自然10
「――そう身構えるな。貴様らに言われるまでもなく、そんなことは百も承知だ」
シルクが淡々と言い放つ。
「なぜ、それを……?」
無理に声を絞り出そうとした拍子に、激しく咳き込んだ。口の端から鮮血が伝い落ちる。
「無茶を言うな。……答えは単純だ。もし貴様が力を持たぬただの人間だったなら、あの漆黒の怪物の攻撃を受けた瞬間に、この世には留まってはいまい。一撃で魂ごと消し飛ばされていたはずだ。論理的に考えれば明白なこと。強大な力を持つ者は、どれほど肉体が崩壊しようとも、その生命力で死の淵に踏み止まることができる」
シルクはそう結ぶと、静かに一礼した。
「さて、私は失礼するよ。まだ片付けるべき仕事が山積みだ」
彼女は凛とした足取りで、治療室を後にした。
「……彼女はこの国で最高の医術師だ。俺たちが彼女に救われたのは、奇跡と言ってもいい」
シルクの姿が見えなくなると、ソラが天井を仰いだまま呟いた。
木造の部屋に沈黙が降りる。窓辺では、ルンが肩で眠りかけたルラを抱きかかえ、黄昏の光に照らされていた。隣のベッドでは、ソラが未だ衰弱した様子で横たわっている。
シルクの足音が完全に途絶えたのを見計らい、ソラが再び口を開いた。
「彼女は、ただの医術師じゃない」
その声は低く、重い。
「どういう意味だ?」
ソラは長く、深い溜息をついた。それは彼が長年抱えてきた、言葉にできない重圧を吐き出すかのようだった。
「かつて……シルクはこの自然系氏族の軍団長だったんだ。誰からも畏怖され、そして尊敬される最強の戦士の一人だった」
ルンが驚いたように顔を向け、ルラはルンの服をぎゅっと握りしめている。
「彼女は常に最前線にいた。終わりのない任務、繰り返される戦争……」ソラは言葉を継ぐ。「だがある日、彼女はすべてを失った」
私は息を呑んだ。
「彼女には子供がいたんだ」ソラは絞り出すように言った。「まだ幼く、病気がちだった。だがシルクは忙しすぎた。その子は、本来なら救えるはずの病で命を落とした。……最悪なのは、シルク自身、我が子が病に侵されていることすら知らなかったことだ。彼女は一度も、家に帰れなかったからな」
部屋の空気が、より一層冷え切ったように感じられた。
「その日からだ」ソラの声が震える。「彼女は階級を捨て、剣を折り、誓いを立てた。二度と、自分の目の前で無知ゆえに命を落とす者は出さないと」
唾を飲み込む。シルクが私の傷に触れた時の慈しみ、あの厳格な言葉――すべてに筋が通った。
「彼女は、その誓いを守り続けているんだな……」
「ああ、その通りだ」
しばらくの静寂の後、ソラが話題を切り替えた。
「……それと、あの漆黒の男についてだが。……噂なら聞いたことがある」
「どんな噂だ?」
「長すぎた時を生きる人間。光にも、闇にも属さぬ孤高の怪物だ。誰にも従わず、善悪すら超越して己の意志のみで動く。……一説によれば、彼は『二度と会えぬはずの存在』を探し続けているらしい」
男の放っていた圧倒的な圧力。あの瞳。
彼が去り際に流した一瞬の迷い――。
(……なぜだろう。初めて会ったはずなのに、妙に懐かしい感覚があった)
気のせいだろうか。私は深く溜息をついた。
「ほら、飲みなさい」
ルンが近づき、緑色の液体が入った小鉢を差し出した。「シルク特製の薬草茶よ。効果は絶大だって」
私はその中身を疑わしげに見つめる。「……今すぐか?」
「今すぐよ」
ルンの断固とした態度に押され、私はそれを一気に煽った。
舌を刺すような苦味が広がる。
「……に、苦っ!!」
思わず顔を顰める私を見て、さっきまで大人しかったルラが「ぷっ」と吹き出した。
「お兄ちゃん、おもしろーい!」
ルラはルンの腕から降りると、いたずらっぽく私の包帯をぽんぽんと叩いた。
「お兄ちゃん、早く良くなってね!」
「お、おい……痛いって!」
私が悶絶すると、ルンの口元にも微かな笑みが浮かんだ。
ルンはルラを連れて再び窓辺へ戻り、穏やかな時間が流れ始める。
体の中に、じわじわと温かい熱が広がっていく。
痛みは消えていないが、あの刺すような鋭さは和らいでいた。
私は静かに目を閉じる。
隣のベッドでは、ソラも既に眠りについていた。
この混沌とした事態が始まって以来――私たちは初めて、剣を置き、休息を得たのだ。
だが、胸の奥底では理解していた。
この静寂は、束の間の猶予に過ぎない。
……私たちの物語は、まだ何一つ終わっていないのだから。




