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黒き風の皇女(おとめ)  作者: 吉田さゆか
邂逅 -1989-
10/14

御使い

またまた遅れてしまって申し訳ありません!

かなり長いです、ご注意ください。

「ライセンスを拝見致します。....最高司令室直属執行部次席様、参謀様、お帰りなさいませ。メッセージが一件届いております。」

『よくぞ戻った。先日の件だが、私が放った下位種シモベとも連絡がつかない。というわけで次は私も同行する。君達は私が出発の準備を整えるまでゆっくり羽根を伸ばすといい。用件は以上だ。』

「ぬしはどうする?」〈鬼姫〉は〈禰宜〉に問うた。

「どうせ、俺はやることがない。あんたについていくよ。それに、1人にしていると危なっかしいからな。」

「妾は(わらべ)か!?」そう言って〈鬼姫〉はキッと〈禰宜〉を睨み付けてからその場を立ち去った。取り残された〈禰宜〉は受付嬢を眺めていた。


ーーーー一体、こちらとあちらでは何が違うというのだ...


この受付嬢も下位種なのだ。本来下位種は仮初めの肉体に精神プログラムを落とし込んだもので、このような機密に近い場所や、公共の場などの常時稼働する必要のある部署に重宝される。日本(むこう)で言う所の人工知能に相当するものだ。基本的に接客業は不可能で、事務的な作業や、何度も同じ工程を繰り返し続けなければならない仕事を行う。但し、高度な精神付与(プログラミング)を施された個体はその限りではなく、〈禰宜〉が昔見た中でももっとも優れたものは、表現力が売りの舞台女優として活躍していた。会って話してみてもなんの違和感もなく、人格や感情があるとしか思えなかった。

今現在流入を中止している諜報用のものは、構造を複雑化、命令を簡略化する事によって、宿主に寄生して命令式を組み込むことに特化しており、これによってどうしても高度な精神付与を必要としてしまう対人的な行動であるスパイ活動を、低コストかつ高水準で行うことを可能としている。また、最大の特徴は宿主の人格を全く弄らない所であり、これによって宿主の自由意思を尊重したまま情報提供だけを義務付け、人為的に「善意の協力者」を増やすことを可能にする。洗脳などの人格を破壊する操作を行わない分、起こりうる最大の被害は新興宗教の誕生程度で発覚の恐れも限りなく低く、解除も簡単で非常に人道的である。ちなみに、この宿主の人格云々は〈禰宜〉の女郎蜂(オミナベシ)の研究成果によるものが大きく、女郎蜂の知識について彼の右に出るものはいない。だからこそ彼はココナによって女郎蜂が殲滅されるのを阻止しようとしたし、今回の“怪人”の誕生にいち早く疑問を抱いたのだ。そもそも女郎蜂を使ったのも日本人に対してどのような作用が起こりうるかを検証するためだ。結果は言わずもがな、通常通りの変化をもたらしただけであった。


ーーーー我々と同じ能力(ちから)に目覚めたり、守護霊の様なものを身に纏うようになったという報告は受けているが...


姿を変え、知能まで著しく低下させるなどは聞いたことがない。ましてやどう見ても社会に溶け込むのに相応しくない醜悪な姿になど。


ーーーー栓なきことだ。


〈禰宜〉はそう思った。恐らく原因はあちら側。ならば今の圧倒的に情報が足りない現状ではあれこれと考えることは時間の無駄でしかない。〈禰宜〉は受付嬢に15°程の会釈をして、その部屋を後にした。





ココナはバイクを走らせていた。モトは今日も快調である。試しに最高速度を出そうかとも思ったが、そんな速度を出せば大惨事になる。モトもゆったりとしたツーリングを気に入っているようで、文句ひとつ言わずにココナを乗せてくれている。と、その横を車、スポーツカーだろうか、が猛スピードで駆け抜けていった。

「うっわ、何よあの車、制限速度を守りなさいっての。絶対事故起こすわよ。」


ーーーー私達でさえちゃんとゆっくり走っているのに、音速すら出せないポンコツが調子にのって...!


その車はココナのすぐ前で派手な事故を起こした。車は大破したが、モトは飛び散る破片を避けて音もなく止まった。

「ほぉら言わんこっちゃない。」ココナは呆れ顔で救助に向かった、だが...

ピーポーピーポー

いきなり現れた救急車にそれを阻まれた。彼らは迅速な救助を行った。ココナは救助隊員に追い出され、そこはすぐに車の残骸だけになってしまった。しかし、救助隊はあり得ないほど早く来たのに、警察はいつ来るのだろうか。今度は遅すぎる。近くのボックスで電話を掛けようとして、ココナは躊躇った。


ーーーーそう言えば、この場で一番警察に見つかるといけないのは私...


ココナ自身素性もはっきりしていないし、モトは改造バイクに当たる可能性が極めて高い。何日も拘留される訳にはいかないし、モトを没収されるなどあってはならない。ただ、そのままにするのもいけないので、現場から少し遠い公衆電話で通報してその場を去った。


「はぁ、あのあとどうなったんだろう?」ココナはバーカウンターでため息をついた。車はどう見ても大破していた。事故を起こした運転手からの賠償がちゃんと行われるのか心配だった。

「さっきはどうしてあそこから立ち去ったの?なにか後ろ暗いことでもあるのかしら?」ココナは振り向いた。底にはスーツ姿の女性が立っていた。女性はココナのとなりに座るとカクテルを注文した。その様は、まさに仕事帰りのOLといった感じだった。


ーーーー真っ昼間からお酒って...一体何者なのかしら、私を追いかけてきたってことよね。


「記者?社会部の?」

「そ。私は夛田(ただ)(ひとみ)。あなたは?」ヒトミはココナに名刺を渡した。

「私はココナ、神有月ココナよ。」

「なぁに、それ?変な名前。出身は出雲の辺りなのかしら。」

「どうして、そう思うの?」ココナは、まさかこの女は自分の過去を知っているのだろうか、と思った。

「どうしてって...あなたの名字、神有月って言うんでしょ?暦で神有月を使うのは出雲の辺りだけだもの。」

「なんだ、そういうこと。」ココナはガッカリした、しかしそれと同時にいいことを聞いたと思った。


ーーーー出雲、か...まだ行ってなかったわね。今度行ってみようかしら


「でさ、ココナ、だっけ?あなたはあの事故に関係ないのよね。」

「もちろん!まさか、私何か疑われてるの?」

「そりゃ、あの暴走車の後を同じ速度で走ってたら誰でも疑うわよ。」実はあの時、ココナの怒りに反応してモトは無意識にスピードを上げていた。無意識がゆえに、2人とも気づかなかったが。


ーーーーじゃあ私もスピード違反してたんだ。あそこに残らなくて正解ね。


ココナは安堵しつつ、1つの疑問をヒトミに投げかけた。

「あの事故に裏があるってこと?だってそうじゃなきゃ何かを疑うことそのものが変だもの。」

「鋭いわねぇ、でも惜しいわ。怪しいのは事故そのものじゃなくて、救急車の方。」ヒトミによれば、最近静岡県内で失踪事件が発生しているらしい。

「失踪、と言うより、ほとんど誘拐ね。どの失踪者も最後に目撃されたのが、事故に巻き込まれて救急車に運び込まれるところなのよ。犯人の目的も不明、事故現場からの失踪ってこと以外に共通点も皆無だから、警察も人員を割けないの。中には悪質ないたずらとしか思っていない人もいるし。」

「成る程ね。で、どうして私にその話を?」ココナがそう言うと、ヒトミは先程の名刺を指差した。

「ここに私のポケベルの番号が書いてあるから、もしまた例の救急車を見かけたら連絡頂戴。それじゃあね。」そう言うとヒトミは立ち去った。代金を払わずに。


ーーーーそう、こっち持ちってわけ。


ココナは青筋を浮かべながら代金を支払ってバーを後にした。





「なん、じゃと...」〈鬼姫〉はその場に膝をついた。〈禰宜〉はついてきて正解だったと思った。女郎蜂に汚染されると、駆除に成功しても限りなく脳死に近いほどの後遺症が残る。厄介なのは、精神が死んでいるわけではないと言うこと。精神生命体である彼らにとって、脳死、つまり精神の死以外は死とは呼べない。だからこそ処理を行うこともできない。安楽死の制度もあるにはあるが、本人の了解を必要としているため、この場合は適用出来ない。数週間前、ここで息を引き取った女性は〈鬼姫〉の親友であり、女郎蜂の影響である病に侵されていた。その病は精神の回復というありもしない希望をちらつかせ、幾多の人々を破滅させてきた。誰が呼んだか「絶望病」、その病は〈鬼姫〉の神通力でも治癒は不可能で、たしか原因は彼女の〔空間侵食〕の影響で女郎蜂に精神がとらわれてしまっていたからのはずだ。だからこそココナの抗体生成を全力で阻止しようとしたのだが...


ーーーー待てよ、それならば...


「イチコ、あんたのその力、今なら使えるかもしれんぞ。」〈禰宜〉は〈鬼姫〉にそう言った。女郎蜂とともに彼女は死んでしまったが、いや、死んでしまったからこそ、あんたの力が使える、と。

「そう、か。そうじゃな。皆、この部屋より往ぬのじゃ。妾はこれより〔口寄せ〕を行う。」〈鬼姫〉はそう言った。しかしそれを〈禰宜〉が止めた。

「今使えるからといって、今使っていいとは言っていない。あんたが彼女にその力を使えば、20年は眠り続けることになるだろう?それは許可できない。下位種の量産が叶わなくなるからな。俺たちに許された休暇は数日だ。その中でできることならば俺は全力で力を貸すが、これは違う。」〈禰宜〉は冷たく言い放った。しかしこうも言った。「親友を早く蘇らせたかったら、早く仕事を終わらせてしまえば良い」と。

「...その通りじゃ。妾にはやらねばならぬことが先にあった。それを済ませてからでも遅くはない。待っておれ知己(とも)よ。妾はすぐにお主の目を覚ましてやるからの。」〈鬼姫〉は覚悟を決め直した眼差しでその場を去った。

昔この世界に降り立った〈始まりの人々〉。異世界との衝突を予言し、彼ら自身も衝突した異世界から現れた。そして様々な奇跡を引き起こし、人々に崇められていった。〈鬼姫〉はその子孫の1人であり、彼女の〔口寄せ〕、死者すらも呼び寄せられる召喚の力もその奇跡の1つである。本来のそれとは原理が違うものの、出来ることになんの変わりもない。だからこそ彼女は自分の自治領を持っているのだ。しかし〈禰宜〉はその力を羨ましいとは思わない、むしろ悲しいように感じた。どれだけ救いたくとも、救える数には限りがある。自領の民が死んでいくのを救う力があるのに黙って見守ることしか出来ないのはさぞ辛かろう、と。





ココナはその夜、件の救急車を目撃した。そして追跡を開始した。ヒトミに連絡を取るためには、公衆電話を探さなければならない。もし道中にあっても、電話をかけている間に見失ってしまう。だからこそ、この救急車がどこへ向かうのか、それを見届けてから連絡を取るのがよい、と考えたのである。しかし、ココナの目論見は失敗に終わった。ココナの尾行は突然沿道から倒れてきた木に阻まれたのである。

「んなぁッ!!」モトも咄嗟には避けきれず、ココナは前につんのめって投げ出された。

体勢を立て直したココナの前には直立二足歩行を行うトカゲがいた。その爬虫人類然とした風貌はまさしく“蜥蜴男”だ。ココナはすぐさま距離を取った。


ーーーー変態(へんしん)!!


紅い閃光が走り、ココナは戦うための姿へとその容貌を変える。そして、現状を整理した。一見すると、〈天使〉が組織ばった行動を行っているように感じられたからである。


ーーーー私が救急車を追いかけようとしたら“蜥蜴男(こいつ)”が現れた。ということは偽救急車(このけん)と〈天使(やつら)〉に関係があるということ?それとも、只の偶然?


もしも関係があるというのであれば、首謀者はある程度病院関係あるいは国家レベルの事物に影響を及ぼせて、更にこのような生体兵器を生み出せるほどの知識と技術を兼ね備えているということになる。


ーーーーやはり神坂奏人...でもそれにしては杜撰で地味ね。


ココナが知っているだけでも、神坂奏人という人物は個人で国際連合と密約を交わせるほどの危険人物(じつりょくしゃ)であり、もしその技術を平和利用すれば、人類が今現在抱えている全ての国際的な問題、課題を解決できるとまで言われている。そんな人間がこんなところで人さらいなどするだろうか、発展途上国の孤児を連れてきた方が足もつきにくいのに?


ーーーーあり得ない、〈天使(やつら)〉と偽救急車は背後(バック)が別だと考える方が自然ね。


何であれ、目の前の“蜥蜴男”は倒す必要がある。ココナは跳躍して“蜥蜴男”との距離を詰めた。対する“蜥蜴男”は腰をひねり、ココナを尻尾で薙いだ。ココナはそれをもろに喰らったが、尻尾をガッチリとつかんだので吹き飛ばされずにすんだ。そしてそのまま背中から手刀を差し入れてエネルギーを流し込もうと思ったのだが、

シィーッ!シィーッ!

“蜥蜴男”は威嚇音を出しながら尻尾を切り落とし、一目散に逃げ出した。その様子をココナは呆然と眺めていた。体勢を建て直して向かってくると考えたからだ。しかし、“蜥蜴男”はそんなことはしなかった。見ると救急車はもうすでにいなくなってしまっている。


ーーーー足止めをしていた?ということは、やっぱり関連性があるのかしら。


ココナは一応先程の事をヒトミに知らせようと思った。なので一度電話をかけヒトミに連絡を取った。2人は後日会うことになった。





「ごめんなさい、急に仕事で横浜に取材行かなきゃいけなくなっちゃって...」ヒトミは席についてすぐそう言った。本当は翌々日に会うはずだったのだが、ココナが約束の店に向かうと、今日は急な予定が入ってこれないので明日また来てほしい、という伝言を受けた。それから4日間、ココナは毎日店に通ったのだが結局ヒトミはおらず、今日もいなかったので帰ろうとしたときにやっと姿を表したのだ。言葉とは裏腹に、ヒトミに悪びれるようすは全くない。

「忙しいものは仕方がないわよ。電話では話せない内容だからって直接会うことにこだわったのは私なんだから。待つのは当然よ。」この言葉に嘘偽りは無いが、ココナの目は全く笑っていなかった。まぁ、初対面で代金を肩代わりさせられた挙げ句、約束を4日も先のばしにしたくせに伝言があったのは1日目だけだったのだから、そう簡単に納得できることではない。ただ、ココナも大人だ。今からする話に必要のないことを言って、長引かせるつもりは毛頭ない。人命がかかっているのだ。もしかしたらまだ救えるかもしれない。


 ーーーーそれに、頼みたいこともあるしね。


 ココナはまず、一連の事件にある生物兵器が関わっていること、そしてそれを自分が追っていることなどを伝えた。要所要所はぼかしてだが、それを作り出した人物は自分と少なからず関係があるかもしれないとも言った。

「私は奴らを〈天使〉って呼んでるわ。」そう言った途端、ヒトミの表情が険しくなった。先程までのおちゃらけた雰囲気が消え、冷徹で鋭いものになる。視線も刺すように冷たい。しかし、それもほんの一瞬。すぐにもとの昼行灯に戻った。

「どうして、そんな呼び名を?」それでも声からは底冷えするようなものを感じる。


 ーーーーなにか訳ありね。


 恐らくヒトミはこう見えて感情を隠すのに長けている。先程の表情の切り替えも、ほとんどの人間は気づかないほどすぐに行われた。声だってかなり感情が押さえられている。それでもこう顕著に、それこそ鈍感な人間でも腰を抜かしそうな程の冷徹な殺気がその身からあふれ出ている。ココナも恐怖こそしなかったが、“蝉男”の針をまた刺されたと錯覚するほどの寒気を感じた。

「か、簡単な話よ。初めて見た個体の背中に羽根が生えていたってだけ。そのあとに出くわしたのは全部全然違ったけど。今回のだって、トカゲだったもの。」

「そいつらの目の色は?」殺気が強くなる。先程まで聞こえていたピアノの音や小さな話し声ですら笑顔で静かに問い詰めるヒトミの雰囲気に飲まれて途絶えてしまった。

「目!?え、ええとね、確か、緑色だったはず。正確に言うなら、ペイルグリーン?」

「そ。」その声と共に広がっていた殺気がプツリと消え、また店内の時間が進み始めた。ココナも安堵した。「私が追っているモノとは別件ね。それで?私に何をしてほしいわけ?だってそんなこと、ただで教える訳がないもの。」

「鋭いわね。貴女にお願いしたいのは、車で...あ」ココナはヒトミの手元を見た。その手には飲みかけのカクテルが握られていた。

「ああ、これ?大丈夫よ。私はこれくらいで酔っぱらったりなんかしないわ。」ヒトミはそう言ったが、作戦の決行は明日ということになった。



 ※



 〈禰宜〉は〈鬼姫〉の帰郷に同行していた。彼女の故郷には、この世界の原住民の子孫が多くいる。皆朗らかで温厚な性格だ。それは、文化も思想も、果ては(よりどころ)すらも違う〈始まりの人々〉を受け入れたという歴史からも明らかだろう。彼らは肉体に依存しているから、肉体が死ねば精神も消え果てる。対して、〈鬼姫〉達のような〈始まりの人々〉の家系は精神生命体であり、肉体の損壊なども特に問題にはならないし、環境への適応能力も極めて高い。彼らは受け入れてくれた礼にと原住民を精神生命体にすることを提案した。彼らの扱っていた死者蘇生の技は、彼らと精神的な繋がりがないと発動できなかったのだ。しかし原住民達は断った。

「死は起こるべくして起こるもの、貴殿方には避けたい事柄かもしれませんが、我らは甘んじて受け入れます。肉親が死に、悲しみが生まれても、世の理に背くような傲慢は我々に許されていませんから。」

 〈始まりの人々〉は彼らの謙虚で素朴な精神性を高く評価し、以後協力関係を結んだ上で彼らとの接触をなるべく絶つことにした。彼らに干渉することを避け、その民族性を壊さぬために。〈鬼姫〉がここを統治しているのは、彼女の精神構造が彼らととても似通っているからだ。

 〈始まりの人々〉は異世界との衝突を通じて、様々な人種、存在と溶け合った。それは、異世界へと飛ぶためには肉体をどうしても捨てなければならなかったからだ。異世界との衝突が起こると、それによってできた穴が広がり始める。その穴を閉じないと、最悪の場合宇宙の大収縮(ビッククランチ)が発生して双方の世界が消滅する。それを防ぐ方法はただ1つ、どちらかの世界を消滅させるしかない。この場合の消滅は物理的なものだけではなく、概念的なもの、つまり『そもそもそこに世界が存在していた事実そのもの』が消えてしまうので、いくらビックバンに耐えられる体を持っていたとしても、なんの意味も持たない。彼らは精神生命体であることが幸いしてその異世界への門を通り抜けることに成功したが、あちらの世界の物体は何であれ持ち帰ることができなかった。もちろん人民や知的生命体などもである。そこで消滅させる世界の住民を救うために、人々を精神生命体へと変貌させて門をくぐり抜けさせたのだ。〈禰宜〉もそうやって移住した内の1人である。

「宗主様、お帰りなさいませ!あなた様のお帰りを今か今かと待ちわびておりました。」〈鬼姫〉はその言葉に苦笑して、

「まだ仕事が終わったわけではないのじゃ。束の間の休息というやつでな、すぐにもここを発たねばならんのじゃが、その前にここにも寄っておこうかと思っての。」と言った。それを聞いた人々は「そんなぁ」と落胆の声をあげているが、それでも瞳の奥に喜色が窺える。束の間であれ、主人が帰ってきたことを心から喜んでいる、彼女が領民に慕われていることの何よりの証拠だ。


 ーーーーなんだ、ちゃんと思い描いたとおりの為政者になれているじゃないか。


 協定により、今この場において〈禰宜〉の発言は許されていない。〈鬼姫〉はそんなに無理をしてまで同行する必要はないと言ったが、〈禰宜〉はここに来た。〈始まりの人々〉が慈しみ、壊さぬためにと交わることすらやめてしまった人々、その有り様を見るために。もしかすると、『掟を破らなければならなくなる』その日は、すぐそばまで近づいているかもしれないのだ。



 ※



 ヒトミは車を走らせていた。ふと前を見ると、一台のバイクがこちらに向かって突っ込んでくる。ヒトミはブレーキをかけたが間に合わず、バイクと接触してしまった。

「大丈夫!?」ヒトミは衝撃で飛ばされた運転手(ライダー)に駆け寄った。フルフェイスからは長い黒髪が溢れ、体からは血が滴っている。フェイスガードをあげると、紅い瞳がウインクした。

「これで良いわ。ありがとう。」

「もう。こんなことはこれっきりにしてよ。あと、車の修理費はそっち持ちだからね。」ヒトミは黒髪の少女にそう言った。黒髪の少女は変装したココナだ。彼女の強化細胞は紫外線に弱い。それを逆手にとり、事故の怪我人のふりをして潜入することにしたのだ。敵は朝や昼に襲ってきたりは今のところしていない。ということは、ココナは何時でも驚異的な生命力を持っていると思っていても不思議ではない。まさか重傷を負ったまま回復しないとは思いもよらないだろう。

「ガッ、アァッ!」ヒトミがいなくなったのを確認したココナは全身の力を抜いた。すると、激痛と共に先程の比ではない程の速度で血の池が出来上がっていく。見れば所々に白い骨が突き出ているのが散見できる。


 ーーーーこれは、思ったより、凄惨な事故、だわね...


 呼吸が苦しい。肋骨が折れて肺を貫いているのだろうか?そんな状況を悪化させぬようにと、ドーパミンやアドレナリンが分泌されて、痛みを体に慣らせて和らげようとする。しかしその興奮物質は脳の報酬系に届かず、逆に脳全体の働きを高めて肉体の感度を数倍に上げてしまった。これはココナの肉体が自動的に変身を行おうとしているのだ。変身しさえすれば、昼間でも傷はすぐに回復する。外骨格には紫外線を防ぐ効果もあるからだ。それだけ今の傷が重いものだということだが、ココナはそれに抗った。今はまだ、回復するわけにはいかない。


 ーーーー変態(へんしん)は、駄、目....


 激痛で意識が遠のき、また激痛で意識を引き戻される。そんな事を繰り返すうち、血液が限界以上に流れ出したことでココナの緊張の糸は途切れ、そのまま静かに眠りについた。



 ※



「...ょうぶですか?大丈夫ですか⁉」その声でココナは目を覚ました。


 ーーーーここ、は...?


 どうやら救急車が来たようだ。助かった、と思ったココナは気を引き締めた。偽救急車だったとしたら、ここは完全なる敵地。ボロを出さぬよう気をつけなければならない。これが本物なら、本来治療の必要がないココナにとってはただの骨折り損になってしまう。


 ーーーーどうかこの車でありますように...


 ココナはそんな事を考えた。そして、呼吸が苦しくなくなっていることに気づいた。見れば窓がカーテンで隠れて、日の光が薄くしか差し込んできていない。このままでは身体が回復してしまうかもしれない。


 ーーーー声は、出ないか。回復速度が遅くなっていることに賭けるしかないわね。


 完全に回復してしまうと染めた髪までもとの色に戻る。見たところ“蜥蜴男”はいないので髪の毛が白くてもばれはしないだろうが、黒髪がいつの間にか白髪に変わっていれば、確実に怪しまれるだろう。

「私の声が聞こえるかい?聞こえるならゆっくり瞬きを1回、してくれ。」

 ココナは瞬きをした。

「よし、聞こえているようだな。今、君は救急車の中にいる。これから病院に搬送して治療をする。もし、運が良ければ、強い力を手にすることができる。」

「力、ですか?」ココナは声を絞り出した。まだ声帯が治っていないので、食道発声法を使って。

「ああ、君はひき逃げされたんだよ。ひいた相手が憎いだろう、力を手に入れたら、存分に仕返しをしてやるといい。」

 ココナはこの話を聞いて、この救急車が偽物だということを確信した。救急隊員がそんな事を言うか、いや言わない。偽救急車はスピードをあげて、病院とは反対方向に進んでいった。



 ※



 薄暗い部屋に、一人の男が座っている。その男はかつて〈始まりの人々〉と呼ばれた精神集合体、その最後の生き残り。本来〈始まりの人々〉とは、全であり個、個であり全である存在だった。それを〈鬼姫〉、正確にはその祖先とも言うべき存在が融合による対話を推し進めたことで個性が生まれ、複合体としての(アイデンティティー)が失われてしまった。その過程で生まれた副次物が『名前』。故に彼〈皇考〉に名はない。〈鬼姫〉は彼の事をグウジと呼ぶが。

「翁、イチコをつれてきた。」〈禰宜〉は部屋に入るなりそう言った。部屋に光が差し込み、その姿が照らし出される。翁と呼ばれた〈皇考〉は、しかしながら、青年といった風貌で、男らしい体つきの〈禰宜〉とは対照的に、中性的で頼りない印象を覚える。だが、それ以上に強大で荘厳な王者としての風格をその身から発している。それこそ、聖人や独裁者でさえ彼に跪いてしまいそうな程の、所謂神を前にしたような気圧(オーラ)を。その風格には〈禰宜〉ですら畏怖を感じ、二言三言話すのが精一杯なほどだ。故に彼の周囲にいる人間は少ない。殆どが彼の作り上げた下位種(シモベ)だ。その性能はとてつもなく高く、先に述べた舞台女優も彼の作品であると言えば分かりやすい。ここにいる下位種のほとんどは暖かい家庭を持ち、喜びも悲しみもすれば、好き嫌いや得手不得手がありもする。これで感情などないと言われても信じようがない。

「久々の休暇は楽しめたか?」〈皇考〉が口を開いた。それだけで〈禰宜〉は身震いをする。

「休暇と言ってものぅ、いつもと変わらんかった。まぁ、浮わついていた心を引き締めるには良い機会じゃったが。」しかし〈鬼姫〉は彼との談笑に花を咲かせる。彼女もまた、別格。


 ーーーーまったく、翁は気配を隠す術を知らないのだろうか?


 〈鬼姫〉と話すのにはなんの苦労もしないが、彼と話すのには心の準備がいる。それでは今後の作戦中の意志疎通に差し障りが出てしまう。それに、現地に潜入するのならあまり目立ってもいけない。しかし、彼の場合、そのカリスマ性は近くを歩くだけで文字どおり死者が出かねない。まったく忍べないのだ。〈禰宜〉がそれを言及すると、〈皇考〉は何故こそこそとする必要がある?と首をかしげた。それをなんとか説得して、気配をできるだけ殺す事を約束させたのだった。



 ※



「ハァ、ハァ」ココナは逃げていた。信じられないことが目の前で起こったのだ。偽救急車で山奥の小屋に連れていかれたココナは、薄暗い小屋の闇に乗じて周囲の探索を始めた。そこで地下室への扉を発見し、中に入った。そこには幾何学模様の集合体が全面に描かれた大きな鏡が置いてあった。そこに手をやると、その奥に引きずり込まれてしまった。

「きゃあッ‼」尻餅をついたココナが顔をあげると、そこは真っ白い部屋。すぐに声を殺し、周囲に気を配る。よし、この部屋にはなんの気配もない――

「ライセンスを拝見いたします。」


 ーーーー!!!!!


 ココナは戦慄して振り返った。そこにはいつからいたのだろうか、女が椅子に座っている。カウンターがあるのか、上半身だけが見える。

「ライセンスを拝見致します」女は再度そう言った。その顔からは敵意は感じられない。ココナはなんとか誤魔化せないか、と考えた。潜入発覚は出来るだけ遅らせたい。

「あの、ごめんなさい、紛失してしまって...」ココナがそう言うと女は一瞬動きを止めた。


 ーーーーまさか、もうばれた!?


 もしライセンスとやらが脳内に埋め込むタイプのものである場合、紛失自体が不可能になる。もっと慎重に言葉を選ぶべきだったか。

「もしや、〔転移(ダイブ)〕は初めてですか?その場合、意識混濁、記憶喪失が起き、最悪ライセンスが消失している可能性があります。何か1つでも、任務について覚えていらっしゃる単語などは有りませんか?データベースと照合し、記憶を復元します。」女はそう言った。バレている訳ではないようだ。しかし、なにを言おう、ココナの付けた名前は仮称だ。どれも正式な名称ではない。


 ーーーーあれは、どうだろう?


 彼らがココナをそう呼び、過去にもオーストラリアの現住民族に呼ばれたことがあった名前。聞き取るたびに日本語のようで日本語でないように感じる不思議な言葉。

「【惑星の皇女】」ココナは短くそう言った。日本語で言った筈なのに、別言語を話しているような、そんな感覚を感じた。あの少年に話したときはそんな感じはしなかったのに。

「...現在進行中の作戦では無いようですね。現在の担当者は全員帰還しています。前任の担当者の可能性がありますね。残念ですが、現在の特務事項が絡みますので記憶の復元は行えません。しかし、口頭であればある程度の情報提供が可能です。記憶回復の一助になればと。」

「じゃあ質問。前任者ってことは、作戦中に人員の入れ換えがあったって事よね。どうして?」

「それは今回の作戦内容に抵触するためお答えできません。しかし、前回の接触と今回とでは事情が少し変わったから、と言っておきましょう。基本的に異世界の接触が終わっても、チームは解散しませんからね。」

【惑星皇女】が関わっている時点で〈風穴〉が、異世界の門が関わっているに違いないと思った。結果はその通り。敵は異世界の存在、こちらの常識が通用しない可能性もあると言うことだ。ココナはもっと踏み込んだ質問をすることにした。

「成る程。それで、ここはどこなの?あとダイブってのの詳細も。」

「ここは(ポート)、この惑星の玄関口です。精神生命体である皆様、恐らくあなたもそうでしょうが、その依り代を各惑星に保管することで迅速な移動と情報伝達を可能にしています。また、異世界の接触が起きた際に、向こうに何をを持っていくこともできませんから、その方々はこちら側の依り代と異世界の門とを接続します。こうすることで、あちら側でもこちらと同じ姿での活動が可能になりました。個性の誕生以後、肉体によるところが大きくなっていますから、見た目が変わるのは問題らしいです。最近はここを観光目的で使う人まで出手来る始末で。宗主様もそのことを嘆いておいででした。」

 ココナは適当に相づちをうちながら考えていた。〈天使(やつら)〉は精神生命体、故に肉体の消滅では死なない。どこかで生命体の定義は細胞で構成されているか否かと言っていたような気がするが、ここでは気にしない方がいいだろう。どちらにせよ高度な知的精神を持ち、肉体に完全には依存しない、だからこそ物質を通さぬ異界の壁を通り抜けられた。


 ーーーーちょっと待って、どうして私は身体ごとこちらに来れたの!?


 しかし、今のココナを除いて考えてみると、成る程、例え異世界と繋がっても警戒をする必要がないことがわかる。まず精神のみしかここにこれないという時点で幽霊と同義、この世界に影響を及ぼすことなどできないし、及ぼせたとしても脅威となる前に〈天使〉なら排除できるだろう。依り代は余っているだろうが、侵入したときの感覚からして、別の肉体を乗っとるといった方法も恐らく使えまい。

「宗主様の名前は?」ならばなぜココナは肉体ごと侵入できたのか?例外がある、と考えるのが自然だ。ココナが宗主の名を気にしたのは、それが神坂奏人である可能性がまだ捨てきれないからだ。ココナがこの壁を越えられるのなら、彼女を改造した彼だって越えられるはずだ。

「宗主様に名前は有りませんよ。記録では、10万年以上前に〈始まりの人々〉が訪れた時からご存命です。名前が誕生したのが、それからずっと後の事ですからね。」それを聞いて、ココナは神坂奏人の可能性は限りなく低いと考えた。10万年以上名前がない事に困らなかった人間が、わざわざ日本風の凝った名前をつけるだろうか?そもそも名前を不要だとして名乗らなければいいと考えるだろう。

「記憶はある程度回復しましたか?その様子だとライセンスも消失していそうですね。こちら、私の手に、あなた様の手を重ねてください。生体認証の後、ライセンスを再発行します。」そう言って彼女は手をこちらに差し出した。ココナが手を翳すと、精神が何かと繋がったような感覚がした。しかし、それも一瞬、すぐに何かに弾かれるように手が振りほどかれた。


 その頃、〈皇考〉〈鬼姫〉〈禰宜〉の3人は、今後の計画を練っていた。そこに何者かと精神が繋がる感覚がした。その一瞬の接続のうちに、強烈な悪寒、この世界のすべての不幸が今から一斉に襲いかかって来そうな、言い変えれば、死すらも生ぬるく感じるほどの恐怖が彼らを襲った。その、〈皇考〉に比肩するほどに強大で、それでいて神々しさとは真逆の禍々しさを塗り固めたような気配(オーラ)に、〈禰宜〉は戦慄し、〈鬼姫〉は驚愕し、〈皇考〉は沈黙した。

「な、なんじゃ、今のは...」肩で息をする〈鬼姫〉の額には脂汗が滲んでいる。

「...なんという悪意の気。一個の生命体に出せる感情ではない。邪神か、あるいは...」〈禰宜〉は顔面蒼白でそう言った。

「長い穂を立てるから風になびくのだ。肉体に頼りきっているせいで出ないはずの汗まで出る。接続は私が切った。お前たちは早く被害を調査して報告しろ。」〈皇考〉だけが冷たくそう言い放った。個性や強い感情などこの様なときに心を乱す枷にしかならん、と。


 ココナは腕を押さえて立ち上がった。別に折れたというわけではないが、まだ腕が若干痺れている。ココナがカウンターの方を見ると、そこにはさっきまで女性だった何かが蠢いていた。糸に包まれ、その様はまさに


 ーーーー繭?


 白い塊は二つに割れ、中から大きな蛾が出てきた。その特徴はクワゴに近い。“桑蠶女”はココナを一瞥した。その複眼一杯にココナの顔が写る。その顔は恐怖に歪んでいた。その姿を恐れたのではない、自分のせいで、罪のない人間が人生を狂わされたであろう事を恐れているのだ。彼女が下位種であり感情や精神を持たないということはココナの知る由も無いことだし、例え知っていたとしても、機械にも心があると信じているココナにはなんの慰めにもならないだろう。その内にココナは変身して迎撃することも忘れ、襲いかかる“桑蠶女”から逃げ出した。そして今に至るのだ。



 ※



 ココナは何度も躓きながら逃げた。それを追う“桑蠶女”。ココナは無我夢中で逃げていたので、曲がり角から男性が飛び出してくるのに気づかなかった。

「きゃあッ!」ココナは尻餅をついた。顔を押さえた掌には血が付いている。鼻血が出ているのだろう。

「すまない、少し急いでいてな。大丈夫か?」男性はこちらを心配して手を差しのべてくれた。ココナが顔をあげると、そこにいたのは〈禰宜〉だった。その隣には〈鬼姫〉もいた。

「何故ぬしがここにおる!?何故、ここに居られる!?」〈鬼姫〉は、錯乱してそう言った。

 その様子を見て、ココナは一気に頭が冴えた。

 感情豊かな人としての姿(ココナ)から、感情が抜け落ちた、殺戮兵器としての姿(ココナ)へとその心身が変貌する。眩い光とともに戦闘服(ドレス)に身を包んだココナは、殺戮兵器としての本能(りせい)に従って“桑蠶女”に一気に跳躍した。生まれたての蛾怪人は、対応しきれずにその腕をもがれた。間髪をいれずに足払いをかける。今度は膝から下が吹き飛び、“桑蠶女”は仰向けに倒れ込んだ。ココナはそれに馬乗りになって片手をその胸に差し入れようとした。

 〈鬼姫〉と〈禰宜〉は目の前で起きたことを目で追うのが精一杯だった。それは本来この場にいるはずのない人物(ココナ)が目の前にいる現状を受け入れられなかったということもあるが、それ以上に、ココナの動きが洗練された全くの無駄も隙もない動きだったからである。いつもの無駄に洗練された無駄のない無駄な動きが完全に欠落したその姿は、より機械的で無機質な印象を二人に与えた。

 振り上げられた手刀は、そのまま動きを止めてしまった。この時、ココナの人としての意識が戻ってきたのだ。といっても記憶が無いわけではないので、戦闘継続になんの問題もない。ココナが動きを止めたのは、この女性を殺すなどという非道を、行えないと判断したからである。先程まで楽しく会話をしていた相手の息の根を易々と止められるほどココナの心は強くない。ココナが今まで殺めて来たものの数は軽く万を越える。その度に深く傷ついた心が崩れ去るのを、〔賢者の石〕が無理矢理修復していた。それも限界に近づいているのか、精神の不安定が発作の形で出るようになった。本当なら、自分の手を汚す事はもうやめたい。しかし、避けられない使命と兵器としての本能が彼女に命の搾取を強要するのだ。ココナの頬を涙がつたった。後ろには〈鬼姫〉と〈禰宜〉がココナの隙を窺っている。ココナは下を見た。四肢を失った“桑蠶女”は全く抵抗しない。その瞳は、悲壮を称えているように見える。「私を殺して」そう語りかけているように。

 ココナは覚悟を決めた。逃げるだけでは駄目だ。狂わせてしまった人生を終わらせてやる、それも責任の取り方だ、と。拳を握りしめ、もう一度振り上げてその胸に叩きつけた。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」拳は胸を貫通し、放たれたエネルギーは“桑蠶女”を灰化させた。すぐにでも後ろの2人に対処しなければならなかったが、ココナにはそこを動くことが出来なかった。灰の山の上に座り込んで、何度もしゃくりあげながら、溢れ出る涙が灰を濡らしていくのを眺めていた。その背中はとても小さく、いつもの大人びた少女の姿はどこにもなかった。

「何事か、今の悲鳴は誰のものか?」そこへ〈皇考〉がやって来た。その声に反応して、まず2人が振り返った。そして、ココナがそのあとに続いた。肩を上下させ、必死に泣くのをこらえているようにも見えるココナを見て、〈皇考〉は可憐だと思った。しかし、同時に危ういとも思った。


 ーーーーだが、それは味方であればの話。潰せるときに、潰しておく。それもまたよかろう!


「さらばだ【惑星皇女】よ!恨むなら其方の薄幸を恨め!」〈皇考〉はそう言って右手を持ち上げた。それにあわせてココナの身体が浮かぶ。〈皇考〉がその手を握ると、ココナの身体が締め付けられ始める。先程まで哀しみで歪んでいたココナの顔は、今度は苦しみで歪み始めた。腕が少しずつひしゃげていく。

「ガッ、ア、アァ...」ココナは苦しむが、抵抗の意思は見せない。そのまま、ココナは握り潰され...なかった。

 ブオォォンという音ともに、一台のバイクが現れ〈皇考〉に突っ込む。それを避けたことでココナにかけた力が弱まった。モトはその期を逃さず、ココナを抱き抱えると、港から元の世界に戻った。その時の衝撃で、入り口の鏡は粉々に砕けてしまった。



 ※



 小屋には既にヒトミが来ていた。その足元には“蜥蜴男”の死体が転がっていた。落ち着いたココナは潜入前に予め渡されていたボイスレコーダーを返却し、事のあらましをすべて話した。自分が人間ではない事も。

「ふーん。改造人間に異世界からの侵略者か。これは記事にできないわね。」ヒトミはそう言った。ココナはその言い草に少しカチンときたが、怒る気力はわかなかった。

「もちろん信じてもらわなくてもいいわ。でもそのレコーダーにあることは本当よ。」

「別に信じてない訳じゃないの。ただ、こういう突拍子もない話が受け入れられるほど、世間は頭柔らかくないのよ。それよりはありもしない芸能人のスキャンダルとか、政治家の古傷を抉り取るような記事の方が信用されるし、売れるの。そりゃ私だって真実は伝えたいけど、遠くの真実より近くの嘘に興味を持つ、そういう民草の悪習を正さない限り、こういう話をしても意味がないというか、する価値もないというか....。世間に発表したところで、今の世の中じゃ、そこいらのUFO研究家たちといっしょくたにされて白い目を向けられるのがオチだもの。」社会部のエースでも、こればっかりはね、とヒトミは皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「じゃあ、貴女は信用してくれるの?」ココナがそう聞くと、

「もちろん!私は自分の情報(ネタ)(もと)を信頼してるし、実際この目で見ちゃったからね。」と言って、蜘蛛のシルエットが刻まれたピンクのボイスレコーダーを、“蜥蜴男”と割れた鏡の欠片の間で交互させて、笑った。

ココナちゃん。協力者、獲得です。


なんか最近時間通りに投稿出来なさすぎてるような気がします、もっと頑張らなくては!

次回投稿日は入試なので、今から書き始めないと(焦)



次回 「大きなたまねぎの下で」お楽しみに!


※この作品はフィクションです。実在する人物、団体とは一切関係ありません。

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