失意のTordesillas(トルデシリャス)
・Juana la Loca=Juana I(1世) de Castilla→レオン=カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン・ナバラ・バレンシア・マヨルカ・ナポリ・シチリア国王フェルナンド2世の第3子次女。オーストリア大公・ブルゴーニュ公フィリップ4世の妃となり、2男4女を儲けた。
元々王位を継承する予定は無かったが、兄姉やその子たちの死によってカスティーリャ王位を継承する事が確定、母イサベル1世の死に伴ってカスティーリャ女王に即位した。
度重なる妊娠と夫の女癖の悪さで精神不安定となり、夫の死によって完全に精神が崩壊した(と周囲は思っている)。
・Fernando el Católico→主人公であるJuanaの父でアラゴン・マヨルカ・バレンシア・シチリアの国王。バルセロナ伯爵でもある。
妻イサベルは同じ家の出身で又従姉に当たる。
妻と共にGranada王国制圧に力を注ぎ、レコンキスタを完了させる。更にフランスと対立してナポリを征服し、妻の死後はナバラを征服した。1496年ローマ教皇アレクサンデル6世によって妻と共にカトリック両王(Reyes Católicos)の称号を賜った。
1503年に妻イサベルが崩御したのに伴って共治王の地位を退き、娘フアナがカスティーリャに到着して即位するまでは摂政を務めた。
男性優位の時代で一人息子フアンに先立たれ、しかも嫁マルガリータの死産で内孫も期待出来なくなった。
後継者となった娘フアナの背後にはハプスブルク家があり、更にフアナ自身も精神不安定という状況。
先妻イサベルの死後、ナバラ征服と男児出産の期待をかけて異母姉ナバラ女王レオノール1世の孫ヘルマーナを後妻として迎えた。
後妻ヘルマーナとの間にフアン王子を儲けたが、フアン王子は出生後程なくして亡くなった。
娘フアナの精神不安定からシスネロス大司教と共に再び摂政を務める事になった。自身の支配する王国と先妻が支配していた国は将来的にフアナの長男カルロスが引き継ぐ事は確定事項だが、フェルナンド自身はカルロスよりもカルロスの弟で自らが養育している同名の孫フェルナンドに継いで欲しいと思っている。
・Francisco Jiménez de Cisneros
→トレド大司教。元の名はゴンサーロだったが、フランシスコ会に入るのに伴って改名した。ストイックさを買われて、カトリック女王イサベル1世の聴罪司祭を務めた。イサベル1世の死後は新たに即位したフアナ1世の代役を務める程、王家から信頼を寄せられている。カトリック王フェルナンドと共に摂政を務め、フアナ1世をサンタ・クララ修道院に幽閉する見返りにフェルナンドに枢機卿を斡旋してもらう。世俗の世界では最後まで政治に関わり続けるが、本人は望んで行為に及んでいるわけではない。
道中もフアナは一行を止め、神父にミサをさせ、棺を開けさせては接吻する。
ただでさえ早く帰りたいのに、いちいちこんな事で足止めされては葬列を組む者たち内心うんざりだった。
フアナもまた正気と狂気の間で苦しんでいた。
執務を放棄している場合ではないという理性とフェリペの復活に望みをかけてもう一回夫婦としての生活を送りたいという本能(死んだ人が生き返るなんてのは本来あり得ない事だがこの時代は本気で信じている人もいた)がせめぎ合う。
結局臨月という事もあってフアナは放浪を諦めて王宮に戻った。
王宮に帰還する途中フアナはPalenciaのTorquemadaで末子(第6子)を出産した。
女の子は母方の叔母でイングランド王妃キャサリン・オブ・アラゴンのスペイン読みでカタリナと名付けられた。
出産して半年程経った頃(フアナがカスティーリャを出てから2年後)、 MadridのAlcalá(アルカラ) de Henaresで摂政を務めていた女王の父フェルナンドとシスネロス大司教の耳にもフアナ帰還の知らせが届いた。
だが、カスティーリャの政府や議会にとってフアナは不毛の女王であり、不吉の象徴だった。
フアナは元々イスパニアの王位を継承する予定はなく(兄と姉がいたから)、オーストリア大公妃・ブルゴーニュ公妃、行く行くは神聖ローマ皇后(要するにフィリップの妻)として生涯を終える筈の人だった。
故国では専らお妃教育しか受けておらず、帝王教育を受けていなかった。政務を執るようになったのもアストゥリアス女公になってからだった。
こんな背景を持つ彼女が両親のように政治に関心がある筈がなく、政務に復帰しても若い国イスパニアを繁栄に導くどころか、カスティーリャを衰退に導いてしまう恐れがあると周囲は見なしたのだ。
ある夜、Torquemadaに滞在していたフアナの元に兵が送られ、入城した兵はフアナや側近・侍女たちを包囲した。
側近・侍女達は驚愕したが、それがカスティーリャの兵と知ると事情を察して女王が産んだ乳呑み子の命は保障するよう懇願した。
フアナは床の周りを武官たちに囲まれても毅然としていた。
「こんな夜中に一体何事ですか?」
多くの武官達の中から文官が1人出てきて口を開いた。
文官はディエゴ・パチェコだった。父はエンリケ4世の家臣であり、パチェコ自身も遺児フアナ・デ・カスティーリャ王女に組していた。
パチェコはフアナの両親と敵対関係にあったが、カスティーリャ統一後に赦された貴族の1人であった。そしてフアナをアストゥリアス女公に任命する文書を読み上げた張本人でもあった。
前女王イサベル1世の治世ではあまり信頼されていなかったが、摂政フェルナンド2世の元では信頼を置かれているようだ。
軍功とイサベル1世の多大な信頼をフェルナンド2世に妬まれて不遇の生涯を終えたカスティーリャの英雄ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバとは大違いの待遇を受けている彼をフアナは皮肉な目で見た。
「カスティーリャは貴女が政務に就く事・君臨する事を望みません。陛下、貴女にはTordesillasのサンタ・クララ修道院にお移り戴きます。」
これは彼女に事実上の引退を求めるものであり、クーデターであった。
そして結果を述べるとクーデターは成功を収めた。
政府や議会も持たず、少ない数の護衛しか持たぬ女王は摂政率いる軍勢には無力だったのだ。
暴れて抵抗する女王の身柄を武官達は内心申し訳ないと思いながらValladolidのTordesillasに移した。
かくしてフアナは末子カタリナ王女と数少ない侍女共にサンタ・クララ修道院の一角に居を移し、其処で生涯を終えるまで過ごす事を強いられたのだった。
この時フアナ29歳、嘗てポルトガル相手に駆け引きしていた両親を支持し続けたこのTordesillasの地で母1人子1人の生活を始めた。
この時のフアナの胸中は如何ばかりだったか
想像に難くない
次回予告
フアナの父フェルナンドはシスネロス枢機卿と共に摂政の地位に就き、カスティーリャの民を宥めて政治を動かしていた。
ただ対外的にはどうしても女王フアナの力が必要だった。そこでフアナの精神状態が良くない時に粗末な服装で使者に謁見に応じさせてくる。
父の狡いやり方にうんざりしていたフアナはそれでも平静を装って謁見に応じ、父に対しても毅然とした態度で臨む。
フアナの精神不安定な状態が治ったわけではなく、亡き夫フェリペに代わって精神依存の対象になったのは唯一手元に残った末子カタリナ王女だった。
外交の場でだけ利用された女王フアナ1世も、父摂政フェルナンドの死によって政治の表舞台から忘れ去られる事になる。
政治の表舞台から忘れ去られた彼女は母に加えて父が所有していた称号も全て引き継ぎ、同君連合が成立した。
ここに初代スペイン女王フアナ1世が誕生した。
だが実態は大きく違っていた。