【第1話】 〜出会い〜
「まぁまぁ〜かなぁー。別に。」
小林真由美17歳の高校生活の感想だ。
「別に。」ってところが女子高生らしい。
友達も少なくないし、マックのバイトも楽しいし、テキトーに好きな彼氏もいる。
親は金持ちではないが東京下町でもんじゃ屋を営んでいて、どちらかと言えば仲の良い家族だ。
不自由のある生活ではないのは確かだったから「別に。」なのだ。
都立高校で2年生の夏休み。
下町の古い一軒家で、真由美が生まれる前から夏冬かまわず居間にあるおコタに入り、定休日の両親とお夕飯をしていると
「最近どう?」と、新橋の立ち飲み屋で、久々に会った常連客に聞くかのように、母が娘に聞いたのだ。良く言えばフレンドリーか。友達感覚親子。
その時は自分の言った
「別に。」に、深い意味なんて考えてないし意味があるとも思っていなかった。
そんな質問よりも〈お父さんのくしゃみうるさいなぁー〉と思っていた。
夏休み特番にも飽きてゴロゴロしながら折込チラシを見ていた。新聞は読まないチラシ専門だ。
順番に見ていってると、こんな求人広告がスッと真由美に滑り込んできた。
【カジノBar リトルリノ☆
ディーラー・ウェイトレス大募集!!!未経験者可。丁寧に教えます!】
〈ん…?〉
テレビの旅番組にでてくる、ゴージャスなラスベガスを思い浮かべたが、なんか違う。
〈日本にもあるんだぁー〉
と不思議に思って、パチンコ好きなお父さんに聞いたみることにした。
「ねぇー、お父さんさぁー…」
「うん?」
「…やっぱなんでもない。」
「なんだよぉー気持ち悪いなぁー。」
「マジなんでもないって!ごめんごめん。」
ニコっと笑って誤魔化すのは真由美の得意技だ。つられて父親もニッコリ。
それは直感だった。親に聞いては、話してはいけないと真由美の第六感が働いた。
次の瞬間〈バイト今月で辞めれるかな…〉
《ただの夏休み》が《ドキドキと妄想を膨らませる》時間
に変わったのは、求人広告を見てから2分もかからなかった。
バイト仲間とも海やスノボー行ったりして楽しいけど、辞めるのが寂しいなんで思いもしなかった。
ただ、皆と一緒はツマンナイと思っていただけなのだ。友達と違うことがしてみたい。
親にバレないようにソッとチラシを隠し持ち、♪Mayumiるーむ♪とドアにデコレーションしている自室へ戻った。
♪Mayumiるーむ♪のある二階へギシッキュッギシッキュッと上りながら、ニヤニヤしていたのはあえて言う必要もないだろう。
すぐにジックリと読みたかった真由美は、二階へ上りきった途端
薄暗い廊下一番奥の♪Mayumiるーむ♪までダッシュした。
走るのが超嫌いな真由美にとって、ダッシュするくらいの感情なんてすごい事なのだ。
バイトの履歴書長所欄に“独り言でスッキリできる事”と書く真由美は部屋に入って長所を活かし始めた。
しゃべらないと自問自答できないタイプなのかもしれない。
「ディーラーってカッコよくない?マックの制服ダサくてヤなんだよねぇ。“てりたま”は好きだけど。」
ウェイトレスじゃなくディーラーに惹かれていたらしい。
「未経験者可かぁー。未経験で時給1500円!?超ぉーヤバくない?倍じゃん!!キャバでもないのに。
うぅー、18歳以上からかぁー。って言うか高校生不可じゃん。マジでぇー。。。バレるかな…。
…イケんじゃん?全然ハタチとか言われるしお姉ちゃんの保険証使えるし。やばぁーい!楽しそげ!
… “カジノBar リトルリノ☆” か… 」
カジノバーはゲームセンターではない。違法賭博場だ。
ガサいれ対策に表向きはゲームセンター感覚をアピールしているが換金していないカジノバーは都内に数百件あった中の数件だろう。
アングラとよばれる、女子高生でなくても想像しがたい裏社会とリアル社会との社交場。
カジノバーまでが、ぎりぎりリアル社会ともつながっている終着駅だ。
さて、その向こう側は?
そう、実はついさっき真由美がダッシュした廊下は、♪Mayumiるーむ♪ではなく
“ 欲望を狂わし大きなパワーを増幅させる【現ナマ】を、キラキラ魅力的で掴めない【虚偽】で覆った場所 ”
につづく廊下だったのだ。ただし、誰も気付きはしなかったし知る由もなかった。
一階の居間にいた両親も、テキトーに好きな彼氏も、真由美自身も。
「お電話ありがとうございます“カジノBar リトルリノ”です」
オジサンの声だ。女子高生の真由美は声だけじゃ年齢まではわからない。
真由美にとって、同世代以外の男子はすべてオジサンだ。
「あのー、チラシ見て電話したんですけどぉ…。面接大丈夫ですか?」
電話で年齢はバレないと思いつつも、びくびくと話しだした。
「あー、ハイハイ。バイト希望ね。顔に自信あるなら面接来て」
「はっ??? …ディーラーって顔関係あるんですか?」
「ん? ウェイトレスじゃなくてディーラー希望なの?
あははっゴメンね!女の子だったからウェイトレス希望かと思ったよ。」
「ディーラーの方です…けど…。」
「じゃあ、明日の5時にこれる?場所わかんなかったら電話して。
私、店長の渡辺って言いますから。」
ガチャン、ツーツー…。
特段に顔に自信のあった真由美ではなかったが、いきなりブスお断りと言われるとカチンときた。
17歳の女子高生でなくとも女なら当然だ。
普段の真由美ならばたとえ勘違いでも、自分がブスだと決め付けられた気がして
電話を切るところだが、ディーラーというバイトへの興味が勝っていたので我慢した。
ただ一言「店長ぉー?頭悪い奴だなぁー。ジジイってやっぱ無理。」
早速、明日の面接の準備を始めた。幸いなことに姉は帰ってきていない。
さぁ、今だ。姉の部屋へ入り、保険証と大人っぽいキャミソールと
シャネルの小さなカバンをこっそり拝借した。
今日ほど姉の存在に感謝した日はなかったはずだ。
「お姉ちゃんの干支ってなんだっけ…。」
そう考え出して指で数えだした時には、店長の渡辺の言葉など忘れていた。
23時ごろ、真由美の携帯が鳴る。親友の優希からのメール着信音だ。
@ちゅーす!真由美、明日バイト?渋谷行かない?
@ごめぇーん。明日出かけるんだ。
@彼氏ぃ?
@うーん…バイト仲間とね、池袋。
あえて言わなかった。優希は化粧が濃いわりには真面目な性格だからカジノなんて
言ったら絶対に反対されるはずだ。ちょっぴり心は痛んだが、しばらくして
から言えばいいやと判断した。真由美だけの秘め事だ。
かなりワクワクしていたから寝付けないのは承知していたが、ベッドに潜り込みたくなった。
タオルケットに一人、体を丸めてじっとした。
ガチャっ…。
リトルリノのドアを開いた真由美は、小さなシャネルのカバン
をしっかりと握り締めて顔を強張らせた。
強烈なタバコと柑橘系の匂いがわからないほどの緊張だった。
〈真由美、大丈夫だよ〉
そう自分に言い聞かせて、誰も出てこない店内へ入っていった。
ゆっくりゆっくりと。
悪趣味な絨毯のおかげで足音はたたない。
− 真由美本当にいいの?戻って真由美。 −
店内エントランスにある金ピカの狐の置物は、そう真由美に語りかけていたのに…今ならまだ、間に合ったのに…。
真由美は至極当然のごとく“リトルリノ”に吸い込まれていった。