レイヤー3
冷や汗が頬を伝い落ちる。鋭く光る銀の短剣は、主人の合図ひとつで獲物を仕留めんと静かに待ち構えていた。一体何が起きているのか、俺にはさっぱりわからなかった。
カフェの店員たちは、直接助けに入る勇気こそなかったが、そのうちの一人が警察に通報しているのが見えた。
「――こうするしかない」
俺は指を鳴らした。俺とルンの間に巨大なスプリング(発条)が出現し、二人を強引に引き離す。その衝撃で俺は吹き飛ばされ、テーブルや椅子を粉砕しながら床に叩きつけられた。だが、これが最善の策だった。
カフェの店員たちは恐怖に震え、客の半分は一目散に逃げ出した。
俺は痛む体を抑えながら、なんとか立ち上がる。舞い上がる埃の向こう側で、ルンは痛みを感じる様子もなく平然と立っていた。
「……少しは知恵が回るようね」
「けれど、あの方が言った通り、今の持ち主ではその伝説の遺物の力を引き出しきれていないようだわ」
「なんなんだよ? なんでいきなり命を狙われなきゃいけない? カエリン王子? 一体どういう意味だ……」
俺は生唾を飲み込んだ。
「おい、君! うちの店に何てことをしてくれたんだ! それに、あの娘の言っていたことは一体……」
バリスタが膝をガクガクと震わせながら、震える声で問いかけてくる。
「俺にもよくわからないんです。でも、どうやら彼女は俺を殺したいらしい」
俺はそう答え、財布から一万円札を数枚取り出してレジに置いた。
「これでテーブルと椅子の弁償をお願いします。これだけあれば、俺は全力で逃げられますから」
そう言い残すと、俺は全力でカフェを飛び出し、自分を殺そうとする刺客を振り切ろうとした。
だが、それは甘い考えだった。
わずか二百メートル走ったところで、ルンはしなやかな動きで俺の背後数メートルの位置まで迫っていた。俺は路地裏へ逃げ込み、大きなゴミ箱を飛び越え、鉄柵を必死に登った。しかし、追っ手はもはや人間とは思えない動きを見せる。忍者のような素早さで壁を蹴り、一歩の狂いもなく俺を追い詰めてくる。
「逃がさないわ!」
ルンが叫ぶ。
背後を振り返ると、彼女が短剣を投げつけてきた。幸い反射神経が追いつき、なんとか回避する。だが、行き止まりだ。狭い路地で俺は完全に追い詰められた。
「観念しなさい! その指輪を渡しなさい!」
俺は隣の壁を睨みつけ、そこに向かって突進した。激突する寸前、壁に『扉』が現れる。
「逃がすものか!」
ルンが阻止しようと飛び込んできたが、コンマ一秒遅かった。俺は先に扉の中へと滑り込む。
俺が通り抜けると同時に、作り出した扉は霧のように消えた。呼吸が乱れ、心臓が早鐘を打つ。
「カエリン? こんなところで何してるの?」
聞き覚えのある声がした。
「アルヴィナ? 待て、ここってもしかしてアスリートの練習場か……!?」
辺りを見渡すと、そこには巨大な室内プールがあった。水泳競技用の施設のようだ。
「話せば長くなるんだ。……少し、呼吸を整えさせてくれ」
「借金取りにでも追われてるみたいな顔ね。それとも野良犬? でも、いきなりここに現れたってことは、その力を使ったんでしょ?」
俺は頷き、ゆっくりと立ち上がった。
「後で説明するよ。それより、あっちで友達と練習してなきゃいけないんじゃ……?」
俺は、競泳水着を着た少女たちの集まりを指差した。
「いいのよ。私の練習メニューはもう終わったから」
アルヴィナはいきなり俺の頭を小突いた。
「これは、帰る時のあんたの失礼な態度への仕返しよ」
俺は文句を言いたかったが、全力疾走とジャンプの連続で疲れ果てていて、言い返す気力もなかった。
「それで、何があったのか早く説明しなさいよ、カエリン!」
「……手短に言う。ルンと名乗る『月の王女』を自称する女の子に追いかけられてるんだ。……俺を殺すためにね」
俺は真剣な眼差しで、そう答えた。




