第3話 あゝ、なんと時間の流れの早いことか
『時間というものは誰に対しても平等に与えられている』
そんな言葉を聞いたことがある。
それは実質的にはそうかもしれないが、感覚的な問題としては否定したい気持ちが強い。
さて、俺はなぜこんな哲学的なことを考えていたのか。
今日は早いものでエイム学園の入学式当日だ。
お分かりいただけるだろうか。
どうして、なんで、どうしよう、なんて悩んでいるうちに、もう入学式当日である。
あゝ、なんと時間の流れの早いことか。
ことここに至っては仕方がない。
現実逃避も程々に、半ば流されるように「もうなるようになーれ」と投げやりな気持ちでエイム学園の学徒にならんと登校している。(書類上ではもう生徒登録されている)
白シャツ、赤タイ、紺色のブレザーと、エイム学園生の象徴たる指定制服を着て歩く。何を想定してか、それは戦闘時にも着用できるほどに丈夫で、それでいて軽量な造りの一品だが、その反面俺の足取りは重い。
そうして歩く中でふと気付く。
ワクワク!春の新生活!
みたいな雰囲気を発していないからだろうか、周囲の視線を感じるのだ。
チラリと周囲を窺う。エイム学園への登校道程であるので、周りを歩くのも当然のようにほとんどがエイム学園生のようだ。皆同じブレザーを羽織っている。
そんな同じ制服に身を包む若者たちが、珍獣でも見るような、人によっては嫌悪すら滲ませた視線をこちらに突き刺していた。
確かに、自分の勝手で周囲の新生活への期待に水を差すのはあまり褒められたことではないかもしれない。そう思い、足取りだけでも意識して軽くしようかと考えたが、どうも注目の要因は別にあるらしい。
耳を澄ますと、ヒソヒソと「東洋がどうして」だの「あれ東洋かよ」だの聞こえてくる。
目の前で東洋式魔術使いが西洋式魔法使い養成学園の制服を着て歩いていれば、そう思う気持ちも分からなくはない。
しかし、どうして東洋式だとバレたのかと疑問に思うも、それはすぐに氷解した。
髪だ。髪の色が違う。
行き交う学園生たちは赤やら青やらカラフルな色に染まっている(おそらく地毛なのだろう)が、俺の髪は黒い。
東洋式魔術師の典型だ。
東洋式魔術師の扱う魔術とは、周囲に存在する自然魔力ーー"霊媒"に接続することにより発動させる類のものが多い。
"霊媒"の辞書的な意味としては、『超常の存在と人間との仲介人』だったはずだ。恐らくは現象としての魔術と、使用者である魔術師たる人間との仲介役となるところから名付けられたのだろう。
一方の西洋式魔法使いの用いる魔法は、自身の持つ保有魔力を使用して発動させるものだと聞いている。
それ故に扱う者たちの肉体的な構造も違うのだと言われ、髪の色はそれが特に顕著になったものとされるらしい。
そうして独りでに納得していたが、奇異とは言わないまでも、良い感情のこもっていない視線に晒されていると思った瞬間から、どうにも居心地が悪くなった。
重かった足取りは自然と早足になり、期待と喧騒に満ちたフレッシュ感溢れる雰囲気の中を、纏わりつくように向けられる視線を振りほどくかの如く、ひた歩いて行った。気分は相変わらず沈んだまま、むしろより憂鬱感が増したのは気付かないふりをした。
〜〜〜〜〜〜〜
さて通学路から場所は変わりエイム学園目前の一本道。
校門を通過する前から見えていたが、改めて相対するとその大きさに驚嘆する。
本校舎はさすがに"城"とまでは言わないも、大きな校舎が複数連結するような造りで建っているので思わず圧倒されてしまう。
確か第1館、第2館だったか、はたまた第1棟、第2棟だったか。
とにかく、複数の施設をその用途に合わせて使い分けるような教育カリキュラムが組まれているため、自然と建物の数が多くなり、そのぶん敷地も広大なものとなっている、とパンフレットに書かれていた記憶がある。敷地面積、教育内容や建物の多様さ、生徒の層の厚さなど、様々な要素が大学のキャンパスを彷彿とさせる。
そうして歩きながら、周囲の風景を観察していく。コンクリートで舗装された無骨な道が、校門をくぐってからは小洒落た石畳に変化しているところに、学園側の細かなこだわりを感じた。
しっかりと手入れが行き届いた、合理的に区画されすっきりとした道である。
しかし同時に、見渡す限りに新生活の象徴とも言える桜の樹を見つけられないことに、異国に飛ばされたような不安感を感じてしまう。
群れからはぐれた小動物はこんな気持ちだろうかと、くだらない感傷につい浸りそうになる。
ある程度歩くと、苛まれていた疎外感というか、孤独感も薄れてきた。というか慣れた。そんなタイミングで、簡素な立て看板に出くわす。
版面にはたった一文
"入学式場はこちらです"
飾り気も何もないその案内に従い、進行方向を微修正する。
確か、屋内実演棟と呼ばれる建物の大ホールが会場となっていたはず。
入学式にもかかわらず、保護者や来賓が参加不可な点を、母さんが訝しがっていたのをよく覚えている。その点については俺も疑問に思ったが、郷に入っては郷に従えと、未知な部分の多い文化であることを免罪符にするように、半ば以上流されていることはやはり否定できなかった。