『宵月や 照らして美し 横顔に』
その夜は、手紙に何を書いたらいいのかを悩み始めたら、筆が進まず夜がどんどんふけていってしまった。
風もないのに垣根の草木がサワサワという音が聞こえたかと思うと、見知った声が聞こえてきて、私は固まってしまった。
「眠れないのですか?」
この綺麗な声を、私が忘れられるわけもない。びっくりしすぎて声も出せない私に、向こうが何も言わなくなってしまったので、帰ってしまわれたのではないかと慌てて自室の御簾の端から、こっそりと覗いて見ることにした。
彼は縁側に座って空を見上げていた。その横顔も月に照らされてなんと美しい事か、女の私でも見惚れてしまう。
「ど…どうされたのですか…?」
私は、カラカラに乾いた喉から、なんとか言葉を紡ぎ出した。
「僕も眠れなくて散歩しておりましたら、灯りがついていましたもので、同じように眠れないのかと思いまして声を」
「あ……そ、そうなんですね」
手紙では、あんなに仲良しのつもりでいても、いざお会い出来ることになると、何を喋ったらいいのか困ってしまった。
「一緒に月を見ませんか?」
突然の誘いに困惑してしまった。男女が夜に月を見るって、大人の誘い文句なのだろうか。お見合いの回数はたくさんあれども、夜の誘いをされたことがなくて慌ててしまう。
「え……えと、もう寝支度をすませた後で、すっぴんなのでございます……」
「ふふっ普段から美しい貴女は、化粧を落としたとて美しいことでしょうね」
あまりされた事のない口説き文句にドキドキとしてしまった。側頭して布団に倒れ込みそうだ。とさえ思った。
「そ、そんなわけございません!!こんな三十路間近のおなごに言う台詞じゃありせんよっ」
「嘘ではないのですが……残念なことです」
私が、ていよく断ったと思ったのか、寂しそうに彼が立ち上がると帰っていこうとする。
このままでは、もう会うことも叶わなくなってしまうのではないだろうか。と思った私は、彼が垣根を越えて道向こうに立ったあたりで部屋から飛び出した。
「あ、あの!!」
けれども、やはり自分の醜態なすっぴんをさらすことなど出来はしないので、寝間着の袖で顔を覆う。
「あの………また、お手紙をくださいますか?」
もしかしたら、もう垣根の前からいなくなってしまったかもしれない。という不安を抱えながらも、袖から顔を出すことも出来ずに、じっと相手の返事を待った。
「はい。もちろんです。翠の君。どうか、ゆっくりおやすみくださいませ」
とくに怒ってなどいない相手の声が優しく耳に届き、相手の足跡が聞こえなくなると、ようやく私はヘナヘナと廊下に膝をついた。
「………どうしよう」
胸のドキドキをどうにか早く抑えなければと頭に言い聞かせる。これは恋なのだろうか?
恋と本当に呼んでもいいのだろうか。