名ばかりの女王とコムネーロスの乱
・Juana la Loca=Juana I(1世) de España→誕生したばかりの連合王国スペインの初代女王。アラゴン・ナバラ・バレンシア・マヨルカ・ナポリ・シチリア(父に由来する)・レオン・カスティーリャ(母に由来する)の女王。バルセロナ女伯。
カトリック両王の第3子次女として誕生し、オーストリア大公・ブルゴーニュ公フィリップ4世に嫁いだ。
夫フィリップとの間に2男4女を儲けたが、夫の女癖の悪さと度重なる妊娠によって徐々に精神のバランスを崩す事となった。
兄姉や其々の子の死によって両王が所有するほぼ全ての王位を継承する事になった。
母の死後、夫を伴ってカスティーリャ女王に即位したが、夫とは政治的に対立し続けた。
夫の死後、完全に精神が崩壊し(たと見なされ)、父やシスネロス枢機卿によって末娘や少数の侍女と共にTordesillasのサンタ・クララ修道院に幽閉された。
父の死後、名ばかりの女王としてサンタ・クララ修道院の一角で過ごしている。
・Catalina de Austria→主人公であるスペイン女王フアナ1世とその王配フェリペ1世の第6子4女(末子)として誕生した。父フィリップ(フェリペ)はカタリナが生まれる前に亡くなっており、母女王フアナ1世は物心つく頃には共に幽閉されていた。精神を病んでいる母のカタリナに対する精神依存の所為でバリャドリッド、トルデリシャスどころかサンタ・クララ修道院の小部屋から1歩も出た事がなく、その生育環境の悪さは歳も生まれ育った場所も離れた兄姉を驚かせる事になる。
・Carlos I(1世) de España=Carlos de Habsburgo y Trastámara→アブスブルゴ朝スペインの初代国王。アブスブルゴとはハプスブルクのスペイン読み。主人公であるスペイン女王フアナ1世とその王配フェリペ1世(ブルゴーニュ公フィリップ4世)の第2子長男として誕生した。
両親は母方祖母イサベルの後を継ぐ為にカスティーリャへ渡った為、父の摂政を務めていた叔母マルガレーテ(マルグリット,マルガリータ)によって姉や2人の妹と共にヘントで養育された。
父の死に伴って父フィリップ(父方祖母マリー)の所領ネーデルラントの領主・ブルゴーニュ公位・金羊毛騎士団長位を継承した。
母フアナの幽閉(母方祖父フェルナンドの死)によって母方祖母イサベルに由来するレオン王位・カスティーリャ王位と、母方祖父に由来するアラゴン王位・ナバラ王位・バレンシア王位・マヨルカ王位・ナポリ王位・シチリア王位を継承した。
実質的には既に国王として認められているが、形式的には母女王フアナ1世の共同統治者としてスペインを治めている。
父方祖父マクシミリアンの死後は神聖ローマ皇帝位に就くための選挙(皇帝選挙)でライバルのフランス国王フランソワ1世に勝つ為の資金集めに奔走している。
・Leonore de Austria→主人公であるスペイン女王フアナ1世とその王配フェリペ1世の第1子長女として誕生した。両親がカスティーリャへ渡った為、父ブルゴーニュ公フィリップ4世の摂政を務める事になった叔母マルガレーテ(マルグリット,マルガリータ)によって弟妹と共に養育された。
フランドルの宮廷内で肩身の狭い思いをしてきた母ジャンヌ(フアナ)を思いやってか、兄弟の中で1人だけ叔母に対して頑なに心を開かなかったカルロスにとって姉である彼女は唯一心を開く事ができる存在。
伯母アストゥリアス女公イサベル・叔母マリア・デ・アラゴンの2人の王妃に先立たれたポルトガル国王マヌエル1世の後妻としてポルトガルへ嫁ぐ為の準備として、スペイン王位を実質的に継承する弟カルロスと共にスペインに上陸した。
フランドルからレオノールとカルロスが来た。レオノールはポルトガル国王マヌエル1世の3番目の王妃になる為、カルロスはスペインを治める為にやって来た。
ポルトガル国王マヌエル1世の最初の王妃はフアナの姉イサベル、2番目の王妃は妹マリアだった。王妃マリアとの間に沢山の子どもを儲けていた国王マヌエル1世は、スペインを支配するであろうハプスブルク家との縁を深める為に新しい王妃を迎える事にした。
スペインに到着した一行は、トルデシリャスの母フアナの元を訪れた。そして末妹カタリナにも面会した。
2人にはフアナ・カタリナ母娘がどう移ったのだろうか?
「母上、お久し振りです」
「まあ、レオノールにカルロス
2人ともこんなに大きくなって」
カルロスは感極まって涙を流し、フアナは遠くから会いに来た2人を温かく歓迎している風だったが、不幸な事に実際には殆ど記憶に無かった。
2人に関しては早い時期に産んだ子の筈なのに、王位継承の為ブルゴーニュから出て行った所為で一切養育に関わってこなかったのだ。2人の育ての母はフランドルにいる叔母マルガレーテだ。
流行の最先端を行き、鮮やかな配色の衣装を身に付けていて、所作も優雅な2人と、黒衣で顔色悪く酷く痩せていて、所作も王族と思えないほど粗野な母娘の対峙はとてもぎこちない物になった。
何せフアナはFlandreで出産した4人の子どもについては彼らが気の毒に思えるほど記憶に残っていないのだから。
修道院を出た姉弟は王女とは思えぬ程垢抜けない末妹を不憫に思って、カタリナ脱出計画を実行した。
計画は成功した。
日に当たる事がなく極端なまでに瘦せ型だった王女は体型を標準にし、服装もフランドルのような最先端とまではいかないが、綺麗に仕立てられた服装に変え、王女としての立ち居振る舞いも習得した。
だが、問題は其処とは違う所に生じた。
精神の拠り所としてきた末娘がいなくなったフアナは半狂乱となり、四六時中奇声を上げてカタリナを探す始末だという報告が修道院から来たのだ。
「カタリナ!カタリナは何処なの⁉︎」
2人は仕方なく、カタリナを返した。
カタリナ自身も罪悪感に駆られていたのか、同意して自ら戻った。
フアナは最早カタリナだけが唯一の心の拠り所だったのだ。
そして長女レオノールは母フアナとの仲が最後まで何処となくぎこちない関係のままポルトガルへ嫁いでいった。
一方、スペインの政務はシスネロス枢機卿補助のもとでカルロスが行っていた。
だがカルロスはスペイン語が話せず、ラテン語も滑舌が悪くて聞き取りにくかった。
しかも美男美女だった両親に似ず、顎が突き出ているときた。
そんなこんなでカルロスはスペイン人から丸切り信頼されていなかった。
そんな彼にシスネロス枢機卿を始めとするスペイン人たちは制約を課した。
①早急にスペイン語を修得する事
②ポルトガル国王マヌエル1世と王妃マリア・デ・アラゴンの長女イサベル・デ・ポルトゥガル王女を王妃に迎える事
③議会の承認なく重税を課さない事
カルロスは①には同意したが、②と③には同意したがらなかった。
「私は別段イサベル・デ・ポルトゥガルと結婚する必要はない(既に1歳年上の又従姉で祖父フェルナンド2世の未亡人ヘルマーナとの間に私生児イサベルを儲けていた)」
「母上にはこれから先も長く生きていて欲しいとは思うが、廃位にしたって構わないだろう。最早この国の国王は私だ。国王が税の額を引き上げて何が悪い!(祖父マクシミリアン1世の後を継ぐべく神聖ローマ皇帝を選出する皇帝選挙に勝利する為、帝国に属する領邦を治める選帝侯たちに賄賂を送る為の資金にスペインの税収を流用していた。)」
しかし異国(フェリペに由来するハプスブルク家とヴァロワ=ブルゴーニュ家)の血を薄めるためにはカトリック両王の血を引く従妹イサベル王女と結婚せねばならなかった。
仕方なくカルロスはヘルマーナを三従兄のバレンシア副王フェルナンドに再嫁させ、私生児イサベルもろともバレンシアに送った。
そして同じ両王の外孫で類い稀な美姫イサベル・デ・ポルトゥガルを妃に迎える事にした。
ところが彼は増税については少しも妥協しなかった。
議会や官僚達の制止も無視して増税を行った事でカルロスはスペイン、とりわけカスティーリャ人の不興を買い、反乱が勃発した。
シスネロス枢機卿の後任として誰をトレド大司教に任命するかでカルロスと争っていたトレド市は、カルロスによる多額の御用金(税金)請求が議会で承認された事に反発して都市の自治権を主張した。
トレド市だけではなくカスティーリャにある他の都市もこれに同調して自治同盟が結成された。
自治同盟はカルロスに都市特権の承認と官僚都市行政の廃止を求めたが、カルロスは拒否した。
この一連の出来事に不満を覚えた自治同盟を中心として自治権を主張する都市の構成員達がカスティーリャ中で蜂起した。
そして拠点は、Tordesillas。反乱鎮圧の最中にあってカルロスはカスティーリャの民が母女王フアナを擁立し、復帰を求めている事は紛れもない事実だと認めざるを得なかった。
カルロスは母フアナを密かに暗殺させようかとも考えたが、シスネロス枢機卿に諌められて断念した。何より政敵に擁立されかねない危険な存在であっても母は母。母はこの世に1人しかいないのだ。
一方のフアナは自分の元に馳せ参じた反乱の指導者たちが自分を女王として崇めている事は悪く思わなかったが、最早政務に就く気はなく、復帰に同意しなかった。
確かにこの国で自分以外に王はいないのは当たり前の事だし、カルロスの横暴も聞いてはいるが、やはり息子は息子だ。
こうして半年に及んだ大反乱はカルロス軍によって敢えなく鎮圧された。
そして反乱を主導したコムネーロスは処刑された。
此処に来てカルロスは母女王フアナ1世の存在が如何にスペイン人の心の拠り所となっているかを痛感し、自分が王になるべき男ではなかった事(というよりは王になるには早過ぎた事)を感じるのであった。
フアナの方も遠いフランドルで育った息子カルロスの事を僅かであるが気にかけていたのだ。(カタリナに対してほどのめり込んでいないが)
だが、今度はフアナの方が大いに乱れるのであった。
次回予告
コムネーロスの乱が鎮圧された後、カルロスは自分がこの時点ではまだ王になるべきではなかった事を痛感していた。そしてまだ若く統治者としての能力に欠けるカルロスに対してシスネロス枢機卿は「必ずや立派な王にしてみせる」と誓う。
そして美女と誉れ高い従妹イサベル・デ・ポルトゥガルを妃に迎える。
一方名ばかりの女王でありながら此処ぞという所でまあまあ役割を果たすフアナだったが、心の拠り所としていた末娘カタリナが結婚適齢期に達して…




