18 禁忌衝突 ―前編―
シリウスvs【禁忌】の最終決戦、開幕。
――『生命の書庫』
それは、世界のあらゆる生物の記憶が記された書物が置かれている場所。
一冊一冊に、その記憶の持ち主の名がタイトルとして刻まれる。ひとつページをめくれば、誰でも簡単にその者の記憶を覗けてしまう。
別に他者が読む分には特に問題はないが、万一その本に傷でも付こうものならば、タイトルに書かれた記憶の持ち主に何らかの悪影響が及んでしまう。
ひとたびページを破れば記憶の欠落が。外装に傷がつけば脳に障害が。焼滅すれば、脳死してしまい、ただの廃人と化すだろう。
しかし、そんな書物にもデメリットしかないわけではない。
書き込むことで知識を得ることができる。
さらに、術式を書き込むことで固有術式とは別の術式を無条件で習得することもできるのだ。あまり安全とは言えないが。
使い方次第で体の構造すらも変えかねない物。それが『生命の書庫』に置かれている書物、『記憶の書』である。
もう一つ、書物には危険なことがある。
それは、記憶の持ち主本人が読むことだ。
言うならば、“複体”。読んだ者の多くが発狂し、舌を噛み切って自害する。
しかし、ごく稀に死を免れることがある。
それが“生命の覚醒”。あらゆる事象を悟ったような状態となり、個体としてワンランク上のグレードに進化する。感覚が非常に冴え、特に戦闘において絶大な効果をもたらすだろう。
――シリウスが3年間でジークから聞いた事柄だ。
それが保管されている場所に【禁忌】は居るという。この星の生命の危機だ。
ジークの転移術式でドラコからひとっ飛び。見慣れたジークの家だ。
そこから細い道を歩いていくと、『生命の書庫』が存在する広場にたどり着く。ジークが先頭に立ち、目的地へ急いだ。
「気をつけて」
ジークが言った。
彼の視線の先には、血の気の引いた肌、僅かに尖った耳、吸い込まれそうなほどに漆黒の頭髪を持つ男が立っていた。着ている服はおそらく背広なのだろうが、幾多の戦闘を重ね、ズタズタになっている。
ジークの言葉と、目の前の男を見て、シリウスは身構える。
悪寒がしたのだろうか。ジークは恐る恐る、目の前の男に尋ねた。
「【禁忌】、つかぬ事を訊くが、君の名前は?」
記憶さえも己の術式に呑まれ、過去の自分など覚えているはずもない。
しかし、男――【禁忌】は、満たされたように微笑み、答えたのである。
「私は、ヨハン。『原初魔法【無】』を持つ、しがない魔導師さ」
――原初。それは術式における祖。全ては原初から始まり、そこから生まれた子分子は現代で“原始”と呼ばれた。
【無】の原初。彼の強さを語るのに、多くは必要なかった。原点にして頂点。それが、“原初”なのだ。
「……不味いな」
ジークは顔を顰めた。
それは【禁忌】の台詞だ。彼はジークの質問に、嘘偽りのない答えを返したのだ。
「読んでしまったか……」
【禁忌】の名は、“ヨハン”。
「シリウス、今の彼は、ただの禁忌じゃない。状態は、控えめに言って、最高だろうね」
「…………あぁ、分かるよ」
「最初で最後の質問だ。シリウス、本当に戦うんだね?」
ジークが問いかける。
シリウスはゆっくりと歩み出し、ジークの前に立った。
そして口を開く。
「“お前にしかできない”。フリーの手紙に書いてあった。誰から聞いたかは分からないけど、オレと【禁忌】は相性が良いらしい。 ――オレにしかできないことなら、やるっきゃないだろ」
ジークはシリウスの出した答えを噛み締める。少しの間目を閉じ、彼女に応えた。
「君のその覚悟、この魔人王ジークが確と受け取ったッ!!」
コツン! と杖を突く。術式が発現し、辺りは白黒となった。
『擬似領域“戦場”』
周囲への、戦闘による影響を無効化するものだ。ここでは大規模な火災や地殻変動が起きようとも、実際の景色には何も変化は起こらない。
この術式の対象となる人物は、最大2人まで。【禁忌】とシリウス以外は、領域内に干渉できない。
「ここからは差しの勝負だ。大丈夫。君なら勝てる…………」
その言葉を最後に、シリウスにはジークの声が聞こえなくなった。
【禁忌】を見据えるシリウス。【禁忌】もまた、シリウスを見ていた。
「流石は種族王の器。私の目に狂いはなかった!」
ジークの焦りようからも勘付いていたが、【禁忌】は自分の記憶を読んだのだろう。でなければ“ヨハン”という名前は出てこない。
記憶が戻ったことにより、一人称も当時のものとなった。【禁忌】改め、ヨハンは己のことを“私”と言っていたらしい。
長く呼気するシリウス。彼女は今、これ以上無いほどに集中状態となっている。ジークが作り出した領域は、奇しくもシリウスの状態を最高潮まで持っていってくれた。
「……行くぞッ!」
シリウスが叫ぶ。
【禁忌】はそれに狂喜で答えた。
「ケヒッ!」
【禁忌】の眼前に拳が迫る。
モロに受けた【禁忌】。打点に魔法陣が展開された。
――対象を吹っ飛ばす効果。
吹っ飛んだ【禁忌】に追撃を、と地面を蹴り出そうとした。
しかし、【禁忌】は飛んでいなかった。
それどころか、胸元に【禁忌】の拳が飛んできたのだ。
不規則に方向が変化する重力を拳に纏い、繰り出される打撃は横方向の重力により加速する。
拳が当たる瞬間にシリウスの身体は引き寄せられる。
瞬時に重力の方向を変化させた【禁忌】。慣性が、衝突する。
「ッ……ガ、ハッ…………!」
シリウスの呼吸が、一瞬止まった。
たったの一撃で、集中の糸が解れた。
『術式展開――禁忌ノ業【概念操作】:“冥墜”』
衝撃で僅かに浮いたシリウスの身体を、下方向の強烈な重力で叩きつける。
【禁忌】は知っていた。シリウスの強さを。
下に突きつけた親指に殺意が篭っていても、【禁忌】はシリウスを信じていた。
「――どう出る……!?」
降りかかる重力は地面に触れた。
シリウスの身体は地面に叩きつけられ、その重さにミシミシと音を立てる。
「……ッ!」
何かに気づいた【禁忌】。しかし時すでに遅し。シリウスの身体は限界を迎えたのか、粉々に押し潰された。
――“粉々に”。
「…………はやい」
そう呟いた瞬間、【禁忌】の腹に衝撃が加わった。
『“打弾・砲撃銃”』
「グッ…………!!」
『撃種:【墜拳】』
頭の頂点に触れる。その瞬間、【禁忌】の頭が地面に引き寄せられるように墜ちた。
僅かに生まれた隙を突き、シリウスはありったけの魔力を右手に込めた。
その瞬間、
「――うおっ!?」
世界が逆さまになった。シリウスは空へと落ちていく。
「魅せてみろ、シリウス・ブラウ!!」
「ぅあッ!!」
腕を振るうシリウス。地面に氷が顕現し、シリウスのもとへ大きく、伸びていく。
反り立つ壁のようになったそれを足場に、地面目掛けて飛び出した。
ゼロ距離で、お互い上下逆さまに相対する。
『“破弾・砲撃銃”』
打点となる場所に魔法陣が展開。それが対象を認識した瞬間、効果が発動した。
「――“防御貫通”……!!」
【禁忌】がその魔法陣の効果を理解したと同時に、強烈な一撃が与えられた。
「ッッッ――――――!!」
【禁忌】の術式が途切れる。シリウスの重力方向が元に戻った。
平衡感覚が狂ったのか、よろめくシリウス。頬を叩く。
視線の先にはゆっくりと立ち上がる【禁忌】がいた。まだ息があるらしい。
シリウスの視界では1フレームにも満たなかっただろう。瞬きのうちに【禁忌】は距離を詰めた。
瞬間、ふわりと香った。
――術式の気配……!!
シリウスは大きく横に避けた。さっきまで立っていた場所が凹んだ。『“冥墜”』だ。
それだけでは済まない。
避けた先にも同じ術式が降りかかる。
「ッ――――――!!!!」
つまづいたら終わりだ。大規模な術式を断続的に発現させる【禁忌】。魔力の限界を感じさせない様は、最凶と呼ぶに相応しい。
「もっとだ! もっと魅せてくれたまえ!」
(楽しんでやがる……!)
降りかかる術式を、目にも留まらぬ速さで避けていくシリウス。人狼族は足の速さにも定評があるのだ。
五感をフル回転させる。徐々に冴えていく感覚の中でシリウスは考えていた。
(オレは、コイツに2度も敵わなかった……。戦いを楽しんでいる奴に、そうじゃないオレが――)
シリウスには何かが足りなかった。その足りない何かが、彼女の覚醒の妨げとなっていた。
フリーやジーク、他の種族王とは違う決定的な何か。
支配や束縛を嫌う彼女が、その何かに縛られていることに彼女自身が気づいたのは、その瞬間だ。
「…………まだ、限界を決めるなよ」
その時、彼女の中での取っ掛かりが一つ、外れた。
ニヤリと口角を上げ、瞳孔をかっぴらいた。
――人狼王たれ……!!
『【氷纏装身】』
両手に氷の籠手を纏う。一直線に【禁忌】へと距離を詰めた。
『“冥墜”』
シリウスの目の前で親指を下に突きつけた。
重力がシリウスに伸し掛かる。
――が、シリウスは空を殴りつけた。
その瞬間、空間に氷塊が現れ、すぐに粉々に砕け散った。同時に【禁忌】の術式も不発に終わったのだ。
術式干渉。鍛え、極められた術式は、物理的な実態を持たないもの、すなわち術式に自身の術式の効果を与えることができる。
例がフリーだ。彼は自身の術式の効果である『破壊』を、術式干渉によって相手の発現した術式を壊して無効化することができる。
シリウスは、術式干渉によって術式を凍結させることができた。凍った術式は、実際の氷と同じ特徴を持つ。
実体を持ち、凝固点より高い熱やある一定以上の力に弱く、脆い。強度は密度に比例する。
「術式を捉えた……面白いッ!」
「――ボケっとすんなよ」
『“破弾・砲撃銃”』
「っ……」
先まで笑みを湛えていた【禁忌】の表情が僅かに歪んだ。防御を無視した強烈な一撃が、早速効いて来たようだ。
シリウスの攻撃は終わらない。
相手に反撃の隙を与えぬよう、緩急を付けたコンボを叩き込む。
『“破弾・突撃銃”』
砲撃銃より威力は落ちるが、構えから攻撃を繰り出す速度はこちらの方が速い。
深く、懐に突き刺さるような一撃に、【禁忌】はよろめいた。
その胸元に左手を当てると、右手に魔力を全集中させる。
右の氷籠手から蒸気が上る。
「シィー」と、歯を食いしばり、長く呼気するシリウス。
彼女の持ちうる最大火力の砲撃が炸裂した。
『“破弾・滑腔砲”』
驚くべきはその速度。突撃銃系列に匹敵しながらも、威力は砲撃銃系列を上回る。
シリウスを強みは機動力だ。持ち前の小柄な体躯が十分に生かされた俊足。そして獣竜王直伝の体術。
【禁忌】に血を吐かせた。
「シュゥゥゥゥゥゥゥゥ…………!!」
白い息を吐くシリウス。両手の氷籠手が溶け、素手が露わになった。
――術式の“過熱不良”。
ここから暫く冷却へと入る。
幸い、シリウスの術式は属性の特性上冷えやすい。他の術式に比べ、冷却時間が三分の一に減少する。
「…………こ、れは――」
【禁忌】は最早虫の息。仕留めきれなかったのは正直痛いが、勝負がつくも時間の問題だろう。
しかし、当たり前のように、その考えは甘いと分からされる。
「――素晴らしい!!」
「チッ…………!」
突如、【禁忌】の魔力は大きく、禍々しく溢れ出した。“色”がどうのというよりも、これは魔力そのもの。
「魂をも揺るがす一撃……私も本気を出さねば、無礼というものッ!」
一気に【禁忌】は距離を詰めた。
拳に重力が纏われる。見かけの空間が歪み、拳の像が揺らめく。
これまでに無いほど超重量のものだ。シリウスは直感で分かった。
(……ヤバい――!!)
わずかな時間で打点の位置を把握し、魔力を一点に集中させ、防御の構えを取る。
「グッ…………ぁぁ……」
持ち堪えられたのは一瞬だけだ。
過労のそれとは違う、気怠さ。受け身が取れない。
地面に着く直前で、【禁忌】は中指を立てる。その瞬間重力の方向が変化し、シリウスは再び浮いた。
躊躇なく、頬骨あたりに一発。
振り抜いた拳を振り返し、裏拳でもう一発。胸元に左手を当て、圧縮した重力を多方向に解放。
吹っ飛んだシリウスだが、【禁忌】が何かを引くように手招きをすると、再び【禁忌】の元へ引き寄せられた。
シリウスの身体を優しく抱き寄せる。が次の瞬間、両手は彼女の頭を持ち、互いの額を衝突させた。
(――飛、ブ…………)
シリウスの意識がプツプツと途切れかける。
地面に着いた瞬間、シリウスの身体は膝から崩れ落ちていった。
「今度は潰す」
親指を立て、最大限の敬意を以て、術式を構築する。
『術式展開――禁忌ノ業【概念操作】:“冥墜”』
ゆっくり、かつ力強く、立てた親指を下に向ける。
シリウスの周囲の重力が重くなり、彼女を地面に押し付ける。あとはぺしゃんこになるのを待つだけだった。
――だが、
「――ッ……!?」
必殺の重力がシリウスに触れ、地面が凹むと同時に辺りは眩い光に包まれた。
「…………なんと……!!」
【禁忌】は眩んだ目を必死に開きながら、彼女を見た。
重力によって凹んだ地面。しかし、彼女が立てるだけの範囲のみが凹んでいなかった。
超常的な加護とでも言うべきか。
「私の目に、狂いはなかった……」
天を仰ぐ【禁忌】。
風前の灯は、再び蠢く。
ゆっくりと立ち上がるシリウス。
「……おやおや、覚醒めですか?」
「――何が?」
超鉄壁……! 可憐な彼女の何処にその頑丈さの秘密があるのか……!?
「私の猛攻をこうも耐えられるとは、私自身、少し精神に来ちゃいますよ」
「知るかよ」
シリウスは口元を拭った。その目に再び光が灯る。
――もう、冷めている。
『【氷纏装身】』
再び氷籠手を身につける。魂の底に沈殿している濃厚な魔力。いわゆる潜在魔力を掬い上げる。
これまでとは何処か違う雰囲気を醸し出す彼女に、【禁忌】はただ高揚する。
「…………あぁ、美しい! なんて美しいんだ!! その強さ、気高さ、可憐さ、私は今、貴女という存在を……愛している!」
「そうか? オレは大嫌いだね」
「ケヒッ。さぁ、魅せてくれたまえ!」
その言葉を合図に、シリウスは地面を蹴った。
拳と拳が衝突する。
これまでに無いほどの激しい衝撃波が生まれ、周囲の空間が歪んだ。
完全なる近接戦闘。激しい肉弾戦。拳打蹴撃の応酬。ビリビリと空間が震える。
「ッ!」
【禁忌】が重力の方向を変化。僅かに浮き上がったシリウスの腹目掛けて鋭いパンチを放つ。
それを気合いで身体を捻り、避けざまに【禁忌】の頭を掴むと、重力の方向を利用して、ど頭に膝蹴りを喰らわせた。
【禁忌】がよろめく。彼が倒れる寸前に背後に回り、拳を握り低く構える。
『“破弾――”』
「ぅがッ!!」
勢いよくカーテンを捲るように、【禁忌】は腕を振るう。
『“――突撃銃”』
シリウスの拳は空を切った。
(空間を歪めやがった!)
当の【禁忌】は右手に空間を保持しながら元に戻す。
慣性に従って【禁忌】の身体が再び浮き上がると、そのままシリウスに蹴りを飛ばす。
だが、【禁忌】の視界に入ったのは、蒼白い塊だ。気がつくと、顔面に鈍い痛みが走り、彼は仰向けに倒れていた。
「“痛い”。魔力で守ったのだが……」
ゆっくりと身を起こす。
術式に対してある程度の魔力で防御すればそれだけダメージを軽減できるが、シリウスの攻撃はそれ以前に、術式を受けるのとは違う“痛み”が存在した。
先ず、彼女の攻撃を完全に防ぎ切ることは不可能だ。
『【氷纏装身】』はシリウスの潜在魔力を引き出すだけでなく、攻撃に“絶対攻撃”が付与されている。ダメージの大小に関わらず必ず攻撃を与えることができるのだ。
「『絶対系』、術式の洗練度に関わらず必ず上手を取れるという……あの籠手そのものが術式なのか」
『【氷纏装身】』は術式で生み出されたただの籠手ではない。シリウスの固有術式『究極魔法【氷】』と先述の『“絶対攻撃”』が付与されている。
【禁忌】はゆっくりと立ち上がり、手を握ったり開いたりしながら言い出した。
「そうだね、私も新たな攻撃をしなければならない」
「…………?」
怪訝に思ったシリウス。片眉を顰めながらも身構える。
その瞬間、【禁忌】の拳は重力とは違う何かが纏われる。
「これは少し魔力を食うのでね、同時に他のものと使うのは難しいんだ」
――普通は同時にやろうともしねぇよ。
音もなくシリウスの懐に入り込んだ【禁忌】は、右手を腹に当てて衝撃波を飛ばした。
その時だった。
「…………がっ…………!?」
シリウスの“時”が止まった。
【禁忌】の『【概念操作】』のひとつ。
『“無刻”』
完全に停止したシリウスに強烈な一撃を与える。ほぼ同時に、術式を解除した。
攻撃を受けてよろめく。
「ッ………!! 何が起こ――」
言いかけて、シリウスの身体は何かの力で吹っ飛ばされた。
その姿に、【禁忌】は納得した様子。
「フム、貴女は【世界】に縛られているようだね」
「――は?」
「生物は【世界】に縛られる。私の“時止め”によって止まった貴女の時間の皺寄せが起こったのだよ」
【世界】の束縛。それは普段生活している上で当たり前だと感じている事象。すなわち規律。そしてそれから逸脱したのが禁忌であり、その一つである【禁忌】は、【世界】の束縛を受けない。故に術式の等価交換の原理が破綻する。
本来ならば、時を止めるなどという術式は人ひとりが一生掛けても発現は不可能とされるほど魔力の消費がデカい。
非常に厄介である。
しかし、幸運か否か、【禁忌】は嘘をつかない。時止めの術式と並行して別の術式を構築、発現することは不可能だ。現状は。
相手の時を止めている間は術式を常に発現している必要があり、少なくとも即死コンボに繋げることはできない、とシリウスは踏んでいる。
時止めを食らった際の攻撃必中と、術式解除後の“皺寄せ”さえ目を瞑れば、恐れることはない。
――だがしかし、やはり厄介極まりない。
どうやら術式発現のトリガーも変わっている様子。
相手に直接触れる必要があるが、“時”の概念を徐々に消し去り、最終的に停止に至らせる以前のものと違い、今回のは確定で一発停止だ。接近戦は避けたいが、シリウスの攻撃手段は近接技しかない。このジレンマが、彼女の動きを鈍らせた。
『“無刻”』
「ッ……しま――」
再び停止したシリウスに、【禁忌】は2回打撃を繰り出す。術式が解除され、遅れて衝撃がシリウスに伝わる。さらに“皺寄せ”によって吹っ飛ばされた。
「――クソッ! 良いトコなのに……!」
タネは分かっている。難しいことではない。
自身の頬を叩く。目つきが変わり、シリウスは再び集中状態になる。
「何と恐ろしい速度……! 身体能力のみならず、精神的にも成長しているのが良くわかりますよ!」
【禁忌】の言葉などシリウスは聞いていない。聞こえていない。
――感じるだけじゃダメだ。
『術式を聴きなさい』
ピクリとシリウスの耳が動く。
吹き始めの風が彼女の頬に触れた瞬間、地面を蹴り出した。
それを真正面から待ち構える【禁忌】。ニヤリと嗤うと、術式を構築した。実に速く、静かに。
しかしシリウスは、【禁忌】が思うよりもワンテンポ早く拳を繰り出した。それは何もないところで何かと激突する。
密かに【禁忌】が発現させた重力の塊だった。凍ったそれは脆くなり、そのまま拳を振り抜き粉々に砕かれた。
再び成った。彼女の中で覚醒の波が著しく変化している。
驚くべき適応力の速さ。【禁忌】は感心したように口角を吊り上げた。
手を銃のような形にし、指先から黒い光を生み出した。
シリウスは今、『“無刻”』を直に触れないと使えないと思っているだろう。
――否、それはないかもしれない。
だがしかし、揺さぶるには十分だ。
『“無刻”』
「……ッ……!?」
「マジか!?」という顔だ。
生物は意表をつかれた瞬間隙が生まれる。
それはシリウスの心臓の辺りを撃ち抜いた。
「マジ………か、よ――」
シリウスの動きが徐々に遅くなる。彼女の“時”が止まりかけていた。
不完全な術式などではない。この『“無刻”』はすでに完成している。
その最大の特徴は、燃費の低さ。
【禁忌】の術式のキャパには、まだ余裕があった。
確実に仕留めるため、しっかりと魔力を練る。
ひとつひとつ確かめるように術式を構築していく。
小指からゆっくりと手を握り、親指を立てる。
『術式展開――』
ご丁寧に魔法陣まで展開する。
『禁忌ノ業【概念操作】』
親指を下に向け、あとは突きつけるだけ。それだけで必殺の術式が降りかかる。
『“冥――』
――ミシッ
「ム?」
違和感を覚えた【禁忌】。僅かに術式発現が遅れた。それが仇となった。
「………っ、…………ッッ!!」
【禁忌】は己の目を疑った。
目の前の小娘――シリウスの“時”が、加速している……?
否、止まりかけた“時”が、再び動き出そうとしている……!
【禁忌】の思惑とは別に、彼女が、彼女自身で術式を破ろうとしている。
「――あり得ない……!!!!」
術式を再構築。先までと異なり、火力だけに重きを置いたものだ。
しかし、目の前の現実は加速していく。
ゴリゴリと“時”の停止を削り破り、シリウスの拳は加速していく。
焦燥混じる声色で、【禁忌】は術式を詠唱する。
『術式展開――禁忌ノ業【概念操作】:“冥墜”』
『“氷結破術”』
既のところで時止めを破ったシリウスは、即座に降りかかる重力を破砕。
その勢いのまま、やや上向きに懐を殴りつけ、僅かに浮いた【禁忌】に攻撃する。
『“破弾・突撃銃”』
鋭く一撃。
『“破弾・砲撃銃”』
次いで地面に叩きつけるように全体重をかけた一撃を放った。
「カハッ…………!!」
飛びかけの意識の中で、【禁忌】は術式を構築した。
しかし、シリウスの耳がピクリと動いた瞬間、【禁忌】の顔面に彼女の拳が飛んできた。
めいいっぱい拳を振り抜く。【禁忌】は地面を抉りながら吹っ飛ばされた。
目の前の敵、【禁忌】。
彼の強さは十分に分かる。しかし、シリウスは勘づいていた。
彼の能力は、未だ不完全。
生物として、個体として覚醒した【禁忌】は、逆にそれが原因で能力が心身に追いついていないのだ。
つまり能力の覚醒がリセットされた状態と同義である。
あくまでも、【禁忌】自身の生命力によって強制的に能力の強さが引き出されているだけにすぎない。
能力そのものには大きな負担が掛かっている。このままだといずれ本体――【禁忌】にも影響が出るだろう。
そして、そんな状態だからこそ、持ち技の一つ『“破弾・砲撃銃”』による“防御貫通”は、刺さる……!
「――掴んだぞ」
辺りに響き渡るような低い声色。
だが構わずシリウスは足を止めずに疾る。
右腕にのみ、肩まで『【氷纏装身】』を発現させる。
晴れた視界。そこに入ったのは一つの人影。
拳を握り、魔力を発散ギリギリのところで抑え、溜める。
『“破弾”』
この一撃を決めることができれば、【禁忌】にさらに大きなダメージを与えられる。
そう確信していた。
『“冥墜”』
――まだ間に合う。
重力に潰される前に、【禁忌】に攻撃を与える。
……筈だった。
「…………は?」
彼女は絶望した。
威力はお粗末。誰でも簡単に抜けられそうなほど、力は篭っていない。
目を見張ったのは、その範囲。
デカすぎる。
自分ごと巻き込むつもりだろうか。それを交換条件に、術式範囲を限界以上にまで広げたのか。
僅かに鈍ったシリウス。
重力の速度が勝った。
「クッ……ソが…………!!」
予想通り、大分動きにくいが、全く動けないわけでもない。
まさに完全なる平衡状態。シリウスも動けなければ、【禁忌】もまた、動けない。
そんな状態で何が出来るのか……。
しかし【禁忌】は笑みを絶やさない。
今までに見たことのない手の型。
それをシリウスが理解した時、それはすでに遅かった。
『術式展開――魔導領域【暗垣冥域】』
辺りは闇に染まる。
【禁忌】の持つ、術式の極致が炸裂した。
ステータス
〈シリウス・ブラウ〉
・究極魔法【氷】
〈ヨハン(=【禁忌】)〉
・原初魔法【無】
・魔導領域【暗垣冥域】




