レイヤー21
夜の街の景色は、息をのむほど美しかった。
高くそびえる摩天楼、街の隅々まで照らす無数の灯り。
そして、闇夜に優しく輝く満月と、広く散りばめられた星々。
その摩天楼のひとつ、その頂に――
黒い煙が集まり、やがて一人の姿を形作った。
タムズ。
両腕に装着された三つの巨大な腕輪が微かに蠢き、
長く白い髪が夜風に揺れる。
「見ろ、この下位クランの小さく美しい街を」
タムズは嘲るように呟く。
「連中は皆、蟻に過ぎん。力もなければ、進んだ技術もない。
だからこそ、多くが闇に呑まれるのだ」
タムズは一人、低く笑った。
――ピリリ。
彼の腕時計が鳴る。
《着信:スクリヴァー》
タムズはそのまま操作した。
「ようやく姿を現したか。
で、貴様と“月の姫”はどこにいる?」
『どこかに拘束されているようだが、座標は送れる』
通信の向こうの声。
それは、トカゲとタコ、そして蛇が混ざったような異形の存在だった。
『指輪の所有者も、どうやらここにいる……
人間どもは知らんだろうが、今の俺はレーダーに感知されない簡易装置を作れる』
タムズは口元を歪める。
「俺が急いで“想像の指輪”を奪わなかった理由が分かるか、スクリヴァー?」
異形は首を横に振った。
「まさか……
《ALLAMクラン》への門を開く“鍵”を見つけるとはな」
タムズの瞳が妖しく光る。
「俺は見つけた。
セレスティアル女王の“純血”をな」
再び、彼の笑い声が夜に溶けた。
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意識が、ゆっくりと戻ってきた。
突然の激痛ではなく、
胸を押さえつけるような重圧――
あまりにも現実的すぎる悪夢から、目覚める感覚。
俺は目を開けた。
見知らぬ天井。
濃い灰色で、機械の骨組みのような奇妙な線が走っている。
冷たく白い灯りが吊るされ、無機質に輝いていた。
「……ここは……どこだ……?」
起き上がろうとするが、身体が言うことを聞かない。
震える腕で体を支えた瞬間、
崩れた家、タムズ、そして妹の叫びが一気に脳裏を駆け抜けた。
妹――。
俺は跳ね起きる。
「妹は……!」
掠れた声。焦燥。
視線を走らせる。
広いが、何もない部屋。金属の壁。
取っ手のない、固く閉ざされた扉。窓はない。
そして――見つけた。
部屋の隅、影に溶けるように置かれた透明な箱。
中にいる者が、ほとんど身動きできないほど狭い。
その中に――
「……ルン?」
彼女は膝を抱え、俯いて座っていた。
銀色の髪は乱れ、顔色は悪い。
それでも――その瞳は、まだ生きていた。
俺の声に、彼女は顔を上げる。
「目、覚めたのね」
静かな声。
俺は反射的に駆け寄り、箱に手を当てる。
冷たい。
「妹は?」
声が震える。
「無事なんだろ……?」
ルンは数秒、俺を見つめた。
落ち着いた表情の奥に、張り詰めた緊張が見える。
「無事よ」
やがて、そう答えた。
「アルヴィナの両親が連れて行った。
……今のところは、安全」
膝から力が抜けた。
俺はその場に座り込む。
呼吸が乱れ、頭を抱える。
「……よかった……」
だが、安堵はすぐに消えた。
代わりに、罪悪感が胸を満たす。
「全部……俺のせいだ」
小さく呟く。
「この、馬鹿な指輪のせいで」
指にはまった“想像の指輪”を見つめる。
あまりにも静かで、無害そうで――
だからこそ、腹が立った。
「制御できない。弱い。考えなしだ……」
声が震える。
「もし、俺がこれを持ってなければ……
父さんと母さんは――」
言葉が、止まった。
重すぎて、口にできない。
ルンは箱越しに俺を見つめる。
その表情が、僅かに変わった。
視線が、柔らぐ。
「カエリン」
彼女が静かに呼ぶ。
俺は答えない。
「分かるわ」
彼女は続けた。
「力を責めて、自分を責めて……
“もっと強ければ”って、何度も思う気持ち」
俺は顔を上げた。
「お前には分からない」
苦々しく言う。
「その場に、いなかったくせに」
彼女は、かすかに微笑んだ。
喜びのない、何度も傷ついた者の笑み。
「……思っている以上に、知ってるわ」
穏やかな声。
「あなたが想像しているより、ずっと」
それ以上、彼女は語らなかった。
そして――なぜか俺も、問い詰めなかった。
その瞳に、古い傷があった。
語られない、深い喪失が。
俺は長く息を吐き、立ち上がる。
箱に背を預けた。
「変だな」
呟く。
「何が?」
ルンが聞く。
「いつも冷たくて、鬱陶しくて、強がってるくせに」
正直に言った。
「今は……すごく疲れて見える」
彼女は黙った。
「肩は張ってる。でも呼吸が乱れてる」
無意識に続ける。
「怖さを押し殺してる人の癖だ。
でも目は……パニックじゃない。
ただ、疲れてる」
ルンは、しばらく俺を見つめた。
「……よく見てるのね」
そう言った。
「そうしないと、何度も死んでた」
短く答える。
沈黙。
やがて、ルンは箱の内側で身を寄せ、
透明な壁越しに、俺のすぐ隣に並んだ。
「あなたは、もう一人じゃない」
静かな声。
「今日は負けたかもしれない。
指輪が呪いに思えるかもしれない。
でも……あなたは立ってる。
それは、まだ希望があるってこと」
俺の手が、無意識に壁に触れた。
近い――。
ほんの一瞬、世界が静まり返った。
――ピッ。
壁のパネルから電子音。
俺は素早く振り向く。
小さなモニターが点灯し、影が映る。
あの異形――スクリヴァー。
『……座標は送信した』
その声が響く。
『指輪の所有者は目覚めた』
心臓が跳ねる。
「クソ……!」
「没収したはずなのに、どうやって通信を……!」
――ドン!
ベニーがスクリヴァーを殴り倒す。
異形は再び気を失い、モニターは消えた。
ベニーは即座に装置を破壊する。
「まずいぞ!」
ベニーが叫ぶ。
「父さん! 位置がバレた!
こいつが“あいつ”に座標を送った!」
俺は、ベニーの父の驚く声を聞いた。
続いて、アルヴィナの両親、そしてアルヴィナ自身の足音。
――確信した。
俺たちに、
もう時間は残されていない。




