取り立て
まずは店内へ向かった。厨房には従業員が数名いた。ケーキやパン作りはかなり早い時間から始めるというのは、調べて知っていた。
厨房にいる一人ひとりに挨拶をして、店の中へ移動した。店内の電気をつけようとしたら、大声で怒鳴られた。
「節約っ。開店するまで電気つけんなっ」
「は、はいっ」
びびった。朝からみんな元気だな。
カウンターに入り、アルコール消毒と布巾があったのでそれを使って拭き始めた。信じられないことにかなり汚れている。
本当なら明かりをつけて細かいところまで拭きたかったが、節電の言葉にとらわれて、できる範囲を綺麗にした。
感心するほど汚い店内だった。細かいところまで掃除していたら、ふと、姉がパチンコ店のカウンターを拭いている姿を思い出した。
今年三十歳になる姉は二号店の店長をしている。お客様の動向、喫煙をしたいお客様への配慮、近年駐車場に子どもを置き去りにする事故を防ぐなど、気を回すところが多い仕事で、姉の働きぶりは見ている人にやる気を出させる。
「よしっ」
碧斗は腕まくりをした。
カウンターを綺麗にし終えると、店内の掃除を進めた。埃がたまっていた場所も全部とり除き、窓もしっかりと拭いた。店内が何となく明るくなった気がする。
次は外の掃除だ。ほうきで枯れ葉を集め、ゴミ袋に詰めた。ゴミ捨て場を教えてもらおうと厨房へ戻ると、従業員がみんな集まっていて、和志が来ていた。
「あ、かっちゃん、おはよう」
挨拶をすると、和志は顔をしかめて碧斗の頬をつまんだ。
「お前、その顔なんだ」
「え?」
一体何の事だろうとぽかんとする。すると、和志がため息をついた。
「目のまわりが真っ赤だ。泣いたんだろ」
「あ」
夕べのことを思いだして、胸がチクッとした。朝、顔も洗っていないので、自分がどんな顔をしていたかチェックしていなかった。
「それで店番するつもりか? 俺がいじめているみたいじゃないか」
「お、お店が開くまでには何とか戻るよ」
「本当かよ……。それより敬語を使え。かっちゃんと呼ぶのも禁止、シェフと呼びなさい」
「は、はい……」
碧斗に説教をした後、和志は従業員たちの方へ振り向いた。
「今日からスタッフとして働いてもらう。速水碧斗だ」
背中を押され、碧斗は緊張しながら背筋を伸ばした。
「速水碧斗です。よろしくお願いします」
挨拶をすると、従業員たちが小さく頷いた。
「よし、じゃあ、ミーティング始める。今日は予約のお客様が三件入っている。結婚記念日が一件と誕生日が二件だ。後は通常通り。レシピどおりに作れよ」
はーい、と男たちのやる気のない声が響いた。みんなが解散すると、和志がこちらを向いた。
「碧斗、掃除終わったのか」
「あ、あの……。ゴ、ゴミ。どこに棄てるんですか?」
「表に出しとけ」
「え? いいんですか?」
「いいよ」
ひらひらと手を振ると、和志は事務所に入ってしまった。碧斗は不安に思いながらも言われた通りにゴミを外へ出すと、朝、指示をくれた男の元へ行った。
彼は氷水でボールを冷やしながら、生クリームをかき混ぜていた。頃合いを見計らって話しかける。
「掃除、終わりました」
「あっそ。えっと、速水だっけ、制服は?」
「あ、まだです」
「じゃあ、これ終わったら用意するから待ってな」
碧斗は待っている間、興味深そうにあたりを見渡した。一人ひとり、違う作業を分担されているらしい。
オーブンを扱う人、カスタードを作っている人、ケーキを焼いている人。
碧斗の胸は高鳴り、興奮した。
いつか自分もやらせてもらえるかもしれない。
「おい、行くぞ」
「あ、はい」
呼ばれてついて行く。ロッカールームに入り、ここで着替えろと制服を手渡された。
「前の奴が使ってたやつ。これ使って」
「は、はい」
コックコートはクリーニングされているようだが、何となく、くたびれている。
「帽子はこれな」
灰色と白の縞模様のキャスケット帽を渡される。
「後はシェフに聞け」
「分かりました」
着替えを済ませ、事務所の戸をノックした。返事がない。
「シェフ……?」
そっとドアを開けてぎくりとした。男が三人、和志を取り囲むようにして立っている。
「かっちゃんっ」
思わず中へ飛び込んだ。
「誰だこいつ」
眉毛が薄い男が碧斗を睨みつける。碧斗は思わず腰が引けたが、勇気を出して和志に近寄った。
「じゃあな、困ったらすぐに連絡してくれよな」
和志の頬を撫でてから、男たちが離れた。碧斗は和志に駆け寄った。
「だ、大丈夫?」
「……碧斗、今見た事は誰にも言うなよ」
「今の人たち何なの?」
和志はそれには答えずにふうっと大きく息を吐いた。
「くそっ」
口から汚い言葉が発せられる。碧斗は思わずびくっとした。
「金、借りてるんだよ。やつらから」
「そ、それって闇金とかいうやつ?」
「まあな」
「は、早く返さなきゃ」
「返せるわけねえだろ。一千万以上あんだから」
一千万……。碧斗は呆然として和志を見た。




