五時の引っ越し ※要電源
現代舞台の、ややディストピアでねじくれたSFです。
今度の引越し先はどこだと思う?
「?」が視界の端で跳ねた。一拍置いて、もう一度。三回繰り返されてからようやく読み上げ音声の不在に気付いたのは、鯉のぼりの鱗が五段重ねのせいだ。園長が廃棄予定の紙の山を、壁面飾りの複雑化で帳尻を合わせようとしたから。
お教室の木の床を狭そうに泳ぐ色とりどりの鯉のぼり。手のひらサイズの原色の鱗の合間に見える金銀の折り紙は、慎重に平等に配置した。もし偏れば、明日の朝には小さな指と高い声で、指摘と抗議の嵐が巻き起こるだろう。だって鱗にはさくら組のみんなが最後のメッセージを書くことになっているし。
そう、最後の手書きの。これが実質的に大手を振って日本語を――間違いを書ける、最後の紙のはずだった。
ケースの中で待つ十二匹の鯉のための数百枚の鱗に手を伸ばした時、「それ」がまた跳ねる尻尾のようにエフェクトをかけたので、私は諦めてのろのろと顔を上げる。
パソコンのモニター上部に付いたレンズは、隈のできた恨みがましい目を捉えているはずだ。一行目を読む前に、二行目が既に表示されていた。
今度の引越し先はどこだと思う?
驚かないの?
「同じ相手に18回目だかにもなれば感傷なんかないでしょ。それより私の方は逃げ場がないの。明日は遂に『最新の』最低が更新されるし」
ここ数年頻繁に変更、つまり悪化する一方の「就学前のこどもに関する法」のせいで、私も「それ」もここ七年ほど面倒を強いられていた。変更する度に引越しを言い出すのだから、驚く理由がないどころか想定内だ。
……こどもの教育基本方針は、時代の変化に柔軟に応えるため、数年ごとに見直される。
法や条例に付け加えられ削除されるのは、たった一文や一語でしかない。だから一日のメインディッシュたる夜七時のニュース、子供枠の話題の中心は大学受験の科目変更に関するあれこれだった。つまり悪化したって大抵の人は気付かない。
ただ教育現場の末端にとっては、どう解釈し実行するか、追加の文書が来ないかと大わらわになるのが常だった。まあ大騒ぎの原因の殆どは、現場の人手不足や現実との乖離なのだが、昨日はそんなものでは済まなかった。
抑揚のない声で数秒流されだだけの、「美しい日本語の使用を推進する」という一文は。
「残業禁止の建前の無給労働に、無意味どころかマイナスもマイナスの作業」
数百枚の鱗を切り出したおかげで固まった肩と首を、回すついでに机の端を目で示す。この前の火曜日にみんなで行った動物園の、さくら組の子たちが描いた絵日記が積み上がっている。今日からはそのあどけない、いや頑張ったり元気に書き殴ったりした文字の書き間違いを――基準は小学校の教科書なんだって――、明日までに赤で訂正しなければならなくなったのだ。
うんつまりまだ、やっていない。
現実逃避にと鯉のぼりに先に手を付けて、退勤時間ははるか遠くなった。赤なんてチューリップか車か、太陽を塗るだけでいいのに(それはまあ、たまには月でもいいけどね)。
しかも信じられないことに、文字の練習も感想文も、今後は自動訂正機能付きのタブレットと電子ペーパーに移行せよとの意向だった。移行期間が一ヶ月というので横暴ぶりを察してもらいたい。
だから今月から紙を使った指導はお絵描きと工作に限られ、鯉のぼりが実質、最後に紙で手書きする機会だった。鱗にされた紙のいくらかは、七夕様の短冊になりたかったろうに。
「それともさすがに、今度は夜逃げでもするの?」
できることなら連れて行ってほしいなんて気持ちを込めて分厚くて画質の悪いモニターを見る。画面端で数字を積み上げるデジタル時計を覆う液晶ガラスは、窓の外に広がる群青を反射していた。一人きりの職員室で念のため声を潜めれば、また文字が浮かぶ。
| それに地階、
| それに地階、いや近いかもしれないね。
勝手に開かれた白一色のテキストエディタに、几帳面な冒頭一字空けと黒い文字。必要もないのに律儀に平仮名で順次入力されてから、漢字に変換される文章は句点までついている。丁寧に誤字まで――いや、それこそが「それ」を他のコンピュータ・ウイルスと区別する証で、読み上げ機能OFFと夜逃げの原因に違いなかった。
そう、使われてるのはSNSでなくただのテキストエディタ。文字をタイプする人間も猫もいない。たぶん勝手に他人のパソコンに入り込んでは去っていく、引っ越し続きのプログラム――、
「まさか誰かのスマホ? お気に入りの引越し先が幾つかあるんでしょ」
――どんな有名ウィルスソフトでもない……いやもっと得体のしれない、日本製の、怪異とも呼べそうな気まぐれなナニカ。
昨今なかなか見ない野良猫のように可愛がられて、他人の傘の下に隠れてご飯を貰って(盗んでかもしれない)、かろうじて生き延びている、群れを生き延びさせているナニカ。
| それは持ち主が危険すぎる。
古い印刷会社では誰にも飼われない、気ままで気まぐれな猫のような「くつしたさん」、隣町の本屋では「カーディガン」――ウェルシュ・コーギー・カーディガン。背が低く、胴長短足の、白黒毛並みの牧羊犬――と名付けられた(と本人が言っていた)ナニカのことを、私は親愛を込めて「ティティ」と呼んでいる。
「じゃあ、……ええと、セキュリティが甘くて仲間が多いところ。よつば……じゃない、わかばケアハウス。そこの角を曲がって二軒、ああいや三軒先だっけ、四葉看板が目印の高齢者施設」
由来はティティヴィラス。言い間違いと誤植を誘発して集めて率いる悪魔。
私の声にティティは澄まして(たぶん)答えて、私は目を見開いた。
| ちょっと五年くらい、ギリシャ旅行に行こうと思っているんだ。
***
ティティとの出会いは、もう七年くらい前の春休み、この古いパソコンの中でだった。
どんぐりもり幼稚園の職員室。二、三世代前の幼児番組のキャラシールが貼られた、当時だって容量ギリギリのそれ。
新学期に向けての中身の整理を新人の私が命じられて(何と言ってもオタクの私以外は殆ど決まったアプリしか触れなかったので)、わんわん鳴る煩いファンの音の中見つけ出した、見慣れないファイル名を右クリックでつつこうとした時だった。
最初は確かに、何かやばいコンピュータ・ウィルスに侵入されたのだと慌てて上司を呼ぼうとしたのだ。だってこのパソコンの中には園児たちのデータが入っている。生年月日に住所に名前、ワクチン接種暦から、運動会の練習で転んだ様子から、発表会の勇ましい鬼退治まで。しかもどれがどれだけ大事かなんてさっぱり分からない。
そんな時に勝手に、古くて脆弱性満載なのに軽くて操作が簡単という理由で使い続けられたテキストエディタを立ち上げて話しかけてきたのが、ティティだった。
| ちょっと落ち着いて。ぼくはパソコンや君に害を及ぼす存在じゃない。誰も呼んでこないで。
「なにこれ」
音声認識がONになったままのパソコンが私の声を拾い、ティティが答える。
| ちょっと容量を間借りして回ってるだけなんだ。……あと誤字脱字言い間違えの収集とか。
ウィルス、マルウェア、ええと、とにかく怪しい何か。ああでも内部データの自動送信なんて今時は日本語入力プログラムから、ゲームの操作履歴まで、何処だってやっているけど。
何故か返答してくるナニカにフリーズしかけた頭で少ない知識を検索したって、知らないものは出てこなかった。ティティは混乱を鎮めるように、
| たとえば、みーちゃんせんせいが去年運動会のかりもの競争で、先生の「友達」がいなくてクラスの「おともだち」20人と揃ってゴールしたとか……、
「あっ、あれはね! 先輩だらけなのに勝手に友達認定する方が問題あって……!」
| で、四月一日さんは驚かないの?
驚かないかと言われれば、驚いてはいたが耐性は付いていたのだと思う。だってわざわざ誤字を収集してるんだっていうのだ。
ティティが姿を現したのはおそらく生まれてこの方私の名前と、ここが幼稚園でいつも誤字脱字にまみれているからだったろうから。
「……私のフルネームは?」
おずおずと尋ねれば、数秒後に返答が表示された。
| 四月一日 わたぬき 一一一 ねねこ。園児のお母さんたちからは、しがつさんって呼ばれてて、園児からはねこちゃんか、三に見えるからみーちゃん。履歴書の入力データはまだ「三」の文字で間違ったまま登録されてる。
「集めてどうするの」
| 収集と保存が存在意義で、どう使われるかは僕を作った神様にでも聞いてほしい。ただ今のところ使われた形跡はないよ。
例えば君だって、的を得た解凍を得られるとは思っても見ないだろうけど。
ティティはそして、大量のテキストという目に見える形で自分を曝け出した。
それも私が確実に覚えている、保護者用にアップするために取り込んだ、大量の絵日記とひらがなドリルと、お手紙のなかの誤字脱字だけを。
間違いだらけの単語と文章をちぐはぐに継ぎ合わせた、かろうじて意味は取れるけれど、そこに一貫した意思のない、まるでもじゃもじゃでこんがらがった羊の毛。それがティティの細い骨と肉が率いる誤字たちだった。
***
――ギリシャ旅行か。
神話と地中海と古代文明とヨーグルトの、暖かい国。白はほとんど黒い文字で話しかてくるティティに似つかわしく思えた。プログラムもバカンスをするのなら。
そんなことを考えていたので気が抜けた私は、結局翌日、さくら組の子供たちの絵日記を、赤で訂正されたかどうか一見判別付かないくらいの花丸を咲かせて返却した。つまり訂正なんてしていない。
やる気を削ぐだけでなく信頼関係にひびが入り、今後の指導――集団行動にけんかの仲裁、まれなるおもらしの申告まで――に悪影響しかないのは火を見るより明らかだったから。
けれどただの一教諭にできる抵抗はそれまでだった。
すきなやさいはトマトで、きらいなやさいはほうれんそうです。
最近は幼稚園だって、調べ学習やまとめて発表する時間が多い。沢山のことを調べて、自分で考え、クラスメイトの考えを聞いて話し合う。産まれた時からスマートフォンに触れている子たちだ、結構敏くて一方で危うい。そんな貴重な時間は、すぐに失われてしまった。
1 すきなやさいはトマトで、
2 すきなやさいはトマトで、にがてなやさいはほうれんそうです。
「ほうれんそうきらい、まずい!」
「美味しいと思う子もいるんだから、自分は苦手だって言おうね」
人には成長の過程ってものがある。人間全体のことじゃなくて、子供の心身の成長と人体の仕組みだ。当然医学的・科学的な裏付けがされているのだが、何故か愛情・根性論で無視されやすい。
言い間違いは当然のもの。初めて話す言葉の多くは「まま」だし、構音の完成はパ行が一番早く、遅いのは5歳くらいのサ、ザ、ラ行。一歳児の呼吸量は約50mlで5歳は同じ回数でもその3から4倍くらい吐く。
指の骨は大人のようには全部くっついてないし、社会科の授業が小学校の3年生で始まるのには意味がある。
間違えて使って人と関わって、ぐにゃぐにゃとした体をその人だけのものに作り上げていく。
3 すきなやさいはトマトで、たべてみたいやさいはほうれんそうです。
4 すきなやさいはトマトとほうれんそうです。
どこのものとも知れない(聞いたこともない会社の)タブレットの(検索したって出てこない)『最新の』日本語辞書が、勝手に文章を書き換えていく。最後の4番目の変換とその先に行きつくまで一月もかからなかった。
「みーちゃん先生のことねえ、ケーキのイチゴより好き」
「毛虫より大好き」
今日の出来事は、私の名前を愛称から「わたぬき先生」に。次に「けむし」を瞬く間に「こんちゅう」に修正してしまう。ひまりさんとれんさんは、どちらも同じくらいケーキと毛虫が大好きなのに(そうそう、昔はちゃんや君付けだった名前は、今では「さん」呼びに統一されているのだ)。
たぶん昆虫はカブトムシか蝶を想定されている。というかそう思うように仕向けられており、けむしは削除されたわけだ。
クラスの子たちの悲しそうな顔を何とか宥めては園長に咎められつつ、不満を溜めていた私は頻繁にネットで気炎を上げるようになっていた。掲示板では同じように不満を持つ教諭は少なくなかった。
全員黙って無抵抗だったわけではなく、昔々のポケベル文化のように語呂合わせや隠語が飛び交ったが、何でだか掲示板は維持の問題とかサーバーの置かれた場所の法律の変更とかでどんどん使えなくなっていった。
「きょうはあめでサッカーができなかったけど、つみきがとてもたのしかったです」
“正しい”文章はやがて発言にまで影響を及ぼしていた。私は子供たちの顔色を窺って、見えないルビに目を擦るようになった。
目の前では言葉が千切れて細切れになって別のものに組み替えられていくのに、それを語る言葉は遠くに届かなくなった。
――そうしてある日、ちょっとした事件が起こった。
「まあそれ、どうしたの!?」
老齢の園長は年齢のせいで、よく大きな声を上げる。
毎朝正門に立つ園長は、その日ちょっと遅めに登園してきたさくら組のはるとさんの目の下に、引っ搔いたような細い傷が走っていたのだ。
「誰かに引っかかれたの?」
「あのっ、昨日の時点では怪我はしてませんでした!」
咄嗟にこちらを見る園長に私は慌てて首を振り、駆け寄った。
「それは本当に? 降園の前に遊んでいたら気付かないかもしれないわよ」
悪い人ではないことは10年来の付き合いでよく分かっているが、家族経営で運営と補助金は密接な繋がりがあった。
違うよ! と慌てて否定してくれたのは、はるとさんだった。
「……お家でね、手がぶつかったの!」
「誰の?」
「お母さんの。……オレがいたずらして水をびしゃーってこぼしちゃって」
園長の方がびくりと震える。虐待か、と私も意識して頭の中でぐるぐると可能性を考え出す。
お母さんが、無暗に暴力を振るうような人ではないことは私も知っている。ちょっとやんちゃで、お友達にぶつかったはるとさんのことも根気強く諭していた――相手方からは責められていたけれど。
「必死に拭いてる時にふざけてつついたから、やめなさいって」
おそらく手を払ったか何かして、その時思わず爪が掠ったのだろうと思う。私を庇うために説明してくれるはるとさんは、自分が何を言っているのか分かっていない。いや、正しくて、でもそれは……。
「四月一日先生、……お母さんにお話を聞かなくちゃ。それからはるとさんは、病院と警察に電話……」
「園長、待ってください」
「虐待の疑いは全て通報することになってるの」
園長の耳は普段遠くなってるのに、園児の声は聞き取りやすいらしい。だからここを辞められないんだけど。
「つうほうってなに? お母さんつかまるの?」
腰くらいの背丈の子供が、黄色いお鞄を抱きしめて怯えた顔で見上げてくる。すぐ肯定できるほど非情ではないつもりだったし、無責任に大丈夫だよと言えるほど、私には力もなかった。
それにその場に居合わせなかったのに絶対に違うとは言えないし――ああ、分かっていた。ちゃんと解釈するなら「わざとでなくても、怪我したら一応通報せよ」って決まっていることも。
「きっと大丈夫だよ」
子供との不用意な接触は禁じられている。私は抱きしめられずに小さすぎる肩に手を置いて屈むと、頑張って笑顔をつくった。
「ちゃんと説明すれば、きっと分かってくれるから」
***
「ティティ、前みたいに引っ越しの荷物にこれ入れてってよ」
静まった職員室で、私は自分の古いデジカメで映した写真を、フォルダに放り込んでいった。
幼稚園では、家で書いたお手紙を持ち込むことは許可されていた。それをポストに入れて交換するのだ。
……うん、「いた」は本当に過去形になりそうだった。私宛のお手紙がどこかに行かないうちに、ティティにギリシャに持って行ってもらうのだ。
ティティは誤字の中でも、とりわけ手書きの書き間違いが大好物だった。
はるとさんのお母さんはその日警察に連れていかれた。先にせめてかかりつけの――つまり親子関係を良く知っている――病院に連れていった方がいい、という私の訴えは無視された。
そのくせ、しかるべき保護施設は大人の事情(とそれを起こした大人の事情と、起こさせたその数倍の社会の事情)でいっぱいだったから、預かるところがなくて夜まで「特別に」はるとさんは私と園に残って遊んだ。
「特別に」残りの鯉のぼりの鱗を貼っていって、貼り終わって、そのうち他県からおばあちゃんが園に迎えに来て、お母さんは翌朝ふらふらになって帰って来たらしい。
そうして次の日もらったしわくちゃの、「みーちゃんせんせいなんてだいきらい」のお手紙は、園のタブレットで撮影して取り込むと「わたぬきせんせいがだいすきです」に変わっていた。
最悪の最悪だった。
| いいけど、もうだいぶ荷物が重くなってきたなぁ。大きくなると目を付けられやすくなるから。
OSの開発会社のセキュリティの無料アップデートによる、スキャン性能の向上。最近ではこれに加えて日本語入力ソフトの修正機能もお節介になり、ファイルを開けると自動で修整してくるという。
うちみたいな古くて穴だらけのパソコンにしか、ティティは羊を避難させられない。
「ところで何でギリシャ?」
| 黄身が写真を撮ったのと同じ理由。だからちょっと最近はあちこちの監視カメラなんかにも入ってみているんだ。
最近のティティは積極的に誤字を使うようになっていて、私もその影響かどうか、文字の誤変換が増えていった。
| ギリシャはここより自由だから。万が一厳しくなっても文字でなく画像なら訂正されにくい。しかも外国語ならもっとね。
「最近は翻訳ソフトもすごいけど」
| 子どもの落書きは読みにくいからね。
意味をなさないものは保存さえしておけば、暗号解読と同じでいつか解釈される。
だけどちょっと問題もあって……。
私はティティのスーツケース(フォルダ)に昨日完成したばかりの鯉のぼりの写真を詰め込んでいた。
「問題?」
| かならず戻って来なきゃいけないってこと。
| 誤字は五時だけじゃ生きられないんだよ。
ティティはそんな言葉を残して夜中にギリシャに旅立ち、翌々日の夕方五時、子供たちの願いで真っ黒になった鯉のぼりが、焚き上げられて天に昇った。
***
――的が射られるのではなく得られる時代に、誤字だらけの世界ではそれが本物になってしまう。誤字に込められた意味が消えてしまう。
正しい文字だけの世界でも、嫌いと好きがごっちゃになって、それが本当なのかもわからなくなってしまう。
タブレットで修正される前の文字がいとおしいと思う気持ちは無価値だし、打ちかけの「お」に続く予測変換のおにぎりで故郷の母親を思い出したりもしない。ひどい争いを生むという理由だけで統一されない「今川焼」は――うん。これは余談だ。
ところで、古代ギリシャの文字は、書き順が決まってなかったのだ――どころか、折り返しになって鏡文字で書く人もいたのだ、というのをティティから聞けたのは結局ちょうど五年後の、廃棄寸前のパソコンに電源を通した時だった。
そう、私は往生際悪く、どんぐりもり幼稚園で教諭という仕事を続けていた。足掻くというより暴れていたに近いかもしれない。
みんなと紙が使えないからお庭に棒でお絵かきという名目で文字を書き、人文字を作り、言いたいことは声に出すことにした。好きなものや嫌いなもので手を叩くゲームを作って――うん、遊びを考え出すことにかけては子供の方が長けている。
ちなみに電源を通したのは偶然ではない。「休暇を満喫したので、そろそろ戻る」とティティから私のスマートフォンに連絡があったのだ。拡大された鏡文字の「す」を添えて。
その、当時のさくら組だけでない、全園児が書いた全文を載せた写真のウィンドウが今まさに、次々に目の前に開かれていた。
| たとえば鏡文字じゃないけど、こんなふうにも書ける。
。ねどけだんる残く長とっも、とく書で墨と紙
あの時はショックでちゃんと読めなかった鯉のぼりの鱗を全部ティティは保存していて、私に見せつけてきたのだ。
「私はねティティ。だいきらい、って言ってくれるほど信用してくれてたのが嬉しかったんだよ」
不器用な子の苦手な平仮名の、燃えてしまった「ぼくは みーちゃんが だいすきです」の鏡文字の「す」が、そこには消えずに残っている。
そして猫のようなあだ名に、私の意味を持たせているのはもう私と彼らの記憶の中だけだ。
とりあえずしばらくは消えないだろう。
それにだって昨日、「あの法令はちょっと間違って受け取られてました」って、少しマシになったあの法案の改正があったから。
そう、しばらくは。
| 明日はもうちょっといいニュースがあると思うよ。
たとえばしばらくぶりの誤字が――母の日に書いた「おかあさんいつもありがとう」で家族が喜んでる写真とかさ、病気の早期発見につながったとかさ、それが拡散される。
「ネットに流すの……?」
| どこかの大企業の偉い人の言い間違いが聞きとがめ(ついきゅう)されて、例の日本語入力ソフトの開発(してるか定かじゃない)会社の経営者や責任者の名前がずらずら流れるとかさ
「……え、は?」
| だから誤りにも意味はあるんだってね。
ティティはここに来るまでに、随分と誤字を放牧したらしい。にやりと悪魔のように笑ったように見えた。
――そうして私はパソコンを引き取る交渉を園長としてるんだ、って報告をしてから、電源を切って席を立つ。
それから走って倉庫から古いありったけの紙をかき集めてきて、玄関に向かった。
幼稚園中の壁を白一色にして、間違いで埋め尽くしてもらうために。




