第一話-3 二人の友人 その一
「ふぅ、いっぱい買ったな」
主様はそう言いながらマントを脱いだ。それを預かり、僕のと一緒にクローゼットの所定位置へ仕舞う。
「お疲れ様でした。今お茶を淹れますね」
「ありがとう、部屋に持ってきてくれ。ついでにファルの分の洋服も部屋に置いとくぞ」
「ありがとうございます!」
いつものようにそれぞれ買い物の片付けを始める。僕は主様にお出しする紅茶とお菓子を準備しながら食材類を貯蔵庫に仕舞う。お茶の準備を終えて主様の部屋を訪れると、彼は洋服の整理をしていた。
「失礼いたします。主様、お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
ベッドの上には、新しく買ってきたものの横に、久しぶりに見た懐かしい服たちが並べられていた。
「そちら、処分なされますか?」
「ああ。こんなにあっても着られないし、古くなって生地が擦り切れてたり、よれてたりするやつはもういいかなって」
「承知しました、お預かりします」
そう言って僕はティーセットをテーブルに置き、古い方の洋服を纏めた。
「今度母さんの所に行く時にでも渡しとくか」
「そうですね、少し手直ししてバザーにでも出していただきましょう」
どれも懐かしい、思い出のある服ばかりで、手放すのは少し寂しくもあるけれど……主様が決めたことだ、仕方ない。それに、捨てるわけではない。新しい持ち主に渡るのだ。きっと、その人にも大事に着てもらえることだろう。
いつも通りの和やかな時間を楽しむ。そんな幸せをゆっくり噛み締めていた、その時だった。
キンコーン
家のベルが鳴った。
「あれ、珍しい。お客様ですかね」
こんな森の奥に住んでいるからこそ、来客などほとんどいないに等しい。来るとしたら『町』の人か、それか……予想だにしていなかった来客に少々驚いたが、とりあえず玄関に向かおうと部屋のドアノブに手をかける。しかし部屋を出て行こうとしたその時──僕は後ろに腕を引かれ、体勢を崩した。
「わぁ──!」
普通に考えて、僕の腕を引っ張ったのは主様だろうと思った。そう判断して体勢を立て直そうとしたが、立て直す前に僕の体は主様に抱き締められた。
「……!」
突然のことに頭が真っ白になる。自然と主様の熱と匂いに包まれ、顔が火照るのが自分でも分かる。
「あ、あの、主さ──」
口を開こうとしたが、それを主様の手で塞がれた。主様はというと、僕の耳に顔を寄せ小さく囁く。
「しー……」
いつも通りの平静を保っている主様。が、その一方で僕は軽くパニックである。
主様の声と耳にかかる吐息で僕の思考回路はショート寸前だった。それに僕は不運なのか幸運なのか、抱き抱えているのは主様の古着。五感のうち四つを使って主様を感じてしまう。いや、ダメだ僕……!冷静に、正気を取り戻すんだ僕……!
そう自分に言い聞かせていた所で、無理矢理にでも冷静さを取り戻さざるを得なくなった。
キンコンキンコンキンコンキンコン
ベルが連続して鳴ったからだ。聞き覚えのある呼び鈴連打に、僕の熱は一気に下がった。
……あー、なるほど。
「こ、このベルの鳴り方は……」
「ああ、アイツだ……」
僕が漏らした言葉に、主様もため息混じりに同意した。
『アイツ』──主様がそう形容する人は少なく、僕でも誰のことを言っているのかは容易に想像できた。どうやら僕がベルの音から連想した人物と一致したらしい。
主様は僕を離し、窓の方へ足を向ける。僕は抱えたままでいた主様の古着をとりあえずベッドの上へ畳み直した。
「ったく、来る前には連絡を入れろとあれ程言っているのに……!」
「た、確かに連絡はありませんでしたが……どうしましょう?ずっと隠れているわけにも……」
「チッ……運良く居留守に引っかかってくれたりしねぇかな……」
失礼なことをサラッと言う主様。まあそんな風に言えるのも主様だからか……。
そう思っていると、ずっと連打されて鳴り続けていたベルがピタリと止まった。
「……あれ?ベルの音が止みましたね」
「なんだ、飽きたのか?」
二人でそっと扉を開け、廊下を確認する。恐る恐る一階へ降り、玄関へ。
「……僕が確認してきましょうか?」
「…………………………いや、一緒に行く」
少々、いや、かなり選択を迷うような素振りを見せたものの、共に来てくれると言ってくれた主様。彼に後ろを任せ、玄関の戸に手を伸ばす。ドアを押し開けるとそこには──誰もいなかった。
「……あれ?誰もいません」
僕は予想外の展開に逆に驚いた。僕たちが予想していたあの方はいらっしゃらなかった。やはり帰ってしまわれたのか?
そう思い、僕は扉を引いて閉めようと手に力を込めた。しかしそれは──
「いや──」
再び主様によって止められた。主様は僕とは逆に、扉に手をついて力いっぱいに押す。それに伴って僕の手がドアノブから離れた、その時だった。
ゴンッ
「──グェ!」
「……!」
扉に何か硬いものがぶつかる音と、カエルが潰れたかのような声。僕はまたもや予想外の展開に全身に緊張が走ったが、主様は「ほらな」といつも通りの余裕ありげな表情を覗かせた。
「コイツがそう簡単に諦めて帰るわけねぇだろ」
ドアの影からあの方が姿を現す。いつものように黒のコートに身を包み、胸元には貴族の身分を示すブローチがキラキラと輝いている。深々とかぶったハットの下では可愛らしい顔の額を摩りながら、金色の長い前髪の間から覗く赤い左目で主様を鋭く睨む──少年がいた。
「──この僕の顔に傷を付けるとはいい度胸だな?グランドホーク」
そう言い、主様の腹部辺りまでしかない背を大きく見せようと胸を張る。この方は──
「──ベルジェ様!」
「お、ルーシー!久しぶり!」
ベルジェ・シュタイン様。この国では有名な貴族の名家、シュタイン家の長男であり次期ご当主様。主様と親交があり、頻繁に僕たちの様子を見に来て下さる方だ。
「まだこんな上物を下僕に置いているとはな。随分と立派なご身分なことだな、リン」
「ファルは下僕じゃねぇし。アンタこそ、俺には挨拶もなしに皮肉しか言えねぇのか、ベルジェさんよ」
あとその変な呼び方をやめろ──そう付け足し、主様は嫌悪感たっぷりにベルジェ様を見やった。因みにベルジェ様曰く、『リン』とは主様の名前『エリンズ』の真ん中を取って『リン』、『ルーシー』も同じく僕の名前『ファルシエ』の真ん中を取って『ルーシー』らしい。
「な!僕にそんな口聞いていいと思っているのか!生意気だぞ!リンのバカ!」
「うるさ……だからその呼び方やめろっての……」
先程の落ち着きもなく、ベルジェ様は主様の態度にお怒りのようだった。いつものように主様と揉めている。ふふ、全く、このお二人は仲が良くて微笑ましい。
しかしその時、ベルジェ様の背後からもう一人、別の男性が現れた。気配なく現れた彼に僕が驚いたのも束の間、彼はそれにすら気が付いていない様子のベルジェ様の耳元に口を寄せ──ドスの効いた、力の籠った声を浴びせた。
「──いけません、坊ちゃん」
「──ギャ!」
彼の声に驚いたベルジェ様が咄嗟に逃げる。それにより、ベルジェ様の背後にいた彼の全貌が明らかとなった。
「お、おい!いきなり後ろから大声を出すな!」
ベルジェ様が体の震えを隠しながら、虚勢を張って彼に命令する。しかし半ばそれを無視するように、男性は姿勢を正し、僕たちに深々と頭を下げた。
「ご無沙汰しております、エリンズ様、ファルシエ様」
「お久しぶりです」
「ご無沙汰しています──クシロムさん」
僕たちは二人揃って、彼──クシロムさんの挨拶に応えた。
クシロムさんはベルジェ様専属の従者をなさっている方だ。シュタイン家の者であることを示す黒を基調とした使用人服に身を包み、白色に近いベージュの長い髪を一つに束ねている。主であるベルジェ様とは対照的に、長い前髪から赤い右目のみがこちらを覗いている。
「僕のことを無視するな!おい、聞いているのか、ロム!」
ベルジェ様が未だ怒りを見せている。クシロムさんはそれをまたもや無視すると、今度はベルジェ様の背を押した。
「ほら、坊ちゃんもエリンズ様たちにちゃんとご挨拶して下さい」
「フン!僕がコイツらに頭を下げる道理はないね!下げさせたければお前が僕の分も頭を下げておけばいいだろう」
小さな体を全身使い、ふんぞり返って見せるベルジェ様。しかしクシロムさんはサッと素早く動き、そんな主人の頭を抱え込むようにして抑えた。
「坊ちゃん、頭が高いです」
「おい押すな!縮む、縮むから!」
というか、主人の頭を抑えてるお前が言うな!使用人の分際で生意気だぞ!──ベルジェ様はクシロムさんの腕の下敷きで、苦しそうに声を上げながら反抗していた。逃げようとしているのか、出鱈目にでも攻撃しようとしているのか、四方八方に腕を振り回す。しかしクシロムさんは顔に当たりそうになったベルジェ様の腕を軽く交わすと、ガラ空きになった腹部に自身の片腕を回した。
「あ、おい何をする!」
クシロムさんはそのままベルジェ様を酒樽のように肩に担いだ。おぉ、相変わらずなんと豪快な……。
「申し訳ありません、エリンズ様、ファルシエ様。どうやら坊ちゃんが愚図ってしまった様なので、中に案内していただけると嬉しいのですが」
「はあ!?お前のせいだろうが!僕は愚図ってなどいないぞ!」
冷静に案内を促すクシロムさんと、その腕の中で暴れるベルジェ様。相変わらず、クシロムさんの抱え方と言い、ベルジェ様の暴れ方と言い、どこかで怪我をしてしまいそうで心配なのだが……。その思いを主様に零したのだが、主様は「まあこの二人だし大丈夫だろ」とさっさと館の中へと戻っていってしまった。
「ファル、二人を客間に」
「は、はい!承知しました!」
主様の指示の元、僕は二人に入るよう促した。荷物運びを手伝おうかとも思ったが、ベルジェ様を抱いているクシロムさんはそれと反対の手で器用に荷物を持ち上げた。
「申し訳ありません、坊ちゃんが愚図ってしまって」
「だーかーらー!僕は愚図ってなんかないってば!おーろーせー!」