プロローグ 全てはほんの偶然で……
「テメェ! 待ちやがれ!」
「待てと言われて待つバカはいないっ!」
少年達の喧騒に包まれながら、俺こと黒條白兎は商店街を逃げていた。
「絶対ぶっ殺す!」
「火炙りにしてやる」
とても怖いお言葉を次々と浴びせてくる少年達は地元でも有名な不良グループ。何度か殺人未遂まで起こしているらしい。
そんな不良グループに何故追いかけられているかと言うと、理由はとても単純だ。
学校帰り。俺はいつもとは少し違う道をフラフラしながら帰っていたのだが、ふと路地裏の入り口を見ると、少女が一人絡まれていた。
『ちょっと付き合え』だの『一緒にいいコトしようぜ』だの、いつの時代のナンパだよ、と思った俺は軽い気持ちで言葉をかけた。
「お嬢ちゃん、俺が遊園地へ連れていってあげようか?」
……自分で言っといて何だが、それはとても危険な台詞に聞こえなくもない。
「何だテメェ? 俺たちの邪魔すんのか!」
俺の存在に気づいた不良達はこちらへ振り返り、敵意を剥き出しにする。
「いやいや、邪魔なんて滅相もない」
そう、俺は『邪魔』なんてしに来たんじゃない。
「――『妨害』しに来たんだよ」
言葉と同時に、近くにいた不良の鳩尾に一発拳を決める。その不良は呻き声をあげながら、『い、意味一緒じゃねえか……』と器用にツッコミながら倒れた。
呆気に取られていた残り二人には記念として顔面にストレートをプレゼント。
そして仲良く二人同時に地面に伏せていったのだった。
「不意打ちが決まって良かった……」
正直、喧嘩になっていたら負けているところだ。我ながら完璧な不意打ちだと思いながら少女の方を見ると、その少女は俺が知っている人物だった。
「結城さん?」
腰まである長い黒髪、端正整った美しさの中に可愛さも秘めたようなその顔は、間違いなくクラスメイトの結城聖月さんだ。
男に言い寄られていた事もあり、突然声を掛けられてビックリしたのか、結城さんはビクッとしながらこちらを見る。
「く、黒條くん……?」
「絡まれてたのは結城さんだったのか……。絡む奴の気持ちも分かるよ。綺麗だもんな〜」
と、倒れている不良の肩をポンポン叩きながらそう言うと、結城さんは『や、やめてくれ! 私は綺麗じゃないから……!』と顔を真っ赤にしながら、否定していた。
「ま、とりあえず、今の内に逃げておくといい」
そう言って、俺は結城さんの肩を掴み、道路の方へ軽く押し出す。
「黒條君は帰らないのか……?」
「いや、今からちょっと用事があってな……。めんどくさいんだけど」
「そうなのか……。じゃあまた明日、学校で」
「ああ。またな」
笑顔で手を振りながら帰っていく結城さんを、同じく手を振り返しながら見送ると、俺は路地裏の方へ向き返った。
そしてふと不良を見ると、最後に殴った二人の内の一人が携帯を握って誰かと喋っていた。……かなりお怒りのご様子。
「ふむ。さて、俺は今からマラソン大会だな」
そう呟き、路地裏を全速力で後にした。
……と言うことがあり、今絶賛マラソン中。もう肺が悲鳴をあげているのだが、不良さんが諦めてくれない。
という事で、不良さんたちと話し合いで納得してもらおう。
「よし分かった! 分かったから右向いて帰れ! 四次元にな!」
「何が分かったんだ! 大体四次元ってどこだよ!!」
「みんなの心の中にきっとある!! もしくは青い猫型ロボットのポケットの中!」
「行けるかぁぁああ!! テメェ、ダチを三人も殴っといて、タダで帰れると思ってんのかっ!?」
「その場の気分でやった。今だに反省していない。そして俺は悪くない」
「取り調べみたいに言うなぁああ!!」
くそっ! なぜ納得してくれないんだ! これだけ必死に説得しているのに!
とりあえず何処かへ逃げ込もうと思った俺は突き当たりの路地を曲がり、その先にあった細い路地に逃げ込んだ。
壊れかけの自転車やら使われていない鉢植えやらがあったが、そんな事気にせずに俺は走る。
しばらく走っていると、不良達の声が聞こえなくなった。
ようやく撒いたか……? と立ち止まってみると、そこは異様な空気に包まれていた。
薄暗い路地裏とは言え、どこかから人の声が聞こえてきてもいいはずだ。だがそこは、この空間が切り離されたような静寂を感じ、暑くなってきた初夏だというのに妙な寒気、悪寒を感じるのだ。
「何だよここ? こんなに静かな場所あったか?」
大体この辺りの地形は把握しており、ここもそれなりに人の声は聞こえていたはずなのだが……。
「とりあえず、さっきの道を帰るか。さっさとこんな気味の悪い場所は出よう! そうしよう!」
そう言って、俺が来た道を帰ろうとした瞬間。俺の頬を何かが切り裂いた。
「――っ!?」
軽く切り裂かれた頬から、血がポタポタと流れ落ちる。
一瞬の事で反応できなかった俺は、細心の注意を払いながら振り返る。するとそこには『獣』がいた。
いや、獣とは言っても、ライオンやチーターといった『この世に実在する動物』ではない。
この世に『存在しないはず』の動物、ゲームの中にしかいないようなそんな存在。そう『魔物』と呼ばれる存在だ。
その魔物は俺の身長の一、五倍はあるだろう巨大な身長。人間のように二足で地に立ち、狼のようにばっくり開いた大きな口にはあらゆるモノを噛み砕きそうな牙が生え揃っている。体や腕には獣らしく体毛が全身に生え、軍人のような野性味を帯びた筋肉からは屈強さが見てとれた。手に生えた鋭く尖った爪はあらゆるモノを切り裂きそうな印象を受け、アレにまともに当たれば、今の頬の傷程度では済まないだろう。
「な、何だよコイツ……!」
俺はこの獣の存在を確認した瞬間。この世の見てはならない世界、裏側にある禁断の世界に飛び込んだような気がした。
獣人らしき魔物はその大きな腕を振りかぶり、俺を殺すために二撃目を放とうとしていた。
「くっ!」
左側に跳躍し、その攻撃を避ける。だが思っていた以上の力が出てしまい、着地に失敗した俺は足をくじいてしまった。
「くそっ! こんな時にドジるとは……! 所詮俺もドジっ子だったということか……!」
とか自分でも意味不明なことを言いながら、痛みを堪え立ち上がろうとしたが、次の瞬間、獣の三撃目が目の前を通過し、額から冷や汗が流れおちる。
だが、そこでふと疑問に思った。
(攻撃が定まってない……?)
確実に攻撃が当たる距離にも関わらず、さっきから一撃も直撃していない。
注意して見ると、獣の口からはヨダレがダラダラと滴り落ち、目は血走ってこちらを直視できておらず、ただ本能だけで俺を襲っている感じだ。
それなら、と近くにあったビール瓶を少し離れた壁に投げつける。
壁に直撃したビール瓶はガシャァァン! と大きな音を立てて砕け散った。
すると獣の注意はソチラへ向き、俺はその隙に獣のいる方向とは逆方向へ脱兎のごとく走る。足がかなり痛むが関係ない。
息を切らしながら数分走り、振り返ってみるとそこに獣はいなかった。
「ハァ……ハァ……に、逃げ切ったのか……?」
あ、危なかった……。それにしてもさっきの獣は何だったんだ?
ひと安心し、近くの壁にもたれ掛かった瞬間。
ドゴォォォン! と大きな音を立て、すぐ隣の壁が弾け飛んだ。
「なっ――!?」
とっさに身構えた俺だったが、すでに時遅し。
獣は大きく腕を振り上げ、俺の顔面目掛けて振り下ろされた。
「ぐっ――!」
……………………………………………………。
来ない。
先程振り下ろされた腕が来ない。
俺は少しずつ目を開けていくと、そこには一人の少女が立っていた。
美しく靡く長い黒髪。俺の通う高校の女子制服から見える手足はスラッと長く魅力的で、相手が異性同性関係なく魅入ってしまう。
そんな凛とした雰囲気を纏う少女の手には少し大きめな剣が握られており、その剣で少女の二倍の身長はあるだろう獣を真っ二つにしていた。
「すまない。黒條くんを危険な目に遭わせてしまった」
そう、俺はその少女を知っている。
「ゆ、――」
クラスメイトであり、学校で人気ナンバーワンの女子生徒であり、そしてさっきナンパから救った少女。
「結城さん!?」
「すまなかった。黒條くんを巻き込む気は無かったのだが……」
そう言って結城さんは剣を背中の鞘になおしながら、俺の方へ近づいてくる。というか、結城さんが何でこんな化物と……?
「何故、私がこんな化物と闘っているのか分からない顔をしているな」
「あ、ああ……」
心の中を見透かしたように言う結城さん。そして重たそうに口を開こうとしたその瞬間。
ビッシャァァアアン! という雷が近くに落ちたような音と共に、辺りが一瞬で暗くなる。
「ッ――!?」
「な、なんだ!?」
目の前の空間に地割れのような亀裂が現れる。その亀裂は徐々に開いていき、そこから重々しい空気と闇が溢れ出す。
『フン、派手にやったもんだな? 勇者様?』
凛々しさ溢れる声にも関わらず、ふざけたような口調をした男が亀裂の中から現れる。
黒マントを羽織り、奇抜なファッションをしたその男はまるでワイヤーで吊るされているかのようにゆっくりと降りてきた。
「その声は魔王か」
結城さんはその男を知っているらしく、頬に冷や汗を流しながらじっと男を見ていた。
「魔王! 何故、この世界に魔物を放った!?」
声を荒げながら言う結城さんに少しビビってしまった俺。情けねぇ……。
「俺が放ったんじゃねえよ。最近おかしくなった魔物が増えてきてな……。俺も困ってンだ」
真っ二つにされた獣を見ながら、魔王と呼ばれた男は話す。
「まあ、こいつはこちらで回収しておくからよ。そう怒るな」
そう言って、魔王は獣の死骸を持ち上げると、『じゃあな』と言って再び亀裂の中へ入ろうとした。だが……。
「……あれ? おかしいな。扉が開かねぇ」
パスワードを間違えたようなリアクションをしながら慌てふためく魔王。……おい、何やってんだ魔王。今、かっこよく帰ろうとしたじゃねえか。
「畜生! だからメンテナンスしとけって言ったんだよ!」
「……結城さん。魔王ってあんなにカッコ悪い奴なの?」
「……いや、そんなことはないはずなんだが……」
結局三〇分くらい格闘し、ビクともしない亀裂に痺れを切らしたらしい魔王は、
「おい、そこの人間」
「……ん? 俺か?」
「そうだお前だ。この扉が直るまでお前んちに住まわせろ」
「なぁぁあああっ――!?」
これが一般人だった俺と勇者の血を引く結城さんと魔王による物語の始まりだった。