16_三強
冬が去り、競馬の世界にも新しい季節が訪れていた。
三歳の王者となった馬は、そのまま止まらなかった。
**タケシバオー**である。
年が改まり、四歳。
その初戦となったのが**東京4歳ステークス(現 共同通信杯)**であった。
舞台は**東京競馬場**。
しかも馬場は不良。
ダート一七〇〇メートル。
普通ならば、若い馬にとっては難しい条件である。
だが、タケシバオーには関係がなかった。
スタートすると、いつものように前へ出た。
誰も競りかけない。
いや、競りかけられないのである。
道中、軽い脚取りで先頭を走り続ける。
そして直線——
後続を突き放した。
八馬身。
しかも、レコード。
観客席がどよめいた。
これで**六連勝**。
強い、という言葉だけでは足りない。
良血のエリート達を打ち破る様から人々は、やがてこの馬を「野武士」と呼び始める。
しかし——
その野武士にも、やがて敵が現れる。
東に一頭。
**アサカオー**。
父は、当代屈指の大種牡馬
**ヒンドスタン**。
骨格が大きく、底力のある馬であった。
まだ完成途上ながら、将来を嘱望されていた。
そして西から、もう一頭。
**マーチス**。
父は新進種牡馬
**ネヴァービート**。
良血である。
しかも関西三歳王者。
阪神で末脚を炸裂させたあの勝利は、まだ記憶に新しい。
人々は思った。
東のタケシバオー。
それに挑む二頭。
この世代には、役者が揃っている——と。
やがて三頭は、同じ舞台に立つ。
春まだ浅い中山。
若駒たちが皐月賞を目指す前哨戦。
**弥生賞**。
関東王者タケシバオー。
西の刺客マーチス。
そして成長著しいアサカオー。
この日、中山に
三頭が顔を揃えた。
後に人々は、この三頭をこう呼ぶことになる。
——**三強**。
後にいくつもの三強が生まれたが、最初に三強と呼ばれたのはこの馬たちだった。
そしてこの三頭が、これから何度も刃を交えることになる。
そして、その戦いが——
日本競馬の一時代を刻む物語になる。
ーーー
早春の**中山競馬場**。
皐月賞へ向かう若駒たちの関門、**弥生賞**の日であった。
観客の視線は、三頭に集まっていた。
6連勝中の3歳関東王者
**タケシバオー**。
大種牡馬ヒンドスタンの血を引く
**アサカオー**。
そして西から来た良血馬
**マーチス**。
のちに“三強”と呼ばれる三頭である。
だが、レース前の話題は別の馬にあった。
快速馬、
**カドマス**。
スタートから飛ばすことで知られた逃げ馬である。
発走前、ある記者がタケシバオーの鞍上、**中野渡清一**に言った。
「いくらタケシバオーでも、カドマスの快速にはついて行けないでしょう」
軽い調子の言葉だった。
だが——
それが頭に残った。
ゲートが開いた。
瞬間、カドマスが飛び出す。
速い。
だが、その外からもう一頭が出た。
**タケシバオー。**
中野渡が押した。
行く。
並ぶ。
カドマスと、タケシバオー。
二頭の逃げ争いが始まった。
スタンドがざわめく。
「やり合うぞ!」
最初のコーナー。
二頭は並んだまま飛ばす。
互いに譲らない。
芝を叩く音が、乾いた銃声のように響く。
向こう正面。
ペースは落ちない。
むしろ、速くなる。
実況が声を上げた。
「前はカドマス、外タケシバオー!」
「二頭並んでいます!」
観客がどよめいた。
速すぎる。
あまりにも速い。
やがて通過タイムが告げられた。
**千メートル五十七秒七。**
当時のレコードを上回る、狂気のペースである。
サイレンススズカの1998年年天皇賞(秋)1000m通過: 57秒4
パンサラッサの2022年天皇賞(秋)1000m通過: 57秒4
現代の快速馬たちとも遜色ない通過時間を叩き出す。
あの時代で如何に異次元であったか理解出来るのではないだろうか。
スタンドが揺れた。
「速い!」
「やり過ぎだ!」
後方では、**アサカオー**がじっと脚を溜めている。
さらに後ろで、**マーチス**が静かに構えていた。
三コーナー。
カドマスの脚が鈍り始めた。
しかしタケシバオーも、楽ではない。
それでも前へ出る。
中野渡が追う。
四コーナー。
タケシバオーが先頭。
だが、脚色が違った。
外から、影が迫る。
**アサカオー。**
大きなストライドで伸びてくる。
スタンドが叫ぶ。
「アサカオー!」
直線。
タケシバオーは、まだ粘っている。
しかし脚が重い。
前半で使いすぎた。
最後の百メートル。
アサカオーが並ぶ。
そして——
**差した。**
ゴール。
一着
**アサカオー。**
二着
タケシバオー。
三着
マーチス。
スタンドが大きくどよめいた。
怪物が、初めて敗れた。
検量室の前では、空気が張りつめていた。
タケシバオーの調教師、
**三井末太郎**の顔が険しい。
記者が声をかけた。
「先生……」
三井は低い声で言った。
「なぜ、あんな競馬をした」
前半の激しい逃げ争い。
あれは、この馬の競馬ではない。
無理をすれば、脚は止まる。
三井は怒っていた。静かな怒りである。
その怒りはやがて決断になる。
この弥生賞を最後に——
**中野渡清一はタケシバオーから降ろされた。**
春の中山に残ったのは、
勝ったアサカオーと、敗れたタケシバオーの苦い余韻だけであった。
だがこの日、人々は確信する。
タケシバオー。
アサカオー。
マーチス。
この三頭が——
これからの日本競馬を揺らすことになる、と。
中野渡清一騎手はこの同年にオークスを制して8大競走完全制覇を成し遂げます。後年にはマルゼンスキーの主戦騎手を務めて8戦全てに騎乗されます。こう考えると色々なストーリーが浮かんできますね。




