第一話-2 二人の義母
吸血鬼は吸血した人間との間に主従関係が結ばれる。人間を含む他種族と吸血鬼の混血者の場合、主従関係の効力は弱くなるが、結ばれた『特別な絆』を主従関係に当てはめる者も多い。
僕、ファルシエ・ヒューゼンは吸血鬼のハーフである。
そしてエリンズ・グランドホーク様──彼が僕の主だ。
「準備出来たか?ファル」
「はい!準備万端です!主様」
主様の言葉に僕は元気よく返事をしてマントを被った。同じくマントを身に付けた主様は、荷物片手に家の扉を開けた。
今日はお出かけの日。以前買わなければならないとリストアップしておいた家具と、序に新しい洋服と食材の調達だ。
深い森をくぐり抜けると、そこには市場が盛んな小さな町がある。国の中心部からはまだ外れた所にあり、人の目を気にせず買い物するには打って付けの場所なのだ。必ず何でも揃うというわけではないが、たとえ現物がそこになくても事前に連絡を入れていれば大抵取り寄せてくれるのでとても助かっている。
「あら、エル君久しぶりじゃない」
「ファル君も、まあ大きくなって」
市場の人たちに軽く挨拶をしながら買い物を進める。まずは食糧の調達。他の買い物をしている間に邪魔になってしまうこと、そして傷んでしまうのも怖いので支払いだけ終えて取り置きを頼む。市場の人たちはほぼ全員顔見知りで、皆優しい方々なのでいつもこうして世話になっている。注文をお願いしてから一旦別れを告げる。
「また彼女のところに行くのかい?」
「早く行ってあげな!いつも二人がいなくて寂しそうだからな!」
果物屋の店主夫婦に言われ、思わず主様と顔を見合わせる。
「……たまには様子見に行ってやらないと、ですね」
「ありがとうございます。また後ほどお伺いします」
仲良し夫婦は元気よく手を振って送り出してくれた。僕たちもそれに応えて手を振り返し、彼女──ある女性の家へと歩みを進めた。
彼女の家は町の一角にある。決して大きいとは言えない木造の一軒家を、自宅としてだけでなく店としても使用している。窓から軽く中を確認し、他のお客様がいないことを確かめてからドアをノックした。
「ごめん下さ──」
主様が冗談交じりにそう言って扉を開ける。しかし扉を開けてすぐに、顔に何かが勢いよくぶつかってきた。ぶつかったものが柔らかくて痛みはなかったが、思わず目を閉じ、視界が塞がれる。主様の方を見ることはできなかったが、言いかけていた言葉が止まったことから、恐らく同じ目に遭ったのだろうと予想がつく。そんなことを思っていると、顔にぶつけられたそれは下に落ちそうになった。それを慌てて受け止める。顔にぶつけられた物の正体──それは、僕たちも見慣れた無地のクッションだった。
「──ふっふっふっ……」
すると、奥の部屋から一人の女性が現れた。彼女は年季の入った顔のシワをさらに深くし、僕たちの方を笑って見据えている。
「……やっと来たんだね、クソガキども」
そう言ってニヤリと含みのある笑みを見せながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる女性。彼女は──
「──いきなり物投げつけてくる奴があるか、このクソババア!」
「あ!ちょっと、主様!」
主様は久しぶりに見せる乱暴な言葉と共に、勢いよく彼女にクッションを投げ返した。しかし彼女はそれを軽く受け止め──同じように鬼の形相を見せた。
「育ててもらった『母親』に向かって何て口の聞き方だい!そんな風に育てた覚えはないよ!」
彼女はメリア・クレイム。国を追われて身寄りのなかった僕たちを拾い、育ててくれた『お母様』だ。紺のドレスの上にエプロンを付け、白髪混じりの黒髪を花で飾られた髪飾りで一つに束ねている。彫りの深い顔を歪め、主様と絶賛にらめっこ中の彼女に僕は改めて挨拶した。
「お久しぶりです、お母様」
彼女は主様の顔を退けるように手を付くと、もう片方の手を僕の頭に伸ばす。
「やあ、ファルシエ。アンタは相変わらず礼儀正しい子だねぇ。実家にいる時ぐらいは楽にしてくれて良いんだよ」
「あ、いえいえ、そういう訳にも……」
「アンタが怖いからファルも気が抜けねぇんだよ」
僕が恐縮している間に、主様は隙あらばお母様の癇に障ることを言う。これでは、主様の頭にお母様お得意のチョップが炸裂することだろう。
「アンタは少しぐらいファルシエを見習いな!」
「痛っ!」
うむ、予想通りだ。すっかり懐かしい一家の風景に、僕はどこか安心感を覚えた。
「それで?また物の調達に来たんだろ?」
僕たちを奥の部屋へ案内したお母様は、主様にチョップを食らわした右手をヒラヒラと振りながら、使い古したソファに腰掛けた。僕たちもいつもそうするように、テーブルにある椅子に座る。
「そうだよ」
「ご連絡しました通り、家具とお洋服のお支払いに参りました」
「はいよ、家具は明日には届くよう家具屋に頼んでおいたからね」
お母様はお気に入りのソファから立ち上がり、返事をしながら近くの壁にかかっていた洋服に手をかける。
「あ、手伝います」
「はっ、大丈夫だよこれぐらい。子どもは座っとき」
僕は彼女の手の先にある服を見た。座っていろと言われても落ち着かない僕はお母様の言葉に「いえいえ」と返して手を伸ばしたが、服の方へ目を遣ると自然と手が止まってしまった。これは……。
レースやフリルなど、様々な装飾の施されたブラウス五種類程と、胸元にバラや百合等の刺繍が入れられたベストとジャケット、そしてそれらとセットになっているのだろうパンツそれぞれ五色、ベージュを基本としたスカーフ三種類。これは……これは……!
「……似合いそう……!」
「あはは!相変わらず、アンタはこういうの好きそうだね」
お母様が自信ありげに言う。正直に言おう。
「よく分かっていらっしゃる……!」
「当たり前さね。何年世話見てやってると思ってるんだい」
ジャケット等は全て深緑や藍色、深紅と落ち着きのある色で統一されており、柄もワンポイントで華やかさがありつつも目立ちすぎることがないようバランスを保ってデザインされている。また、全体的に細身に絞られた形状をしており、引き締まった美しいラインを見せられるようになっている。これは……これは……!
「着ましょう、主様!」
「やっぱり俺かよ」
そう言う主様は眉も口もへの字になっていた。
「絶対似合いますよ!着ましょうよ〜」
「別に良いけどよ……自分で着りゃ良いだろ」
「何を言ってるんですか!主様の方が高身長で足も長いんですし、スタイル良くて似合うんですよ!」
「いや、お前のも買いに来たんだから関係ねぇだろそれ……」
確かに僕の服も買いに来たので主様の言う通りでもあるが、主様の方が背が高くて何でも似合うこともまた事実である。そして程よい細身なので、スリムなシルエットのジャケットやパンツが特に似合うのだ。僕はそれを見るのが好きでここに来ているのもある。
と、気付かぬ間にさらに奥の部屋へ潜っていたお母様がドアから顔を出す。
「まだ出してる途中だったからね。ファルシエのも含めてまだこっちにもあるよ」
「本当ですか!僕のは構わないので主様のを是非見せて下さい!」
「だから自分のも見ろよ」
さてここからは今日のお楽しみ、主様のファッションショーだ。
「行きましょ、主様!」
「あ、おい、ファル!」
僕は力強く主様の手を取った。
約一時間後。
「や、やっと終わった……」
ファッションショーを終えた主様は、部屋のベッドに座り込んだ。僕はお母様に服の支払いをしていた。ファッションショーのおかげで主様に似合うお気に入りのコーディネートも見つけられたし、今日は大収穫だ。
「こちら、ご確認の方お願いします」
「はいよ……うん、確かに受け取ったよ」
お母様は金額を確認した後、レジで精算を済ませる。ちょうどその時、店の方からベルの音が聞こえた。
「おや?」
「お客様のようですね」
扉を開ける。お客さんの姿は見えず特徴を捉えることは出来なかったが、コートの裾の端がチラっと見えた。
「アタシはちょっと店の方見てくるから。二人はここで休んでな」
「はいよ」
「はい、ありがとうございます」
お母様の言葉に主様とそれぞれ返事する。するとお母様は僕の方へ改めて向いた。
「特にアンタ。この部屋で良ければ自由に寝てていいからね」
「……ありがとうございます」
優しく頬を撫でるお母様の手を握る。その手に軽くキスをすると、お母様は嬉しそうに僕を撫でて部屋を後にした。
しばらくして。
僕はゆっくりと重たい瞼を開けた。虚ろな景色が徐々に鮮明になる。見えるのは木製のドア。しかしいつも自分の部屋で見ているものとは違う。そこで徐々に記憶が蘇る。そうだ、今日はお母様の所に来ていて、お母様がお店に出て行ってから、僕は主様の横でいつものように床に就いたのだった。
基本的に吸血鬼は夜行性。そのため、僕は人間のようには夜に眠ることが出来ず、逆に昼間は活動が鈍るのでいつも昼間に休息を頂いているのだ。
今日もいつものようにベッドを借りて寝ていたのだった。……あれ、そういえば主様は?──そう思い立ち、慣れない感触の枕の上で寝返りを打つ。
そう言えば枕がいつもに増して高い気がする。お母様の元へ訪問した時には大抵こうして寝かせて頂いているので枕には慣れているはずだが、それでもいつもに比べてすこし硬いし──そんなことを考えながら何の気なしに上を向く。
「──おう、起きたか」
そんな主様の声が聞こえた。僕の視線の先、つまり僕の上には微笑む主様がいた。
「おはよう、ファル」
……あれ?なぜ主様の頭が上にあるんだ?しかも主様は僕から向かって左側にいるようだが、ベッドの位置的に僕の左側には壁があるはずだ。
それに主様の服。普段とは違う見慣れない服を着ている。とはいえ、どこかで見たことがあるような気も……とりあえず、その格好は主様にとてもよく似合っていて、まるでそれは……それは……
「……天使様ですか?」
微笑んでいる主様似の天使様。彼は一瞬驚いたような表情を見せ、
「……は?」
すぐに僕の言葉に眉を顰めた。その冷めた声で、瞬時に僕の脳は覚醒した。
掛けられた毛布ごと起き上がる。主様のトータルコーディネートの情報からも記憶を引っ張り出す。そうだ、主様のお召し物は僕が先程選ばせてもらって購入したコーディネートだ、普段と服装が違って当然である。そして主様の全身を見て驚愕する。主様の脚の位置、ちょうど太ももの辺り──
僕の頭があった位置に一致しているのである。
「──す、すみませんでした、主様!」
ベッドの上で僕はすぐに足を畳んで手と頭をベッドに付いた。東洋の遠い島国では、これを『土下座』というらしい。
「ぼ、僕、主様に、ひ、ひざ、ひざ……!」
恥ずかしさと申し訳なさで言葉が上手く出ない。僕のポンコツポイントである。
「あ、あの、主様、脚痺れてますよね……?すすす、すみません、僕、寝ぼけてて、すぐには気が付かなくて、その、あの、えーっと……!」
僕は慌てて主様に平謝りした。腿に頭一つ乗っかっていたのだ、かなりの重さがあったはずだ。ああもう、なんで僕はすぐに気が付けなかったんだ……!
自分の察しの悪さに嫌気が差す。しかし僕が自分の鈍感さに嘆いていると、主様は唐突に──笑った。
「あはは、お前は相変わらず面白いな」
「……え?」
……面白い?何のこと?
主様の言葉に疑問符が浮かぶ。そんな僕を他所に、一頻り笑い終えた主様は僕の頭を撫でた。
「別に俺がしたくてしたことだしな。でも、頭持ってるのに全然起きなくてビックリしたわ、いつもお疲れさん」
「え?あ、いえ……」
主様の言葉に思考がついていけず、曖昧な返事をする。主様は思いっきり立ち上がった。
「いってー、やっぱり結構痺れたな。まあファルの髪も弄れたし、久々に寝顔も見れたから良しとするか」
「ちょ、ちょっと、主様……!」
か、髪に寝顔って……ふと、主様の言葉に動揺して揺れた僕の髪は、左側の一部だけ三つ編みに編まれていた。……ってことは、主様がこれを?そして寝顔も見られたってこと……?
「……!」
恥ずかしいところを突かれ、思わず熱が上がる。しかしそんな僕に構わず、主様はただ笑って部屋を後にした。
「もう少し休んでな。俺は出る準備してくるから」
その声とともに、遠ざかっていく足音。
……はあ……?
「……全く、主様は!」
もう、本当に……主様は本当に勝手なんだから……!
僕は解いていた髪で熱くなる顔を隠した。
「じゃ、世話になったな」
「お邪魔しました、お母様」
主様と僕はそれぞれにお母様へ挨拶した。各々お母様の頬にキスをする。
「またたまには顔出しなさいな。町の皆もいつも心配そうだからね」
お母様が強気に笑いながら言う。
「またそう言って。どうせアンタが一番心配してんだろ?」
主様も茶化すように笑う。しかしお母様のどこか不敵な笑みは変わらない。
「何言ってんだい。アンタたちは出来る子だからね、心配なんてしてないさ」
じゃあね、気を付けて帰るんだよ──そう言ってお母様は大きく背を伸ばして僕たちを抱きしめた。力を込めたらすぐに折れてしまいそうな、細く小さな体をそっと抱き返す。僕たちはそれぞれに別れを告げ、お母様の家を後にした。
取り置きを頼んでいたお店を回って買い物を回収する。そして僕たちが帰路についた頃には、青かった空が赤くなり始めていた。
「皆さんお元気そうで良かったですね、主様」
僕は隣を歩く主様に話しかけた。
勿論、お母様を含めて──そこまでは言わなかったが、主様には伝わったようで、彼はお母様の家にいた時と同じような、懐かしい笑顔で呟いた。
「ああ、また会えてよかった」
僕と主様は再び森の中へ足を踏み入れた。懐かしい生活はここまでだ。僕たちは元の住居──元の世界へと足を向けた。
同時刻。
「幸運なことに、町で見かけるとは……」
森に入っていくエリンズとファルシエの姿を後ろから見つめる人物が二名。そのうちの一人──一歩前に出てエリンズたちを睨む彼は、声を殺して呟いた。
「待っていろよ、リンにルーシー……!」