27_怪物誕生
一九六九年。
五歳になった
**タケシバオー**は、再び競馬場へ帰ってきた。
前年は苦しい一年だった。
春以降、勝利がない。
ダービーは二着。
その後も惜敗が続き、秋にはアメリカ遠征。
そして
**ワシントンD.C.インターナショナル**での惨敗。
世界の壁を思い知らされた一年でもあった。
だが、馬は衰えていなかった。
むしろ——
何かが変わりつつあった。
年明け最初のレース。
オープン戦。
タケシバオーはまたしても二着だった。
勝ちきれない。
周囲の空気には、わずかな諦めが漂いはじめていた。
「強いが、運がない」
そんな声さえ聞こえるようになっていた。
だが、二月。
状況は突然変わる。
舞台は
東京新聞杯。
このとき、鞍上には再び
**保田隆芳**が戻っていた。
もともと騎乗予定だった
**古山良司**には先約があった。
それが、結果として歴史的な騎乗になる。
レースが始まった。
スタート。
タケシバオーは前へ出ない。
以前なら、すぐに先頭へ立つ馬だった。
だが、この日は違った。
後ろ。
保田は抑えた。
理由は簡単だった。
出遅れたのである。
仕方なく、後方からの競馬になった。
だが——
その位置取りが、
タケシバオーに新しい競馬を教えた。
向こう正面。
馬は落ち着いていた。
脚を溜めている。
保田は手応えを確かめながら、
じっと動かなかった。
そして直線。
保田が手綱を緩める。
その瞬間だった。
タケシバオーが弾けた。
一歩。
二歩。
みるみるうちに差を詰める。
そして先頭へ。
あとは突き放すだけだった。
差は、みるみる広がる。
ゴール。
二着との差は六馬身。
圧勝だった。
しかもタイムは
2分9秒5。
ダート2100メートルのレコード。
十か月ぶりの勝利だった。
だが、本当に驚くべきことは、
その次に起きた。
続くオープン戦。
騎手は再び古山に戻った。
斤量は六十キログラム。
当時としても、かなり重い負担だった。
距離はダート1700メートル。
それでも——
タケシバオーは走った。
スタート。
この日も無理に前へ行かない。
中団。
古山は静かに構えた。
タケシバオーは、
すでに新しい競馬を覚えていた。
抑える。
脚を溜める。
そして——
直線。
古山が追い出す。
その瞬間、
馬体が伸びた。
巨大なストライド。
芝でもダートでも関係ない。
まるで地面を滑るように前へ進む。
一完歩が、長い。
次の一歩が、さらに遠い。
あっという間に先頭へ。
そして、そのまま突き抜けた。
ゴール。
タイムは
1分41秒9。
またしてもレコードだった。
二戦連続のレコード勝ち。
絶句
静まり返った競馬場は次の瞬間には騒然となった。
関係者が口々に言う。
「速い」
「速すぎる」
ある記者が言った。
「これは……」
少し間を置く。
「アメリカ並のタイムだ」
その言葉は、すぐ広まった。
去年、タケシバオーはアメリカで負けた。
世界との距離を見せつけられた。
だが今、
その世界のタイムに近づいていた。
このレコードは長く残る。
やがて
**東京競馬場**が全面改修され、
同じコース条件は消滅する。
その二〇〇三年まで、
この記録は破られなかった。
レース後。
古山は言った。
「とにかくストライドが大きい」
驚きを隠せなかった。
「こんな馬は、あまりいません」
調教師の
**三井末太郎**は、静かにうなずいた。
敗戦が続いた去年。
だが、その中で馬は変わっていた。
出遅れ。
それがきっかけだった。
前へ行けなかったことで、
抑えることを覚えた。
脚を溜めることを覚えた。
そして——
爆発する末脚を手に入れた。
タケシバオーは変わった。
いや。
本来の能力が、ついに表に出た。
覚醒したのだ。
関係者の一人が言った。
「これは……」
言葉を探す。
やがて、こう言った。
「怪物だ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
長い助走だった。
惜敗。
遠征。
敗北。
すべてが、この瞬間につながっていた。
タケシバオーは、今まさに完成した。
ここに——
怪物が誕生したのである。




