。

「地下牢で話したい奴がいる。案内してくれないか?」


「――え……………………?」

ステータス

〈シリウス・ブラウ〉

・窮極魔法【氷】


〈カムイ・グレン〉

・unknown


〈プロキオン=ブラウ〉

・empty


〈カリスト〉

・empty


〈ネレイス・ヴァールハイト〉

・窮極魔法【空】


〈ルフナ〉

・unknown


〈【白銀の狩人】〉

・unknown

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