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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

たとえばこんな終わり方【完結】

俺のSAN値はとっくにない

作者: 有賀羊
掲載日:2026/08/15

 蝉が、うるさい。

 夕方だというのに、うだるような暑さは少しも和らいでいなかった。


「あっつ……」


 警察官は額に浮いた汗を拭い、手元のメモへ目を落とした。


 このマンションの一室から、飼育されていたヘビが逃げ出した。


 体長はおよそ二メートル。

 大きさだけ聞けばぎょっとするが、元々おとなしい種類で、人を襲うようなヘビではないらしい。


 とはいえ、ここは多くの人が暮らすマンションだ。

 突然目の前に現れれば驚いて怪我をするかもしれないし、子どもが不用意に近づく可能性もある。

 どこかの部屋へ入り込んでいる可能性も考え、こうして一軒ずつ確認して回っているのだが。


「あと、どんだけ回ればいいんだよ……」


 思わず愚痴が漏れる。


 外は暑いし、蝉もうるさい。

 声がけする部屋は、まだ何件も残っている。


「……まあ、市民の平和のためだ。しゃーないな」


 誰に聞かせるでもなく呟いて、次の部屋へ向かう。


 ここは七階。

 手元のメモと部屋番号を確認してから、インターホンを押した。


 ピンポーン。


 少しして、部屋の奥からぱたぱたと足音が近づいてくる。


「はーい」


 若い女性の声。

 扉が開いた。


「すみません、警察です。少しお話を伺ってもよろしいですか?」


「はい。なんでしょう?」


「実は、このマンションの住人が飼っていたヘビが逃げまして」


「ヘビ?」


「はい。こちらなんですが」


 警察官は手にしていたファイルから、一枚の写真を取り出した。

 飼い主から提供された写真を複製したものだ。


「体長は二メートルほどあります。見かけていませんか?」


 女性は写真を覗き込む。


「うーん……見てないですね」


「おとなしい種類なので、向こうから人を襲うようなことはまずないそうです。ただ、どこに入り込んでいるか分からないので、念のため確認して回っていまして」


「そうなんですね」


「もし見かけても、驚いて手を出したりせず、すぐに連絡してください」


「はい、わかりました」


 これで、この部屋も終わり。

 そう思ったときだった。


「きゅうー」


 部屋の奥から、妙な音が聞こえた。


「…………」


 一瞬、動物の鳴き声かと思った。


「あ、ちょっと待っててー」


 女性が、部屋の奥へ向かって声をかける。


「……何か飼ってるんですか?」


「いえ?」


「今、鳴き声が……」


「ああ。彼氏です」


「…………彼氏?」


「はい。同棲してるんです〜」


 女性は、幸せそうに笑った。


「……そうですか」


 思わず、部屋の奥へ視線を向ける。


 玄関からまっすぐに廊下が伸び、その先にリビングがあるようだった。

 だが、ここからでは中までは見えない。


 聞き間違いだろうか。

 先ほどの音は、人の声というより、どちらかといえば動物の鳴き声に近かった。


 妙な違和感は残ったものの、人にはそれぞれ事情がある。

 声が出しづらいのかもしれないし、自分には分からない理由があるのかもしれない。

 わざわざ踏み込んで聞くようなことでもないだろう。


「では、お時間いただきありがとうございました。また何かありましたら──」


 そう言いかけて。


「…………?」


 視界の端で、何かが動いた。


 廊下の先に見える、リビングに置かれた大きなテレビ。

 電源の落ちた黒い画面に、細長い何かが映り込んでいる。


「…………」


 目を凝らすと黒い画面の中で、それはゆっくりと動いていた。


(……ヘビ?)


 まさか、この部屋に入り込んでいたのか。

 しかし、よく見ると何かがおかしい。


 その細長い何かは一本ではなく、二本、三本といくつも蠢いている。その根元には、大きな影のようなものまであった。


「…………」


 少なくとも、先ほど聞いた彼氏にしては、人の形をしていない。


「……あの」


「はい?」


「部屋の奥に、何かいませんか?」


「え?」


「テレビに、何か映っているようなんですが」


 女性が振り返り、テレビを見る。


「ああ、彼ですよ」


「…………」


「さっき話した彼氏です」


「……あれが?」


「はい」


 女性は、何でもないことのように頷いた。


 警察官はもう一度、テレビを見る。

 やはり、人の姿には見えない。


 反射しているだけで、はっきりとは分からないが、細長いものが何本も動いている。

 家具か何かと重なって、妙な形に見えているだけなのだろうか。

 それとも、本当に。


「……すみません。念のため、中を確認させてもらってもいいですか?」


「え?」


 女性が怪訝そうに眉を寄せた。


「中を、ですか?」


「はい。少し確認するだけです」


「…………」


 女性は一度、部屋の奥へ目を向けた。


 何を確認するのだろう。

 そんな疑問が、その表情に浮かんでいる。


 だが、少しして。


「……まあ、いいですけど」


 そう答えると、女性は部屋の奥へ向かって声を張った。


「修也ー」


「きゅ?」


「警察の人、ちょっと中に入るって」


「…………」


 一瞬、部屋の奥が静かになった。


「きゅっ!?」


 先ほどまでとは違う、明らかに慌てたような鳴き声。

 同時に、テレビの中の影が大きく動いた。


「…………!」


 何本もの細長いものが、わたわたと蠢く。

 その全てが、一つの大きな影から伸びている。


(……なんだ、あれ)


 先ほどは、ヘビかと思った。

 だが違う。

 少なくとも、写真で見たヘビとはまるで違う。


「どうぞ」


 女性が玄関を大きく開ける。


「……失礼します」


 警察官は靴を脱ぎ、室内へ足を踏み入れた。

 一歩。また一歩と廊下を進む。


 リビングの中が、少しずつ見えてくる。

 黒いテレビ画面の中では、先ほどの影がまだ慌ただしく動いていた。

 何かから逃れようとしているようにも見えた。


 そして、リビングが見える位置まで来たところで。


「…………」


 警察官の足が止まった。


 間に合わなかったのだろう。

 それは、部屋の隅へ身を隠そうとしているところだった。


 二つの目が、こちらを向く。


「…………」


 ヘビではなかった。


 先ほど、テレビの中でヘビのように見えていたもの。


 それは、触手だった。


 柔らかく、輪郭を失った不定形の身体。

 そこから何本もの触手が伸びている。

 その身体に浮かぶ、二つの目。


(……何だ、これは)


 生き物なのか。

 そもそも、こんなものがこの世に存在していいのか。


 冒涜的なナニカ。


 そんな言葉が、頭に浮かんだ。


「…………っ」


 息が止まる。


 理解できない。


 目の前にいるものが何なのか。

 どうしてこんなものが、普通のマンションの一室にいるのか。


「きゅ……」


「……っ!」


 ナニカが鳴いた。


 全身が粟立ち、手が震える。


 怖い。

 逃げたい。

 今すぐここから逃げ出したい。


 けれど。


(……駄目だ)


 俺が逃げて、どうする。

 警察官だ。

 市民を守るのが、俺の仕事だ。

 こんなものを、野放しにしてはいけない。


(……殺さないと)


 震える手が、拳銃へ伸びる。


(こいつを、殺さないと……!)


「……え?」


 女性の戸惑った声が聞こえた。

 それでも、ナニカから目を逸らせない。


 あれを殺さなければ。

 ここで。

 俺が。


「きゅ……?」


「来るな!!」


 パンッ。パンッ。パンッ。


 立て続けに三発。

 銃声が、狭い室内に響き渡る。


「なっ……!」


 女性の声が聞こえた。

 それでも、目を逸らせない。


 まだだ。

 まだ、動いている。


(殺さないと……!)


 もう一度、銃口を向ける。


(俺は、警察だから……!)


 手が震える。

 息が荒い。

 それでも、引き金に指をかけた。


(俺は、市民を守る義務があるんだ!)


「修也!!」


 突然、女性が飛び出した。


「──っ」


 視界を横切る。


 指は、もう止まらなかった。


 パンッ。


「…………」


 女性の身体が、ぐらりと揺れた。

 そのまま、床へ崩れ落ちる。


「…………え」


 頭の中が、急速に静かになっていく。

 銃を握った手が震えた。


 守る。


 市民を。


 そのために、自分は。


「……なん、で……」


 床に倒れた女性を見下ろす。

 赤いものが、ゆっくりと広がっていった。


◆◆◆


【修也視点】


 いま、何が起きた?


「きゅ……?」


 分からなかった。


 大きな音がした。

 一度ではない。何度も。


 身体に何かが当たったような気がする。

 けれど、痛みはよく分からない。


 それよりも。


「…………」


 目の前に、梓がいた。

 さっきまで俺の隣にいたはずの梓が、床に倒れている。


「きゅ……?(梓?)」


 なんで。どうして、そこにいる。


 ついさっきまで、いつもと変わらない日常を過ごしていたはずなのに。

 今日は暑いねって話して、一緒にテレビを見て、いつものプリンも食べた。


 それから誰かが訪ねてきた。梓が玄関へ行って、警察の人が中に入ると言われて、俺は慌てて隠れようとして。


 それで。

 それで──。


「きゅう……(なんで……)」


 梓が倒れている。

 その頭の下から、赤いものが広がっていく。


「…………」


 血。

 梓の、血。


「きゅ……きゅう……(あ、ずさ……。梓……?)」


 触手を伸ばし、梓の頬に触れる。


「きゅう(梓)」


 返事がない。


「きゅう……(おい……)」


 いつもなら返事をする。

 俺の言葉なんて分かっていないくせに、分かっているみたいな顔をして。

 勝手に話を続けて。

 笑って。


「きゅう(梓)」


 返事をしろよ。


「きゅう(なあ)」


 頬に触れたまま、揺らす。

 触手でペチペチ叩く。

 反応はない。


「きゅ……(なんで……)」


 なんで、動かない。

 なんで、返事をしない。

 なんで。

 なんで。

 なんで!!


「…………っ」


 背後で、何かが動いた。


 警察官だった。


 青ざめた顔で立ち尽くしている。

 その手には、まだ拳銃が握られていた。


「ち、違……俺は……」


「…………」


「ただ、守ろうと……」


 何を言っているのか、頭に入ってこなかった。

 梓の頬から触手を離し、警察官を見る。


「きゅう……?(お前か?)」


 こいつがさっき、大きな音を出した。


 梓が飛び出した。


 それから。


 梓が、倒れた。


「…………」


 そうか。

 こいつが。


「……来るな」


「…………」


「来るな……!」


 警察官が拳銃を持ち上げる。

 銃口が、こちらを向いた。


 その瞬間。

 何かが動いた。


「──っ」


 自分の身体だった。


 何本もの触手が、一斉に警察官へ伸びる。

 止めようと思うよりも早かった。

 止めようとしたのかさえ、分からなかった。


 ただ。

 これ以上、撃たせてはいけない。

 それだけだった。


 短い声が聞こえ、何かが床に落ちる音がした。


「…………」


 静かになった。

 警察官は、もう動かなかった。


 殺した。

 俺が。


 でも、そんなことどうでもよかった。

 俺はすぐに梓へ目を戻した。


「きゅう……(梓)」


 警察官がどうなったかなんて、どうでもいい。

 俺が何をしたのかも。


 そんなことより。


「きゅう(起きろよ)」


 梓が、動かない。


「きゅう……(なあ……)」


 もう一度、頬に触れる。


「きゅぁ(梓ぁ)」


 冷たくはない。

 まだ温かい。

 だったら。


「きゅう……(まだ、大丈夫だろ)」


 大丈夫だ。

 だって、温かい。

 さっきまで普通に話してた。


 今日だって、一緒にプリンを食べた。

 明日だって。

 明後日だって。

 そんな日常が続くはずだろう?


 なのに。

 どうして。


 返事をしてくれないんだ。


◆


 どれくらい、そうしていたのだろう。

 何度呼んでも、梓は目を開けなかった。


「きゅう……(梓)」


 頬に触れる。


「…………」


 冷たい。

 いや、まだ温かい。

 でも、さっきよりも。


「きゅ……(待って)」


 頬から首へ、首から手へ。触れる場所を変えても、同じだった。


 少しずつ。少しずつ。

 梓の身体から、温かさが失われていく。


「きゅううっ!(待って、まだ……!)」


 嫌だ。冷たくなるな。

 まだ温かい。だったら、温めればいい。


 俺は何本もの触手を伸ばし、梓の身体を包み込んだ。


「きゅう……(大丈夫だから)」


 もっと。

 隙間がなくなるくらい、しっかりと。


 俺の身体は温かい。

 だったら、この温かさを梓に分ければいい。


「きゅきゅう(ほら、あったかいだろう?)」


 もっと近くへと抱き寄せる。

 少しでも熱が逃げないように、自分の身体へ押しつけた。


 ぞぷり。


「…………?」


 妙な感触がした。

 目を向けると、梓の腕が俺の身体に沈んでいた。


「きゅ……?」


 何だ、これ。


 慌てて身体を離そうとする。


 ぞぷ。


 さらに沈んだ。


「きゅっ……!(待って!)」


 違う。

 こんなことをしたいんじゃない。

 梓を温めたかっただけだ。


 俺の身体から引きずり出そうと、沈んだ腕を触手で掴む。

 けれど、抜けない。

 俺の身体と梓の腕の境目が、なくなっている。


「きゅうっ!(離せよ!)」


 自分の身体に向かって叫ぶが、返事なんてあるはずもない。


 ぞぷり。


 また少し、梓が沈む。


「きゅうっ!きゅうっ!(なんでっ!やめろって!?)」


 やめろ。

 梓を食うな。

 梓を──。


「…………」


 そこで、気づいた。

 沈んだ腕に触れる。

 温かい。


「…………?」


 もう一度、触れる。


 俺の中に沈んだ部分だけが、温かい。

 冷たくなっていない。


「きゅ……」


 なら。

 このままなら。

 全部、俺の中に入れてしまえば。


 梓は、もう冷たくならない?


「…………」


 ぞぷ。


 今度は、止めなかった。


 梓の身体が、ゆっくりと俺の中へ沈んでいく。

 腕が、肩が、足が。


 少しずつ、俺と梓の境目がなくなっていく。


「きゅう……(梓)」


 温かい。

 ちゃんと、ここにいる。

 もう冷たくならない。

 いなくならない。


「…………」


 ああそうか。

 これなら。

 これなら、もう。


(ああ、コレなら)


 残った梓の身体を、そっと抱き寄せる。


(ズっと、イッショだネ?)


 ぞぷり。

エンド1:同化

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