ダムが出来たらしい
長いこと此処に住んできたが、此処にダムが出来るらしい。
此処数ヶ月はトラックという土や岩を多量に運ぶ自動車の類が走っている。
土煙が舞い、水が濁る。私としてはあまり嬉しくない話だ。
ただ、ダムというのは巨大な溜め池を作ることらしく、私の住処が拡大することが期待できるだろう。
その辺りについては良いことなのだが、偶にしか見なかった人間がわらわらと集まるようになってしまった。
仮設の展望台なるものが出来た為かもしれない。
まだまだ土を盛ったような形なだけで水も溜まっていないのだが、入れ替わり立ち代わり人が見に来るのだ。
これはあれかもしれない。
税なるものが正しく使われているか調べているのかもしれない。
恐らく、税なるものとは土を運ぶトラックや土を削ったり持ち上げたりする機械のことであろう。
あれらが正しく使われていないと、せっかく出来た溜め池が壊れてしまうかもしれないからな。
私は自身の慧眼に満足しながら川の上流へ向かった。
川の底には私専用の抜け穴をいくつも作っていたのに、変な支流を作られてしまった時に崩落してしまった。
大昔。
そう、もう三百年ほど前になるだろうか。
年のいった村人に見つかったことがあったが、大変な騒ぎになってしまった。
すぐに山の上にある池に逃げたので危険は無かったが、松明を持って無数に集まる人々には恐怖を覚えたものだった。
多分、私は河童と呼ばれる存在なのだろう。
良く川の近くに立っている看板を見ると、子供の絵で描かれた河童なる者の顔が描かれているのだ。
それを見ながら話している人の会話を聞くに、河童なる者は大変珍しい存在で、見たことのある者は殆ど居ないらしい。
ただ、水が汚くなると姿を隠してしまうらしく、河童が住める綺麗な川にしようということで河童の絵を描いた看板が立っているらしいのだ。
まさに、私のことでは無いか。
私は基本的に水の中にいるし、人が居ない上流や抜け穴の中で寝たりしている。
そして、最後に人に姿を見られたのももう遥か前である。
私が自分で自分の姿を見ることが出来れば良いのだが、私の姿は何にも映ることが無い。
姿を確認出来る鏡という物が捨てられていた時も、期待に胸を膨らませる私の気持ちに反し、鏡は私を映し出すことは無かった。
河童とはそういうものなんだろう。
私はぼんやりそんなことを考えながら川の中を漂い、夜の闇の中を彷徨った。
暗い森の中を上流へ上っていくのはとても楽しいのだが、ここ十数年はやけに人間が川の上流へ現れることが増えた。
魚を釣竿という道具で獲る狩猟の一種だ。
私の大好物の一匹であるアユという魚を狙う狩人達は丸一日川に張り付いていることもある。
そういう時はゆったりと下流の渓谷に下り、川の側に捨てられている大量のゴミを漁ってみる。
どうやら、ゴミというのは捨てるのが大変らしく、最近は此処に捨てに来る者も増えた。
嬉しい限りである。
川の中に捨てられると困るが、川の側に捨てられる場合は嬉しい。
時には本なども捨てられることがあり、長い年月を掛ける内に少し読めるようにもなった。
言葉というものは凄いもので、もやもやした曖昧な部分を的確に表現する言葉などを知る事が出来た時は素直に気分が良くなる。
その言葉がしっくりと馴染むというべきか。
そういった感覚を知ってからは、何とかして文字を読もうと努力している。
今日もそう思って、ゴミを漁る。
ダム作りをしている為下流にはいけなくなったし、上流へ上っていくのも限度がある。
私はゴミ捨場がダムよりも下流になくて良かったと染み染み思いながらゴミの山を眺めた。
タンスと呼ばれる箱を開けて見るが、中には何も無い。
テレビという家電製品もあるが、これが動いたのを未だ見たことがない。私には使えない道具である。
後は自転車という自動車に比べるとかなり小さな乗り物もあった。
と、自転車を持って地面に倒していると、雑誌という本があるのを見つけた。
私は喜んで自転車から手を離し、雑誌の方に歩み寄る。
その時、私の背後の方から物音がした。
「誰だ…?」
低い声がして、私は慌ててタンスの中に身を隠した。
何とか戸を両手で閉めようとするが、どうも上手くいかない。
ガタガタと音を立てながら力づくで閉めようとしていると、足音が近づいて来ていることに気がついた。
そして、私が息を潜めて身動きしないようにしていると、突然半開きになったタンスの戸の隙間から鋭く尖った棒が突き込まれ、私の頬に刺さった。
私は耳が痛くなる程の叫び声を上げてタンスから飛び出し、目の前で構えていた汚い格好の人間に飛びかかった。
「ひ、ひぁ…っ!?」
短い悲鳴が耳に届く頃には、私は汚い格好の人間を頭から丸呑みにして首の辺りで噛み千切っていた。
千切れた首の断面から軽く血を噴いてこちらに倒れてくる人間の身体を片手で押し退け、私は口の中にまだ残っている人間の頭部を噛み砕く。
分厚く、硬く、濃厚な味のする頭を咀嚼して、毛の部分を吐き出して他は飲み込んだ。
地面に倒れたまま身体を痙攣させる人間の身体を一瞥し、私は溜め息を吐いた。
味自体は悪くないが、体まで食べられるほど食欲旺盛では無い。
かといってこのままにしておくと大きな事件になってしまう。
事件になると報道陣とやらが来るらしい。新聞という本に書いてあった。
もしも私が囲い込み取材なる報道をされてしまうと大変な事態になるのは想像に難く無い。
どうしたものかと悩んだが、結局、私は頭を失った人間の身体の足を片手で掴んで川の中に引き摺り込んだ。
川の中で細かく分解して埋めれば大丈夫だろう。
数週間して、ゴミ捨場付近に今まで見た事が無いほどの人間が現れた。
カメラマンという人間もいる。
何が起きたのか分からないが、どうやら事件の為に集まっているのは間違い無い。
私は死体は間違いなく無難に処理したと思うが、もしかしたら何かの痕跡が残ってしまったのかもしれない。
とりあえず上流へ向けて避難をしていくと、上流の方でも多くの人間を見た。
困った。
仕方なく、私は抜け穴の一つに身を潜め、水の中から外を窺うことにする。
その日、報道陣は帰らなかった。
次の日、報道陣とは別の集団も現れた。動けそうに無い為、私は身を隠し続けた。
更に次の日、今度は服が皆違う集団も現れた。
その集団は、私の住処を知っているかのように川の中を探し始めた。
ついには、小さなカメラと呼ばれるものを水の中に入れて探し始め、私は恐怖と空腹に消耗していった。
見つかった。
私は半分寝ていたのだが、目を開けるとカメラという物が私を見ていたのだ。
深い抜け穴であり、抜け穴の奥に行けば森の中に出れる場所もあるが、これで私の存在は完全に露見してしまうだろう。
今ならば、かなり遠く抜け穴の中が暗い為にカメラもぼんやりとしか私を見えていないかもしれない。
そう期待していたのだが、カメラは依然としてそこから動こうとしなかった。
完全にバレてしまっている。
そう感じた私は、諦めて抜け穴から出ることにした。
そんなに沢山の人間はいないはずである。
腹も減っているし、仕方ないだろう。
そう決めた私は、魚を捕まえる時と同じほどの速度で抜け穴から飛び出た。
カメラを握り潰しながら水面か顔を出すと、川辺にいた三人の人間が恐怖に顔を痙攣らせるのが見える。
「う、うわぁ!?」
「な、なんだ、あれ!?」
「に、逃げろ!」
困ったことに、三人はそんな叫び声を上げると一目散に逃げ出してしまった。
何とか三人とも殺さないと、また私は追い立てられることになる。
そう思い、一番近くにいた人間の頭を丸呑みにして身体から引き千切った。
二人目は走って逃げる最中に転んでしまい、その表紙に腰も抜かしてしまったらしいので、頭を噛み潰した。
さあ、最後の一人だ。
私はそう思って道路と呼ばれる場所に出たのだが、その瞬間、私は大きな自動車にぶつかった。
身体が吹き飛び、木々に頭を強かに打ち付け、地面を転がる。
駄目だ。最後の一人だったのに、殺せそうに無い。
私は諦めて川へ逃げ出した。
これで、私の存在は広く知られてしまうことだろう。
囲い込み取材とやらも受けることになるかもしれない。
私は川の中に身を潜めて、徐々に上流へ泳いでいった。
後日、また服装がバラバラの人間は現れたが、恐れていた報道陣とかいう存在は現れなくなっていった。
ダムの方も少しずつ出来てきている。
どうやら、私は何とか生き延びたようだ。
そして、深夜に仮設展望台という所へ行って見ると、そこには新たな看板が立っていた。
ヘドラを見つけたら百万円とあった。
ヘドラというのは聞いた事が無い名前だが、もしかしたら私のことだろうか。
絵は河童の方が好きだったのだが。
工事中のダムを見に行きました。