殺人鬼の正体
人が込み合う大通りにて。全身黒ずくめの男、ゴードン=サスペンダは鷹のような鋭い目で辺りを警戒しながら歩いていた。隣には職場の後輩となるエルダント=コリシティアがあらゆる場所に目を配らせる。
彼らは対魔術無効組織のメンバーだ。このホルクスに、悦楽殺人鬼が存在する可能性が高いので来ている。各国にも、対魔術無効組織が同様のようにパトロールをしているのだが、今まで以上に捜査員が導入されている状態。迂闊に動けば即お縄になるくらいの警戒網だ。
「エルダント、お前の故郷だからと言って気を抜くんじゃないぞ」
ゴードンがそう言いながらエルダントに声を掛けた。
「大丈夫ですよ。これでも一応、仕事とプライベートの区別は着けられるんで」
エルダントの言葉に、そうかと呟くように言うゴードン。
しばらくの間歩き続ける二人だったが、事件は簡単には起きない。寧ろそれが喜ばしいことなのだがゴードンにとっては逆にもどかしい。彼にとっては一刻も早く犯人を捕まえたいところなのだ。彼自身、いつも組織内では一、二位を争う程に優秀な人物。担当した事件は必ず解いてきた。自分のプライドを守るためにもこの事件を何としても解決したいのだ。
だから、事件を未解決にすることはできない。常に自分が優秀である為に。
「先輩、全てとは言いませんがもう少し肩の力を抜いたらどうです?あまり体に良くないですし、犯人にも警戒されちゃいますよ」
あまりにも獲物を狙うような狩人的オーラを出すゴードンに、エルダントは静かに彼に近寄り、そっと耳打ちをした。
「ん?あ、あぁ……すまない。少し熱くなっていたようだな」
ゴードンはすぐに冷静さを取り戻した。それもそのはず、気づけばゴードンとエルダントの周りは彼らを出来物でも見るかのような冷たい視線がこちらへと集中していたからである。このままでは、こちらにとっては何の利益も得られない。
早くこの場から離れよう、そう思いながらゴードンが歩き始めた時だった。
「誰か助けてください!!」
悲鳴にも近い声が市場に響いた。瞬間、歩いていた人々の足が止まり声のした方向へと視線を向かわせる。当然、警察的立場にあるゴードンもその声を聞くとその方向を見た。しかし、群衆が邪魔で声の主らしき人物が見えない。
ゴードンはチラッと後輩のエルダントに視線を向ける。すると、エルダントの方もゴードンの視線に気が付くと、静かに頷いた。
「ちょっと失礼します。対魔術無効組織の者です。ここを通してください」
エルダントが群衆をかき分け、先に進む。ゴードンも後に続き声のした方向へと向かう。
群衆をかき分けた先には少女が地面に座り込んでいた。髪型はボブで、身長が若干低い可愛らしい少女だが、顔が涙でぐしゃぐしゃになっている。目の下は泣き過ぎたせいなのか赤く腫れ上がっていた。
エルダントは少女に近づき、同じ視線の高さになって優しく声を掛けた。
「どうしたんですか?」
「と、友達が…死んじゃうかも……うぐっ!」
少女は気が動転していてうまく話せないようだ。エルダントは少女の背中に手を回した。そして、彼女の背中を優しく擦りながら…。
「落ち着いてください。ここは安全ですから。まずはお名前を聞かせてもらえませんか?」
エルダントは優しい口調で言う。まるで女を口説き落とすかのようなテクニックに見えるが、今はそんな場合ではない。
「アレシア……スコットです」
エルダントのお蔭で少しは落ち着きを取り戻したアレシア。そんな彼女に柔らかい笑みを浮かべ、エルダントはこう言った。
「よし、アレシアさん。何が起こったか大体で良いので教えて頂けませんか?」
「えーと…私の友達が荷物を運ぶのを手伝ってくれまして、その時、彼が突然細い路地へと入ったんです。私も付いて行くと……うっ…うぅ…!」
話す途中に彼女は再び泣き始めた。あの時の惨状を思い出すのが辛いのだろう。エルダントは深呼吸深呼吸、と言いながら彼女を宥める。
アレシアは言われた通り深呼吸をして、何とか口を開いた。
「誰かが……男の人の心臓を抉り取ってたんです。それで、彼と逃げたんですが、私たちに気づいたその人は追ってきて…。友達は私を逃がすためにその人に立ち向かって行ったんです」
「……」
エルダントの表情が歪んだ。この殺し方に聞き覚えがある。まさか…と思いながらゴードンの方を見た。ゴードンは顎に手を当て、神妙な面持ちをしている。
「エルダント、応援とそこのお嬢さんの保護は頼んだぞ」
何か思いついたかのようにゴードンは顎から手を離すと、アレシアが出てきた方向へと体を向ける。
「一人で行くんすか?危険すぎますよ!ここは応援を待った方が!」
「いや、それじゃあ時間がかかる。俺一人で行く」
それに、これ以上犠牲者を出す訳にはいかないからな、とゴードンは付け加える。エルダントはそれを聞くと、はぁ…と溜め息を吐いた。これ以上この男に何を言っても無駄だと思ったのか、エルダントはこう言う。
「分かりました。決して、無理しないでくださいよ」
「ああ、分かっているさ」
ゴードンは細い路地に足を進めて行き、暗闇の中へと消えて行った。
――――――――――――――――
時を同じくして。
フードを脱いだ殺人鬼はまともな顔をしていなかった。皮膚が緑色に変色し、乾燥している。両目は無く、代わりに大きな穴が二つ開いている。歯はガタガタで所々抜けていたり、土が口の中に付着している。
守はそんな相手を警戒していた。このまま、まともに戦って勝てるものかどうかが問題だ。相手は死人。死んだ相手をもう一度殺すことはできない。
だが、それはあくまで殺すことが出来ないまでのこと。
守は荷物を足元に置き、片手に持っていた火のマッチ棒を相手に投げた。マッチを投げる程度、避けることなど造作のない。それに灯りが灯っていたのなら尚更だ。殺人鬼はそれを半身で避け、すぐに攻撃態勢へと移行した。
殺人鬼は守へと向かって走り出す。獲物を確実に仕留めるために。この手で守の体を引き裂くために。まずそうするには相手の動きを封じる必要がある。とるべき手段は一つ。足を駄目にする。
殺人鬼は二つのナイフを守の両足へと振り下ろした。
が、
「計画通りッ!!」
守は思いっきり拳を作り、敢えて殺人鬼の方へと突っ込んだ。そして、あるだけの力を拳に込め、殺人鬼の顔面に強烈な一撃を叩き込む。バキャ!とペットボトルを足で潰したような音が辺り一体を包み込む。
守の拳が醜い顔をした殺人鬼を貫いていた。死体と言えど、所詮は死体。死んでから時間が経てば体はボロボロになってくる。当然、骨なんかも脆くなってくる訳だ。殺人鬼の手はナイフを掴んだままプランプラン揺れ、体はピクリとも動かず守にもたれる形で立っている。
勝った…。少なくとも相手は死人だが、さすがに顔をぶちのめされたなら再起不能になるだろう。某ゾンビ映画でもゾンビの頭を破壊すれば必ず死ぬ。それを参考にした訳なのだが、ぶっちゃけ本人からしてみればただの勘。これなら相手を倒すことが出来るんじゃないかと思ったのだ。守は安堵の溜め息を吐いた。
その瞬間、
ザシュッ
肉を裂くような音が聞こえた。随分と近くからその音は聞こえ、そこへと視線を移す。音の発生源は横腹。ナイフを握った殺人鬼の手が守の横腹を捉えていた。
「なんで……動けんだよ……」
横腹に刺さったナイフに触れながら、自分にもたれる殺人鬼を蹴っ飛ばした。殺人鬼の体は簡単に離れ、地面に倒れるが、すぐにむくりと起き上がり始める。
「チート……過ぎ……だろ……」
口から血が零れ始め、横腹から全身へと鋭い痛みが伝わる。まだ気絶しないだけマシではあるが、守としては状況が一気に悪くなってしまった。
横腹にはナイフが深く刺さり、痛みでまともに動けない。立つのもやっとの具合だ。そして、殺人鬼は顔面に風穴を開けられていると言うのに先程と変わらずピンピンしている状態だ。
守は痛みに耐えながら何とか思考を続けた。何とかこの状況を打破するいい方法はないか、と。だが、殺人鬼はそんな時間を許してくれはしない。
殺人鬼は残り一本のナイフを構えて走り出した。次で決着をつけるつもりなのだろう。今度当たれば、確実に死ぬ。それは紛れもない事実。
「クソッ……!!」
守がそう言いながら何歩か後ろへと下がった時だった。
「……ッ!?」
足が縺れ、転んでしまった。
(ヤバイ、このままだと俺……本当に死ぬッ!)
目の前に迫る殺人鬼を目にして、守は必死に何か使えそうな物がないかキョロキョロ確認する。必死に探していたことが吉と出たのか、後ろに紙袋が落ちているのに守は気が付いた。
守は殺人鬼から目を離さないように紙袋の中から適当な物を取り出すと中身が何かを確認した。守が手にしていたのは透明のケースで覆われた亜鉛。
(クソッ!これじゃダメだ!アイツの体を吹っ飛ばすような……)
その瞬間、守が元いた世界である教師がこんなことを言っているのを思い出した。
「粉塵爆発。大気などの気体中に含まれる一定濃度の可燃性の粉塵が空気中に浮遊した状態で、火花等で引火し、爆発を起こす現象のことを言う。テストに出るから覚えとけよ」
一瞬走馬灯のように浮かんだ教師の授業の記憶。普段授業を聞いていなかった守もこの時だけは気まぐれで聞いていた。まさかここで役に立つとは本人も思わなかったはずだ。
殺人鬼がナイフを守に向けて振り下ろしてくる。がしかし、守はそれを左へと転がり回避。ナイフは地面に突き刺さった。守はすぐさま殺人鬼に向けて蹴りを入れるのだが、さすがに学んだのか殺人鬼は地面に刺さったナイフを引き抜くと同時にその攻撃を容易く躱し、再び守へと刃を向ける。
殺人鬼は再びナイフを高らかに上げ、彼の足へと照準を定める。そして、考える暇もなくナイフは振り下ろされた。
その瞬間、守はすぐに足を引き、何とか攻撃を躱す。さっきまで置かれていた足の場所にナイフが勢いよく地面に突き刺さった。殺人鬼はすぐにナイフを引き抜こうとするのだが、深くまでナイフが到達しててなかなか抜けない。
この時がチャンスと見たのか、守は紙袋の中を探り始めた。そして、目的の物を探し当てるとナイフを抜くことに没頭している殺人鬼に精一杯の蹴りを顔面に食らわせる。
殺人鬼は宙を舞って一回地面にバウンドし、仰向けに倒れた。すかさず、守は亜鉛の入った透明のケースを殺人鬼が倒れている横の壁に思いっきり投げる。ケースはパリンと音を立て、中の亜鉛を宙にばら撒いた。
すぐに守はマッチ棒を取り出し、点火させる。そして、今にも起きようとしている殺人鬼に全てを賭けてそのマッチを放り込んだ。
ボワッ、と空中で急激に燃え出す炎。
次の瞬間、
ドォォォン!!
大きな爆発が辺り一体を包み込んだ。