後編
次の休みの日に待ち合わせの場所で時間通りに待っていると、隆二が車でやってきた。
「おまたせ」
「大丈夫。私も来たばかりだから。今日は車出してくれてありがとう」
「あの山の中だからな。車がなきゃたどり着けるかどうか」
「それはそうね。今日一日よろしくお願いいたします」
親しき中にも礼儀ありという事で、改まって感謝を伝える。
「おう。ただし山道だから乗り心地は期待するなよ」
集落までの最短の道はあの土砂崩れで寸断されたままのため、山をぐるりと回り他県から峠を越える道を通らなければならない。
走る車の車窓から集落へと続く道だった形跡への入り口を見つけ、呟く。
「あの道が使えればすぐそこなんだけどね」
「まあ、しょうがないさ。あそこに住んでる人ぐらいしか使わない道の復旧に、そんなに大金はつぎ込めないからな」
「そういえばあの道はそれ以降も復旧するって話は上がってないの」
「そういった話は聞いてないし、工事を始めたって話自体聞いた事がないな」
「残念に感じちゃうのは、あの道をずいぶんと使ってたからかな」
「多分な。だが道どころかあの集落だって今は無人だからな、道ぐらいで感傷に浸ってたらきりがないぞ」
「そりゃあ、そうだけど」
隆二の意見は正論だが、それでもどこか腑に落ちない。
そんなやり取りをしてる間に、車は集落まで辿り着いた。
「良かった。下手すりゃ落石なんかでこっちの道も寸断されてて途中から山歩きになるかもと思ってたから、ここまで車で来れて何よりだ」
そんな事を言いながら隆二は、車を小学校前まで動かして降りた。
「運転お疲れ様」
「まあ帰りが有るからまだ半分だけどな。さて、」
隆二は車の荷台からシャベルを取り出す。
「おお、本格的だね」
「まあな。とは言っても掘り返す相手はたかだか小学生三人がスコップで堀っただけの穴だからな。過剰と言えば過剰かな」
「まあ、その分すぐ掘り出せるし。・・・あの時もほとんど隆二君一人で掘ってたんだっけ」
「そう、だったかもな。か弱い女の子のふりをする奴と、そもそもスコップすら持ってきてなかった奴しか居なかったからな」
「ふりってどういう事よ」
「そのまんまさ。前日まで一緒になって駆け回ってたのに、卒業式の日だけは急にお淑やかになってたじゃねぇか」
「だ、だってそれは、せっかく両親が用意してくれた晴れ着を汚したくなかったし」
晴れ着を着て、生まれて初めて化粧をしてもらった。鏡の中の自分にときめいたのを今でも覚えている。
そんな状態で母親から「せっかく綺麗になったんだから今日一日は大人しくしていなさいね」なんて念を押されたら、流石にスコップ片手に泥だらけにはなれなかった。
「ま、まあ、今日は汚れても大丈夫な格好で来てるんだし」
強引に取り繕っているあたり、どうやら本当にその可能性を考えた事が無かったようだ。
隆二はシャベルを担いで先に歩き出す。私も後ろから付いていく。
小学校の校舎の脇を通り裏手に回る。
記憶の中の校舎よりも小さく感じるのは、私が大きくなって視線が高くなったせいだろうか。
入り口も窓もちゃんと施錠されているので侵入は出来ないが、窓越しに懐かしい風景が見える。
「机と椅子ってあんなに小さかったんだね」
「小学生の時だからな。今から見ればそんなもんだよ」
「懐かしいなぁ」
「いっつも三人並んで授業受けて、休み時間はばかやってたな」
「そうそう。無茶をする隆二君といっつも一歩下がって笑っていた智樹君」
「あの頃は何も考えずにただ軟弱な奴だと思っていたけど、この前のおばさんの話からするとその頃から体調が悪かったのかもな」
「本人はちっともそんな事言ってくれなかったからね、全く気がつかなかったな」
「そういう意味ではあいつが俺たちを騙しぬいたってわけだ」
「やっぱり頭じゃ智樹君には太刀打ちできないね」
話しながらも歩みを進める。こんな思い出ばかりの場所で止まって話し始めたら、どれだけ時間があっても足りない。
学校の裏手に広がる森。
十数年前の記憶とそう大きく変わらないではいるが、それでも下草が伸びてよりうっそうとしているような気がする。
「こんな状態だったけ」
「管理する人が居なくなりゃこんなもんだ。これでもまだましな方かもな」
目指すべき巨木はそんなに森の奥に有るわけではないので、少し枝葉をかき分ければたどり着ける。
「さて、あとは明確な場所だけど、」
つぶやきながら、隆二は巨木の周りをぐるりと回りながら、地面や周りの景色を確認していく。
「思い出せそうなの」
聞いてみる。すると隆二がこちらに向きかえり言い放つ。
「お前も思い出せよ」
「私は全然覚えてないよ。確かにこの木の根元に埋めたのは覚えているけど、ちゃんとした場所までは」
私の言い訳を聞いて隆二はため息をこぼす。さすがにそんな前の事を詳細まで記憶してはいない。そもそもその日自体が色々ありすぎたというのもある。
二・三周木の周りを確認した後に、一か所を決めて土にシャベルを突き立てる。
そのまま掘り始めるかと思いきや、止めてしまう。
「ここじゃないな、地面が硬すぎる。いくら十年以上前でも少しぐらいは柔らかさが残ってるはずだ」
「そんなものなの」
「さあ、多分だよ。いくらシャベルを持ってきたからってそんなに何か所も穴開けてたら、疲れちまう」
そんな事を言いながら次の場所にシャベルを突き立てる。
「おっ」
隆二か感嘆の声を上げる。
そのまま力を込めて掘り始める。
「見つけたの」
「多分な。だが、ちょっと柔らかすぎる気もするんだよな」
そういいつつも次々に土を掘りだしていく。
「十年以上前から誰も掘っていないにしては、土が柔らかすぎる、ような」
「じゃあ、誰かが私たちより先にここを掘り返したって事なの」
「土の専門家でも無いし、そんな気がするだけかもしれない。ところで、」
隆二は掘り続けながら聞いてきた。
「肝心のタイムカプセルだけど、どんな物だったか覚えてるか」
「たしか智樹君が家から持ってきたお菓子の缶だっけ」
タイムカプセルを埋めるという話は三人の中で卒業式の前日に突如持ち上がった。
当然準備期間も無く、それぞれ二十年後の自分に宛てた手紙を一晩で書いて持ち寄った。
その時に入れ物に丁度良いと言う事で、お菓子の缶に入れてそれを埋めた。
「小学生には防水とかの知識は無いからなぁ。もしかしたら錆びた鉄の塊を掘り返えしても、肝心の中の手紙はぼろぼろで跡形も無くなってるかもな」
「そしたら、まあ、仕方ないよ。うん」
その辺が私たちらしいと言えばらしいオチかもしれない。
そんな事を話しながらもシャベルを突き立て続ける。すると硬いものに当たったらしく音が変わる。
「見つけた」
隆二は掘り方を変えて慎重に土を取り除いていく。
そして予想通りに錆に覆われたお菓子の缶を拾い出した。
「本当に見つかったね」
「ああ」
中から財宝が出てくる訳でもないのに、二人でやや興奮しながらそのお菓子の缶を食い入るように見つめた。
「この分じゃ、蓋は開かないだろうな」
そう呟きながらも、隆二は錆びた缶の蓋に力を込める。
しかし、その蓋はそこまでの抵抗がないまま開く。予想以上の手ごたえのなさに、隆二の手から缶が落ちそうになるほどだった。
「こんなに錆びてて、ここまで簡単に開くかな」
隆二が隣で呟くが、私の視線は缶の中に向けられていた。
そこには三通の手紙。
私が二十年後の私に向けて書いた手紙、隆二が二十年後の自分に向けて書いた手紙。
どちらも十年以上の歳月を土の中で過ごし、しみ込んだ雨水に晒されたのか所々染みができている。
そして最後の一通は、記憶とは違っていた。
「遥ちゃん、隆二君へ」
そう表に書かれた手紙。その字は決して小学生が書いたような拙い字ではなく、紙自体も他の二通に比べ白く染みも無い。
「これって、」
「・・・どうやら先回りされてたみたいだな。智樹のやつ、いったい何を考えてこんな事を」
「読んでみる」
「それが手っ取り早そうだ」
私たち二人で、その手紙を回し読みした。
遥ちゃん、隆二君、久しぶり。
これを読んでいる君たちは、あの感動的な卒業式から二十年後の君たちだろうか。
それとももっと前だったり、もっと後だったりするのだろうか。
どちらにしろ、あの時から全く会っていないから今の君たちがどんな大人になっているかすら想像がつかない。
もしかしたらこの手紙は誰にも読まれる事もないまま、朽ちて土に戻っているかもしれない。
それならばそれでもいい、その程度の書置きみたいなものだから。
君たちがこれを読んでいる頃には、きっと僕は生きていないだろう。
僕の体を侵す病はその手を休めてくれることは無さそうで、僕の体は約束の二十年後まで耐えられそうにない。
だからこうして君たちに内緒で、先にタイムカプセルを開けさせてもらった。
君たちは僕が亡くなっているのを知っていてくれただろうか、それともこの手紙で初めて知ったのだろか。
実際はどうなるかわからないが、僕の今の考えでは君たちを僕の葬式に呼びたくはない。
それは決して君たちが嫌いだからではなく、今の僕の病で弱り切った姿を見てほしくないからだ。
僕の勝手な願いにはなるが、君たちにはあの頃の小学生だった頃の自分の足で歩き回れていた頃の僕の姿だけを覚えていてほしい。
そんな僕のわがままで君たちには合わないままこの世を去ろうと思う。
君たちの事は本当にとても大切な友達だ。
だからこそ心残りの懺悔をここに書いておきたい。
僕は走り回る君たちを見ていつも嫉妬していた。
あのころから病が広がり始めていた僕は、君たちのように走り回る事が出来なかった。
歩きで君たちになんとか追いついて、事も無げに笑っているのが限界だった。
自分の体を恨み、君たちに嫉妬をしていた。
こんな僕を赦してほしいとは言わない。ただ吐露したかっただけだから。
タイムカプセルを埋めようと言う隆二君の提案は、僕にとっては苦痛だった。
二十年後というはるか先の未来まで僕の体がもつという事に、当時の自分でさえわずかな望みも持てなかった。
一晩中、自分に届くことの無い手紙に書く内容を考えた。
しかし、何も思いつかず、僕は白紙の手紙をタイムカプセルの中に入れた。
その白紙の手紙はこの君たちへの手紙と入れ違いに回収することにする。流石に恥を残していく気にはなれないから。
長々と僕の話に付き合ってくれてありがとう。
君たちは僕の短い人生の中で出会えた最高の親友だ。
本当に何度「君たちと一緒に生きていけたら」と願った事だろう。
その願いは遂に届くことは無かったが、その代わりにもう一つ小さな願いが出来た。
この手紙が君たちに届きますように。
そして君たちが時々だけでも僕の事を思い出してくれますように。
そうしてくれれば僕は幸せになれるから。
最大限の親愛の情を込めて 智樹より
後日、隆二と待ち合わせてから智樹の家に向かった。
個展の会期が終了し、少し気が抜けた様子で智樹の母親が迎えてくれた。
二人で智樹に線香を手向ける。
「二人とも来てくれてありがとう。あの子もきっと喜んでいるわ」
「そうだと私たちも嬉しいです」
タイムカプセルの件を話そうと機会をうかがっていると、智樹の母親から話しかけてきた。
「そういえば、個展であなたたちに見せた。あの子の最後の作品覚えてる」
「ええ、当然覚えてます。素晴らしい絵でしたから」
「ありがとう。それでね、あの絵を描くにあたって実際にあの場所に行ってきたのよ。
私自身、長い事行ってなかったから変貌ぶりに驚いたわ。
あの絵に描かれてる小学校の裏の森まで、あの子が行きたいって言いだすものだから頑張って車いすを押して行ったわ。
森の中のひときわ大きい木。その根元まで行ってね。
あなたたちはあの木の根元に何を埋めたか覚えてる」
「・・・タイムカプセル、ですか」
「そう、その通り。あの子ったら「掘り返さなきゃ」って意気込んでてね。あなたたちには申し訳ないとは思ったのだけど、あの子と二人で泥だらけになりながら掘り返したわ」
「・・・」
「あの子はタイムカプセルから自分宛ての手紙を取り出して、新たに他の手紙を入れていたわ。あの子の話だとあのタイムカプセルを掘り出すのはもう少し先なんでしょ。その時になったら是非とも掘り出して確認してあげてね」
私たちは顔を見合わせてから、正直に話すことにした。
「実は、そのタイムカプセルをこの間、掘り出してきちゃって」
「まあ、そうだったの」
「智樹君がそんな事をしているなんて露ほども思わなくて。彼がタイムカプセルに入れた手紙が、こうして御線香をあげに来るのにちょうどいい手土産になるかなと思いまして。
彼からの最後の手紙は、私たち二人への感謝の言葉が綴られていました。
「最高の親友」だと書かれていて。でも、私、申し訳なくて。
彼が病で苦しんでいた事すら知らないで、ただ毎日三人で遊ぶ事を楽しんでいただけで」
後悔の念が涙と共に漏れ出す。
そんな私に智樹の母親は優しい笑顔で言葉をかけてくれた。
「だからこそ、あの子もあなたたちの事を「最高の親友」だって言ったんじゃないかしら」
「・・・」
あふれ続ける涙と共に暖かい沈黙があたりを包む。
私の感情がひとしきり落ち着いたのを見計らって、智樹の母親が口を開いた。
「そうだ、その時に持ち帰ったあの子の自分宛ての手紙。あの子は最後まで大切にしていたから一緒に入れてあげようかとも考えたのだけど、やっぱりあなたたちに渡すほうがあの子も喜ぶかなって思って」
手渡された封筒を受け取る。彼の最後の手紙ではその封筒の中は白紙と書いてあったと記憶している。
それをわざわざ大切に扱い、今こうして智樹の母親から丁重に渡された。という事はあの手紙に書かれていた事は嘘だったのだろうか。
二十年後の僕へと書かれた封筒。その中には便箋が一枚だけ入っていた。
便箋には言葉はほとんど書かれておらず、代わりに絵が描かれていた。
楽しそうに走り回る私と隆二が描かれており、その下には「僕の宝物」と書かれていた。