核シェルターの中のアイ
ついに核戦争が始まった。
テレビから敵国が核ミサイルを発射したとのニュースが流れると、男は急いで自宅の地下に建造しておいた核シェルターの中に逃げ込んだ。シェルターに持ち込んだテレビからは、しばらくの間、各地の被害状況や報復攻撃についての報道が流れていたが、やがて砂嵐状態になってしまった。おそらくテレビ局か電波塔が破壊されたのだろう。
男は備え付けのガイガーカウンターのスイッチを入れてみたが、放射線量を示す針はほとんど動かなかった。シェルターは問題なく動作している。そのことを確認してやっと一息つくことができた。
まったく、このシェルターは素晴らしいものだった。
数十センチに及ぶ鉛製の外壁は、核兵器の爆風にもびくともせず、放射線も通さない。
水や空気は、高性能浄化装置を通して安全なものが供給され続ける。
その装置を稼働させる自家発電機は超小型の原子炉を内蔵しており、数十年は稼働し続ける。
非常食は十年分もの量が貯蔵されている上に、水耕栽培で新鮮な野菜を育てることもできる。
医療面でも、AIによる診断装置と十分な医薬品が用意されている。
もちろんこれだけのシェルターであるがゆえに、建造費用も並大抵のものではなく、男は数十年間働いて貯めてきた貯金のほとんどを投じることになった。そのときは友人たちにさんざん馬鹿にされたものだったが、男の考えが正しかったことがついに証明されたのだと言える。あの時嘲笑してきた友人たちは今頃皆死んでしまったことだろう。それを思うと、不謹慎ながらもついつい憐れみと優越感を感じてしまうのだった。
自分の生命に危険がないことは確信できたが、今度は外の様子が気になってくる。テレビもラジオもインターネットもつながらないが、そのこと自体から、地上が甚大な被害を受けていることは想像できる。自分以外の人間がどのくらい生き残っているものか、不安になってくる。少なくともこのシェルターを買った人間は生き延びているのだろうが……
そこまで考えたところで、男はシェルターを購入する際に営業担当者からある機能についての説明を受けたことを思い出した。
なんでも、このシェルターにはシェルター間の通信を行う機能があるのだという。インターネット回線ではない独自のネットワークを利用して、各地のシェルター内にいる者同士がコミュニケーションを取ることができるというものだ。男はキャビネットからシェルターのマニュアルを取り出すと、さっそくその機能について調べ始めた。
マニュアルの手順に従い通信装置のスイッチを入れると、モニタの真っ黒な画面に「接続先検索中」という緑色の文字が浮かび上がる。他のシェルターの通信装置を検索しているのだ。
数秒後、モニタの中央にチャットウィンドウが立ち上がる。ウィンドウのタイトルバーには「ユーザ名:アイ (対話可能)」と表示されていた。
男は急いでメッセージ入力ボックスに文章を打ち込んだ。
「シェルターの購入者の方ですか? ご無事でしょうか? 」
小さな電子音とともに、すぐにメッセージが返ってくる。
「はい、そうです。アイといいます。こちらは無事です。そちらはいかがですか? 」
メッセージが返ってきたことに安心する。間違いなく、少なくとも一人は生きているのだ。
「はい、全く問題ありません。本当にこのシェルターはすごいものですね。私の名前は……」
* * * * *
数年前。核シェルターメーカーの開発会議の席上。
核シェルターの設計担当者が役員たちに対して新製品の説明を行っていた。
「以上のように、この新製品は利用者の身体的な健康を守るという面では申し分のない性能を持っています。しかしながら、モニター希望者によるテストでは、数日から数週間程度で精神的な不調を訴える被験者が続出する事態となりました」
「それはいったいなぜだね」
疑問を呈する役員に対して、担当者は大げさな身振りで説明を続ける。
「人間の精神はこのシェルターのような密室の中でひとりで生きていけるようにはできていません。必ず他者とのつながりを必要とするのです。仮に身体的な危険がない状態であっても、誰とも接触できない孤独な状態が続けば、精神的な問題が生じます。ましてや、実際にこのシェルターが利用されるのは、核戦争が起きた時です。核兵器の脅威から逃れてこのシェルターに立てこもり、他の人類がどうなったのかも、ここからいつ出られるのかもわからない。そのような不安な状態で孤立しては、とても長くは持ちません」
「もっともな話だが、それではどうするのだ」
「一種の通信装置を設置することにしました。他のシェルターの利用者とチャットができるというものです。これを使って相互にコミュニケーションを取ってもらえば、利用者の孤立感を和らげることが期待できると考えております。インターネットは核攻撃で破壊される可能性があるため、独自の回線を採用します」
「なるほどな、しかし、このシェルターは……」
言いよどむ役員の顔を見て、担当者はうなずき、後の言葉を引き取った。
「はい、このシェルターは極めて高額なため、多くの売り上げは見込めません。その少数の利用者も、あるいは最初の核攻撃で命を落とすかもしれません。場合によっては、通信装置のスイッチを入れても通信相手が誰もいない、そんな事態に陥る可能性もあります。そこでこの通信機は、起動後に通信相手を見つけることができなかった場合、AI――人工知能が代わりに受け答えを行うようにしております。シェルターの利用者がこの地球上にたったひとり残されてしまった場合でも、利用者はそれに気づかず生きていけるのです」
担当者は得意げな表情で続けた。
「人工知能の名前は『AI』から取って、『アイ』とします」




