第3話 レッスン
彼女にピアノを弾く様子はなかった。ただじっと、ピアノを見ていた。
「ピアノは・・・弾けるの?」
と言ってみた。話しかけたというよりは部屋全体に言葉を発してみたという感じである。ソファはピアノの真後ろにあり、彼女の顔は見えなかった。彼女は何の反応もなかった。人見知りなのかな。いっこうにピアノを弾き始める気配はない。初心者なのだろうか。たとえ初心者だとしても、ふつうテキトーに音を出してみたりはするだろうに・・・。
ドアが開いて、母さんが入ってきた。
「おまたせ〜、あら、栄也、ここにいたの?あぁ、彼女は新入生よ、あなたと同い年。籠愛ちゃんっていうの。なかよくしてあげなさいね。」
「あ、うん。」
かごめ。同い年?小学生じゃなかったのか。彼女は小柄だった。
レッスンがはじまる。
同い年?でも知らないから、違う学校の人なのかな。とか考えながら、彼女の奏でる、和音のない、単音だけのチューリップの歌に聞き入っていた。
彼女には足がなかった。両足がなかった。いや、ないというか、義足だった。義足なんて初めてみた。サイボーグみたいだと思った。彼女はズボンを履いていたので足首から下しか見えなかったが、明らかに人間の足ではない金属の板がカーブしているのだ。
「はい、じゃあ今日はこの辺にしておきましょうか。」
「ありがとうございました。」
「はい。お疲れ様。」
初日のレッスンは10分程度で終わり、かごめの華奢な手にはお菓子が渡された。このピアノ教室では、レッスンが終わるとお菓子が貰える。今日のお菓子は小さなチョコレートだった。彼女は嬉しそうに口に入れた。
かごめ母の迎えが来るまでは少し時間があるようだったので、3人で他愛ない会話を開始した。彼女が発するのは途切れ途切れの単語が多かったが、そこで彼女は病院付属の学校に通っていることが分かった。生徒は1人らしい。1人…?1人って…。寂しいだろうに。しかし、僕に同情なんてする権利があるのだろうか。
初めて会う、しかも両足のない女の子を相手に栄也は言葉を選ぶのに必死だった。
「あの・・・えいやくんって呼んでもいいですか?」
「ひょぇ?」
急にダイレクトメッセージが飛んできたので、びっくりしてな変な言葉が出た。
「あ、いいよいいよ、なんでもお好きにどうぞ!よろしくね、かごめちゃん!あ、いや、かごめでいいか・・・!」
「はい。」
彼女は笑ってくれた。純粋な笑顔というものを僕は久しぶりに見たかもしれない。いやもしかして僕は天使の笑顔にだまされてるだけなのか・・・?
どうやら迎えが来たようで、玄関で母親たちは長話をしている。笑い声は聞こえないので真面目な話をしているのかもしれない。誰もいなくなった部屋で栄也はただぼーっとピアノを眺めていた。