13 足りないものを求めて
もうそろそろフリーに会える。
早朝、シリウスは相棒のプロキオンとともに森へ出かけていた。今日は三日に一度の食料調達の日である。プロキオンが新たに共に暮らすようになって、これが思いのほか大食漢なのだ。
これは概知の事実であるが、当然の如くシリウスも常人より食べる。
シリウスがジークの家で暮らすようになってから、ただでさえ食糧の減りが速くなったのに、もう一人増えたのでは流石のジークもたまったものではない。
魔人王といえど、金に余裕があるわけではない。買い出しの分では物足りず、余分に欲しい時は自分たちで調達することに決まった。
というわけで今日も今日とて狩りである。穫ったらなぜか翌日には元通りになっている山菜や、いい肉が獲れる大型の生物まで、狩っては、ジークお手製の術式キットで転送する。
プロキオンが究極に覚醒してから、より新鮮で質の良い食材を調達できるようになった。狩ったその場で加工して、シリウスの【氷】で冷凍。市場とほぼ変わらないシステムがここに爆誕した。
さて、この季節は美味い鹿肉が食べられる。ということで、今日は少し遠出——森を抜けることにした。ジークからの許可は降りているので問題はない。
この辺りの鹿は、草食だが凶暴だ。強靭な肉体から分かる圧倒的歯応え。想像するだけで涎が出る。
その味と引き換えに、狩りは困難だ。なので数はあれど高級食材として有名なのだ。
繁殖期の春先でないと平野には降りてこない。臆病ゆえに凶暴である。
森を抜けると、かなり視界が開ける。いつか、ケレスに行くために竜車に乗った場所だ。このまま行くとエデン平原の“不可侵入区域”に入る。周辺の地理は、この3年弱で大分頭に入っているというシリウス。
「この辺りでいいだろ」
適当に目処をつけて、借りを開始した。
腿に巻き付けた魔剣を抜くと、雑に放り投げる。それは【変態】し、シリウスよりも少し背の高い美丈夫に姿を変えた。
「もういいの?」
伸びをしながらプロキオンはシリウスに尋ねる。
「あぁ、若いのは残せよ」
「了解」
嬉々として走り出したプロキオン。程なくしてジャキンジャキンと食糧を加工する音が聞こえてきた。
速い。あまりにも速すぎる。
未知の狩人の襲来に、鹿たちは一斉にプロキオンに襲い掛かる。
一蹄が、頭を振りかぶり、プロキオンに角を叩きつけた瞬間、宙を舞ったのはその角だった。
プロキオンがその方を向くとほぼ同時に腕を振り払うと、首が撥ね飛び、四肢は切断された。脚を失った胴は宙に少し浮いたのち、自由落下でプロキオンのもとへ。プロキオンはそこに手をぶっ刺すと、ドバドバと血が流れ出てくる。
血抜き完了。
『筋力強化』で胴を掴むと、少し離れたシリウス目掛けて片手で投げ飛ばす。
『氷結息吹』
フッと軽く息を吹きかけてやると、芯までしっかり凍りついた。
それを、展開したジークの術式キットに魔力を流し込み、押し込む。
これが一連の流れだ。シリウスは計算する。
ざっと、残り四頭ほどこれを行えばしばらくは持つだろう。
プロキオンに頼み込み、撥ねた頭部から角を取って貰うと、背負ってきたリュックに仕舞い込んだ。
まるで業者のように淡々とこなす。ものの十数分で全ての作業は終わった。
「帰るか」
『【変態】』
プロキオンが魔剣の姿となり、シリウスの手元に戻ってくる。それを鞘に収めた。
そして荷物を片付けて、帰ろうとした。
その時だった。
シリウスを、大きな影が覆った。
ふと上を見ると、大きな手を振り翳し、叩きつけようとする者がいた。
通称“牙狼種”と呼ばれる、人狼族の眷属に当たる魔獣だ。非常に温厚だが、怒らせるとヤバい。自然を非常に大切にする種族で、自然環境を脅かす者を速やかに排除する自然の守護獣でもある。
少し、やりすぎたかもしれない。
これまでの狩猟も、彼らが怒らない程度にやっていたが、流石に鹿五頭はマズかったか。
間一髪で攻撃を回避するシリウス。プロキオンは既に【変態】によって魔剣の姿になっている。なんとか相手に落ち着いてもらおうと、極力抜くのを抑えた。
流石のシリウスも、牙狼の猛攻に術式なしでは苦戦するかと思いきや、冷静に回避し続けた。フリーとの修行で身につけた身体能力と動体視力は伊達ではない。
「シュゥゥゥゥ………!!」
長く呼気する。
——あまりやりたくはなかったが……。
牙狼を強く見据え、深く息を吸うと、咆哮した。
空気がビリビリと震える。
『“魂の咆哮”』
魔獣及び獣人種だけが持つ、その人のありったけをぶつける咆哮。強さを誇示する際に使われるが、獣人で使う者はほとんどいない。
シリウスの咆哮に、牙狼は攻撃の手を緩めた。目の前の人物が、どれだけの強さを誇るか、理解したようだ。
「皮肉だな。自然を愛する、守護獣であるお前たちが、弱肉強食に弱いなんてな」
荒い息を吐きながら、牙狼はシリウスを見る。怒りと恐怖の間で葛藤しているのだ。
シリウスは牙狼を真っ直ぐに見つめ、手を前に差し出した。牙狼の鼻先に手のひらを向け、ゆっくり近づける。
瞬き一つしないシリウスの目を、じっと見つめる牙狼。徐々に呼吸は穏やかになっていく。
シリウスと距離が縮まるたびに、牙狼はゆっくりと頭を下げる。
やがて手が触れた時には、シリウスの手は牙狼の額にあった。
「よしよし、良い子だ」
それに触れただけでシリウスは分かった。
「お前、群れのナンバーツーだな」
牙狼種の特徴の一つ。狩りは群れで行う。その中でも前線に立つのが、群れの上位五頭ほど。
目の前の牙狼は群れのナンバーツー。
つまり、まだ、いる。
「あんまりお前らと戦いたくないんだけど」
そう言った瞬間、大きな影がシリウスに迫った。
既視感が否めないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
まさに歴戦の狩人というような風貌。毛並みも大きさも、覇気もまるで違う。
群れの長だ。
『私の倅が世話になったな』
脳内に語りかけてきた。『念話』と呼ばれる非洗脳系のテレパシーの一種だ。思考を相手が理解できるような言語に変換して飛ばすものである。
コイツ、かなり強そうだ。
先ず人間の言葉を理解しているという時点でヤバい。獣人は、人間族と同じ言葉を話すが、魔獣はそれを持たない。他にも獣人は眷属となる魔獣の言葉を理解し、話すこともできるので、ある意味バイリンガルとも言えよう。
彼なりの力の誇示というわけだ。目の前の彼女——シリウスが何者であるかを理解した上で、あえて人間語で語りかけてくる。そしてその意図はシリウスに十二分に伝わっていた。
二匹の牙狼が会話をする。
『父上!この方は……!』
『退がれ、私はこの非常識な人狼の小娘に一つ教えてやらなければならん』
『で、ですが!』
『私の言うことが聞こえないのか!!……退がれと言っている』
『…………し、承知しました』
父の権威に負け、渋々引き下がる息子牙狼。
その会話の一連を見たシリウスは、息子の方に声をかける。
「大変だな」
『おい、小娘よ。貴様の相手は私であるぞ』
尚も人間の言葉で話しかける。
『牙狼の掟は知っているな?“開戦の合図”を』
「あー………」
ヤベェ、とシリウスは僅かに焦った。
冷静に考えれば、眷属だろうとシリウスと牙狼は別の種族。掟とやらにも従う必要はないが、目の前の彼が許してくれないだろう。
制約。その概念がある限り、シリウスは逃れられない。
『聴こえたぞ、貴様の咆哮が。私はそれに応える!そしてここに、“開戦”を宣言するのだ!!』
『“魂の咆哮”』
太陽に向かって遠吠えする。
空気がビリビリと震え、足元に巨大な魔法陣が展開された。
“魂の咆哮”と、その呼応。
いつかジークの家にある魔導書で読んだ。
“魂の咆哮”を扱う種族に限り、互いの呼応で“開戦の合図”をすることができる。
牙狼種はそれを種の掟としているが、魔導学において基本といえる。
逃げられないように、指定範囲に魔法陣が展開される。それが戦いのフィールドだ。
今回はど平野。逃げ場など、まさに無い。
『さぁ、戦おう』
「——頭の堅い大人は嫌いなんだよ」
いつにも増して澱んだ瞳で、シリウスは牙狼の長を睨んだ。
◇◇◇
「ガアァァァァァ!!」
牙狼の前肢がシリウスに叩きつけられた。
「——ッ!」
それを、シリウスは【氷纏装身】された片腕で受け止める。
『クッ、往生際の悪い小娘だ』
「諦めることは教わってないんだよ」
小さな娘とは思えない怪力で、ぐぐぐっと押し上げる。
『なっ!?流石だな』
牙狼はニヤリと笑う。
すかさず横打ちをシリウス目掛けて行う。
クリーンヒットだが、僅かに退がるだけだった。
目の前の少女から反撃の素振りを見せるも、魔力が消える。
『………!?』
シリウスは少し屈んで、拳を強く握った。
『“破弾”』
魔力が纏われることもなく、拳が懐に飛んでくる。
(バカめ!素手で私を飛ばせるとでも?)
牙狼は違和感に気づきながらも、魔力を纏い、肉体を強化した。
『“砲撃銃”』
打点に魔法陣が展開。牙狼がその魔法陣を理解した時、時は既に遅い。
“隙のない大ぶりな”攻撃。
打撃の瞬間に、魔力が拳から“現れた”。
バリンと魔法陣が割れ、小さな拳が牙狼の懐に突き刺さる。
ドンと鈍い音と、衝撃波による爆発が起こり、牙狼の身体が僅かに浮いた。
(“防御貫通”!?)
そこにすかさず、シリウスは追撃する。
『“打弾・砲撃銃”——撃種:【墜拳】』
とん、と拳が触れた瞬間に、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。
『ッッッーーーーー!!?』
何が起こったのか、牙狼には理解できなかった。
究極に覚醒したことによる我流術式の最適化。大幅な攻撃力の上昇。【氷纏装身】の際のバフ倍率の上昇。
弱い訳がない。
シリウスは攻撃の手を止めた。
牙狼の様子を伺っている。
『クッ………小癪な』
「よく言われるよ」
シリウスが言い返した瞬間、牙狼の姿が消えた。
一瞬で消えるほどの速度。
しかし、シリウスには見えている。
『この速度についてこれるか!?』
この戦いで、シリウスはなんとなく気づいていた。
この牙狼、名持ちだ。
名を持つことで個体として世界に固定される。すると独自の能力を得るのだ。それが固有術式であると言われ、我が子に命名する文化を持つ人族に固有術式持ちが多いのはそれが原因とされている。
知能が高い種族ほど、個体識別のために名をつける。そうして強弱関係のピラミッドは形成されてきた。
「簡単だろ」
地面に手を突く。
ありったけの魔力を練り、“開戦の合図”によって発現された魔法陣、そのフィールドいっぱいに干渉する。
『術式展開——究極魔法【氷】:“氷結捕縛”』
太陽の光でわずかに虹色に輝く氷。フィールド一面に張り巡らされたそれは、牙狼の四肢を凍らせた。
『クッ……!?』
『“打弾・突撃銃”』
すかさずそこに一撃を入れると、牙狼はぶっ飛び、空間を隔てる障壁に激突した。
ゆっくり牙狼に近づくシリウス。
彼女を牙狼は睨みつけた。
『小娘相手に油断するとは——』
何事もなかったかのように牙狼は立ち上がり、シリウスに問いかける。
『小娘、貴様の名は何という?』
問われたシリウスは、歩みを止め、片眉を顰めた。
「人に名前を聞くときはまず自分から名乗ったらどうだ?」
お決まりのセリフだ。というより、文明人の基本である。
『………フム、小娘よ、気づいていたのか』
「人語を理解している時点で薄々気付いていたよ」
牙狼は数刻の沈黙の後、口を開いた。
『私はオウガ。誇り高き牙狼種の長である。さぁ、小娘、貴様の名は何だ?』
王牙。それが彼の名だ。牙狼の長の一族に代々受け継がれてきた名である。
「オレはシリウス・ブラウ。人狼王になる者だ」
オウガはその名を聞いて少しばかり唖然とした。
種族王とは、その種族の中で最も崇高で強大な力を持つ者だ。その名を名乗る愚か者など存在しない。
目の前の小娘——シリウスはそれになろうというのだ。無謀とも言うべきだが、その強さは本物だ。
オウガは鼻をすんすんと鳴らす。
『やはり、この匂いは獣竜王のものだな。それと、僅かばかりだが、魔人王のも混ざっている』
どうやらこの三年間では、それ以上の日々を過ごしてこびり付いたドラコの匂いは拭いきれないらしい。
「お前、そういうのも分かるのか」
『フッ、我等の嗅覚を舐めるでないぞ小娘』
オウガは数歩退くと、結界を解いた。
「……?まだ終わってないぞ?」
『いや、どうやら非常識なのは私の方らしい』
「………」
『貴様の勝ちだ、シリウス・ブラウ』
「へ?」
その瞬間、シリウスはうちから湧き上がる何かを感じた。
“力”。純粋な力が湧き上がり、体が軽くなる。感覚が冴えて、視野は僅かに広がった。
オウガの敗北宣言。
『“勝者の特権”。貴様は私との戦いに勝利し、私から“力”を得た。“嗅ぎ分ける瞳”と“見透かす鼻”を手に入れたのだ』
つまり、今のシリウスには、魔力の色や匂いが明確にわかるようになった。たとえ相手が高度な技術で魔力を隠そうと、見抜き、嗅ぎ分けることができる。
すんすんと、シリウスは鼻を鳴らした。
「なるほど、ね」
顎に手をやり、納得する。近辺の魔獣の魔力が手にとるように分かる。その中には先ほどのオウガの息子もいた。これが牙狼種の見ている世界らしい。
『今回は貴様の強さに免じて、目を瞑ってやる』
「………あ、そう」
結局、最後の最後まで、弱肉強食に従順な牙狼種なのであった。
『ではな、未来の人狼王』
オウガは踵を返し、彼らの森へと帰っていった。その後ろ姿は、物悲しげな雰囲気を醸し出しているように見えた。
◇◇◇
翌日。シリウスはオウガからの“勝者の特権”を使用して、ジークとの模擬戦をしていた。シリウスの変わりようは、流石にジークには見抜かれていたようだ。
明らかに反応速度が違う。あらかじめジークが発現させる術式が何なのか分かっているかのようだった。
そもそもジークの術式構築速度に対応できる時点でシリウスは常人を凌駕するものがある。たとえ特殊な目や、鼻を持っているとしても、だ。
一方で気がかりなことがある。
これまで素晴らしい成長速度で、あっという間に究極に覚醒したシリウスだが、最近どうも不調だ。
無論シリウス自身は絶好調だ。しかし、どうも伸び率が悪い。
大器晩成とは言うが、まさかここまでとは。今までのシリウスの伸び率がとてつもなかった故に、感覚が麻痺しているだけかもしれないが。
それでも、一概に成長しないというわけでもない。
プロキオンとの模擬戦では、完璧にプロキオンの癖を見抜き、順応してみせた。一方のプロキオンも然り。
「何か、足りない………」
思わずジークは口に出した。
ジークは一人、思案する。
シリウスに足りないものは何か?
おそらく答えは単純明快。
新たなるインスピレーション。限界を超えたその先のイメージ。
つまり、彼女はこの環境に退屈している。あるいはホームシックになっているかもしれない。後者の可能性は低いが。
最近はどこにも連れてやれていないが、もしかするとその所為もあるかもしれない。
しかし、大体行けるところは全て連れて行ったつもりだ。
まだ行っていない所といえば………
ベランダの椅子に座り、数刻の間目を閉じる。
「行くか……」
なんとか絞り出した行き先。
立ち上がるとシリウスたちに告げた。
「行こうか!精霊の国!」
「「え!?」」
◇◇◇
「精霊の国への転移門は精霊族及び、妖精族だけが扱える。というか、そういう決まりなんだよね」
ジークは歩きながらシリウスとプロキオンに言った。
「と、言うと?」
まだ理解不足のようで、シリウスが訊き返した。
「セキュリティの問題だよ。誰でも簡単に精霊の国へ行けたら、向こうの人は困っちゃうだろ?況して、最近では妖精族の一種、耳長種の奴隷が、闇市で取引されているという噂だ。そんなの、精霊王であるネオが許すわけない」
エルフの人身売買が横行している中で、その問題を解決するために打ち出したのが、転移門の使用制限だ。
精霊王ネオは、自身の配下、及び眷属となる種族——精霊の国の住民だけに、当国への転移門所有権限を与えた。これにより、奴隷は自ら脱出し、事実上の解放となった。その成績が認められ、ネオは精霊王となったのだ。
なので、たとえジークであろうと精霊の国への転移門は所有していない。
ちなみに、転移門の所有と述べたが、厳密には行き先の登録をしているか否か。つまり、精霊の国の住民以外で転移門を扱える者は皆、精霊の国という地を転移先として登録していない——登録できないのだ。
三人が訪れたのは、『キノエの森』。北半球に位置する巨大な森だ。辺り一面常緑樹が生い茂るなんとも神秘的で妖艶な雰囲気である。
それもそのはず、ここ『キノエの森』は世界の森林でも随一の魔力含有量を誇る。さすがのシリウスらも、酸素と同じくあまりにも魔力が満ち満ちている場所では少々息が詰まるようだ。
ここまでの膨大な魔力がある理由は、この森の中心にあるという神木のような樹木が原因だと言われているが、未だ誰もその姿を拝んだ者はいないという。
そう、ここは迷宮。一度入れば二度と出られぬという、どこぞの平原のような噂がある。一方で、出られないことはないが、一度はぐれるとしばらく会えないとも言われている。つまり、迷いやすい。
しかし、ジークにとっては造作もないこと。況して、シリウスにはオウガから与えられた目と鼻がある。一度通った場所くらい簡単に見分けがつく。余談だが、牙狼種は長旅をする時、一切迷わないらしい。
「………まだ?」
痺れを切らしたシリウスがジークに問いかけた。
ジークは黙りとしていた。
怪訝に思ったシリウスがジークの顔を覗き込む。
ジークは何かを呟いていた。だが、全く何を言っているのかわからない。それ程に声が小さい。むしろ蚊の羽音の方がよく聞こえる。
やがて五秒おきに杖を突くようになった。
辺りは杖に呼応するように、突いたところを起点に、魔力光が波紋のように広がる。
森がざわめき、草木が僅かに輝き出した。
辺りに小さな光が舞い始める。うふふっと小さな女の子のような、楽しそうな笑い声が響く。
真昼のはずなのに、木々から差し込む陽光は無くなり、夜のように暗くなる。暗いというのが分かっているのに、視界は暗くなる以前よりも鮮明になる。
——何が起こっている!?
シリウスは唖然とした。
一方のプロキオンは、興味深く光と戯れていた。
やがてジークは立ち止まる。それでも謎の詠唱と、定間隔で杖を突くことを止めない。
バキバキと音を立てて森が動いた。気がした。
暗かった周囲が、突然明るくなる。というよりは、小さな光がどんどん増えていった感じだ。
ジークは最後に、勢いよく杖を突いた。
その瞬間大きな魔法陣が展開され、小さな光が竜巻のように暴れ出す。
和やかだった笑い声は、まるで狂気に聴こえる。
“境界の中和”。一時的に人間界と精霊の国の境界を無くすもの。ジークの詠唱により精霊を呼び寄せ、杖を突くことで境界を震わす。まるで地震の際の液状化のように、精霊の国の一部が漏れ出る。
——しかし、
「そこまでだ、魔人王」
その声が聞こえたかと思うと、急に嵐が静まった。しかし、尚も異様な雰囲気は変わらない。
気がつくと、ジークの後頭部に二俣鉾が突きつけられていた。
立っていたのは、精霊王ネオ・ファルシュ、その人だった。以前会った時よりも服装が少し華美だ。実は、以前はお忍びという形でシリウスと出会ったらしい。
「それ以上は止せ」
「やぁ、待っていたよ」
「こんなことしなくても、呼んでくれたら来たのに」
「安心して。シリウスたちには分かるわけない」
「そーゆー問題じゃない!」
なんだかんだでネオに頼み込み、精霊の国への転移門を用意してもらった。
ネオ愛用の二俣鉾を空間に突き刺して転移門を展開。今回はジークら三人と共に、それをくぐり抜けた。
目の前に広がるのは、暖かな光が差し込む、森のような街。ケレス大公国を彷彿とさせる街並みだ。
「歓迎するよ。精霊の国へようこそ」
ネオが向き直り、シリウスらに告げる。
ジークはシリウスを見ると、シリウスは頷き、プロキオンの手を引く。
「あまり心を開きすぎないようにね!」
ジークがシリウスに注意を呼びかける。
「分かってる!」
その様子に、ネオは片眉を顰める。
「君は僕の配下を何だと思っているんだ?」
ネオの問いかけに、ジークは向き直った。その瞳は真っ直ぐだ。
「何であろうと関係ない。僕は彼女を守る義務がある」
「守る……ね」
ネオはシリウスの後ろ姿をじっと見た。
「その必要は無いと思うな」
ネオとジークは、二人並びながら精霊の国を歩いていた。
ネオはシリウスに興味があるらしく、色々と質問を投げかけてきた。なぜ彼女がいないところで彼女の話題を振るのかは謎だが、ジークも答えられる範囲内でネオの質問に答える。
「あれから一年か、彼女の様子は?」
「元気だよ。相変わらずね」
「——そうみたいだね」
「君が心配する必要はない。シリウスが元気じゃない日なんて、一度も無いよ」
「クックック、それは言い過ぎじゃないかい?」
「ハッ、まさか」
ネオは横目で、上目にジークの顔を見た。その表情に笑顔はない。
ジークは、あらぬ方向——正面を向いたままだ。
ネオも正面を向き、今度はシリウスの相棒、プロキオンの話題を話し出した。
「彼……何と言ったかな?」
「プロキオン」
「そうそう、しばらく見ない間に随分と見違えたというか、何というか」
やはりネオも、プロキオンの変貌ぶりには驚いたようだ。
プロキオンは覚醒前は人狼族のような見た目をしていたが、魔剣と統合進化し、“剣魔人”として完全なる個体に進化。狼耳は退化し、名残が寝癖のように。そして顔の横に新たに人の耳が付いた。
「見た目は魔人、けど、彼からは人ならざる気配を感じる。一体何なんだい?」
「……さぁ?僕にもよくわからない。もともと非力な魔獣だったし、シリウスが名前をつけただけで人型になるし、分からないことだらけだよ」
半分嘘である。プロキオンが何者なのか、明確な答えは無いが、全くもって呼称できない訳ではない。
“魔剣人”とはジークの造語だが、まさにそうである、それ以上でもそれ以下でもない、という点から、シリウスらの中で採用された呼称だ。
「シリウスが種族王か………何だかますます現実味を帯びてきたなぁ」
ネオが感慨深く呟く。
それをジークは鼻で笑った。
「何を今更。僕は彼女に会うずっと前から彼女を知っていたし、人狼王になることだって分かってたよ」
「——何だい、それ?まるで君が予言者みたいな言い方して」
「……確かに、予言者とも言えるかもね」
ますます分からない。ネオはジークに対してそう思っただろう。そもそも掴みどころがありそうで無い人物が、ジークだ。当てずっぽうか、それとも明確な未来像があるのか、彼の言うことは大体当たる。予言者と言われても不思議ではない。
他人のことは詳しいのに、自身のことについてはあまり理解していないのも特徴だ。特に年齢なんかは曖昧で、誕生日すら覚えていない始末。現在はとりあえず、元日ということになっている。
実は種族王らは何かと対人関係を大切にしようとする。その上で相手の人となりを理解することは重要なことだ。それでもやはり、謎に包まれた人物というのは存在するらしく、特にジークと、獣竜王フリー・アンノウンがそれであると言われている。
ジークとフリーの共通点は、多くの部下を持たないという点だ。ジークに至っては一人もいない。ちなみにフリーも初めは誰も部下がいなかったが、威厳がどうのとジークに諭され、仕方なく持ったのがあの四人ということだ。「部下を一人も持たない奴に言われたくはなかった」と、フリーはよく愚痴っていた。
他にも、会合においては、ジークは多言、フリーは寡黙が故に人物像をうまく掴めない種族王がいるらしい。
尤も、年功序列な訳では無いが、何かと敬遠されるのがフリーやジークなどの、言ってみれば年配層だ。
そんな所に、誰それ構わず相手と接することができるシリウスのような人物がいると、年配層らは非常に可愛がる習性がある。そうすると前者は周囲から一目置かれる存在となる。
さて、種族王の二人は精霊の国の中心街にやってきた。街ゆく人々が、ネオとジークの種族王ツーショットに目を見張っている様子。そんな彼らに、ジークは愛想良く手を振る。
精霊族や妖精族にとって、ジークは大精霊と何ら変わらない存在だ。実際の大精霊は神性で近寄りがたいが、対するジークは庶民的ゆえ、好奇心旺盛な妖精は彼に近づく。
ちなみに、精霊王であるネオは、大精霊を束ねる役割を持っているので、立場的にはジークより上となる。
それ故か、注目を浴びているジークに不満げな視線を向ける。厳密には、彼の周囲を取り巻く妖精たちを見ている。
「嫉妬すんなよ。別に彼女らに興味はこれっぽっちも無いからさ」
「他人の民を横取りしておいてそこまで言うか!?」
「アハハッ!冗談だよ、冗談!彼女らのことは好きだよ」
「それも何か嫌だな」
いわゆる郊外。街外れの森の中。シリウスとプロキオンは、精霊の国まで来ても観光そっちのけで模擬戦を繰り広げていた。
あくまでも他国なので、勝手に自然を破壊する訳にはいかない。シリウスはもとより、プロキオンには術式対象を選択できるという便利な機能がある。それによって周辺環境を一切破壊することなく、実戦と何ら変わらない迫力を演出していた。
周囲には好戦的な妖精がオーディエンスのように集まる。
模擬戦とは言ったものの、厳密にはシリウスの特訓にプロキオンが付き合っているという感じだ。予測が難しいプロキオンの斬撃を、己の動体視力のみで認識し、躱していく。
「ッ!?」
目を見張ったのはプロキオンだ。
何故かシリウスが目の前にいたのだ。
『“打弾”』
低く屈んで、拳を軽く握る。
「何で!?」
プロキオンが叫ぶ。
誘導されていた。追い詰められていたのはプロキオンの方だった。
『“突撃銃”』
拳が触れた瞬間に魔法陣が展開。あらゆるものを吹っ飛ばす効果。
「ッーーーーーー!?」
後方に激しく飛ばされるプロキオン。それと同時に、オーディエンスは沸いた。
一方のプロキオンは、飛ばされつつも冷静に着地点を見定めていた。
周辺環境を破壊しないという、二人で決めた縛りのもと、それを完遂するためだ。
ところが、プロキオンの意思とは裏腹に、彼の体は何かにぶつかった。何かに受け止められた、といった風だ。
「………」
少し離れたシリウスもその違和感に気づいた。
一言で言うなら、神聖だった。そしてどこか儚げな魔力を感じる。
そして何より、デカい。
強大な気配に身構えるシリウス。
しかし、それは杞憂だったようだ。
「魔人………でも無い。あなたは、だれ?」
見た目通りの透き通った声だ。
「人狼族……どうしてあなたたちのような種族が、ここに?」
森に入る前に見た精霊族や妖精族とは違う、華美な服装。艶やかな金髪は後方で一つに束ねられた、いわゆるポニーテールだ。
「精霊、王……?」
否、ありえない。現在精霊王はネオである。それなのに、目の前の少女はそう思わせるほどの何かを秘めている。
「何故、ここが分かったの?」
問われ、シリウスは答える。
「えっと……実はネオがこの国に入れてくれたんだ。もちろん彼の許可は取ってる」
それを聞いた彼女は、驚いた様子だ。
「精霊王が!?どうして?」
「ほとんどジークのおかげなんだ。訳あって、今はジークのもとで暮らしてる」
ジーク。その名に彼女はさらに驚く。
「魔人王殿の!?ということは、あなたは噂に聞く、獣竜王のお弟子さん?」
「……そうです」
シリウスはどこか照れた様子で答え、頭を掻いた。
「これは失礼した」
少女は一方前に出ると、姿勢を正し、右手を胸元に当てる。
「私はシェアト。シェアト・ヴァールハイトだ。訳あって、この森で暮らしている」
星の名を冠した少女——シェアトは、周囲の妖精たちに一言かけると、彼女らはあっという間にいなくなった。
聞けば、この辺りの妖精はみな、彼女の配下だという。
精霊の国で妖精を従える者は少なく、この国のどこかにいるとされる大精霊か、あるいはネオか、といったところだ。
彼女も妖精を従えているということは、大精霊に匹敵する地位を持っているということである。
しかし、そんな彼女が、何故都市部から遠く離れたこの森にいるのだろうか。
「私は、名目上はこの森の守護をしているが………実際には囚われているんだ」
「え?」
「何者かの呪いによって、精霊王の居城に最も近い都市に近づけないどころか、他の精霊族や妖精族と気やすく接触できないのだ」
その呪いとやらは日に日に増してゆき、果てはこの森からも出られなくなるほどに強力になったという。
唯一接することのできるのが、自身の直属の配下となる妖精たち。しかし、彼女らは見ての通り好戦的なのがたまにキズだという。
逆に言えば、この妖精たちにも呪いがかかっているということになる。
一体誰が、何のためにこんなことをしたのかは謎だ。しかし、黒幕は明らかにシェアトを何らかの理由で隔離しようとしていた。
「しかし不思議だな、よく考えれば何故貴女たちとは接することができるのだろう?」
「うーん………」
シェアトの疑問に、彼女をまじまじと見つめるシリウス。
瞳は僅かに輝きだした。魔眼の一種で、オウガから譲渡された“嗅ぎ分ける瞳”がシリウスの究極魔法による補正でなぜか獲得した、【狼眼】。相手の状態異常を見抜くほか、魔力量なんかも分かる。
「術式対象だな。オレたちのような、妖精や精霊じゃない奴とは何の支障も出ないんだ」
「——分かるのか?」
シェアトは驚いていた。
「すごいな。君にあって間もないというのに、驚きばかりだ」
簡単の声を漏らすシェアト。
そんな二人の間に割り込んだのはプロキオンだ。
「伊達に人狼王目指していないからね」
自慢げに相棒であり主であるシリウスのことを言った。
「——そうか。………いきなりで申し訳ないが、シリウス殿、」
「シリウスでいいよ。畏まるのは好きじゃないんだ」
「では、シリウス。君に折り入ってたのみがあるのだが」
シェアトは早まる気持ちを抑えるように一息吐く。
再びシリウスを見据えて、口を開いた。
「わ………私と……!て、手合わせ、願えないだろうか……?」
徐々に頰が赤らんでいくシェアト。先の言葉のどこにそんな要素があるのか、当のシェアトは「言っちゃった……」と、まるで愛の告白でもしたかのような表情だ。
◇◇◇
配下も配下だが、主人も主人だ。見た目以上に彼女——シェアトは好戦的だった。
シェアトは術式を発現し、周囲に結界を展開。周りに危害が出ないように戦いの場を設けるだけでなく、その裏にはシリウスと正面からのタイマン勝負をしようという魂胆まで読み取れてしまう気がした。
「プロキオンと言ったか。この勝負の立会人をしてもらいたいのだが……?」
「ボク?」
自身を指差すプロキオンに、シェアトは至って真面目な表情で答える。
「あぁ、頼んだぞ」
「いや、まだ何も——」
「シリウス!準備は、良いか………!?」
「ボクの話聞いてる!?」
ついにシェアトは、立会人であるプロキオンの合図を待たずして走り出した。
先までとは打って変わって、鬼気迫る勢いのシェアトに気圧され気味なシリウスだが、身体は既に反応していた。
しかし、シェアトは持ち前の素早さを活かし、あっという間に間合いに入ると、左掌に魔法陣を展開させる。
右手で魔法陣の中心から何かを掴んだ素振りを見せると、叫んだ。
『“抜剣”:【火】』
魔法陣の中心から柄が顕現。
それを掴み、引き抜きざまにシリウスに斬りかかる。
シリウスは間一髪で身体を反らして回避すると、その勢いのまま蹴り上げる。
「熱ッ!?」
シェアトが攻撃を防ぐために構えた【火】の剣が、シリウスの足とぶつかる。その圧倒的火力に、咄嗟に身を引いた。
ふー、ふー、と足に息を吹きかけ必死に冷まそうとするシリウス。危うく、軽く火傷をするところだった。
すぐに立ち直るシリウス。右足を高く振り上げると、小柄な体からは想像できないほど強烈な勢いで震脚する。
あたりが氷の空間に包まれる。
「“魔導領域”!?」
シェアトが驚愕の声を上げるが、それは間違っている。
単なる空間干渉だ。
空間干渉にもいくつか種類があるが、そのほとんどの目的は周囲を術者の魔力に染めることで、相手の術式構築を妨害する目的がある。特にマナを利用した術式構築に有効だ。
シリウスは同時に、膝下に氷臑当を纏った。
『【氷纏装身】』
“魔導領域”とまではいかないが、この空間干渉によりシリウスの潜在魔力が引き出される。
さらに両手の拳をぶつける。肘から先に、氷籠手が顕現した。
『【氷纏装身】』
二重の【氷纏装身】で未だかつて無いほどシリウスの魔力は大きくなった。
「なんだ、これは!?」
シェアトが驚くのも無理はないだろう。
シリウスが初めてネオと会い、魔力のことについて話した約一年前。
今日までのこの一年で、シリウスは一つの真理に辿り着いた。
以前話した、個人と魔力量の関係について、プロキオンは「魔力の量は目に見えるものではなく、概念的な平等である」と述べた。
その時はネオが納得したようにしていたが故、シリウスはそうであると割り切っていたが、疑念は晴れないままだった。
シリウスがたどり着いた魔力の一つの真理。
「知ってるか?魔力は、器も、量も、みんな同じなんだよ」
シェアトに言った。
「どういうことだ?」
「同じ器に、同じだけ注がれた魔力、それをどのくらい使うかで、いわゆる魔力量ってのが決まってくるんだ」
「つまり、シリウスと私の魔力量も、同じ、ということか?」
「そうだな。さっきまでのオレは、上澄だけの魔力を消費していたけど、この【氷纏装身】は器の底から魔力を掬い上げるんだ」
実質的な魔力の増量。側から見れば、混乱は必須だろう。
「面白い……!!」
しかしシェアトは状況をすぐ飲み込み、シリウスと距離を詰める。
『“納剣”』
【火】の剣を納め、新たな剣を取り出そうと再び魔法陣を左掌に展開させる。
『“抜剣”——』
『“破弾・突撃銃”』
同時にシリウスが拳を握ると、打点に魔法陣が展開した。
打点が相手に分かってしまうが、それと引き換えに絶大な効果を得る。
“防御貫通”。文字通り相手の防御を無視する攻撃で、【絶対攻撃】の下位互換とされている。
この“防御貫通”には主に二つの目的がある。
一つが、魔力等による防御(守る、という行為、それによって得られるダメージの軽減)を無視した攻撃。
そしてもう一つが、防殻を貫通しての攻撃、あるいは防殻貫通そのものだ。
基本的には後者の目的で使用されるが、シリウスは前者の目的で、実質的な攻撃力上昇を図っている。
オウガに放った“砲撃銃”と異なり、“突撃銃”は威力は下がるが、技の出が早く、打点までの到達速度も早い。安定して命中させられる万能な型だ。
そこに“破弾”を纏わせることで、威力を上げ、“防御貫通”を付与させることが可能。
シリウスが究極に進化した際の、我流術式の最適化により付与されたのが“防御貫通”。本来“破弾”は通常のおよそ2倍の威力で技を放てるというものだったのだ。
『——:【光】』
シェアトは【光】の剣を抜く。彼女の扱う“剣”で最も高い切れ味を誇るのだ。
しかし、
「ッ!!!?」
シリウスの拳と、シェアトの剣がぶつかった瞬間、剣の方が、拳がぶつかった打点の先から折れてしまった。折れた剣身は慣性の法則のまま、シェアトが振り切った方向に飛んでいき、やがて光の塵となって消えてゆく。
同時に、シリウスの右手の氷籠手がバキバキッと亀裂が走る。
「なんつー威力だよ」
「——それは私の台詞だ。初めてだぞ、折れるなんて。むしろ知らなかった」
二人は笑った。あまりの強さに呆れてしまう。お互いに勝ち目の見えない勝負だった。
終わったか、とプロキオンがため息を吐いた瞬間。
二人の目つきが変わった。
「折れなければ良いのだ」
「壊れなきゃいいんだよ」
「——誰か止めて!?」
『“抜剣”:【棍】』
『【氷纏装身】』
シェアトは鉄棍を、シリウスは再び氷籠手を纏う。
本格的に近接による激闘が始まった。
シェアトの最高硬度を誇る【棍】と、精錬された氷籠手がぶつかり合い、鈍い轟音が周囲に響き渡る。
プロキオンは呆然と立ち尽くした。
戦闘狂と戦闘狂がかけ合わさるとこんなにも手がつけられなくなるのか。
何より、本人たちが心配だ。あまりの衝撃に、武器よりも先に骨が砕けるのではないか、と。
結界を挟んでもなお、その衝撃は地を伝わりプロキオンの心臓に響く。
「………まさか………!?」
心臓に響く、その違和感にプロキオンは真っ青な表情になる。
いや、まさかな。そんなはずはない。
まさか、あの結界が壊れるなんて、そんな………。
——まさか、な。
バキバキバキバキィィッ!!
結界にヒビが入りました。
しかしまだ二人はお互いに攻撃をやめない。
むしろなんだかどんどん威力が増していっている気がした。
そしてついに、お互いに叫んだ。
『“破弾”』
『奥義』
二人は一気に距離を詰め、最後の一撃を与えんと構える。
『“砲撃銃”』
『“天地鳴動”』
シリウスの渾身の拳と、シェアトの力いっぱい振り抜いた鉄棍が激突した。
その瞬間、
ついに結界は限界を迎え、粉々に割れる。
そして、同時にシェアトの鉄棍は粉々に折れて、シリウスの氷籠手は粉々に砕け散った。
そして、二人は攻撃の余波で体が吹き飛ぶ。
そこにすかさずプロキオンが割って入る。
「勝負アリッ!!」
「え!?」
「なっ!?」
驚愕の声を上げる二人。
「もう終わり!この勝負は、引き分けとする!」
プロキオンの宣言に、シリウスは割り切ったように頭を掻くが、シェアトの方は納得がいかない様子。
「ま、待ってくれ、プロキオン!君は勝負の意味がわかっているのか!?勝ちと負けが存在するから、“勝負”というのだ!」
「シェアト、彼の言う通りだよ」
突然低い声が聞こえた。
声の方を向くと、そこには男が立っていた。
実に不思議な人物だ。耳長族ではないようで、人間と遜色ない耳の形をしているが、何よりもその装備だ。
背中に長い刀身の“タチ”と呼ばれるカタナ。腰には、左右に三口ずつ、カタナが携えられていた。
虹彩は灰色に澱んでおり、腰のカタナのうちの一つを地面にコツコツと突きながら、もう一方の手を木の幹伝いに歩いてくる。
「し、師匠……!」
シェアトが師と仰ぐ人物。
見た目はまだ若く、二十代、行っても三十代前半といったところ。
「彼女の強さ、十分にわかっただろう」
「し、しかし……!」
「シリウス、と言っていたね。それから、プロキオン。弟子の我儘に付き合ってくれたお礼をしたい。私について来なさい」
言われ、シリウスとプロキオンは顔を見合わせる。ふっとお互いに笑うと、男の言葉に頷いた。
男に案内され、森の奥深くまでやって来た。
そこには、小さな集落が。集落と呼ぶのも烏滸がましいほどに小さなものだが。
引き換えに、広大な土地を生かした、あからさまな訓練場があった。
真剣を使用していたのだろう、ズタズタに斬られた藁俵がいくつも山になって捨ててある。
ここに辿り着くまでに、男はやはり、木の幹伝いに、もう片方をカタナでコツコツと突きながら歩いていた。間違いない。この男、盲目だ。
そして、薄々気になっていたが、シェアトの髪飾りには鈴のようなものが。
男は鈴の音の鳴る方を向くと、「案内して差し上げなさい」とシェアトに告げた。
シェアトは嫌がる様子もなく頷くと、シリウスとプロキオンを連れて訓練場を横切り、建物の方へ。
残った男は、今度はカタナだけを頼りに、研ぎ澄まされた感覚で小屋へ向かう。おそらくここが、男が普段暮らしている建物だ。
一番大きな建物へ案内されるシリウスとプロキオン。
その道中で、シェアトの髪飾りについての話題が繰り広げられていた。
「それって、やっぱり師匠が……?」
「あぁ、あの方は目が見えないのだ。だからこうして、音の出るものを身につけている」
「音だけで、場所も、距離も分かるのか」
「普段はコレを付けるのだが、模擬戦の際は外している」
衝撃の事実に、シリウスとプロキオンは目を見張った。
「じ、じゃあどうやってシェアトの場所を!?」
「簡単だ。“音”、あの方はあらゆるものを“音”で視ている。私には分からない世界だ」
シェアトが物心つく前から、あの男は彼女に剣術を叩き込んだ。
10年弱経った現在も、シェアトは師に追いついたことはないと語る。それどころか、師は年々強さを増していると感じるのだそう。
建物の中に案内されると、メイドやら執事やらが出迎えてくれた。
廊下の中央を満更でもなしに歩くシェアト。続いてシリウス、プロキオンが横に並び、その後ろを彼女の使用人がついてくるという形だ。
やはり、シェアトは見た目通りのお嬢様だ。口調はそうでもないようだが。
少し、というかかなり広い部屋に案内された。大きなベッドや、化粧棚が完備されている。
シェアトを見ると、なぜか恥ずかしそうに頬を染めていた。
訳を訊くと、
「そ、その………初めてなんだ。客人を私室に招き入れるのは。汚いし、狭くて申し訳ない」
とのこと。
皮肉だな。間違いない。
シリウスはそう思ったが、喉から先に出そうなのをぐっと堪えた。
使用人の一人が一礼し、部屋の扉を閉める。
シェアトの私室には、部屋の主と、シリウス、プロキオンの三人だけとなった。
やはり女の子の部屋とあってか、何とも可愛らしい部屋である。全体的にレースやリボンのような装飾が目立つ。シリウスには分からない世界だ。
静寂の圧力に耐えきれなくなったシェアトが、話を切り出した。
「私の師匠だが、名をジオンという。気づいていると思うが、極東生まれなんだ」
極東連合国。世界でも有数の大国で、そこの出身の冒険者は、殆どがカタナを扱うらしい。ジオンも例に漏れず、しかしカタナ使いの中でも、一目で異端と分かるだろう。
「師は背中のタチを含め、七本のカタナ全てを同時に使うわけではないのだ」
「………でもそれって意味ないよね?」
プロキオンが鋭いツッコミを入れる。
「それが……戦いの場面によって使い分けておられるのだ。基本的にはタチ一つで戦われる。だが、手強い敵が相手となると、六本の腰のカタナのうち、最も黒いモノをお使いになられる」
ジオンは腰に携えたカタナ全てに呼称を付けているという。
赤のカタナには“カグヅチ”
青のカタナには“ワタツミ”
緑のカタナには“ヤマヅミ”
白のカタナには“イザナギ”
紫のカタナは“イザナミ”
金のカタナが“アマテラス”
そして黒のカタナが“ツクヨミ”。
余談だが、何のこだわりかは知らないが、ジオンは“イザナミ”と“イザナギ”は同時に使うことが多いが、“カグヅチ”と“イザナミ”を同時には使いたがらないのだそう。
無論、呼称は背中のタチにも付けているが、他のものよりも長い“アメノミナカヌシ”と名づけている。これまた何のこだわりか、略す気はさらさらないのだという。
と、シェアトの師について話していると、程なくして使用人が呼びにきた。
「シェアト様、ジオン殿がお呼びでございます」
「分かった、すぐ行く」
シェアトはシリウスらを連れて私室を出る。そして再び訓練場へとやってきた。
訓練場のど真ん中にある円の中に、ジオンは立っていた。
「師匠、来ましたよ」
「………シリウスは?」
「はい、こちらに」
「うむ」
ジオンはシリウスをじっと見つめた。
灰色の瞳。暗闇である視界のどこでシリウスを“視認”しているのだろうか。
「“迷い”とは違うが、シリウス、君は何かを求めている」
「さぁ?オレには分からない」
ジオンは、「よいしょ」と地面に胡座を描くと、シェアトにも合図をする。
「まぁ座りなさい」
本来剣と剣、拳と拳が交わり合う場所の中心で、シリウスたちは座り込み互いの顔を見合う。
「何となくでいい。感じるか?」
右手で優しく地面に触れる。
「ここに幾度となく足を着き、手を突き、尻を突き、汗を流し、血を流した。その痕跡が、シリウス、君には感じるか?」
「……………あぁ、分かるよ」
「では、そのさらに奥に流れを感じるか?」
右掌を地面にピッタリと付ける。
「分かる」
「大きいか?」
問われ、シリウスは目を閉じる。
地中深くに意識を沈め、奥で蠢く脈に触れる。
「かなりな。でもケレスより小さい」
「——ほう?君は龍脈を知っているのかね?」
少しばかり驚くジオン。
そこにシリウスは付け加えて言った。
「堕ちたこともあるよ」
「では話が早い。弟子から聞いたと思うが、私はこの通り、目が見えない。生まれつきでね、如何なる術式でも、この病は治すことができない」
ジオンは自身の境遇を語った。だが、心なしかそれは誇っているように聞こえた。
「問おう、シリウス。君は戦いの場を感じているか?」
「戦いの場を、感じる………?」
シリウスは片眉を顰めた。
感じる。その言葉の意味は分かるが、ジオンの言葉を理解できない。
「どんな種族も、普段使わない器官は衰える。シリウス、君は今、蟲の羽音がどれだけ聞こえるかね?」
「む、蟲?」
「鳥の呼吸は聞こえるかね?」
「鳥!?」
「それが聞こえないのは、普段耳を使っていないからだ」
訳がわからなかった。
耳を使っていない?ではなぜ今、ジオンの声は聞こえているのか。
「聞いているのではない。それは、聞こえてしまっているのだよ」
「………」
「私のような人間は、視界を耳なんかで補ってやらなくてはならん。耳を使うとはそういうことだ」
「耳を、使う……」
シリウスはチラリとシェアトの方を見た。
ふるふると首を横に振るシェアト。弟子である彼女でさえ理解し難い世界のようだ。
「君は目が見える。それは大きなアドバンテージだ。だが、悲しいことに、君はそれらの器官を使おうとしたことがない。あるものだ、と勘違いしている」
「………そうか」
「術式も然り。聴きなさい」
言いたいことはわかるが、最後だけは分からなかった。
術式を聴く、とは?術式そのものに音など存在しないが……。
「せっかくいいモノを持っているんだ。使わなければ損だよ」
“見透かす鼻”、“嗅ぎ分ける瞳”。シリウスがオウガとの決闘に勝利し、獲得した能力。
これまでシリウスは、視える、匂う、としか思っていなかった。
大切なのは、視ようとすること、嗅ごうとすること。情報を受けてばかりでは鈍っていく一方だという。
「君の魔力は不安定な音がする。だが、それは悪いことじゃあない。燻っているような、伸び代を感じる“不安定”だ」
「………言われてみれば、そうかもしれない」
シリウスは自分の手を見た。握ったり開いたりを繰り返す。これに意味などないが、意識は別に、自身の魔力の深みまで沈めている。
自身の奥深くにある、蒼白い何かが、その表面がぐつぐつと沸きあがりそうだ。
たった今、それが少し勢いづいたような気がした。
——新たなるインスピレーション。シリウスに足りないのは刺激だ。
「さて、つまらん座学はここまでにしておこうか」
ジオンが立ち上がる。
掌を差し出すと、そこから五つの光が舞い始めた。
「精霊術をご存知かね?世界に二つ存在する霊術の一つ。精霊の血を引くものにしか扱えない術式だ」
死霊王ドラウグル・レイスが得意とする霊術。本来の呼称は“死霊術”という。
精霊術は、その死霊術と並ぶ二大霊術の一つだ。
両者をまとめて“霊術”と呼ぶが、最もポピュラーなのは死霊術の方であり、霊術といえばこちらを指すことが多い。
霊術の特徴として挙げられるのは、通常の術式と異なり、意思ある別のモノの力を借りて行使する術式であることだ。
死霊術ならば、死者の魂や負の感情などをトリガーに術式を発現する。
そして精霊術は——
「彼女らが力となる」
手のひらに浮かんだ小さな光。
この精霊の国に訪れる際に、ジークが無理やり境界線をこじ開けようとした時の話だ。
謎の言葉を呟くと現れた、小さな光と少女の笑い声。
それがまさに、今ジオンの掌の上で舞っていた。
「彼女らは最下級の精霊。属性の概念しか存在しない」
精霊術とは文字通り、精霊の力を借りて行使する術式のことだ。
「彼女らに命令するには少なくとも同じ精霊の血を持っていなければならない。だから精霊術を使える種族が限られているのだよ」
ではジオンはなぜ行使できるのか。
それはジオンが精霊の血を持っているからだ。
ジオンは人間と精霊の間に生まれた稀有な存在。本来生物学的にありえない奇跡の塊。その副作用とでもいうように、彼は生まれつき目が見えなかった。
今は亡き師から剣を教わり、母である精霊からは精霊術を伝授された。
「私の弟子は研究家でもあるんだ。精霊術の可能性を求め続けて辿り着いたのが——」
チラリと目配せする。
どこから取り出したのか、シェアトが持っていたのは、僅かに青みかかった透明な液体が入った瓶と、注射器。
「純精霊の血だ」
「ッ!?」
まさかこれを体内に入れると!?
「輸血の要領で、この瓶の中の血を全て注げば、理論上精霊術が行使できる」
条件として、使用する血液は純血の精霊から採らねばならないこと。一度に全て摂取すること。
ジオンのような精霊と他種族のハーフ、いわゆる混血に存在する精霊族の血の割合から導き出されたのが、この瓶一杯だという。
瓶はちょうど手に収まるくらいの大きさで、なみなみに注がれている。ざっと200ミリリットルは超えるだろう。
特に精霊族の血は嫌われる傾向にある。それが200ミリリットルも入れられたら、拒否反応は必須だという。最悪の場合死に至ることも。
検体が少なかった。シェアトはそう語る。理論値を求めようにも、混血があまりにも少なすぎた。
妖精族の混血はたくさんいるが、精霊との混血となると話は別だ。
摂取後も難しい。
無事摂取できたとして、必ずしも精霊術が行使できるようになるとは限らない。
それが、混血の、精霊族の血の割合を求めるときに出た“個人差”だ。
あくまで求められたのは理論値であり、万人に通用するわけではない。
シェアトにとってこの研究は賭けだ。
「命を危険に晒してまで君に摂取しろとは言わない。ただ、君には精霊術を知ってほしいと思っている」
精霊術は秘術とも言えるものだ。
それを血筋でもない者に他言することは、もはや禁忌に等しい。
「君なら、何か己の糧となるものを見出せるかもしれない」
そう言うと、ジオンはシリウスと対峙し、“カグヅチ”を抜いた。
ステータス
〈シリウス・ブラウ〉
・“嗅ぎ分ける瞳”
・“見透かす鼻”
〈シェアト・ヴァールハイト〉
・unknown
〈ジオン〉
・unknown




