第1話 普通の日
僕は中学1年生、ピアノを弾くことが好きだ。今もピアノを弾いている。沢山の音を出せるところがいい。キーボードとかエレクトーンも弾いたことはあるけれど、やっぱり鍵盤は重い方がいい。先週、ピアノの発表会があって、そこで少しうまくいかなかったところを今練習中なのである。朝だけど。
「栄也!朝からピアノを弾くなって何度言ったら分かるの!?うるさいでしょう!?」
怒られた。母親に怒られるのはいつものことだ。
「分かった、今やめるから」
母親、川口峰子はピアノの先生で、僕の家はピアノ教室である。『さくらピアノ教室』という。僕の名字は川口だし、母の旧姓でも無く、土地名とも関係無いのに何故『さくら』なのかという疑問は昔からあったが、なんとなくまだ理由を聞いたことが無い。ピアノの蓋を閉め、
「行ってきまぁす!」
と言って家を出た。
腕時計に目をやる。4月20日の7時42分である。中学には入学したばかりなので、まだ部活動には入っていない。学校までは歩いて20分の道のりだが、途中にある架道橋のところで親友と待ち合わせをする。50分に待ち合わせなのだが、あいつは入学してから今のところ間に合ったことが無い。一応春なのだけれど、今日は少し寒かった。
「ワリィえいちゃん!行こうぜ!行こうぜ!」
いつもと同じ台詞で、いつもと同じ時間に彼は現れた。
「お前、いつも5分きっかり遅刻してくるよなぁ。」
「へへっ俺の座右の銘は5分後行動!だからな。」
2人は歩き出した、というか彼の到着の前に僕は歩き出していた。彼の名前は橋本太一、僕より10センチくらい背が高い。(まぁ、僕の背が低いだけなのだけれど。)彼とは小さいときから仲良しで、同じサッカーチームのメンバーだった。
「えいちゃんさ、やっぱサッカー部はハインネェの?やめちゃうのか?俺は一緒にサッカーやりてぇんだけどなぁ…。」
「うん…、やっぱ中学になるとさ、勉強もしなきゃだろうし、僕にはピアノがあるからさ。」
「いいよなぁ、かっこいいよなぁ、ピアノ。俺も弾けるようになりてぇ…!」
もちろん本当に弾けるようになりたいわけでは無いだろう。太一の会話は大抵『喋りたいだけ』なのである。
「あぁ、そうだ、俺朝練始まったらさ、多分朝一緒に行けなくなっちゃうだろうから、ごめんな!」
「ぁぁ、そうか、頑張ってね、朝練」
太一とは同じクラスだけれど、やっぱり新しい友達とか作らなきゃかなぁ。と言っても、中学のメンバーはほとんど小学校の頃のままなので、大抵の人は知り合いである。学年のクラスも約30人が2つある程度なので知らない人の方が珍しい。
8時10分のチャイムが鳴るギリギリで1年1組の教室に入れた。太一の方は教室に入る前にトイレに寄ってしまったので残念ながら『遅刻』である。担任の松谷先生はもう教室にいた。
「たぃちぃ、また遅刻かよぉ〜」
担任の本日第一声である。
「すみませんっちょっと荷物抱えたおばぁちゃんが居たので助けてたんです!」
「その嘘何回つく気だよ!」
教室のどこからかツッコミが入り、教室中が笑いに包まれる。太一はこういうキャラなのだ。そうしていつものように何事もなく、1日は始まった。