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血統 ー蹄の記憶ー  作者: あいまいもこ
初めて怪物の異名を冠された馬

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7_庭先取引

それでも——

口約束というものは、案外もろい。


角田が辞退すると、残る三人も妙に歯切れが悪くなった。


牧場の事務所で、また湯呑みが並んでいる。


高橋が言った。


「まあ……その」


藤波が続ける。


「今年は、うちもちょっと様子見でな」


勝村は苦笑した。


「順番なんて言ってたが、こうなると妙なもんだ」


榊場長は腕を組んで黙っていた。


高橋が言った。


「いや、場長。悪く思うなよ」


藤波が肩をすくめる。


「血統も地味だしな」


「チャイナロックにタカツナミじゃ、夢を見るにはちと弱い」


勝村が窓の外を見た。


「それに、あの仔だろ」


牧草地で、例の牡駒がまた暴れている。

小さな体で、大きな仔馬に喧嘩を売っていた。


高橋が笑った。


「元気だけはあるがな」


藤波が言う。


「だが馬主ってのは、夢を見る商売だ」


「夢の見えない馬は、なかなか買えん」


榊は黙ってうなずいた。


結局——


四人のうち、誰も引き取らなかった。


やむなく牧場では、その仔馬を二百五十万円で売りに出すことになった。


当時としても、決して高い値ではない。

だが、見た目というものは、やはり馬の値段に響く。


セリの日。


馬商や牧場関係者が、柵の外から仔馬を眺めている。


「これか」


一人が言った。


「チャイナロックの」


「そうらしいな」


別の男が首をひねる。


「……ちと貧相だな」


「肩が立ってる」


「胴も短い」


値踏みする声ばかりで、値段の声が出ない。


榊は黙って立っていた。


やがて誰かが言った。


「二百五十は高いな」


「百五十なら考えるが」


榊は首を振った。


「そこまでは下げられません」


結局——


その日も買い手は現れなかった。


---


春が少し進んだころ、一人の男が牧場を訪れた。


中央競馬の調教師、小林稔である。


小林は放牧地の柵の前で、しばらく黙って仔馬たちを眺めていた。


榊が隣に立つ。


「何かお探しで」


小林は言った。


「チャイナロックの仔を探してるんです」


榊は少し驚いた。


「チャイナロックですか」


「ええ」


小林はうなずく。


「地味だが、あの血は案外走る」


榊は草地の奥を指した。


「ちょうど一頭いますよ」


「ほう」


二人は柵の外から眺めた。


ハヤテロックは、例によって大きな仔馬に喧嘩を売っている。


小林は腕を組んだ。


「ずいぶん気が強いな」


「ええ」


榊は言った。


「そこだけは自慢できます」


小林はしばらく黙っていた。


やがて言った。


「いくらです」


榊は答えた。


「二百六十万」


小林は首をかしげた。


「……高いな」


「セリでも二百五十の値をつけてます」


小林が言う。


「売れてないでしょう」


榊は苦笑した。


小林はもう一度、馬を見た。


小さな体で、妙に威勢がいい。


「二百なら」


榊は首を振った。


「そこまでは下げられません」


しばらく沈黙があった。


春の風が牧草を揺らしている。


小林は最後にもう一度、仔馬を見た。


「……まあいい」


やがて言った。


「縁がなかったですね」


そう言って帰っていった。


榊はしばらく柵の前に立っていた。


やがて、ぽつりと言った。


「売れんな」


そのとき、牧場の従業員が言った。


「小畑さんに話してみたらどうです」


榊は顔を上げた。


小畑正雄。

牧場の縁者であり、競馬新聞「競友」の社長である。

そして高橋、勝村、角田、藤波 4人とは口さがない仲でもあった。


数日後、小畑が牧場にやって来た。


「売れ残ったんだって?」


笑いながら言う。


榊は苦い顔をした。


「ええ」


「見せてくれ」


放牧地へ行くと、例の仔馬がまた走り回っている。


小畑はしばらく眺めていた。


「なるほど」


「貧相だな」


榊は黙っていた。


小畑が笑う。


「でも、元気だけはある」


「でしょう」


榊は言った。


「気性はいいですよ」


小畑は腕を組み、煙草に火をつけた。


「二百五十だって?」


「ええ」


「高いな」


榊は苦笑した。


小畑は煙を吐いた。


しばらく黙って馬を見ていた。


やがて言った。


「でも、売れんだろ?」


「……ええ」


榊は悔しそうにうなずいた。


小畑は、草地で暴れているハヤテロックを見た。


「だがな…」


「こういう馬は、なんとなく捨てがたい」


榊は何も言わない。


小畑は続けた。


「飼葉代ぐらいなら出す」


「二百万だ」


榊は顔を上げた。


「社長」


「俺が引き取る」


榊は少し考えた。


春の風が牧草を渡っていく。


ハヤテロックが、また大きな仔馬に突っかかっていた。


やがて榊は言った。


「……いいでしょう」


小畑が笑った。


「まあ新聞屋の道楽だ」


「走らなくても、記事にはなる」


榊も笑った。


「走りますよ」


小畑は肩をすくめた。


「場長はいつもそれだ」


こうしてハヤテロックは、二百万円で引き取られることになった。

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