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血統 ー蹄の記憶ー  作者: あいまいもこ
初めて怪物の異名を冠された馬

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8_馬名

二百万円で引き取られることになったとはいえ、

それで話が終わるわけではない。


競走馬として走らせるには、まだ決めねばならぬことがある。


——名前である。


牧場の事務所で、小畑正雄は煙草をくゆらせていた。

机の上には、血統書の紙がひろげられている。


榊場長が言った。


「名前ですか」


「そうだ」


小畑がうなずく。


「いつまでもハヤテロックじゃいかん」


榊は笑った。


「幼名ですからね」


机の上には、いくつか書きつけがある。


小畑が言った。


「血統から考えるのが普通だろうな」


榊が言う。


「タカツナミからですか」


「うん」


小畑は頷いた。


ハヤテロックというのは、牧場での幼名にすぎない。

競走馬として中央に登録するには、正式な馬名がいる。


小畑は紙を指で軽く叩いた。


「名前ってのは難しいな」


「強そうな名前がいいですか」


榊が聞いた。


「いや」


小畑は笑った。


「強そうなのは、走ってからでいい」


「走らないうちから大層なのをつけると、恥をかく」


榊も笑った。


「それはそうですね」


しばらく沈黙があった。


外では、例の牡駒がまた騒いでいる。

相変わらず、体の大きな仔馬に喧嘩を売っていた。


小畑が窓の外を見ながら言った。


「ツナミ……シバ」


榊が聞き返す。


「芝?」


「そうだ」


小畑はうなずいた。


「競馬は芝だろう」


「それに——」


窓の外を見た。

遠い東京の競馬場を思い浮かべるように。


「東京に“芝”って地名がある」


榊が言った。


「港区の芝ですか」


「そうだ」


「近くに港もある」


「なんとなく波——海を感じるだろ」


小畑は紙に書いた。


タケシバ


榊が首をかしげた。


「タケ?」


小畑が笑った。


「勢いだ」


「なんとなく、強そうだろう」


榊も笑った。


小畑は続けた。


「で、オーをつける」


「オー?」


「王様のオーだ」


榊は笑った。


「大きく出ましたね」


小畑も笑った。


「いいじゃないか」


「どうせ道楽だ」


「名前ぐらい、でかくしておく」


榊は窓の外を見た。


ハヤテロックがまた一頭に突っかかっている。

小さな体で、妙に威勢がいい。


「……タケシバオー」


榊は口の中で言った。


「悪くないですね」


小畑が言った。


「よし、それにしよう」


こうして、牧場で

「ハヤテロック」と呼ばれていた牡駒は、

競走馬


**タケシバオー**


として登録されることになった。


もっとも、このとき——


その名が、やがて競馬場で何度も叫ばれることになるとは、

まだ誰も想像していなかった。


当の本人はといえば、


そのころも相変わらず、牧場の草地で喧嘩ばかりしていた。


---


もっとも——

この馬を最初に見た男は、ほかにもいた。


中央競馬の調教師、**小林稔**である。


小林はそのころ、チャイナロックの産駒を探していた。

戦後の日本競馬では、まだ血統というものが手探りの時代だったが、

チャイナロックの仔には、妙な粘りがある——

そう感じていた者の一人が、小林だった。


ある日、小林は牧場を訪れた。


榊場長が言った。


「チャイナロックの仔なら、これですがね」


指さされた先に、例の牡駒がいた。


小林はしばらく黙って見ていた。


——貧相である。


首は細い。

腰も薄い。

全体に、いかにも頼りない。


小林は苦笑した。


「うーん……」


榊が言った。


「ただ、気性はいいですよ」


そのときである。


隣の放牧地から、ひとまわり大きな仔馬が近づいてきた。


すると例の牡駒は、いきなり耳を伏せて突っ込んだ。

体格差などお構いなしである。

相手の肩に噛みつく勢いで、前脚をばたばたさせて暴れている。


小林は思わず笑った。


「元気だな」


榊が言った。


「負けん気だけは強いんです」


小林はしばらく考えた。


「いくらだい」


「二百六十万です」


小林は腕を組んだ。


当時としては、決して高くない安いとも言える値段だった。

ただし、見た目だけで言えば——

とてもその値段には見えない。


小林は首を振った。


「うーん……」


「もう少し馬体が出来てればな」


結局、その日は買わずに帰った。


——そして。


数年後。


その牡馬が、

競馬場で名を轟かせることになる。


**タケシバオー。**


ある席で、小林が酒を飲みながら言った。


「いやあ……」


グラスを置いて、頭をかいた。


「あれはなあ」


周囲が笑う。


「先生、見てたんでしょう」


小林は苦笑した。


「見てた」


「ちゃんと見てたんだよ」


「ただな」


一拍おいて言った。


「馬体が、あまりにも貧相だった」


皆が笑った。


小林も笑った。


「競馬ってのはな」


グラスを持ち上げて言う。


「たまに、こういうのをやられる」


少し黙ってから、付け加えた。


「二百六十万だろ」


「買っときゃよかったよ」


そのとき小林は、

本当に悔しそうな顔をしていたという。


もっとも——


当のタケシバオーは、

そんな人間の後悔など知る由もなく、


そのころも、

競馬場で相変わらず

他馬に喧嘩を売るような走りをしていた。


作者のやる気のためにもブックマークと面白ければ星5。面白くなければ星1を是非ともお願いします。

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