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02

 リーズが気分転換にとやって来たのは屋敷の裏にある小さな森を抜けた先にある小高い丘だ。その先は草原が広がっていて、方角的に西の森へと続いている。もちろん肉眼でそれを確認するなんて到底出来ないが、芝生に座り自分の家がある方をぼんやりと見ている事が、リーズにとって癒しでお気に入りの時間だった。


 今日は天気が良く風が心地いい。リーズは服が汚れるのも気にせず寝転んだ。視界には青い空とゆっくりと流れていく雲が広がる。いまだ痛みの残る左頬にそっと触れてみると熱を持っていた。



「……はぁ」



 リーズは短く溜め息を吐き、頭の上でひとつに結んでいる長い髪の一房を掬って陽の光にかざした。


 エーシェルに気味が悪いと言われた赤髪はこの国では確かに珍しい色ではあるが、父も同じ赤髪だったので特に気にした事はなかった。正確に言えば父よりも濃く鮮やかで、燃え盛る炎のような色だ。父の淡い赤も好きだが、自分の濃い赤も気に入っている。瞳も父の瞳をより濃くした色をしているし、顔は母によく似ていて血の繋がりを強く感じられた。


 ただ珍しい色なだけで気味が悪いと言い放つエーシェルの気持ちを、リーズは到底理解出来ない。



(まあ、私で鬱憤を晴らすような人間と分かり合いたくもないけど……)



 リーズは上半身を起こすと伸びをする。気分転換をしにここへ来たのに、いつまでもエーシェルの事を考えていては叶わない。気を取り直して草原を見つめていると、しばらくしてリーズの耳に翼を羽ばたかせる小さな音が届いた。何だろうと視線を彷徨わせると、一羽の白い小鳥がリーズの肩に降りくる。ちょんちょんと顔の傍まで近寄ってくると首を傾げてリーズを見た。



「どうしたの? 迷子?」



 問い掛けると、小鳥はじっと左頬を見つめてくる。まるでリーズの頬の傷を心配しているかのような素振りだ。



「ありがとう、心配してくれているの?」


「ピッ」



 リーズの言葉に短く鳴いて返事をする小鳥。


 会話が出来るわけではないが、リーズは幼少期から動物と意思疎通が出来ているような感覚があった。今も小鳥がリーズを気遣ってくれているのが分かる。その感覚はやっぱり当たっていたようで、小鳥はリーズの肩で歌い始めた。



「綺麗な声ね」



 そう呟くと小鳥は褒められて気を良くしたのか、楽しそうに歌い続ける。試しに自分の顔の前で人差し指を伸ばしてみると、小鳥は羽ばたいて指先に止まり歌ってくれた。


 この能力のせいで狩りがしにくいと思った事は多々あるが、生きていくには仕方がない事なのだと自分に言い聞かせ、その分絶対にもらった命を無駄にはしないとリーズは心に決めている。



「そろそろ帰るね」



 小鳥の歌声を十分に堪能したリーズはそう言いながら立ち上がる。指先から離れた小鳥はパタパタと小さな翼を羽ばたかせながら、リーズの頭上をくるりと回る。



「ありがとう、また聞かせてね」



 小鳥にお礼を告げ、リーズはその場から離れた。

 



 リーズが戻ると、どういうわけか屋敷の中が騒がしい。一体なにがあったのだろうと疑問が浮かんだが、きっと自分には関係のない事だと、リーズは気にせず母の元へと向かった。


 しかしその途中、すれ違うメイドがちらちらと自分を見ている事に気が付いた。いつもならばこの屋敷のメイドたちはリーズの存在を無視する。視線を感じるなど、ありえないのだ。



(────……、)



 違和感はすぐに胸騒ぎへと変わる。


 嫌な予感がリーズを襲い、そんなことあるはずないと言い聞かせながらも歩みはどんどん早くなり、最後は駆け足になっていた。



「あらリーズ、こんな時にどこへ行っていたの?」



 廊下の奥で出くわしたエーシェルがニヤニヤと笑いながら話し掛けてくるが、今はエーシェルを構っている余裕はない。立ち止まらずそのままの勢いで母の寝室の前まで辿り着いた。



「お母さんっ!」



 ドアを開けると同時に叫ぶ。それと同時にここにいる筈のない人物が視界に入った。


 母の眠るベッドの脇に立っているのは、一度もここへ訪れた事のない叔母。嫌な予感が加速する。



「おば……さま、なん……で」



 上手く声が出ない。ゆっくりとした動作でリーズの方へ振り返った叔母は泣いていた。



「貴女の母親、死んだわよ」


「っ、」



 叔母の発した言葉の意味を理解するのに数秒要する。



(死んだ? お母さんが? だってさっき薬が効いて眠ったばかりだったのに?)


「お母さんっ」



 ベッドに駆け寄って様子を伺うと、母はさっき見た時と変わらない寝顔だったが、元々悪かった顔色は更に悪くなっている。胸に耳を当ててみると鼓動は聞こえない。寝息もなく、しんと静まり返った部屋。



「そんな……」



 ベッドに横たわる母は、叔母の言葉通り死んでいた。


 リーズが部屋を出る前は確かに生きていた。予期せぬ発作でも起きたのだろうか。


 年々病に蝕まれていく母を見てもう先は長くないだろうと考えることは多々あったし、最期を看取ることになるとも思っていた。だが、現実はあまりにも唐突で残酷だった。



(私が外に出たりなんてしなければお母さんはまだ生きていたかも知れない)



 そんな事を考えたって仕方がないと分かってはいるが、思わずにはいられない。突然の母の死を前に、リーズは言葉では言い表せない重い感情に支配される。



「母親が死んでも涙ひとつ溢さないなんて薄情な娘ね」


「……っ」



 ポツリと呟かれた叔母の言葉に、リーズははっと我に返った。叔母の言う通り、リーズは一粒の涙も溢していない。


 もしも泣くことが出来れば、今リーズを苛んでいる重い、苦しい感情を少しばかり減らせるかも知れない。でもリーズは泣いた事がないので分からないし、想像もつかない。



「姉さんが好きな人が出来たからってここを出て行ったのも貴女くらいの年頃だったわ」



 叔母はリーズからの返事を待つことはなく言葉を続ける。頬を伝った涙を細く白い指で拭いながら、リーズへ強い視線を向けてきた。



「顔もそっくりで本当に」



 そこで叔母の口は閉じられたが、続いたであろう言葉は浮かべられた表情と向けられた視線で安易に想像ついた。


 そもそもエーシェルのリーズに対する横暴な振る舞いが許されているのは、この屋敷の女主人である叔母がそれを黙認しているからだ。母の生写しであるリーズに対して叔母がどんな感情を抱いているのかなんて、火を見るより明らかだった。



「姉の葬儀が終わったら、貴女はこの屋敷から出て行ってもらいます。半分はこの家の血が流れていても、もう半分はどこの馬の骨かも分からない者の血ですから」


「なっ」



 父を悪く言われ、リーズは言い返そうと口を開く。しかしここで叔母に何と言おうが、貴族である事への誇りしか持っていない人間には父がどれだけ優れていようと平民だという事が全てなので意味がない。それに気付き何も発さないまま口を閉じた。



「勝手に出て行った人間の娘の面倒まで見るなんて御免よ」



 叔母はそう吐き捨て鼻を鳴らすと部屋を出て行く。残されたリーズは母が眠っている時と同じように、母の表情が見える位置にあらかじめ置いてある椅子に座った。


 表情だけ見れば眠っているように見える母。そっと手を伸ばし母の頬に触れるとまだ温かい。



「ごめんね、お母さん」



 後悔はもちろんある。だがリーズはずっと痛みに苦しんでいる母を見てきたので、母が長年の苦しみから解放された事が少しだけ嬉しかった。あまりの痛みに殺して欲しいと言われたこともあったくらいだ。



「お父さんと仲良くね」



 今頃先に空へと旅立った父と再会しているだろうか。リーズは別れを惜しみ、葬儀のため母の遺体が運び出されるまで一睡もせず母の傍を離れなかった。



 

 それからはあっという間だった。


 叔母はさっさとリーズを追い出したかったのか葬儀はすぐに執り行われ、一日足らずで母は埋葬された。あれだけ母を嫌っていた叔母が一族の墓地に入る事を許したのは少し意外だった。


 本当は母を家に連れて帰り父の隣で眠らせたかったが、人ひとり抱えて帰るなんていくら体力に自信があったとしても無理な話だ。それに長年病魔の巣食った母の身体は老人よりも脆く、馬車を使ったとしても難しかっただろう。


 リーズは葬儀後叔母の宣告通りに屋敷を追い出されたが、悲観な気持ちは少しもなかった。


 元々ずっと帰りたいと思っていたし、留まる理由は一つもない。母の眠る墓は屋敷から少し離れたところにあるので、こっそり墓参りに行くことも出来そうだ。


 エーシェルはエーシェルで気に食わないリーズがいなくなる事をとても喜んでいた。誰からの見送りもなく、リーズは約三年母と共に過ごした屋敷を後にした。


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