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狂女王フアナ〜我、女王〜  作者: ところがどっこい
14/15

節目

Juana(フアナ) I(1世) de() España(エスパーニャ),Juana(フアナ) la() Loca(ロカ)→本作の主人公。トラスタマラ朝スペイン最後の国王(女王)にして連合王国スペインの初代国王(女王)。カトリック両王の第3子次女として誕生。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の長男ブルゴーニュ公フィリップ4世に嫁ぎ、2男4女を儲けた。元は王位を継承する立場に無かったが、兄・姉やそれぞれの子の夭逝によって両王の跡を継ぐ事が決まり、1503年の母の死と1516年の父の死に伴って両親の支配する全ての国の女王になった。私生活では夫の女癖の悪さと度重なる妊娠に悩まされて精神不安定となり、母の跡を継いでレオン=カスティーリャ女王として即位した直後に夫を亡くした事で精神が完全に崩壊したと見做されて存命していた父とシスネロス枢機卿によってトルデシリャスにあるサンタ・クララ修道院に幽閉された。


Carlos(カルロス) de() Habsburgo(アブスブルゴ) y() Trastamara(トラスタマラ),Carlos(カルロス) I(1世) de() España(エスパーニャ),Carlos(カルロス) el(エル) Rey(レイ) Emperador(エンペラドール)→主人公夫妻の第2子長男。両親は母方祖母カスティーリャ女王イサベル1世の跡を継いでスペインへ渡った為、姉妹と共に父フィリップの妹で公国の摂政となった叔母ネーデルラント総督マルガレーテ・フォン・エスターライヒに養育された。だが、彼は母に対する後ろめたさから自らを溺愛する叔母に懐く事は無かった。

母に伴ってカスティーリャに渡った父フィリップの死によってブルゴーニュ公シャルル5世として即位するが、摂政である叔母マルグリット(マルガレーテ)が統治を続けた。

母方祖父アラゴン国王フェルナンド2世の死によってスペインへ渡り、精神不安定な母女王フアナと共同統治する形で事実上の国王カルロス1世として即位した。

さらに父方祖父神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の死によって空位となった皇位をライバルのフランス国王フランソワ1世と争い、選帝侯達を懐柔して勝利し神聖ローマ皇帝カール5世として即位した。

スペイン国内では選挙資金の為に増税を課して自由都市の市民達の反感を買い、結果コムネーロスの反乱が勃発した。

自らの横暴で内乱を招いた割に警戒心が強く、即位後間もなく政治的影響力が強かったシスネロス枢機卿を解任し、同じ理由で叔母マルガレーテをネーデルラント総督から一時的に解任している。

現在のスペイン北東部に位置するカスティーリャ・イ・レオン州の都市Tordisillas(トルデシジャス)。Tordisillas(トルデシジャス)にある由緒正しい尼寺サンタ・クララ修道院の一角で政治の表舞台から忘れ去られた名ばかりの女王フアナだが、彼女の周囲は大きく変化していた。


まずフアナがスペイン全土の女王になる1年前の1515年、次女イサベラがデンマークに嫁ぎ、デンマーク国王クリスチャン2世の王妃エリサべト・ア・ウストリとなった。叔母ネーデルラント総督マルガレーテ・フォン・エスターライヒのもと当時のヨーロッパの最先端をゆくフランドルで高い水準の教育を受けた彼女は、祖父神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が用意した縁談により14歳の彼女は満を持してデンマークの宮廷へ輿入れするが、結婚生活は幸せではなかった。これについてはまたの機会に話そう。


1516年フアナの父フェルナンド王の崩御によって、16歳の長男カルロスがスペインに来て、事実上のスペイン国王カルロス1世として即位した。(表向きは女王フアナの摂政。フェルナンドは自らが養育していた同名の孫フェルディナントに跡を継いでほしかったが、亡き妻イサベル女王の遺言とハプスブルグ家の意向に従わざるを得なかった。)

カルロスのスペイン行きと同時に13歳の次男フェルディナントがオーストリアへ行ってオーストリア大公を相続し、祖父神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が用意した縁談により、ハンガリー=ベーメン国王ウラースロー2世の王女アンナ・ヤギェロと婚約した。

フェルディナントの婚約と同時に、11歳の三女マリアがハンガリー=ベーメン王太子ラヨシュ(フェルディナントの婚約者アンナの弟)婚約し、これによってオーストリアを支配するハプスブルグ家とハンガリー=ベーメン王国を支配するヤギェロ家の間に二重結婚という形で同盟が成立した。(俗にいうウィーン二重結婚)

因みにハンガリー=ベーメン王妃はフアナの父フェルナンド王の後妻ヘルマーナの遠縁に当たる。


同年イングランド国王ヘンリー8世と王妃キャサリン・オブ・アラゴン(カトリック両王の四女で女王フアナの末の妹)に第1子となる王女が誕生した。後のイングランド初の女王メアリー1世だ。王子の誕生を強く望んでいたイングランドの宮廷は大いに落胆し、ある意味でイングランド、引いては現在のイギリスに連なる様々な出来事の発端となるのだが、これはまたの機会に話すとしよう。


翌年1517年ポルトガル国王マヌエル1世の2番目の王妃マリア・デ・アラゴン(カトリック両王の三女で女王フアナのすぐ下の妹)が崩御。

そして最初の王妃イサベル・デ・アラゴン(アストゥリアス女公イサベル、女王フアナの姉)に続き産褥によって再び妃を失ったマヌエル1世と女王フアナの18歳の長女レオノールの縁談が成立した。王家の傍流出身で猜疑心の強かった先代の国王(従兄)ジョアン2世に命を狙われたこともあったが、持ち前の運の強さと先代の王妃(姉)レオノール・デ・アヴィシュの支えで子に先立たれた国王の後を継いで即位し、王権の強化と国力増強に成功した幸運王マヌエルとの縁談はスペインの事実上の統治者となったばかりの若きカルロスに大きな利益をもたらした。

片や既に成人した子を持つ精力の衰えた50歳、片や精力盛んな18歳。

しかし夭逝したカルロス王子と未婚のまま生涯を終えたヴィゼヴ女公マリア王女の合計2人の子供に恵まれた。


2年後の1519年ウィーン二重結婚によって婚約していた女王フアナの次男オーストリア大公フェルディナントとハンガリー=ベーメン王女アンナ・ヤギェロが結婚。当初兄のカール(カルロス)との婚約を期待していたハンガリー=ベーメン王国側は、オーストリア大公位を継ぐのが弟フェルディナントに決まった時に不満を露にしていたが、夫婦仲は極めて良好でたくさんの子供に恵まれた。後にフェルディナントは兄カールから譲位されて神聖ローマ皇帝に即位したが、皇后アンナに先立たれた後は息子マクシミリアンに譲位して再婚もせず髭も剃らず隠遁生活を送って生涯を終えたという。


翌1520年ハンガリー=ベーメン国王ウラースロー2世が崩御。

14歳の王太子ラヨシュ(アンナの弟)がラヨシュ2世に即位した。


翌1521年ハンガリー=ベーメン国王ラヨシュ2世と女王フアナの三女で16歳のマリア・フォン・エスターライヒ(フェルディナントの妹)が結婚。国王ラヨシュは親政を宣言したが、若過ぎる国王に実権は無かった。

ブルゴーニュの女傑である叔母から高いレベルの教育を施されていた王妃マリアは早速その政治的才能を発揮し、貴族がはびこるハンガリーの宮廷において夫国王をして王権の強化に成功した。夫婦仲は極めてよかったにも関わらず子どもに恵まれないまま、結婚7年後の1528年国王ラヨシュ2世はオスマン=トルコとの戦いのさなか20歳の若さで戦死し、ヤギェロ朝は2代で終焉を迎えた。


同年ポルトガル国王マヌエル1世崩御。

未亡人になった王妃レオノール・デ・アウストリアは娘のヴィゼヴ女公マリアと過ごしていたが、彼女は一人娘を置いてのスペイン帰国を余儀なくされ1年後に帰国した。

傷心のレオノールが帰国したのと時を同じくして皇帝選挙に無事勝利した亡きフィリップ美公と女王フアナの長男で21歳の神聖ローマ皇帝カール5世(スペインの事実上の国王カルロス1世)と今は亡きポルトガル国王マヌエル1世と王妃マリア・デ・アラゴンの王女で18歳のイサベル・デ・ポルトガル、19歳のポルトガル新国王ジョアン3世と14歳の四女カタリナの2組の縁談が纏まった。


スペイン-ポルトガル間の二重結婚が決められてから3年の1525年、カタリナの輿入れの日が来た。

そして彼女は2度とスペインの土を踏むことはなかった。

「カタリナ...」

この末娘だけを頼みに生きてきた女王フアナはいよいよ抜け殻になってしまった。

女王フアナ46歳の年だった。

次回予告


精神の拠り所であった末娘カタリナがポルトガルへ嫁いだ事で魂が抜けたようになってしまったフアナ。


過去の思い出だけを頼みに生きている母を息子カルロスと嫁ぎ先から戻ってきた娘レオノールは心配する。


そんな中、ポルトガルから姪イサベルが嫁いで来た。

カルロスを取り巻く女たちの心情や如何に

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