恵子
1年たって、女の子が生まれました。
夫はその子に恵子と名づけました。
人の縁に恵まれるようにと名付けられたそうです。
姑は、初めての孫をたいへん可愛がりました。
わたくしの知っている姑は、ずっとひとりで生きて、ひとりで亡くなりました。
ここまで運命が変わっているのですから、ふたつ目の願いである、ひとに幸せを与える力はわたくしに宿っているのでしょう。
美代は子供っぽさがだんだんなくなり、姑の指図を受け、助けを借りながら、家事と育児に忙しい日々を送っていました。
夫は百里基地から帰ってくると、まず恵子ちゃんの顔を見に行きました。
休みの日には、趣味が恵子ちゃんというぐらい、飽きもせず一日中顔を眺め、おむつを替え、あやしていました。
幸せという言葉は、この4人家族のためにあると思いました。
恵子ちゃんは、みるみるうちに育っていきました。
3カ月経つと自分で寝返りがうてるようになり、半年で這うようになりました。
這えば立て、立てば歩めの親心ということわざそのままに、家族は恵子ちゃんを中心に回っていました。
わたくしは、恵子ちゃんの最初のおもちゃになりました。
きっかけは夫のちょっとしたいたずらで、わたくしを恵子ちゃんに添い寝させたのが始まりでした。
わたくしは恵子ちゃんに気に入られたらしく、白無垢の袖をしゃぶられたり、角隠しを歯のない口でかじられたりしました。
おすわりができるようになると、わたくしは脚を持って振り回されたり、機嫌の悪い時には投げつけられたりしました。
それでも、恵子ちゃんが寝るときは、いつもわたくしが横に寝て見守っていました。
やがてつかまり立ちをし、歩けるようになると、恵子ちゃんの胸にはいつもわたくしがいるようになりました。
ご飯を食べる時も、お出かけをするときも一緒でした。
お妾さんのままじりじりとするよりは、恵子ちゃんと遊ぶ方がよほど気が晴れました。
生まれたての赤ん坊から、子供の顔に変わっていく恵子ちゃんを見て、わたくしは未来を想っていました。
恵子ちゃんもいずれは、わたくしと同じ白無垢を着ることになるでしょう。
そのとき、夫は微笑んでいるのでしょうか。
それとも泣いているのでしょうか。