忍び寄る影
「おいおい、何があったんだ!?」
「馬鹿ロベルトが例の編入生にケンカ吹っかけたんだとよ!」
「マジか!!」
ざわざわとそんな話声が飛び交いながら、剣術場の周りには多くのギャラリーが集まっていた。馬術場からも射撃場からも騒ぎを聞きつけた生徒がどんどん集まり、事態は大事になり始めていた。
柵の中では、二人の勝負を邪魔しないように人形を退かし距離を置く生徒も続出。剣術場にいるのは守とロベルトだけとなり、柵の周りにはおよそ二十人程が固唾を飲んでそれを見ていた。
守は地面に置かれていた一.五メートル位の長方形の金属製の箱から木刀を取り出した。木刀と言っても日本の刀を模した物ではなく、西洋の騎士が扱うような大剣のような物を想像してもらえれば良い。
「ほらっ」
守はそう言いながらロベルトに刀を投げて渡した。大剣と言っても素材が特殊なお蔭なのか、重さは全くなく紙でも持っているかのような軽さだ。ふん、と鼻を鳴らしながらロベルトはそれを片手でキャッチする。
「で、ルールはどうなんだ?」
守はそう言いながら、箱から大剣を取り出してロベルトに声を掛けた。
「ルールは簡単。一回でもこの剣が相手に触れたら勝ち」
ロベルトはめんどくさそうに尚且つ簡単に説明をした。
「それで良いんだな?」
最終確認の為に、もう一度ロベルトに話しかけるが、ああ、とダルそうな返事が返ってくる。雰囲気からしてすぐにでもこの勝負に勝って良い顔をしたいと言うオーラがバリバリに出ている。
守は深いため息を吐いた。自分が一体何をしたっていうのだ。ゴーレムを倒したと言うがあれはまぐれでもあれば偶然でもある。それに第一に自分一人であれに立ち向かったみたいになっているようだが実際はたくさんの教師が協力していた。
言おうか言わないか迷う守だが、今言ったところで信じてもらえないのとここで言うのも何だか場違いな気がしないでもない。何て言ったって周りには沢山のギャラリーがいるのだから。迂闊に言って変なデマが流れることも考えなくてはならない。
「おらぁッ!」
「ッ!?」
そんな考えをしている途中、いつの間にかロベルトが剣を片手で振り上げ、守の脳天をぶちのめそうとしていた。スタートの合図もないままにロベルトは無理やり勝負を始めていることに守は気が付いた。
守は何とか体を移動させ右へと避け、ロベルトからなるべく距離を取る。スカッ、と効果音が鳴りそうな程に見事に空打ったロベルトはすぐに剣を構え直してまたすぐさまに守の方へと突っ込む。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
「マジかよ!」
守はロベルトとの距離を開けるため、後ろへと全力で走る。だが、ロベルトもなかなかのスピードで追いかけてくる。
(競争でよーいどん!の合図を普通によーいの時点で走り出す俺の友達みたいな性格してんなアイツ…!)
このまま走り回っているのも体力にも限界がくるのが目に見えてくる。守はとりあえずこの追いかけっこを終わらせるべく急停止し、そのままUターンしてロベルトの方へと走り出した。
「わざわざやられに来たかバーカ!!」
剣を大きく振りかぶり、守が自分の方へと来た瞬間振り下ろすつもりだ。守もそんなことは相手の行動からして理解できた。だから、
「おらぁぁぁぁ!!!」
「ふんっ!!」
ロベルトが剣を振り下ろすと同時に、守は思いっきり滑り込み彼の軸足を蹴り飛ばした。すると、支えが無くなったロベルトの体は崩れ始めある地点へと落下する。
「げふっ!?」
鮮やかにスライディングを決めた守の体にロベルトの体が伸し掛かった。守と変わらない体格にその重さに守は胃の中の物をぶちまけるかと思うぐらいの衝撃を受ける。
「テメェ…舐めやがって!こんd…!?」
上に乗っかっていたロベルトは上半身を起こし怒気を上げながら言っていたが、表情は一変。途中で言葉を止め、唖然とした表情である方向へと視線を向けていた。そこはロベルトの脇の辺り。守の剣がロベルトの脇辺りを軽く当てていた。
「…勝負は着いたぞ」
ぐっ…と歯を軋ませるロベルト。周りからはおぉ!!との歓声が聞こえ、後には拍手も疎らだが聞こえてくる。
「ほらっ、退いてくれよ。重いんだ」
くそっ!と言いながら守から退くロベルト。彼が退くと守は立ち上がり、尻に付いた汚れを払った。
これでこのめんどくさい勝負は終わりだ。すぐにのんびり出来るなと思いながら守は背筋を伸ばしてあくびをする。しかし、ロベルトはそういうつもりはないようだ。
「もう一回だ!あともう一回勝負しろ!今度は確実に俺が勝つ!!」
さっきと話が違うことに守は眉を寄せた。
「勝負は一回って言っただろ?もう一度やる訳ねぇだろ。それに、もう一度やったところで多分結果は同じだ」
「なにぃ!?」
その言葉にロベルトは守の胸ぐらを掴み上げた。怒りで表情は歪み、歯を剥き出しにして鋭い目つきで守を睨みつける。
「んなわけねーだろ!!次は絶対勝つ!!お前も今はそう言ってられるが次は何も言えなくなるからな!!」
その時、守はロベルトの言葉に嫌気が差したのか胸ぐらを掴み返し、今浮かぶ最大限の言葉を発した。
「お前、戦場にもう一度が通用すると思ってんのか?」
「ッ!?」
ロベルトは黙り込んだ。いや、黙らされた。守のその目つきや声の低さ。彼から発せられるオーラに。
「お前の知っての通り、俺はゴーレムと戦った。だけど、戦ってる最中にあともう一回なんてもんはあの場にはなかった。殺されたら終わり。チャンスは一度きり。その限界の瀬戸際に俺はあの場にいたんだ。自分の実力もまともに判断出気ねぇ奴がもう一回なんて甘ったれたこと言ってんじゃねぇよ」
ただ一度の戦闘だけだったが、守はあそこから色々と学んでいた。戦いの原理や生き残り。守は鮮明に地獄を知らないロベルトに伝えた。
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その夜、守は自分の部屋にいた。窓にもたれかかり、ランプであちこちが照らされている町並みを眺めながら、守は今日ロベルトに言ったことを思い出していた。
「もう一回なんてない…か」
ふと呟く守。ロベルトのような奴にはちょうど良い言葉かもしれないし、同時に自分に対しての良い戒めにもなった。正に一石二鳥!と守は心の中で呟く。
とは思ったものの、あの後ロベルトと守の騒動があのヤクザみたいな顔をした教師の耳に入ることになり、結局こっぴどく怒られたことになったのを彼は思い出した。
思い出す度に蘇るあの恐怖は形容し難い物だった。
「かっこ悪いな…俺」
自分の情けなさにただそう言うしかなかった。
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ここは平民の国『リヴァイア』。農業や産業、経済等を主に中心として活動をし、魔術とは一切関わりを持たない唯一の国家だ。国民はそれなりの自由と人権を持った生活をしていて、裕福ではないが決して貧しい訳でもない。比較的、安定した国だ。
そんな国のとある道で、とある女性が必死の形相で走っていた。黒髪に白い寝巻を纏っていた。誰かに追いかけられているのか、目にいっぱいの涙を溜めている。赤色に染まった月の明かりを浴びながら女性は走る。時間帯は守の世界で言う夜九時だ。辺りは闇に飲み込まれ、血に染められたような色を放つ月の光だけが道を唯一照らす。
「ハァ…ハァ…誰か…助けて…ハァ……!!」
女性は掠れた声で助けを求めようとする。しかし、周りには誰もいない。全力でもう一度同じように叫ぼうとするが喉が枯れて声が出ない。
後ろからはヒタ……ヒタ……と裸足でアスファルトを歩くかのような足音が微かに聞こえてくる。その音が女性の恐怖心を煽った。
必死に走り続ける女性の前にぼんやりと光が見えてきた。光の方を注意深く確認すると、そこは如何にも誰かが住んでいるような石造りの家から漏れ出てた光だった。女性は藁にすがる思いで全ての力を使い切りそこへと辿り着く。
そして。
「ずみ…まぜん…開け…てくだざい!!」
ドン、ドン、と木で作られた扉にもたれる形で弱弱しく叩く女性。すると、ゴトゴト、と扉の向こうで誰かが動く音が聞こえた。希望が溢れる。
そして。
「はいよ、どちr…ど、どうしたッ!?大丈夫か!?」
中から出てきたのは初老の男だった。カウボーイのような服装をし、口の周りはほとんどヒゲで覆われている。男は驚きながらも今にも死にそうな顔をしている女性の両肩を持って倒れないように支えた。
「と、とりあえず中へ!!」
男性は女性を中に入れると扉を閉めた。女性は安心しきったのか男の部屋に入ると腰が抜けたようにへたり込もうとするが、男性はそれを頑張って押さえて自分がさっきまで座っていた席へと座らせた。
部屋の中は木製の机を中心に置かれ、椅子も向かい合うように二つ入れられていた。壁には時計が設置され、タンスが置いてある。あとはそれだけで、周りには何にも置かれていない。
「とりあえずこれでも飲んどけ。ブラックだけどな」
「ありがとう……ございます」
男性はそう言いながらコーヒーの入ったコップを女性に渡した。コーヒーの香りが鼻腔を刺激し、女性の気持ちを落ち着かせた。女性はコップを受け取ると、一口だけ口にする。
程よく暖かなコーヒーの温度に女性はホッとする。
「ところでお前さんいきなりどうしたんだ?そんなに血相変えて」
男はポリポリと頭を掻いて言った。女性はその質問に話すか話さないか少し戸惑うがゆっくりと口を開こうとした。
トン…トン…
「ん?」
女性が答えようとした時だった。扉から明らかに、ノックの音が聞こえた。瞬間、女性に言い知れぬ恐怖が襲い掛かる。女性は開けてはダメ!と男性に言おうと口を開くが恐怖で足が竦むように声も出ない。
「今日はお客さんが多いなぁ…。はいよ、今開けるから!」
男性はドアノブに手を掛け、引こうとした瞬間だった。
「開けちゃだめ!!」
女性の声がやっと出た瞬間だった。
「え?」
男性の間の抜けた声が発せられたと同時に部屋の明かりが急に全て消え、冷たい空気が流れ始めた。
「ど、どうs………」
何か言おうとした瞬間、男性は何をされた訳でもないのに、酔っ払いみたいに足をふらつかせながら外へと出て行った。後に残った女性は再び孤独となった。
「ま、待って!!」
立ち上がり、男性を追おうと外に出ようとした瞬間だった。
「イタッ!?」
何かに足首を掴まれ、女性は転倒した。恐い。怖い。痛みと恐怖に支配された女性は必死に逃げ出そうともがくがさっきから彼女の足首を握っている『何か』の力が強まってくる。痛みに目を細めながら、ふと自分の足首を掴んでいる物を目撃した。
「……ッ!?」
ミイラのような干からびた手が彼女の足首を握っていた。そして、ミイラの手は物凄い力で彼女を引っ張り始める。
「嫌ッ!!」
女性は何とか開け放たれた扉にしがみ付き何とか逃れようとするが、バキバキと木で作られた扉は悲鳴を上げる。このままでは扉が壊れて自分は引きづり込まれてしまう。
だが、そんな事はなかった。
「ッ!?」
扉を掴んでいた手に限界が来たのだろう。呆気なく女性は扉から手を離してしまった。引きずられていくなか女性は外に向けて手を伸ばすが、二度と届くことはない。そして、扉は風か何かの力に操られるかのように彼女の視界から外という光景を奪うようにガチャンと音を立てて閉まった。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
女性の絶叫と、ザシュ、グチャ、ズシャ、と肉を掻っ捌くような音が家から響いてきた。
数秒後には嘘のようにその場は静まり返り、扉の隙間から赤い液体が流れ出していた。