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黒き風の皇女(おとめ)  作者: 吉田さゆか
邂逅 -1989-
2/14

天使を見た少女

誰かが君を狙っている。何かがやって来る。誰だ?誰だ?誰だっ!?

 


  1989年 1月7日、昭和天皇崩御



 もとより、御容態の悪化とともに日本全体に「自粛」ムードが漂ってはいたが、この後しばらくテレビからCMやバラエティの類いは消え失せ、年寄りの中には後追いしようとする者まで現れ、暗く思い空気が世間を支配することとなる。しかしながら、これは(さが)というべきか、人間娯楽を取り上げられるのは耐えられないものだ。面白くもない特番など見ない、といわんばかりに人々はレンタルビデオ店に群がり始めたのだった。



「いやぁ、今日はココナちゃんがいて助かった。」店長は心から礼を言った。


  神有月(かみありつき)ココナは所謂フリーターである。いつの頃からかこの街に現れ、一日の食事と寝床さえ面倒を見れば、その日中仕事を手伝ってくれる。しかも何をやらせても他人(ひと)より手際がいい。町内会では都市伝説のように語られていたが、彼女が街中の店を一巡してしまってからは最高のピンチヒッターとして誰がその日声をかけるかが決まっていたりする。ココナはとてつもなく神出鬼没なのだが、必ずその決まり通りに店を転々とすることになってしまう。町内会の情報網を舐めてはいけないのだ。


「いえいえ、こちらこそ。今晩お世話になるんですから、これくらいの事はしないと。」ココナの硝子玉のような瞳が細められる。





 ココナが風呂から上がると、新しい服がおいてあった。落ち着いた感じはするが、いかにも少女向けといった服だ。ココナはそれを苦笑しながらも遠慮なく着させてもらうことにした。今日のように忙しい日には、食事だけでは足りないだろうと色々ほかにももらったりする。なかでも多いのが服だ。ココナは断るようにしていたのだが、ある日風呂から上がると新しい服が着替えとしておかれ、着ていた服は無くなっていた。こうされると断りようがない。もしや捨てられたのでは?と思っていたのだが、次の家で綺麗に補修された服が帰ってきた。ココナはここで、「ココナちゃんシフト」なるものの存在を知ったのである。


「お風呂いただきました。あの、服わざわざ用意していただいて、ありがとうございます。」

「いいさ、うちに元からあったんだが、誰も着る奴ぁいないし。」店長が言う。


確かに、この家には女はココナしかいない。店長は10年ほど前に離婚しており、ビデオ屋は2人の息子と切り盛りしている。すると逆に、なぜ新品の服があるのだろうか、しかもこの服はどう見てもハイティーン向けだ。奥さんが持っていき忘れた服とも思えない。

  ココナはすぐに思い至った。何故なら、自分以外の女の’ニオイ’がしたからだ。


「娘さんがいらっしゃったんですか?」こう聞いて、ココナはしまったと思った。今いない、ということは 死んだ もしくは 離婚したときに離ればなれに暮らすことになった のどちらかになる。どちらにせよ嫌なことを思い出させることになる。



「失踪?」

「そうだ。」


  どうやら彼の娘は不良だったらしく、よく家に帰らなかったりしたらしい。失踪したことにもそのせいで気づくのが遅れてしまい、もうなにもかも遅かったようだ。


「その服は娘がまだ小さかった頃買ってやったんだ。『どうしても欲しい』って聞かなくてな。お前が着られるようになるまで何年もかかるぞって言ったら、『この服が似合うれでぃになるの』って言ったんだよ…。年恰好もココナちゃんにそっくりで、その服を着てると、娘が帰ってきたみたいだ。」店長はしんみりとして言う。涙が流れないところに、時の長さが伺えた。

その日は店長が飲み潰れるまで付き合った。ココナは見た目こそ14,15そこいらだが、結構イケるくちなのだ。





 深夜。

  ココナは飲み潰れた店長を布団まで運んでから、今日嗅いだ’ニオイ’のことを思い出していた。服からしたニオイは別の場所からもした。何年も前に出ていった人間のニオイではない。少なくとも数日前に'彼女'は帰っているはずだ。


「もしや…」


 ココナは2階の窓から音もなく飛び降りた。’ニオイ’が強いのはここである。家の中には入っていないようだ。’ニオイ’の後をたどる。だんだんとニオイが強くなってくる。いる。この先に。ただ、生きていることは期待できない。血の臭いが濃い。恐らく致死量である。ココナは街の外に足を踏み出した。


「これは…」


 そこにあったのは'彼女'だったであろう肉片とそれをむさぼり食う’怪物'。最も、その見た目は端正で美しく、怪物などと言う呼称はあまりに合わない。だが、ひとを喰らうそれは人間とは呼びがたい。少年のようでも少女のようでもあり、また青年のようでもある。眼球があるはずのところには黒い穴が空いている。そのないはずの瞳がこちらを見た。ゆっくりと立ち上がる。


「ダ、レ、ダ....?」

「名乗る必要があるのかしら?」ココナの硝子玉のような瞳が冷たい怒りに染まる。’怪物’に反応はない。いや、あった。肉体の様相が変わり始めた、人…女だ。女になろうとしている。


「させない!」ココナはこの隙を逃すまいと跳躍した。律儀に待つ気はない。倒せるときに倒す、こいつはここで倒さねばならぬ。


今宵は新月。辺りは暗く、ここは街外れで人も建物も少ない。少々本気になっても誰を巻き込む心配もない。ココナは頭をつかもうとした、が躱された。いつの間にできたのか、青緑色の瞳がココナを眠そうに、もとい生気のない目で見下ろしている。


「チィィ…ッ!」


ココナはすぐに反転してローキックを’怪物’の右膝に放った。右足は膝の下から千切れ飛び、’怪物’はバランスを崩した。そこに先程のローキックの勢いを殺さずにストレートを叩き込む。拳はできかけの乳房にめり込み、人間であれば心臓に当たる部分に大穴を開けた。だがそれでも’怪物’は動きを止めず、ココナの首を両手で締め付けてきた。首を引きちぎるつもりだったようだが、そう簡単にはいかない。怪物はお前だけではない。ココナもまた’化け物’なのだ。


「くッ…モトォ!」


ココナの声に呼応するように、一台のバイクが迫ってきて’怪物’をはね飛ばす。’怪物’は数m飛ばされて頭から落ちた。



’怪物’はピクリとも動かない。ココナは念のためにトドメを指しておこうと近づいた。


ーーーーでも、本当に人そっくり。


乳首がなかったり、背中に翼らしきものがある以外はどこをどう見ても人である。関心の眼差しを顔に向けたココナは警戒した。目が生気を失っていなかったのである。


「まだ生きて…」「…シテ」微かな声が聞こえる。'怪物'は生気を失っていなかったのではなく、”正気を取り戻した”のであった。


「…エシテ…ワタシノ…フク…カエシテ…」’怪物’、いや’彼女’はどうやら肉を食われると共に意識まで取り込まれていたようだ。目には涙がたまっている。朦朧とした意識のなか、自分がおいていった服を着たココナに訴えてかけているのだ。


「返シテ…ワタシの…服…返して…」


首の骨がおれているのか、起き上がろうともせずにじっとココナを見つめている。だがココナにはもうどうしようもないことはわかっていた。体液が一切出なかったので失血死はしないだろうが、かなり衰弱している。そうしている間に、’彼女’の瞳から光が消えた。





神有月ココナが都市伝説のように語られたことには理由がある。ココナは朝誰よりも早く起き、片付けをして誰かが起きる前に出ていく。店の主人が朝起きると件の少女はなんの痕跡も残さず煙のように消えているのだから、妖精か何かのように感じてもおかしくない。ココナの人形のように整いすぎた容姿もそこに一役買っている。だからこそビデオ屋の店長は驚いた。朝起きるとココナが台所で朝御飯を作っていたのだ。


「あれ、ココナちゃん?」

「あ、おはようございます。」

「今日もうちで働くのかい?まぁ岬さんとこは今日も営業自粛だろうが…」

「いえ、これをお渡ししたくて。」ココナは十字架(クロス)のペンダントを差し出した。店長の目が見開かれる。

「これは…!ココナちゃん、一体、これ、どこで…?」

「昨日店長が寝たあと、女性が訪ねてきたんです。この服を着た私に驚いた様子でしたが、『わたしは元気にやってるから、って父さんに伝えといて』と言われたので、どなたですかって聞いたら、『これを見せたらわかる』と。昨日のお話の娘さんだと思います。」ココナは嘘をついた。’彼女’は幸せとは程遠い最期を迎えたのだ。

「そう、か…。あいつ、元気でやってるか…。」店長の頬を涙が伝う。ココナは胸が張り裂けそうになった。自分は救えなかったのだということを、嫌でも感じてしまう。


ココナがこの街を出発しようと考えている、と言うと、店長はペンダントを握らせてくれた。

「こいつはきっと娘を守ってくれたんだ。ココナちゃんも町のみんなの娘みたいなもんだ。こいつを持っていってくれないか。」と言って。その言葉がココナの心を強く抉った。



ココナは外に止めてあったバイクに跨がった。あのペンダントは’怪物’の体内から見つかった。あのあと、怪物の身体は自然発火を始め、すべてが灰になって風に紛れた。そこにこれだけが燃え残っていたのである。なにか大事なものなのだろうと、持ち帰ってきたが、渡し方を間違えたようだ。かといって、事実を話す気にはなれなかった。ペンダントを首にかけると、ココナは朝霧の中に消えた。





街外れの採石上近くに教会がある。村長(むらおさ)神父はここで週に一度、聖書の朗読を行う。子供たちはよくソンチョーさんと彼のことを呼んでからかう。はじめは嫌だったが、それももう慣れた。前はからかいに来るだけだった子供たちも、朗読を聞きに来るようになった。その子供たちに混じって、見た目のわりに言動の幼い女性が熱心にムラオサの話を聞いていた。幼さのわけは子供たちが教えてくれた。


「このお姉ちゃん、悪いお薬で頭がおかしくなっちゃったんだって。」


一部の違法薬物には脳を萎縮させるものがある、と昔聞いたことがあった。

ムラオサは祈りを捧げる彼女に聞いた。なぜそんなに熱心に祈るのか、と。


「あのね、わたし、天使様をみたの!だから神様におねがいするの。天使様にまたあえますようにって。」


天使などこの世にはいない。聖職者としてどうかと思うが、ムラオサは神の存在を信じていない。もちろん、天使もだ。ただ、その存在が人々を救う柱となるなら、そう考えている。


ーーーーこの女性は、主に救われたのだな


きっと彼女はクスリの副作用で天使の幻影をみたのだ。聞いてみればその後クスリはきっぱりとやめたと言うではないか。違法薬物をやめるのは難しい、そのための施設が存在するほどに。きっと彼女はその天使の幻影を心の支えにして重い禁断症状に耐え続けたのだ。8割方妄想ではあるが、おそらくそれが真実だろう。

ムラオサは知り合いのいる修道院に連絡をして、シスター服を用意してもらった。無理強いは決してしない、ただもし、彼女が断らないのであれば、教会で引き取ろうと考えて。しかしその日、彼女は来なかった。その翌日、早朝に訪問者があった。懺悔をしたい、と。少女の声だった。

懺悔には色々な決まりがある。ひとつは顔を見てはいけない、というものだ。この教会にはムラオサしかいないので、懺悔する際はインターホンを鳴らしてその旨を伝え、専用の入り口から入ってもらうようにしている。



ムラオサは席につくと、祈りの文句が書かれた紙を隙間からついたての向こうへ送った。懺悔室にはついたてがあり、相手が見えないようになっている。勿論、こちら側も見えない。

ついたての向こうの人物は少女の声で祈りの文句を読み上げたあと、懺悔を始めた。その話は、ムラオサの耳を疑うようなものだった。


「私は天使を殺しました。でも遅かった。私には一人の女性を助け出すことが出来なかったんです。」


’少女’は隙間からペンダントを見せた。’彼女’のものだった。

今回が初投稿になります。よろしくお願いします!

『なろう』ではこういった感じはあまりないのでは?と思って現実世界系にしてみました。

当方、80年代が大好きなのですが、当時はまだ産まれていなかったもので伝聞程度の知識しかありません。また、世間知らずなもので、町の集まりなどの近所付き合いの類いもよくわかりません。

なので当時を知っていらっしゃる読者様がいらっしゃいましたら、コメントのところに当時の思い出や間違いのご指摘などをお願いします。

※この小説はフィクションです。実在する人物団体とは一切関係ありません。

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