大戦
恵子ちゃんが生まれて2年目の、ある冬のことでした。
その日は、昭和16年12月8日でした。
夫の帰りは常にないほど遅く、帰ってきたのはもうすぐ日が変わるころでした。
夫は、珍しく昂奮しているようでした。
「ついに米英と戦争になったぞ!」
開口一番、夫の言葉に姑と美代は呆然としていましたが、最初に平常心を取り戻したのは姑でした。
「あれまあ……新聞じゃあアメリカはずいぶん横着らしいことが書いてあってたけど、大陸の戦争もまだ終わらないのに大丈夫かねえ」
「大陸は連戦連勝だからそのうち終わるよ。それよりも、米英はジャンクしか使えない奴らとは、けた違いだからな」
夫は拳を握りしめ、珍しく興奮で震えていました。
「あなた……あなたも、行くんですか」
美代は軍人の妻として、心配な顔はしないよう頑張っていましたが、声の震えは隠せませんでした。
「まだ辞令は出ていないけど、いずれは行くだろうな。そのときは美代……恵子のこと、母さんのこと、頼んだぞ」
「……はい」
美代は不安を唇でかみしめ、小さな声で頷きました。
次の日の新聞は、米英と開戦した記事が一面に踊っていました。
姑も美代も、夫の話が嘘ではなかったことを実感しているようで、首を揃えて新聞記事を覗きこんでいました。
12月12日、米英との戦争は大東亜戦争と呼ばれることになりました。
日本軍の快進撃は凄まじいものでした。
年が明ける前にマレー半島の英軍を壊滅し、支那派遣軍は香港を占領しました。
夫は、マレー沖の海戦で航空部隊が英軍の戦艦、プリンス・オブ・ウェールズを沈めたことに衝撃を受けていました。
夫が言うには、これは飛行機が戦艦を沈めることができることを証明した大事件でした。
「これから、航空機の運用もだいぶ変わってくるだろうな。学生たちに教える戦術も変えていかなくちゃいけないな」
最新の戦訓を教育に反映させないといけないんだ、と夫は夕食のときに熱っぽく語っていました。
わたくしにはよくわかりませんが、そのために教育計画の作り直しが頻繁に行われ、教官は激務になっているようでした。
昭和17年になってからも、日本軍の進撃は止まりませんでした。
春までにシンガポールを占領し、インドネシアのオランダ軍を降伏させ、米国極東軍司令官のマッカーサー大将をフィリッピンから敗走させました。
そして5月には、フィリッピンを攻略しました。
姑は、戦線が拡大するにつれ、いつ夫が最前線の南の島へ送られるか、ひそかに心配していました。
もちろん海軍大尉の母ですから、外でそんなことは言えるわけもなく、もっぱら美代に愚痴をこぼしていました。
「あたしの旦那はね、欧州大戦のときに青島でドイツ人に殺されたんだよ。一粒種の義弘を残してね。お国のためだからしょうがないけど、あんまり遠くへ行って欲しくないねえ」
「わたし、昨日隣の奥さんに『あんたのところは百里でいいね、うちの宿六はニューギニアに行っちまったよ』て言われて……義弘さんも毎日頑張ってるのに……」
美代は、眼に少し涙を浮かべていました。
「言わしとくんだよ。義弘だっていつ行くかわからないんだから……」
恵子ちゃんが、わたくしを逆さ吊りにしたまま美代の脚にすり寄っていました。
「たーたん、泣いてる」
美代は恵子ちゃんに気づくと、慌てて涙を割烹着の袖で押さえました。
恵子ちゃんは言葉を覚え始めていました。
ちなみに、美代も姑も夫も同じ「たーたん」でした。