自然11
刻は止まることなく回り続け、陽光は月影へ、月影は再び朝霞へと移ろいゆく。
七日間に及ぶ療養の末、私のコンディションはかつてないほど万全な状態へと戻っていた。全身を拘束していた忌々しい包帯は取り払われ、四肢に宿る躍動感は以前よりも研ぎ澄まされている。
燦然と輝く朝の光の中で、私は初めてシルクの家の真の美しさを知った。
天を突く巨木に囲まれたその場所には、幻想的なキノコの農園が広がっている。夜になれば、それらは己の傘の色に合わせた神秘的な燐光を放ち、辺りを夢のような極彩色に染め上げるのだ。
少し足を延ばせば、どこまでも続く草原の先に切り立った断崖がそびえ立ち、幾筋もの白銀の滝が轟音を立てて流れ落ちる絶景が視界を支配していた。
「――ありがとう、シルク。傷を癒してくれただけでなく、旅の支度まで整えてもらって」
私は深く頭を下げた。
今の私は、元の世界の面影を残す「学生服」を脱ぎ捨て、この世界の意匠を凝らした衣服、靴、そして鞄を身に纏っている。鏡に映るその姿は、まるでこの世界の理に同化した異邦人のようだった。
「ありがと!」
隣でルラが満面の笑みを浮かべる。
「どういたしまして。本当に可愛い子ね、いつも頬っぺたを抓りたくなっちゃう」
シルクはそう言ってルラの頬を優しく引き寄せた。彼女の慈愛に満ちた温もりに、ルラも嬉しそうに声を弾ませる。
「……さて。あなたたちが『冒険者』だということは聞き及んでいるわ。それで、本当は何を探しているの?」
シルクの問いに、私とルンは視線を交わした。
「……『ネイチャー・リング(自然の指輪)』だ」
ルンが静かに、だが確かな口調で答えた。
「――やはりね」
シルクは長く、重い溜息をついた。「これまで幾多の者がそれを求め、そして敗れ去った。王国の全勢力をもってしても、その指輪を手にし、世界を蝕む病を根絶することは叶わなかったのだから」
彼女の眼差しに、警告の火が灯る。
「なぜ、貴方たちがそれを追う必要があるの? 命を賭すにはあまりに代償が大きすぎるわ。大人しく故郷へ帰りなさい」
「……利己的な力が欲しいわけじゃないんだ」
私は一歩踏み出し、シルクを真っ直ぐに見据えた。「出会って一週間。まだ全てを話すには時間が足りないかもしれないけれど、これは……全ての『並行世界』の存亡に関わることなんだ」
「パラレル……? つまり、あなたたちはこの世界の住人ではないというの?」
シルクが驚きに口元を覆う。
その瞬間、ルンの鋭い肘打ちが私の脇腹を襲った。
「ちょっ、何あんた! いきなり口を滑らせてんじゃないわよ!」
ルンが耳元で激しく毒づく。「どこの誰とも分からない人に、正体をバラしてどうするのよ!? もし裏切り者だったら……っ!」
「わ、悪い……」私は頭を掻きながら苦笑いした。
「――心配しなくていいわ。私は裏切り者などではないから」
シルクの表情に、微かな感銘の色が混じる。「かつて軍団長だった頃、私はこの場所ではない『外の世界』の伝承をいくつも読んだわ。まさか、それが目の前に実在していようとはね」
微風が吹き抜け、木々の葉を揺らす。木漏れ日が彼女の凛とした貌に柔らかな陰影を落とした。
「これほどまでに真っ直ぐな瞳で、世界の救済を語る者に会ったのは久しぶりだわ。ここを訪れる者の多くは、強欲に目を曇らせていたから」
シルクは一度家の中へ戻り、やがて二つの小さな金属片を携えて戻ってきた。
葉の紋章が円を囲むように刻印された、重厚な意匠のメダル。
「これは王室医術師の紋章よ。……もっとも、今は『通行証』としての意味の方が強いけれど」
「通行証?」
「それがあれば、厳しい検閲を通り抜けて女王に直接謁見することができる。……私の名を出しなさい。そうすれば、彼女たちは耳を傾けるはずよ」
ルンがその紋章を見つめ、静かに問う。「……なぜ、ここまでしてくれるの?」
「もし指輪が実在し、あなたたちの目的が真に世界の救済であるならば――」シルクは微笑んだ。「あなたたちを一人きりで歩ませるわけにはいかないからよ」
私はその紋章を強く握りしめた。
「感謝する、シルク」
「一つだけお願いがある。どうか、平穏を取り戻して。そして、『ルド』と呼ばれるあの闇の怪物を討ち倒してちょうだい」
「……約束する。必ず成し遂げてみせる」
ルラが私の服の裾を引いた。「ねえ、お兄ちゃん……女王様に会いに行くの?」
「ああ、そのようだな」
「わぁ……っ!」ルラの瞳が宝石のように輝く。
「王宮はあの滝の向こう、断崖の先にあるわ」シルクが指差す。「道はそう遠くないけれど、決して安全ではない。指輪の発見を阻もうとする勢力は、どこにでも潜んでいるから」
私たちは深く頷き、その場を後にした。草原を吹き抜ける風が、別れを惜しむように私たちの背中を押し、キノコたちがサワサワと音を立てて揺れる。
「ありがとう、シルク。……もし全てが終わったら、また戻ってくるよ」
私の言葉に、彼女は優しく頷いた。
確かな足取りで草原を突き進む。滝の轟音は次第に大きくなり、目的地への期待が高まっていく。
だが、その歩みが止まる。
「――待て。俺も行く」
背後から響いた不敵な声。
振り返れば、そこには長槍を肩に担いだソラが立っていた。
「ソラ……? 貴様、なぜ」
「森でくすぶっている理由がなくなったんでね。影から守るだけじゃ、何一つ変わらないってことが分かった」ソラは不敵な笑みを浮かべる。
「……もし元凶を叩き潰せるっていうんなら、特等席で見届けさせてもらうぜ」
ルンが眉をひそめる。「本気なの?」
「ああ。何より、退屈していたところだ」
「わーい! 白い髪のお兄ちゃんも一緒だ!」
ルラがはしゃぎ、ソラは「おい」と呆れたような声を漏らしながらも、その口元を綻ばせていた。
視線の先には、滝に隠された神秘の王宮。
手に握られた紋章。新たな仲間。そして、加速する運命。
私たちの旅は、今ここから、真の幕開けを迎えるのだ。




