表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血統 ー蹄の記憶ー  作者: あいまいもこ
初めて怪物の異名を冠された馬

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/34

6_占い

昭和四十年の春。


まだ霜の気配の残る牧場で、牝馬タカツナミは一頭の牡駒を産み落とした。

夜の名残りを引きずる薄い靄のなかで、その仔馬は立ち上がろうとして何度も脚を折った。


牧場では、仔馬が生まれるたびに、ひそかな期待が流れる。

それは百に一つあるかどうかの可能性にすぎぬ。だが人間というものは、その一つを信じて馬を飼う。


この牡駒には、やがて「ハヤテロック」という幼名がつけられた。


だが見栄えという点では、どうにも感心しない。


首差しはやや短く、肩は立ち気味で、胴の締まりも足りない。

脚元も、いささか頼りなく見える。


馬を長く見てきた者なら、まず褒めるところを探すのに苦労する体つきであった。


しかし——


榊場長は、この仔馬を眺めるたびに妙な引っ掛かりを覚えていた。


牧柵の中で仔馬たちは、日が昇ると遊び始める。

走り回り、噛み合い、尻を跳ね上げる。


ハヤテロックは、その中でひときわ激しい。


体の大きな仔馬にも臆することなく突っかかり、首を振り、前脚で地面を打つ。

いったん走り出すと、驚くほど素早く方向を変える。


「……こいつは」


榊は腕を組み、柵にもたれた。


牧場の空気には乾いた草の匂いと、まだ冷たい風が混じっている。

仔馬の群れは、朝日を浴びて駆け回っていた。


ハヤテロックは、また一頭に喧嘩を仕掛けている。

体格では明らかに劣る相手だが、少しも引こうとしない。


やがて追われると、ぱっと身をひるがえし、

草地を斜めに切り裂くように走った。


脚の回転が妙に速い。


「見てくれは悪いが……」


榊は、誰に言うでもなく呟いた。


「根性だけは、並じゃないな」


春が進むにつれ、仔馬たちは人に慣らされていく。

人が近づき、手綱をかけ、身体を触る。


馬にとっては、自然の世界から人間の世界へ移される最初の関門であった。


多くの仔馬は、最初ひどく怯える。

暴れ、逃げ、ときには後脚で蹴る。


ところがハヤテロックは、恐れるより先に怒った。


鼻を鳴らし、首を振り、前脚で地面を打つ。

しかし人を避けて逃げる様子はない。


むしろ向かってくる。


「気が強い」


榊はそう言って笑った。


「馬ってのはな、結局そこだ」


牧場の男たちは、半ば呆れ、半ば面白がりながらこの仔馬を扱った。

見栄えのしない体つきの奥に、妙な闘志が宿っている。


まだ誰も知らない。


この牧場で「見どころのない仔」と言われた牡駒が、

のちに競馬場で名を轟かせることになるとは。


そのころハヤテロックは、ただ——


春の草地を、誰よりも負けん気の強い顔で走り回っているだけであった。


---


牧場の春というものは、案外ひまではない。


仔馬が生まれれば、その行き先を決めねばならぬ。

血統書の上では運命が半ば決まっているように見えるが、実際には人間の都合というものがそこへ入り込む。


タカツナミの産駒については、あらかじめ話がついていた。


高橋、勝村、角田、藤波。

四人の馬主が、順番に引き取ることになっていたのである。


今年は、その順番からいえば角田の番であった。


ところが、その角田が妙なことを言い出した。


牧場の事務所で、四人が腰を落ち着けている。

卓上の湯呑みから湯気が立っていた。


「いや……そのな」


角田は、妙に歯切れが悪い。


「今年は、ちょっと見送ろうと思ってる」


三人がいっせいに顔を上げた。


「おいおい、そりゃないだろう」


高橋が笑った。


「順番だろうが」


角田は頭をかきながら言った。


「実はな、知り合いの占い師がいてだな」


「……占い師?」


勝村が呆れた声を出す。


「今年は“動くな”って言うんだよ。馬なんぞ買うと、ろくなことにならんって」


藤波が吹き出した。


「なんだい、そりゃ」


「いや、あいつ妙に当たるんだよ」


角田は真顔である。


「去年もな、船を買うなって言われてさ。買った連中が、みんな損してな」


「だから馬も買わんと?」


高橋は肩を揺らして笑った。


「お前なあ、馬主が占いで商売するようになったら終いだぞ」


勝村が湯呑みを置いた。


「だいたい今年の仔は、あれだろ。父馬は何て言ったか、あの地味なの」


「チャイナロックだ」


藤波が鼻を鳴らした。


「夢のある配合とは言い難いな」


「だろう?」


角田は少し元気を取り戻した。


「占い師もそこ見て言ったんじゃないか」


「占い師が血統まで見るか」


高橋が笑った。


「牝馬ならな」


勝村が言う。


「走らなくても繁殖に上げる手がある」


「だが牡馬だ」


藤波が窓の外を顎で示した。


仔馬たちが春の草地を駆け回っている。

その中で、例の一頭がやけに騒がしい。


「あのハヤテとかいうやつ」


「馬体も貧相だしな」


確かに、見栄えのする仔ではない。

肩は立ち、胴は詰まり気味で、どこか頼りない。


角田は満足そうにうなずいた。


「ほら見ろ。だから今年はパスだ」


すると、それまで黙っていた榊場長がぽつりと言った。


「いや」


三人が顔を向ける。


「あいつは、良いもの持ってますよ」


「ほう?」


高橋が笑う。


「どこがだい」


榊は窓の外を見た。


ハヤテロックが体の大きな仔馬に突っかかり、追われている。

しかし逃げながらも、すぐ振り向いてまた向かっていく。


「気性です」


榊は言った。


「馬は、最後はそこです」


藤波が肩をすくめた。


「場長はいつもそれだ」


「根性論だな」


勝村が笑う。


角田は湯呑みを持ち上げて言った。


「まあいい。そんなに良いなら、次の順番のやつが買えばいいだろう」


三人の視線が、今度は高橋に向いた。


高橋はしばらく黙っていたが、

やがて、にやりと笑った。


「……占い師は、俺には何も言ってないな」


窓の外では、ハヤテロックがまた一頭に喧嘩を売っていた。


小さな体で、やたらと威勢だけはいい。


その姿を見ながら、榊はひそかに思っていた。


——この仔は、面白い。

作者のやる気のためにもブックマークと面白ければ星5。面白くなければ星1を是非ともお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ