大神官
かなりお待たせしてしまいました。申し訳ありません‼
1989年2月13日
この日、戦後最大とも言われる増収賄事件に対する検察首脳会議が行われ、同日、リクルート創業者の江副元会長らがNTT法違反で逮捕された。一方大阪市では区が再編成されて新たに中央区が完成した。そしてこの日、あるアパートに招かれざる客が訪れた。
「誰じゃ?こんな夜遅くに。妾に客人等は来ぬはずじゃが...」部屋の主である〈鬼姫〉は自分の部屋のインターホンが鳴った事に驚き、覗き穴から扉の前に立つ男を見る。そして恐る恐る扉を開けて、
「もしや、ネギか...?」と問うた。すると
「久方ぶりだな、イチコ。経過はどうだ?」青緑の目をした着物姿の男はそう言った。
※
2月14日
言わずと知れたバレンタインデーである。発祥地のヨーロッパでは愛の日とも呼ばれ、恋人に限らず、友人や家族への感謝を伝えるカードやお菓子を交換する。しかし日本は特殊で、女性が男性に対してチョコレートを送る日となっている。もちろんホワイトデーも日本にしかない。ただ、この日の起源となった聖バレンタインの業績を鑑みると、恋愛に直結する日本の方が原点に近いと言えよう。
ココナは朝からチョコレート販売のアルバイトをしていた。店先に商品を並べ、客に売る。今日は飛ぶように売れる、というわけにはいかない。できる女子はもっと前から準備をしているものだ。それでもココナは着実にさばき、その数を減らしていった。
「ハァー。」ココナはため息をついてタバコを一本取り出した。今は昼休憩、午前中に今日1日分のノルマを達成したココナだったが、今日は終日販売を続けるつもりだった。
ーーーーどうせ私には相手なんていませんよーだ。
ココナがその美貌でナンパでもすれば、なびかない男などいないというのに、それに気づかない彼女は、青春の真っ只中だったり、恋に夢中になっている女性特有のオーラにあてられて、やや心がささくれだっていた。
ーーーー何が『異性をオトす方法を教えてほしい』よ。そんなの私だって知りたいわよ。
自分が控えめにいっても美しいことはココナ自身自覚していたが、別にそれが恋人がいたり男性経験が豊富であるということに繋がったりするとは全く思っていない。現に自分がそうだからだ。今まで男性と1夜を過ごすどころか手を繋いだりしたことすらない。1歩踏み込んだ関係になった男女のあれこれなどココナには知るよしもないし、知りたくもないのだ。
ココナは口をすぼめて煙を吐き出した。煙は輪になってプカプカと停滞し、静かに霧散した。
「ん?」ココナはふと横を見た。そこには女の子が1人立っていた。ココナの姿に見とれていたらしい少女は、ココナがどうしたの、と聞く間もなく泣き出した。
「うわぁぁん!メイドさんがタバコを吸ってるよー!」ココナは今メイドのコスチュームを着ているのだ。コスプレというやつである。
「うぇっ!?」ココナは驚きすぎたせいで自分の手にタバコを押し付けてしまった。
「あッつぅ!」ココナは手が焼けるのを感じながら2度と人前でタバコは吸わないと誓った。
※
「お前は斥候としては最悪だな。」男性が呟いた。「俺より先に来て調べたのがたったこれだけとは。」
「なんじゃと!おぬし、そこにあるものが見えんのか!?」〈鬼姫〉は激怒した。男性の隣には、資料が山になっている。
「これはどれもこれも一般常識じゃないか。まぁ世間知らずのお前にはいい勉強になったろうがな。」彼はそう言って資料を1つ手に取り、身仕度を始めた。
「何処へ行くのじゃ?」
「明日はばれんたいんでーという日らしいじゃないか。それを使えば何か出来そうなのでな。」
「そうじゃ、気を付けろよ。もうこちらでは【惑星皇女】が目覚めておるぞ。」
「...なぜそれをこの報告書に書かんのだ。」彼はあきれ返ってしまった。これが前日の話である。その彼は今ココナと対峙していた。
「チョコレート1つ」
「お買い上げありがとうございます!」
互いにそれとは気づかぬまま別れた2人だったが、その後すぐに敵として対峙することとなる。
バイトも終わり、ココナは冬の街を1人寂しく歩いていた。遠い海の向こうでは、イスラム教の指導者がある小説家に死刑宣告をしたらしい。そんな暗い話題も彼らの耳には入っていないのだろう。ココナは目の前を歩くアベックを眺めながらそんなことを考えていた。
ーーーー全く、羨ましいですこと。
ココナは幸せそうな2人に殺気を送りながら、売れ残りでもらったチョコレートを口に入れた。
ーーーー....ん~?
その時感じた異物感を、ココナはフレーバーパウダーだと納得した。
「女郎蜂を使った、じゃと...。」〈鬼姫〉は戦慄した。女郎蜂とは彼女の故郷に生息する蜂のことで、その最大の特徴は生物の脳に寄生して成長することである。まず、幼虫が脳に寄生して成虫となる。この時点で宿主は脳を喰らい尽くされて死んでいるが、成虫となった女王蜂が脳を肩代わりするため、周囲に気づかれることはない。そして今度は血管などを伝わせて身体中に卵を植え付る。その過程で、宿主の肉体も女王蜂のそれに変わっていく。ここでやっと周囲が気づくのだが、こうなってしまうと〈鬼姫〉級の実力者が総出で駆除に取りかからねばならなくなる。この蜂の厄介なところは、簡単に広がることではなく、脳を喰らい尽くされても宿主の人格が維持されることにある。もし宿主の周囲の人間が寄生されていても、本人ですら気づくことができないのだ。最悪の場合寄生の有無を調べる過程で寄生され、二次災害を引き起こす可能性がある。だからこそ、人単位の寄生であれば村を、村ならば国を、国ならば惑星を滅ぼす必要があるのだ。さらに女王蜂の外見は、さながら羽の生えた女性といった具合なので、どうしても宿主の面影が残ってしまう。〈鬼姫〉もこの蜂のせいで親友を殺さなければならなくなった。その恐ろしさは身に染みてわかっている。それを兵器として使用した、と言うのだ。到底納得できるものではない。
「あぁ、そうだ。だが、遺伝子を操作して生殖能力は削いだ。これで大量の働き蜂が出来上がるというわけだ。」
「おぬしはあれを舐めすぎじゃ、あやつらは妾の知己の力〔空間侵食〕を取り込んでおるのじゃぞ。」そう、あれは大規模な討伐作戦の時、〈鬼姫〉とその親友は女郎蜂討伐数トップの座を争っていた。初めはほんの小さな異変だった。奥地にまでいくと、親友の空間に侵食する力が効かない個体が現れた。それは全て〈鬼姫〉が倒した。しかし、そこに空間侵食を使う個体が現れたことで疑惑が確信に変わった。女郎蜂は脳を喰らい尽くした後完全にコピーするため、宿主が使える能力は全て扱えるようになる。そしてそれを戦闘体制にはいった別の個体にも使用可能にできる。その時の親友の絶望に染まった顔は今でも忘れられない。
「お願い...あなたが、わたしを...」親友の最期の言葉も。
「お前には通用しなかったじゃないか。その程度の力だ。もちろん俺にも通用しない。あんなものは玩具だ。やろうと思えばすぐに駆除できる、そうだろう?」その言葉に〈鬼姫〉はただ力なく頷くことしかできなかった。
※
2月15日
ソ連がアフガニスタンからの撤退を完了したこの日、ココナは昨日に引き続いてチョコレートの販売をしていた。ココナはこのバイトが気に入った。歩合制なので売れば売るほど給料が上がる。ココナは翌日分の段ボールを持ってきた。
「ココナちゃん、そんなに働かれちゃったら在庫が切れちゃうわ。ちょっとくらい休んでいいのよ。」
「いえいえ、売り上げに貢献出来るときに貢献しとかないと。私がここで働くの今週だけですーーしっ!?」ココナは一瞬気が遠くなって倒れ込みそうになったがなんとか踏みとどまった。
「ちょっと、よろけてるじゃない。ココナちゃん、奥使っていいから、今日は休んだら?昨日もぶっ通しだったから疲れちゃったのよ。」
「そう、ですね。そうします。すみません。」ココナは休憩室のソファに横になった。そしてすぐに寝息をたてはじめた。
「不思議なものだな、空間そのものに伝染する女郎蜂に免疫抗体で応戦するとは。」男の声で目が覚めた。おかしい、この部屋は女性用の筈だ。そう思って目を開けると、昨日ココナがチョコレートを売った客が目の前にいた。その顔には警戒の色が見える。ココナが上体を起こすと、男は飛びのいた。
ーーーー敵!
ココナはそう直感した。だが店内で暴れるわけにはいかない。どうやってこいつを外に出そう。
「貴方、誰?何が目的?」取り敢えずココナは相手に質問をすることにした。
「先に、そちらから名乗るのが道理であろう?」
「そうね、私はココナ。貴方の名前は?」
「我は大神官が1人、ネギ。計画の邪魔である貴様を殺しに来た。」女郎蜂の空間侵食は諸刃の剣。どれだけ強靭な壁も意味をなさない強力な武器となる反面、殺虫剤の様なものが出来てしまえば、全ての個体に影響が及ぶ。
ーーーー抗体を、作らせるわけにはいかない。
男、〈禰宜〉はそう思った。既に何体か完成品を入手しているのだ。それを無駄にする気はない。
「成る程ね。じゃあ、捕まえてみなさい。」ココナは全力で跳躍した。ここからなら勝手口の方が近い。
ーーーーとりあえず外に出て...
しかし、既にそこには〈禰宜〉がいた。
ーーーーこいつ、速い!
ココナは跳躍の勢いで〈禰宜〉に飛び蹴りを喰らわせ、その反動を利用して距離をおいた。いったいどれだけの時間寝ていたのだろうか、外はもう暗い。
ーーーーこいつから逃げ切るのは無理、ならば!
ココナは階段をかけあがった。屋上には障害物もないし、人もいない。迎え撃つには最適の場所だ。屋上には既に〈禰宜〉が待ち構えていた。数匹の“蜂女”を連れて。
「シィィッ!」“蜂女”が迫る。ココナは腹を拳でぶち抜いた。すると
「何、これ...」ココナの腕が“蜂女”のそれに変わっていた。
「貴様は既に因子を持っている。ならば先に女郎蜂にしてしまえばいい。」〈禰宜〉が呟く。そうすれば脳の侵食も容易いと。
“蜂女”が迫ってくる。ココナは今度は蹴りを入れた。今度は足が変化している。思考にも靄が掛かるようになってきた。このままではヤバイ。
ーーーー変態!
その声とともに紅い閃光が辺りに走り、ココナは戦士となった。
「グウッ、ウゥッ」変身の瞬間に右腕と左足が吹き飛んだ。その代わり、靄が掛かっていた思考が鮮明になった。そしてすぐに腕と足も再生される。
「そうか」〈禰宜〉は納得したように呟いた。「貴様が【惑星の皇女】だったか。」
「何故それを知っているの?」ココナがそう問うた時、既に最後の“蜂女”がココナの背後から攻撃を仕掛けていた。ココナはすぐに反転して迎え撃とうとしたが、その瞬間。
ーーーー!!!
とてつもない悪寒がココナの背筋を襲った。それこそ、後ろから心臓を抜き取られる様を幻視するほどの。
「チィィィ...!!」ココナは慣性に無理やり逆らって後ろを向いた。そこには既に〈禰宜〉が攻撃の構えをとってをとって立っていた。
ーーーー避け、きれない!!
ココナは腕を十字にして衝撃に備えた。そこに〈禰宜〉の拳が迫る。その拳はココナの左腕を貫き、右腕の外骨格を粉々に砕いた。しかし、ココナも同時に〈禰宜〉のみぞおちにフルエネルギーの蹴りを入れていた。〈禰宜〉は吹き飛んだ。
ココナは後ろを振り返った。“蜂女”の攻撃も同時に来るはずだったのに、来なかった。見ると、降り下ろそうとした手刀を振り上げている。
ーーーー何やってるの?こいつ。
ココナはまだ動く右腕で首にチョップを入れた。もちろんエネルギーを込めて。“蜂女”は頭と胴体が別れたことに気づくまもなく爆散した。
ココナは背後の〈禰宜〉の様子を見た。みぞおちを押さえてはいるが全くの無傷だ。やはり、怪物。
「これは、誤算だった。まさかすべて壊されるとは。俺はお前が欲しくなったぞ。」そう言うと、〈禰宜〉はココナの前から姿を消した。
※
既に空が白み始めている。ココナは店に戻って起きたことを知らせようとした。
ーーーー店長、まだいるかしら?
いた。店じまいをしている。ココナが行くと、笑顔を見せてくれた。
「良かった、心配したのよ。ココナちゃん5時間くらいずっとうなされてたんだから。」
ーーーー5時間!?
そういえば夜が明けることなく少しずつ暗くなっている。店の時計は18時を示していた。その直後、屋上で大爆発がおき、警察も出動する大騒動となった。
「どうじゃった。」〈鬼姫〉がやっとの思いで絞り出した答えはそれだった。ここに来たのは侵略のため、そう言い聞かせても割りきれない部分があった。
「失敗だよ。【惑星皇女】に止められた。あいつ俺の〔加速〕についてきやがった。」そう聞いたとき、少しだけ安堵を漏らしてしまった。〈禰宜〉には気づかれなかったが、自分の感情に疑問をもった。
ーーーーもし成功していたら、妾はどうしていたのじゃろうか。
〈鬼姫〉がこの答えを知るのは、もっと後になってからである。
実は2月14日は私の誕生日なんです。だから気合いをいれて作りすぎてしまいました。
禰宜、というのは神社の司祭職のひとつで2番目に偉い人です。
次回「真っ赤なスカーフ」 お楽しみに!
※この作品はフィクションです。実在する人物、団体とは一切関係ありません。