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本を読むーー古典を読む


 本を読む、という事の基本は古典を読む事だと思っている。では、古典を読んで何が得られるのだろうか?

 何を見ても何を聞いても「得られるものは何か?」と考えるのが、現在の『信仰』なわけだが、本当に古典を、過去を知っていくとそういう考え方それ自体が、現在という時代を覆っている一つの思想にすぎない、と段々気付いていく。古典を読む事の意義の一つはそこにある。つまり、古典を読むとは、「古典を読んでそこから何が得られるのか?」という現代的発想を転倒させてくれる事にその意義があると思う。

 「専門的な書籍を別にすれば、読書は娯楽の一種ですので、どんな本を読んでもいいと思います。」

 「名作と誉れ高きドストエフスキーの小説は、セリフがやたら長くてまどろっこしいので、合わない人が無理して読む必要はありません」


 …現代では極めてよくある考え方だが、こんな言葉をヤフーの記事の一つに見つけた。非常によくある考え方だ。こういう功利的な考え方は、現在の中心的教義ーーセントラルドグマとして君臨している。こういうセントラルドグマに対して足をかけて、転ばせる事ができるという事、それ自体に本を読む意味があると自分は考える。

 人と話したり、人の意見を見て、確信したが、大抵の事には「世間的な物の見方」というのがあって、色々な差異とか、尖ったものは全てこの「世間的な物の見方」にうまく融合されていく。その方法は様々であるが「名作と誉れ高きドストエフスキーの小説は、セリフがやたら長くてまどろっこしいので、合わない人が無理して読む必要はありません」と記すのもその方法の一つだろう。まず最初に世間的な物の見方、セントラルドグマがあって、そこにドストエフスキーもシェイクスピアもニュートンも全部当てはめようとしていく。僕らが古典を読んで「どんな得になるのか?」と疑問を持つ時、その疑問には疑問を持たない。世間的な物の見方と融合している限り、その疑問に疑問を持つ意味がわからない。古典はそれを相対化させてくれる。

 では、古典を読む事で、現在のセントラルドグマを相対化して、それにどんな意義があるのか? ……人が僕にそう質問してきたら、どう答えればいいだろう。僕にとっては、そう質問する人が立っている場所自体が風景の一部に見えているが、彼にとって、それは彼の世界の全てであるから、彼にそれは見えない。海から出た事のない魚は海を知る事がない。知るとは差異の中にあり、「海」との対比物がなければ知る事は不可能だ。

 僕は、自分自身が時代遅れの、埋もれた化石魚としてーー次のように答えるだろう。自分の見た景色は、自分自身の立っている場所からしか見えない。そして今この場所に立っていない人にその風景を伝える事は不可能である。あなたには見えないものを僕が語る事はできない。あなたが風景の一部となっている世界を僕は見たーー古典を通じてーーという事を語るどんな言葉も存在しない。あなたが見ているものとはただ違うものを僕は見ている。そしてそれが「豊か」であるか「貧しい」のであるか、どちらなのか、それを計る物差しをあなたは持っていない。僕は自分の大きさを自分で測り、自分が「貧しい」と感じる。しかし、それはあくまでも自分の物差しで測っての話であり、世間並みの物差しで測っての事ではない。

 古典を読んで、精神世界が「豊富」になる、と信じている人はそう信じて走ればいいだろうが、もし仮に精神世界が豊富になったら、人々の目から自分の姿が見えなくなる事を覚悟しなければならない。何故なら、人は自分の認識範囲に従ってしか人を見ないからであり、物しか見えない人、数字しか見えない人、形式しか見えない人の間にあって精神豊富な人間は見える事がない。世間の物の見方は貧しいので、精神豊富な人間である事は、世間からすればーー差異としてーー貧しい存在に映るという事、また、物質的には本当に貧しくなる事を覚悟しなければならない。本を読み、自らが豊富になるとは、豊富でない世界にあっては貧しくなるという「墜落」の傾向を持っている。そういう覚悟をして、本を読む必要があるだろう。その事を知ると、本を読むのは娯楽であるとは思えなくなるだろう。そこまで行けば、そうした考えがいかに貧しい発想かというのが見えてくるが、それが見えた時には、彼は他言不可能の言語を持つ事になる。そして本当の豊かさはこの言語からのみ生まれてくるだろう。

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