婚約破棄された騎士団長は異世界で婚約者探しだそうです
ふと思いついて一気に書いたので、ご都合主義のゆるゆる設定です。
「どうか、私と結婚してくれないだろうか!」
私、岩田莉奈。
現在、見ず知らずの男性から求婚されております。
なぜ、こんなことになっているかと言うと、少し前――――。
私は、某広告会社の営業担当。入社三年目の二十四歳だ。
今日は取引先への接待があり、帰宅がかなり遅くなった。
セクハラまがいのコミュニケーションに笑顔を引き攣らせながらも、取引先の部長だからやんわりと断ることしかできない。
これからもう一軒行こうというのを何とかお断りして終電にぎりぎり間に合い、最寄り駅から自宅まで向かっていた。
今はとにかく早く寝たかった。
今日金曜日ですし。正直めちゃくちゃ疲れているし。
それで、私は普段は避けているのに、近道で公園を突っ切ることにした。
この判断がその後の私の人生を左右するとも知らずに……。
近道の公園は、遊歩道の両脇に木が植えられているようなところで、夜になると真っ暗。
そこそこの広さがあり、いつもは迂回しているのだけど、この公園を抜ければすぐに住んでいるアパートに到着する。
公園を突っ切るかどうかで五分は時間が変わる。
だから、私は速足で遊歩道を進んでいた。
遊歩道を三分の二くらい進んだところで、目の前の地面がピカッと光った。
「きゃっ!」
あまりにも突然のことで、思わず目を瞑って立ち止まる。
恐る恐る目を開くと、そこには腰に剣を佩いた長身の男性がびっくりした表情で立っていた。
私たちはしばらく固まって見つめ合っていたが……
「どうか、私と結婚してくれないだろうか!」
ここで、冒頭に戻る。
いや、冷静になってみても意味が分からない。
呆然とする私に、男性は我に返ったようだ。
スチャッと、それはもうまるで軍隊の演習を見ているように素早い動きでスチャッと跪いて頭を下げた。
「突然の無礼、大変失礼した。私はアイン・フォン・ディーノ。王国統括騎士団長を務めている。ご令嬢、お名前を伺っても良いだろうか。」
ああ、これ、変質者っていうやつでしょうか?
コスプレ趣味の変質者?聞いたことないけど、でもそうとしか思えない。
まず、男性の髪は金髪で、短く整えられている。
そして、長い睫毛に縁どられた目に輝く瞳は深い青色。
さらには、肌は陶器のように綺麗で、信じられないくらいイケメンだった。
絶対に化粧している。化粧していないのなら、この綺麗さは許されない。
私のなけなしの女としての矜持が許さないと言っている。
男性の服装もおかしかった。
腰には煌びやかな装飾が施された剣。
全体的に青くて中世の騎士服のようなものを身に纏っていて、金色の飾り紐が付いている。
これをコスプレと言わずなんと言うのか。
そして急に求婚。もはや危ない人以外の何物でもない。
しかし、相手は仮にも男性。しかも、ここは真夜中の公園だ。
大声を出しても助けに来てもらえる可能性はかなり低い。
どうするべきか考えあぐねていると、男性が口を開いた。
「ああ、こちらの事情も話さずにでは困惑もするか。少々焦っていて…。申し訳ない。」
そう言って、身の上話を始めた。
◇ ◆ ◇ ◆
俺はアイン・フォン・ディーノ。
マラディオ王国の統括騎士団長だ。
俺の父は王弟で、王位継承権を手放して公爵位を賜った。
そのため、次期公爵家当主でもある。
隣国の第三王女と婚約していたのだが、最近隣国との関係が拗れてしまい婚約が白紙になってしまった。
婚約者が七歳年下だったため、俺はすでに二十五歳。
来年には結婚式を挙げる予定だったのに、全てがパアだ。
しかも、隣国との関係が拗れた理由が、ここ数年マラディオ王国を襲っている飢饉だ。
王国の国力が落ち、このままでは国の存続も危うい。
そんなとき、国を救うため、国王陛下は占いを頼った。
飢饉の理由も伝染病ではなく、天候によるものだったため、本当に神頼みだったのだろう。
そして、その占いで出たのは、突拍子もないことだった。
――異世界にて黒髪黒目の乙女を探し、妻として娶れ――
異世界への転移は、王族にのみ伝わる秘儀。
転移ができるのは王族の血が入った者のみだと言われている。
なぜそんなことを俺が知っているかというと、それは俺にも王位継承権があるからだ。
国王陛下の子どもは王子が二人のみ。第二王子は病弱で、実質王位を継げるのは第一王子のみだ。
そのため、王弟の息子である俺が継承権第三位を持っている。
第一王子の子どもが成長するまでの特例措置だ。
そんな中に降って沸いて出た異世界転移の話。
さらに妻に娶れという。
婚約破棄したばかりの私は、まさしく丁度良かったと言える。
異世界がどんなところかも分からないため、剣がたつのも良かったのだろう。
気が付いたら俺が異世界に転移することになっており、そこで妻となるべき黒髪黒目の乙女を探してくることになった。
文句はない。国の一大事だ。公爵家とは言え、王位継承権を持つ者として国を守りたいという気持ちもある。
だがしかし、私に与えられた異世界での滞在時間は丸一日のみ。
そう、たったの一日だ。それ以上は転移魔法を維持できないという。あまりにも無茶ぶりだ。
第一、黒髪黒目の人間は、マラディオ王国にはいない。
見つからないまま王国に戻る可能性だってあるのだ。
だからこそ、転移陣に乗って異世界に到着した時、目の前に黒髪黒目の麗しい乙女がいた時には運命を感じずにはいられなかった。
「どうか、私と結婚してくれないだろうか!」
私は気が付いたら彼女に求婚をしていた。
◇ ◆ ◇ ◆
「あ~、え~と、つまり、アインさんは異世界から転移してきた人間で、国を救うために黒髪黒目の女性を探している、ということでしょうか?」
私はこめかみを押さえながら質問をした。
「そうだ。そして、転移した先であなたを見つけた。これは運命としか…」
「あ~~、ストップ、ストップです!残念ながら、運命ではないですね。この国の人は、ほとんどの人が黒髪黒目なので。あと、私、二十四歳で、まだ結婚するつもりとかないので、申し訳ないですけれどお断りします。」
ぺこりと頭を下げると、アインは絶望したような顔をして固まった。
黒髪黒目の女性を見つけられないかもとは思っていたようだが、まさか断られるとは思っていなかったのだろう。
「そ、そこをなんとか…。」
「そもそもですよ、私にも仕事があるんです。今日だって仕事帰りですし。突然辞めてしまったら会社にも取引先にも迷惑がかかります。それに、私の両親はどうするんです?娘が、ある日忽然と姿を消したらどう思うと思いますか?」
「全くもってその通りなのだが、しかしそれでは国が…。」
「それはそちらの都合ですよね?私の意志はどうなるんです?残念ながら私はアインさんに付いていくことはできません。ごめんなさい。」
正直この時、私はアインがそういう設定で話しかけてきているとしか思っていなかった。
仕事や家族を理由に挙げてみたが、本当は仕事は辞めたいし、家族からも爪弾きにされているので本心ではない。
ただ、一秒でも早くこの場を立ち去りたい。
大体こちらは早く帰るために公園を突っ切ることにしたのに。とんでもない睡眠妨害行為だ。
そう思っていた。
「そういうことなので…」
そう言って立ち去ろうとする私をアインは止めない。
ただただ茫然と立ち尽くしている。
本当はアインがいる方向に歩けばすぐに家なのだが、隣を通り過ぎるのが怖くて、私は踵を返した。
しかし、今日は災厄を招く日だったのかもしれない。
今度は公園の真ん中で、私は二人の男性に腕を掴まれていた。
(うっ…お酒くさい……)
かなり飲んでいるようで、二人とも目が据わっている。
「どうしてこんな時間に公園なんかいるの?危ないから家まで送ろうか?」
「け、結構です。」
「でもさあ、女性の一人歩きって危ないっていうよ。こんな風に男の人に捕まっちゃうかもしれないし。ねえ?」
男たちはケラケラと笑って私を引きずろうとする。
「ちょっ、いた…やめっ……」
必死に抵抗していると、ザッという音とともに、男たちと私の間に誰かが割り込んだ。
「あ?なんだてめ…ぐっ!」
「ぐあっ!」
誰かは一瞬で男たちの意識を刈り取ると、こちらを振り返った。
「……アインさん??」
「申し訳ない、夜遅くに女性を一人でお帰しするべきではなかった。」
そう言って深々と頭を下げる姿は、本当に申し訳なさそうで。
よく考えれば、アインの登場の仕方はおかしかったと思い至る。
地面が発光して、次の瞬間にはその場にいたのだ。
一本道だから隠れるところは両脇の木立しかないが、木立から出てくる時に無音なはずがない。
もしかしたら、彼は本当に異世界転移してきたのかもしれない。
私はほんの少しだけ彼の言い分を信じる気になった。
「アインさん、助けていただきありがとうございました。本当に助かりました。」
「いえ、騎士として当然のことをしたまで。お怪我は?」
「ありません。大丈夫です。あの、私、岩田莉奈と言います。」
「イワタリナ嬢。」
「あ~、岩田が苗字で、莉奈が名前です。」
「リナ嬢か。」
「それと、お節介かもしれないのですが……、今のアインさんの服装はこの国ではとても目立ちます。あと、この国では帯刀は法律違反で捕まります。」
「へっ…?」
アインは愕然とした様子だ。
騎士団長だとか公爵だとか言っていたから、きっと偉い人なのだろう。
先ほど男性たちを倒していた時も運動神経というか、身のこなしがすごかったので、たぶん強いのだと思う。
そんな人が文化の違う国…というか世界に突然飛ばされて、それでは捕まると言われれば多少なりともショックに感じるだろうことは想像ができた。
「あの…お節介ついでに、私の家はすぐそこなんです。一晩の宿とお洋服くらいはお貸しできます。」
まだ危ない人かもしれないと半信半疑だけれど、このまま見捨てることもできなかった。
情が沸いたと言えばそうかもしれない。
幸い部屋は1LDKだから、私がソファベッドで寝ればいい。何かあれば警察にすぐに連絡できるようにしておこう。
そんな私の考えを知ってか知らずか、アインは目を見開いて、それから深々と頭を下げる。
「お気遣い痛み入る。」
こうして、私たちは夜の公園を歩き始めた。
帰宅した私は、ひとまずアインにお風呂に入ってもらおうかと思ったのだけれど、シャワーの使い方が分からないと言われて、困ってしまった。
しかもお風呂から出てくると、今度は洋服の着替え方が分からないと言う。
これにはちょっと、いや、相当呆れた。
アインは家にあるあらゆるものが珍しいようだった。
電灯やテレビ、冷蔵庫はもちろん、ティッシュペーパーやビーズクッションなどにも興味津々で、「これは何に使うものか?」「これは何でできているのか?」と質問が止まらない。
そろそろ眠いから解放してほしいと思っていたところで、私はある重大なことに気が付いた。
「アインさん、そういえば持っていた剣はどこに?」
「ああ、持ってきたものは全てアイテムボックスに仕舞ってある。」
アイテムボックス……ゲームとかで聞いたことはあるけれど、まさか。
疑いの表情で見ていると、アインは苦笑しながら左手中指に嵌めてある指輪を見せてきた。
真っ赤な宝石が付いているそれは、高そうだが普通の指輪だ。
「アイテムボックスはこの国にはないのかな。こうして魔力を通して物を出し入れするんだ。」
そう言いながらアインが指輪に手を翳すと、剣がするすると現れた。
「うわあ!」
これは手品?それともやっぱり本当に魔法なのだろうか。
◇ ◆ ◇ ◆
次の日、私たちは繁華街へ買い物に向かっていた。
アインの服を買うためだ。
今、アインは部屋にあった男物のスキニーパンツとゆったりしたパーカーを着ている。
彼は普通の男性よりも背が高いので、すこし丈が短いがしばしの我慢だ。
どうして私の部屋に男物の服があるのか、アインはすこし不思議そうにしていたけれど、何も言ってこなかった。
「リナ嬢、あの尋常に早い乗り物は…?」
「あれは車です。あ、アインさん、私のそばから絶対に離れないでくださいね。」
「あれは魔法で動いているのか…?」
「違いますよ。ガソリンという、う~ん、油の一種?で動いています。」
こうしてアインはきょろきょろと周囲を見回していて、さながらお上りさんのようだ。
もう、私にはアインがコスプレ変質者だという疑念はほとんど残っていない。
目覚まし時計の音に「敵襲か!?」と叫んだり(近所迷惑なので大声はダメだと叱った)、キッチンでガスコンロを使おうとしたら水をかけられたり(火事だと思って水魔法を使ったらしい)した。
さすがにこれで本当の変質者だったのだとしたら私の目が腐っていたということにしたい。
それくらい、この国の、この世界の生活に馴染んでいなかった。
「アインさん、ここから電車という乗り物に乗って、一つ隣の駅…う~ん、町に行きます。私と同じようにしていてください。」
「分かった。何から何まで済まない。」
「いえ、せっかくなので異世界を楽しんで行ってください。」
「ああ、ありがとう。」
そう、私が決めたのは、アインに少しでもこの世界を楽しんで帰ってもらうことだった。
そのために一つ隣の大きな繁華街へ向かうことにしたのだ。
それに、繁華街であれば人もたくさんいるので、アインのお眼鏡に適う人物がいるかもしれない。
電車を見たアインは、予想通りというか、それはそれは興味深い様子で目をキラキラさせている。
金髪青目でイケメンなアインはかなり目立つのだが、人目を惹いていることには全く無頓着のようだ。
主に女性陣からの熱視線を集めているが、本人は通常運転である。
「これは何で走っているんだ?」
「これは電気ですね。雷のようなものでしょうか?」
「なるほど!素晴らしいな!」
「さ、すぐに着きますからね。扉に手を置いたままにしないでください。指を挟みますので。」
こうして何とか隣駅に着くと、私たちは大きな洋服店に入った。
こちらの世界の服についてはアインは全く役に立たないので、いくつか候補を見繕って試着をする方針にした。
そのため、アインを伴っていろいろな服を物色していると、背後から声を掛けられた。
「莉奈…?」
私はその声にびくりと肩を震わせると、ギギギと音が鳴りそうな動きで後ろを振り返った。
そこには元同居人である翔太が立っていた。
「ああ、やっぱり莉奈じゃん。」
そう言って笑う彼は、二年前に別れた時と全く変わっていなかった。
屈託のない笑みを浮かべながら、少し首を傾げた彼は、私の隣にいるアインを見て僅かに眉を顰めた。
「それ、俺の服?なんでまだ持ってるの?というか、新しい男に着せるとかどういう…」
「ち、ちがっ!これには深い事情が…!」
「ふ~ん?」
意地悪な笑みを浮かべて私とアインを見比べると、翔太はアインに話掛けた。
「こんにちは。日本語は分かりますか?日下翔太です。莉奈の友達です。」
翔太がそう挨拶するも、アインは返事をしない。
不思議に思ってアインの方を見ると、困った顔でこちらを見ていた。
「どうしました?」
「すまない、彼がなんと言っているのか分からなくて…。彼は何と?」
「…え??アインさん、私とは普通に話しているじゃないですか。どうして?」
「彼とリナ嬢は同じ言葉を使っているのか…?こちらに来てから私はリナ嬢の言葉しか分からないのだが…」
「えええええ?」
衝撃の新事実である。
私とアインのやり取りを聞いて、今度は翔太が怪訝な顔をする。
「莉奈、いつの間に外国語なんて覚えたんだ?」
「えええええ?」
どうやら、私が翔太に話しかけている時には日本語に聞こえ、アインに話しかけている時には外国語に聞こえているらしい。
おかしい。
「彼はアインさん。困っているようだったから手助けすることにしたの。民族衣装しか持ってないらしくて、服を買うまでの繋ぎで借りました。ごめんなさい。アインさん、彼は翔太。私の友人よ。」
それぞれに紹介すると、翔太はさらに意地の悪い笑みを深めた。
「駄目だよ、莉奈。君は誰にでも優しすぎるんだから。あんなイケメン釣り合わないよ?」
「わっ、分かってるわ。きちんとお断りしたもの。」
「へぇ〜、告白されたんだ?」
「え、あっ。」
私は顔を赤くして視線を泳がせた。
そうしている私の頭を翔太がぽんぽんと撫でる。
「莉奈はちっとも変わらないね。」
「ちょっと、やめてよ。」
むっとして睨めば、翔太は楽しそうにニヤリと笑う。
助けを求めてアインの方を見ると、アインは不機嫌そうに翔太を睨みつけていた。
ちょっと、いや、かなり怖い。
「…アインさん?」
「ん?どうした、リナ嬢?」
呼びかければ、返ってきたのは普通の声、普通の顔だった。柔らかく、暖かい。
「いいえ、なんでもないです。」
ほっとして微笑むと、アインは僅かに目を見開き、そして笑った。
笑顔が眩しくて心臓がドクンと跳ねる。
「あなたは太陽だな。」
「…?」
「彼に、服を早く選びたいからと伝えてもらえるか?」
「え、あ、はい!」
アインに言われた通り伝えると、翔太は「ふ~ん」と不敵な笑みを浮かべていたけれど、最後には「またね」と手を振って去っていった。
大丈夫だった。いつも通り接したと思うし、もう、大丈夫なんだ。
安堵とともに、気が抜けて鼻の奥がつんとした。
私がアインの求婚を承諾できない理由のひとつ。
それが翔太の存在だった。
翔太は大学の同級生で、明るい性格から人気者だった。
気が付いたら好きになっていて、でも私は告白できなくて。
彼は距離が近くて、頭を撫でたり、二人で遊びに誘ってくれたりしたけれど、告白はなかったので、私たちは微妙な距離感のままだった。
彼は私のことを「妹みたい」と言っていたし、それは私が「恋人」になることを躊躇わせるくらいには重たい言葉だった。
よく考えたら、この時が私の幸せの絶頂だったのかもしれない。
友達以上恋人未満とか言うけれど、私と翔太はまさしくそれだった。
たまに私の家にも遊びに来て、たまには泊まったりして、それで翔太のものが家にひとつ増えるたびに嬉しくなる自分に罪悪感を覚えたりしていた。
二人でソファに座ってテレビを見ていると、彼は私の肩に頭を乗せてきて、そうするとドキドキしてどうしようもなくて。
期待してはいけないと思うけど、もしかして翔太は私のことを好きなんじゃないか?と思う時もあった。
「就職したらさ、一緒に住まない?ルームシェアしようよ。」
だから、翔太からそう打診があった時、喜んでしまったのはしょうがないと思う。
二つ返事で承諾して、私たちは二人で住む物件を探して、そして就職と同時に今の家に住み始めたのだ。
さすがに新卒二人の給与だと二部屋の家は借りられなくて、1LDKを借りることになった。
それでも私は幸せだった。
私たちの関係はねじ曲がっていると思っていたけれど、それを修正できる気はしなかった。
それくらい深いところまで落ちていたんだと思う。
しかし、そんな生活を一年続けた頃、家に帰ると翔太が話があると言ってきた。
「俺、彼女ができたんだ」
そう言われた時の衝撃は、どれほどだっただろうか。
ショックすぎて覚えていないくらい、ショックだった。
「そ、そうなんだ。おめでとう。」
「ありがとっ!莉奈ならそう言ってくれると思った!それで、彼女と同棲しようって言われててさ。ここから出ていかなきゃいけないんだ。」
「うん、分かった。」
「本当にごめんね?」
「ううん、大丈夫。」
この時、私は笑えていただろうか?少なくとも、泣かなかった。
私に泣く権利なんてないと思ったから。
次の日、翔太は荷物を持ってさっさと出ていった。
荷造りも早すぎたし、どう考えても出ていくことを見越して事前に準備していた早さだった。
翔太が出ていった家で、私は泣いた。
声を上げてわんわん泣いた。
一緒に住んでいた私よりも、どこかで出会った彼女を選んだ。
それだけで自分が無価値なものに思えた。
指先から電気が走るような、自分自身が崩れていくような感覚に陥って、自分のことをぎゅっと抱き締めて耐えた。
ひとしきり泣いて、泣きすぎて涙も出なくなった頃、私は自分の恋心を胸の奥の奥に仕舞い込んで何重にも鎖でぐるぐる巻きにして封印した。
この気持ちを思い出に変えることができなければ、次の恋には進めないと思っていた。
そして、私は思い出にできているのか、それが自分でも分からなかったのだが……。
今日、実際に翔太に会って確信できた。
私は思ったよりも克服できているようだと。
そんな複雑な感情から涙を浮かべている私を見て、アインは少しドギマギしながらも私の顔が周りから見えないように自分の胸に抱き留め、頭を撫でてくれた。
「すみません、ありがとうございました。」
大分落ち着いて離れようとするも、アインは私を離してくれない。
私の後頭部にある手がアインの胸から頭を離すのを完全に妨害している。
「あ、あの。」
「あの男があなたに何か言ったのか?」
アインは低く呟いた。
思いのほか近くからの呟きに、身体が強張る。
「いえ、違うんです。ちょっと昔のことを思い出してしまって、それで…。もう大丈夫です。」
「辛いのなら言ってくれ。」
そう言って一瞬だけ私のことをぎゅっと力を込めて抱き締めると、アインは離れてくれた。
それから私たちは予定通りに服を買い、そのままアインにはそれを着てもらって、いろいろなお店を巡った。
人が多いところが良いだろうと、ゲームセンターに行ったり、ファミレスに行ったり、動物園に行ったりした。
最後に家の近くの居酒屋に入り、ビールで乾杯する。
深夜一時頃には、またあの公園のあの場所へ戻っている必要があるらしいから、近くの居酒屋を選んだ。
「これはエールか?」
「ああ、親戚みたいなものですね。私たちはビールって呼んでいます。」
「うまいな。」
「これはフライドポテトで、これは枝豆。これは焼き鳥です。」
「どれも見たことない料理だ。」
「食べやすいのを選んだつもりなんですが、苦手だったら言ってください。私が食べるので。」
これまで一緒にいて、当然ながらアインは箸が使えないことが分かっていた。
その分フォークやナイフは信じられないくらい上手に使えることも。
ファミレスでステーキを食べているのを見た時には、どこか高級店に来てしまったのではないかと空目するほどに所作が美しかった。
アインは今、二人で購入した白いスラックスに紺色のシャツを着て、もともと履いていた革靴を着用している。
王子様のようなイケメンが、庶民の服を着て、一生懸命枝豆と格闘している様子に、私はなんだかおかしくなって声を出して笑ってしまった。
「あはははは」
「……リナ嬢?」
「あはは、アイン、さん、ははっ、今日は、うふっ、楽しかった、です。」
ツボに入ってしまい、なかなか笑いから抜け出せない私を見て、アインはポカンとしていたが、すぐに再起動して笑い声を上げた。
「ははは、私も楽しかった。市井の視察に来た時も新鮮だったけど、異世界はレベルが違う。とても有意義だった。」
そう言って微笑むアインはとても美しくて、私は一気に笑いのツボがどこかへ行くのを感じた。
「こんなに笑ったのは久しぶりです。」
「私も、こんなに楽しい一日を過ごしたのは久しぶり…いや、初めてかもしれない。」
ついつい誤魔化してしまったけれど、アインはそんな私の様子には気が付かずに真面目な顔で考えている。
「アインさんが住んでいる世界はどんなところなんですか?」
「う~ん、そうだな。生活水準は明らかにこちらの世界の方が高いと思う。電気の技術はないし、貧富の差も大きい。ただ、向こうの世界は魔法がある。平民であっても火や水といった生活に必要な魔法は使える者が多いし、使えない者でも魔道具を利用して同じようなことができる。」
「私もそちらの世界に行ったら魔法が使えるでしょうか?」
「ん?う~ん、そうだな…。どうだろう。でも教えることはできるぞ。」
「アインさんは教えるのが上手そうです。」
そう言って微笑むと、アインもにこりと微笑んでくれた。
「リナ嬢、あと一時間くらいか?」
「ええ、そうですね。」
私はちらりと時計を見て頷いた。
アインの世界には時計がなかったそうだけれど、彼の体内時計はかなりきっちりしていて、こうしてたまに私に確認を取ってくる。
「少し早いが、そろそろ出てもいいだろうか?」
「分かりました。」
それから私たちは昨日出会った公園まで歩いた。
今夜も公園は人気がなく、しんとしていた。
「リナ嬢」
名前を呼ばれて後ろを振り向くと、そこには真剣な顔をしたアインが立っていた。
何だかこれまでと違う空気感に思わず後退る。
やっぱり、二人きりでこんなところに来てはいけなかったのだろうか。
そんな考えがちらりと頭の中を掠めた。
「リナ嬢」
もう一度、そう呼んでアインは跪いた。
「私に、貴方に求婚するチャンスを与えてはくれないだろうか。国のためではなく、私のために。」
そう言って縋るように見上げてくるアインの姿に心臓がどきどきと音を立てる。
「それは…どういう…。」
「昨日の夜、初めてあなたに会った時、私は運命だと思った。あなたが黒髪黒目だったからではなく、あなたがあまりにも可憐で美しかったからだ。」
右手を胸に当て、アインは瞳を閉じた。
「それから、あなたはとても親切に私のことを助けてくれた。本当であれば、昨日見捨てても良かっただろうに、一泊の宿と温かい食事を与えてくれた。」
私はただ、その姿をじっと見つめることしかできない。
「あなたがいろいろな柵の中で生きているだろうことも分かってはいる。しかし、私はこれからもあなたの隣に立って、今度はあなたを助け、支えたい。そのためには、祖国を裏切ることになってもいい。どうか、私と結婚してくれないだろうか?」
「祖国を裏切る……?」
「ああ、あなたが私たちの世界に来られないなら…私はこの世界であなたと…」
「そ、そんなのダメです!!」
私は思わず叫んでいた。
「それならば、私が行きます!私が行けば、飢饉でしたか?それが救えるのですよね?そのためにアインさんはこちらに来たのでしょう?だったら私が行きます!」
私の言葉にアインは目を見開いた。
「リナ嬢…、それは…」
「はい、私もアインさんの隣にいたいです。」
「……っ!!!」
アインは感極まったように手で口を覆い、そしてわずかに震えながら私を抱き締めた。
それと同時に私たちの周りを光が包み……、私たちはアインの祖国であるマラディオ王国へ転移したのだった。
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