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第十一章 風の帰り道、未来の約束

ざわざわとした音が、教室の外から響いてくる。


 午後五時を過ぎ、文化祭の喧騒も少しずつ落ち着いてきていた。

 飾りつけは少しずつ剥がされ、仮装姿の生徒たちが名残惜しそうに写真を撮っていた。


 紬は、教室の隅の椅子に静かに座っていた。

 制服の袖がほんの少し汗ばんでいる。頭も、ほんのり熱い。

 昼からずっと気を張りっぱなしだったせいか、足に力が入らない。


 (でも……ここまで来た)


 目の前には、みんなの笑顔。笑い声。

 少し前の自分なら、こんな光景を想像するだけで苦しくなっていた。

 けれど今は、ほんのり胸が温かい。誇らしくもある。


 「……紬、大丈夫?」


 声をかけたのは、もちろん悠真だった。

 彼の表情はいつもよりほんの少し、心配そうだった。


 「うん……ちょっと、疲れちゃったかも」


 言葉に出してみると、全身の力が抜けた気がした。

 ごまかすことも、強がることもなく、正直にそう言えたことが、少しだけうれしかった。


 悠真は、数秒だけ考えるように目を細め、やがてふっと笑った。


 「……じゃあ、今日はもう帰ろうか。残りは、俺が片づけとく」


 「でも……」


 「いいから。ほら、立てる?」


 差し出された手を取ろうとした瞬間、足がふらついた。

 そのまま、よろけそうになった紬の身体を、悠真がすぐに支えた。


 「おっと……ダメだな、これは」


 そして、ほんの一瞬のためらいのあと——


 「よいしょ。……じゃ、背負うよ」


 「えっ……!? や、やだ、そんなの恥ずかしい……!」


 「恥ずかしいのは俺だよ。でも、背負わないと帰れないでしょ」


 言いながら、彼はすでに紬をおんぶしていた。

 視線が高くなり、背中に伝わる鼓動が、不思議と安心感をくれる。


 「……変なの。子どもみたい」


 「でも、安心したでしょ?」


 「……うん」


 校門を出ると、夕焼けが空を染めていた。

 オレンジと藍が溶け合う空の下、二人の影は長く、細く伸びていた。


 風が吹いた。制服の裾と髪が、ふわりと揺れる。


 「悠真……」


 「ん?」


 「……ありがとう。今日、ほんとうに、楽しかった」


 背中越しに伝わるその言葉に、彼の歩みがほんの一瞬だけ止まった。

 けれどすぐにまた、ゆっくりと歩き出す。


 「俺も、楽しかったよ」


 夕暮れの道を、二人はゆっくりと歩いていく。

 誰もいない帰り道に、二人だけの時間が静かに流れていた——


家までの道のりは、驚くほど静かだった。

 夕方の町はすでに文化祭の余韻から解放され、ゆっくりと夜へ向かっていた。


 紬の腕が悠真の首に回されている。

 彼の背中越しに感じる呼吸と、一定の歩調。

 不思議なことに、その揺れがとても心地よかった。


 「……重くない?」


 小さな声で尋ねると、彼はすぐに答えた。


 「ううん。むしろ、軽すぎるくらい」


 「嘘ばっかり」


 「ホントだって。紬が、どれだけ頑張ったか、ちゃんと知ってるから」


 その一言が、背中越しに心の奥に沁みていく。

 目頭がじんわりと熱くなるのを、紬はこっそりと堪えた。


 「……私さ、今日、制服着て外に出るって決めたとき、怖かったんだ」

 「だけど、あの門を越えてから……すこしずつ、景色が変わって見えた」


 「うん」


 「でもね……正直に言うと、途中で何度も逃げ出したくなった」

 「また誰かの目が怖くなって、また部屋に戻っちゃうんじゃないかって、ずっと思ってた」


 「そう思いながらも、最後までいたんでしょ? それがすごいんだよ」


 「……悠真」


 彼は立ち止まり、振り返らずに言った。


 「俺ね、別に紬が毎日学校に来なくてもいいと思ってる」


 「え……?」


 「たとえ今日がたった一日の勇気でも、ずっと忘れないって思えるような時間だったら、それでいい」


 「……でも」


 「でも、できるなら——また一緒に、制服を着て、あの道を歩きたい」


 その言葉が、紬の心に静かに届いた。

 まるで、風が心の隙間をそっと撫でていくように。


 「……うん、私も。次は……自分の足で、歩いてみたいな」


 「約束だよ」


 「……うん。約束」


 そのまま、二人は歩き出した。

 風が、柔らかく吹き抜ける。季節が、少しだけ進んだような気がした。


目を覚ましたとき、カーテンの隙間から差し込む朝の光が、部屋を静かに照らしていた。

 文化祭から一晩経った朝。

 身体のあちこちが、まだ少し重い。けれど、どこか心地よい疲労だった。


 ベッドから起き上がり、ゆっくりとカーテンを開ける。

 外は、快晴。昨日の喧騒が嘘のように、静かな日常が戻ってきていた。


 鏡の前に立ち、しばらくじっと自分を見つめた。

 昨日の自分とは、少し違う気がした。

 目の奥に映る、まだ少し不安げだけれど、確かに前を向いている自分。


 制服の襟を、そっと指でなぞってみる。

 昨日、一度だけ通した袖。

 でもそれは、「たった一日だけの挑戦」じゃなく、「次につながる始まり」だった。


 (また着るんだ、きっと)


 スマートフォンを手に取り、画面をタップする。

 メッセージアプリを開くと、未読の一通が表示されていた。


 《今日も、おつかれさま。また、あの道を歩こう。——悠真》


 指先が震える。胸の奥が、きゅっと鳴る。


 紬は小さく笑って、短く返した。


 《……うん。今度は、ちゃんと並んで、歩こうね》


 いつか、制服を着て。

 誰の目も気にせず、自分の足で歩いていけるように。

 その未来を思い描きながら、窓の外の空を見上げた。


 空は、高く澄んでいた。

 まるで、何かが新しく始まるのを、静かに祝福しているかのように。

この物語『ひきこもりの幼なじみに、僕は毎朝、弁当を届ける』をここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。


本作は、どこにでもいる少年と、ある日部屋に閉じこもってしまった幼なじみとの、小さな日常の再生物語です。

派手な事件はありません。でも、毎朝の「お弁当」が、彼女の中に積もっていった優しさであり、希望でした。


紬は最初、何もできなかった。けれど、その「何もできない」ことすら受け入れながら、少しずつ変わっていきました。

彼女が制服に袖を通し、自らの意志で門を越えたとき、きっと多くの読者の心にも、小さな風が吹いたのではないかと信じています。


「誰かの役に立ちたい」

「もう一度、学校に行きたい」

「一緒に笑いたい」

そんな願いが、ゆっくりと叶っていく過程を描くことができたことを、作者としてとても誇らしく思います。


本作はここで一区切りですが、彼女たちの物語は、まだ終わっていません。

いつかまた、二人のその後を綴ることができれば嬉しいです。


応援、本当にありがとうございました。

また、どこかでお会いしましょう。

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