信じるべきもの
「いっ…た…!」
不満の声を漏らすように、守はゆっくりと重みのかかった瞼を開ける。守の視界に真っ先に入ったのはコンクリートか何かで固められた灰色の天井。長年使われてるのか、至る所に鉄筋のような物が剥き出しになっている。
守には見覚えのない場所だ。辺りはトイレや机、守が使っている綺麗とは言い切れないベットが部屋の角に置いてある位だ。後はヒビが入った壁が彼を囲んでいるだけ。
「さぶっ!」
気づけば守は上半身裸だった。腹の辺りだけは腹巻のようにグルグル巻きに包帯が巻きつけられ、若干赤く滲んでいるがしっかりと止血されている。守は自分を抱きしめるように腕を組んで肌を擦った。
手を動かしながら、守ははぁ…と溜め息を吐く。その上また知らない場所か……と自分も呆れかえる程にこのパターンは経験している。例えば、教室の机にいきなり召喚されたりとか、ある時は知らない部屋で寝てたり、過去に何度も経験していた。
「最近こういうのが多いな……俺」
そう呟きながら守は体を起こそうとするのだが、
「……ッ!!」
腹に鋭い痛みが走り、上がりかけていた体がベットに落ちる。殺人鬼に刺された傷が完璧には癒えてはないのだろう。見た目ではそんなに血が流れていないため大したことないように思えるが、内部から来る痛みはとんでもない。
「あまり動くな。傷口が広がるぞ」
ガチャンと音を立てながら、ドスの利いた声が聞こえてきた。守はその声の方へと向ける。そこには対魔術無効組織のメンバー、ゴードン=サスペンダが扉の前に立っていた。
「あんたは誰だ?」
守が警戒の念を抱きながら、そこに現れた人物に問いかける。
「対魔術無効組織のメンバー、ゴードン=サスペンダだ。少しお話を聞かせてもらおうと思ってね」
そう言いながら、ゴードンは守が寝ているベッドの横に近づく。守は身構えた。この男が昨日の殺人鬼と関わっていて自分を殺すんじゃないかと。
「そんなに警戒するな。俺は治安を守る立場に位置するものだ。君たち一般市民には手をださないから安心しな」
ゴードンは守の気持ちを簡単に見破ると、ブツブツと唱え始めた。すると、パッと光が辺りを包み込んだ。しかし、それは一瞬で消え、気が付くとゴードンの後ろには椅子が出来上がっていた。
ゴードンは当然のようにその椅子に腰かけ、ベッドに倒れている少年を見下ろす。
「率直に訊くが、あの現場で何があった?」
頭の上に乗っかった帽子を膝の上に置き、ゴードンは話始める。
「容疑者らしき人物は焼死体で見つかり、そのすぐ近くに君が倒れていた」
「……」
守はゴードンを見つめたまま黙った。あの時あったことを言うべきか。無論、言ったことに越したことはないのだが、死体が人殺してましたなんて信じてもらえるのだろうか。不安が尽きない。
「別に無理に言わなくても良い。こちらとしても、あまり人の傷口を抉る行為は好きじゃないんでね」
「いや、別にそう言う訳じゃないだ。ただ、信じてもらえるかが心配で……」
すると、ゴードンの目にギラッと何かが光った。
「信じるさ。我々の職業では信じる事こそが心情だ」
生憎にも守を付け狙う悪意のある組織ではなさそうだ。守は静かに決意し、口を開き始めた。
――――――――――――――――――
一方その頃、アレシア=スコットは別室で取り調べを受けていた。
「それでは結果的にまとめると、アレシアさんは友人と一緒に何者かが男性から心臓を取り出す所を目撃し、すぐにその場から逃走。途中、追ってきた容疑者を足止めするために友人がその場に残り、アレシアさんは助けを呼びにその場から離れ、私たちと遭遇したと言うことになりますね」
「……はい」
席に座らされたアレシアの向かい側に、エルダントが真剣な表情で確認をしていた。
「あと他に知っている事とかがありましたらお話ください」
「いえ、これ以上は……」
アレシアは膝の上で小さな手をギュッと拳を作り上げ、俯いていた。目の下は赤くなり、先程まで泣いていたのが分かる。
「そうですか、それでは今回の取り調べはこれにて終了します。お帰りの際には私が送りますよ。少し待っててください」
そう言いながらエルダントは席から立ち上がった。
「訊いても……良いですか?」
アレシアが絞り出すように声を出した。
「……はい」
エルダントは特に表情を崩さず、ただ俯く少女を見つめる。
「守君…いえ、友達は…大丈夫なんですか?」
アレシアは自分よりも友人である守の心配をしていた。友人の為にここまでする少女にエルダントの表情がついフッと綻びる。
「大丈夫ですよ。幾つか火傷か刺し傷がありますが彼は無事です。安心してください」
それを聞いたアレシアは顔を上げた。本当に良かった、と心から安堵したような笑みを広げ、目からはまた涙が溢れてくる。
「では、馬を用意しますので下でお待ちください」
「ありがとう…ございます!」
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全てを語り終えた守は、ジーとゴードンの様子を窺っていた。先程から動きが全くみられない。特に犯人が死体と告白した時からゴードンの表情はどこか険しく固まっていた。
「協力、感謝する」
そう言うと、ゴードンは膝の帽子を被り扉の方へと歩き始めようとした。
「あ、おい!ちょっと待てよ!」
一体どういうことなのか理解できない守はゴードンを呼び止めた。
「なんだ?」
「なんだもクソもねぇよ!人の話聞いた途端にどっか行くって何かあったのかよ!」
鋭い視線が守に向けられる。
「その話が本当なら、容疑者はまだ生きている」
「ッ!?」
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つい描きたくなるほど綺麗な青空の下、アレシアはある建物の前にいた。一見してみるとただの三階建ての白いビルみたいな建物だ。そこはついさっきまでアレシアが取り調べを受けていた所。
最初入るときは緊張や不安しかなかったアレシアの心も、そこを出た時には心が軽やかになり安心できていた。まるでその建物自体がそう言う心の汚れを取る場のようだ。
路上に流れていく人を目で追いかけながら、エルダントが馬を連れてくるのを待つアレシア。
そんな彼女の背後を建物と建物の隙間から見つめるフードを被った人物がいた。全身黒装束で覆われ、死神のようなヒラヒラとしたものを纏っている。顔はフードで隠され正体は不明。片手にはナイフが握られていた。
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「死霊使い(デッドマスター)。死んだものを魔術によって操ることが出来る者のことを言う。本来、死体が勝手に動き出して人を襲うと言う事例はないに等しい。死んだ者が話すということもだ。だが、かなり昔に一軒だけ死者を操ることができた魔術師がいた。名前はチャールズ=レヴィントン。過去最高にして、最悪の魔術師だ。学問、運動、頭の回転もどの魔術師よりも超えていたが、夜な夜な誰とも知らない人物の墓を掘り返しては操って人を殺す。そして、その殺した死体を操るといったことの繰り返し」
ま、結局は奴自身の魔術痕が死体に付着しててそのまま証拠となりお縄になったと付け足すゴードン。つまりはこの殺人は彼が言う『死霊使い(デッドマスター)』とやらの仕業に違いないと言いたいのだろう。
その時、ふと守の脳裏にあることが過った。
「なぁ、俺の友達知らないか?」
「ん?あぁ、今さっき彼女の取り調べが終了したとの報告は受けた。今頃帰ってるとは思うが」
すると、守の血相が変わった。血の気があった肌色が一気に青ざめ、唖然としている。しかし、数秒で守は行動を起こした。おもりでもくっ付いているのかと思わせるような体を起こし始める。
当然、その行動に慌ててゴードンも止めに入る。
「おい止めろ。本当に傷口が開くぞ!」
「今行かないと…アレシアが……殺される!」
なにぃ?とゴードンは眉を顰め、守を止める手を弱めた。
「お前それでも守側かよ!少なくとも俺とアイツは死体とは言え犯人を一回見てる!あそこで犯人が死んでいないとしたら余計なこと話される前に目撃者を消しにかかるのが常識だろ!?」
「……!!」
ゴードンはチッと舌打ちし、そのまま守の体を力ずくでベッドに押し戻した。手負いの少年を抑え込むのにそんなに苦労はしなかった。両肩を抑え込めば後はジタバタするだけ。何の抵抗も出来ない。ゴードンは目を細め、少年にこう言う。
「ガキは寝てろ!これは大人の仕事だ!!」
そう言うと、素早くこの部屋から出ていった。守も追いかける暇もないくらいにあっと言う間にゴードンは消え、扉は彼が出ていくと同時にガシャンと音を立てて閉まる。
「黙ってここにいられるか!!」
守は再び体を起こし、出口へと向かう。一歩踏み出す度に腹部から悲鳴みたいに鋭い痛みが走る。手で傷口を抑えるも効き目はない。痛みはどんどん増していく。それによって走る速度が落ち、その上体が脳の命令を拒否。結果なかなか体が言うことを聞かない。
色々ありながらも何とか扉の所に辿り着いた。来るまでに大量の汗と気絶するかと思う位の痛みを犠牲にしてやっとここまできた。アレシアの所まで行くのに自分が無事でいられるか心配になるがここはやるしかないと、守自身士気を高めた。
扉は頑丈な鉄でできていた。ドアノブに手を掛け、回して引いてみるが開く気配がない。ここは強引に蹴破るのが得策だと守は判断し、足を胸の辺りまで上げ力を溜める。その際、腹部も使うので激痛が伴うが守はお構いなし全身全霊を込めた蹴りを扉に叩き込む。
ガァァン!!
甲高い金属音が鳴り響くが扉自体にそんな外傷はない。
「くそ!くそ!!くそ!!!」
ガァァン、ガァァン、ガァァンと何回も扉に蹴りを入れるが全然壊れる気配はない。それどころか、腹部の傷口が痛みが増していく。
「壊れろ壊れろ壊れろ!!!」
そう叫びながら扉を蹴破ろうとするのだが現実は無情な事にビクともしない。
「何で肝心な時に俺は何も出気ねぇんだ!」
守はそう叫びながら扉の破壊方法を変える。一旦、扉との距離を置く。そして、深呼吸すると扉に向かって走り出す。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!!」
ガァァン!!と蹴りの時よりも物凄い音が鳴り響くが開くまでには至らない。再び扉との距離を置きまた勢いよく体当たり。ひたすらそれを繰り返すが、扉は動かない。
気づけば、腹部に巻かれていた包帯がどんどん赤く染め始められていた。傷口が開いたのだ。血が包帯から滴り落ち、血だまりが出来始めている。それでも守は、
「今助けてやる!待ってろよアレシア!!」
諦めない。そして、最後の力を振り絞り思いっきり扉に突っ込む。
ガシャガシャン!!
ついに扉が倒れた。何回も強い衝撃が加わったせいもあるのだろう。だが、今の守にとってはどうでも良い事。早くアレシアを助けなくてはという気持ちの許で動いている。守はヨロヨロと立ち上がり、足を進める。
「もう、あんなことになってほしくないから」
そう言いながら、外へと向かう守だった。