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4.伯爵夫人の日向に影が差す

「ヘルフリート! お願い、目を覚まして! ヘルフリート!」


 ヘルフリートが病によって亡くなったのは、二人の間に子供が生まれて八年後のことだった。

 王宮から派遣されてきた侍医によれば、すでに病は手の施しようがないほど進行していたらしい。


「エミール。父の死を王宮に知らせてくれるかな。

 それから、君は葬儀の手配を」

「かしこまりました」

「早急に手配いたします」


 遺体に泣き縋るベロニカとは裏腹に、長男は淡々と家宰と執事に指示を出していた。

 いつも通り表情のないその横顔から感情をうかがい知ることは難しい。

 ヘルフリートに泣き縋るベロニカに向き直った彼は、少しためらった後に口を開いた。


「ベロニカ様。遺体を運びますので、どうか離れて頂けますか」

「あなたには、情がないの?! 父親が死んだというのに、よくもそれほど冷淡でいられるわね!」

「悲しみはあります。ですが、父はもう蘇りませんから……」


 菫色の目を静かに伏せた彼の顔は、ヴィルヘルミーナによく似ていた。

 だからだろうか。まるで死んだヴィルヘルミーナが自分から夫を取り上げたかのように思えたのは。

 気が付いた時には、その頬を強く張っていた。


「あなたは――あなたは、ヘルフリートの葬儀に出ないで」

「跡継ぎである私が出席しなければ、他家に示しが付きません。

 これは伯爵家の長男である私の義務ですから」

「よく、そんなことがいえたわね!」


 その時のベロニカは愛する人を失って錯乱状態に陥っていた。

 ごく普通の病で一年や二年かけてゆっくりと弱り、亡くなったのなら覚悟も出来た。

 けれど、まだ若い夫をこれほど急に失うとは思っていなかったのだ。


「あなたのせいで、ヘルフリートは死んだのよ!」


 長男の影(ヴィルヘルミーナ)に向けて叫ぶ。


「私の、せい?」

「そうよ。あなたさえいなければヘルフリートは死なずに済んだの!

 あなたがヘルフリートを連れて行ったのよ!」

「奥様は錯乱されているようだ。休ませて差し上げろ」


 支離滅裂なことを叫ぶベロニカを一瞥して、まだ部屋に残っていた家宰が侍女に告げた。

 その目に宿る諦観の色からして、おそらくこうなることが分かっていたのだろう。

 それがまた、ベロニカの怒りを煽り立てた。


「許さない……絶対に許さないから……」


 数名の侍女に半ば強引に自室へ連れていかれたベロニカは、いまだ夫を亡くしたショックが冷めやらないまま実家に手紙を書いた。

 夫が亡くなった事、ヴィルヘルミーナの子供である長男が跡を継ぐ事、未亡人となってしまった自分とディートフリートの将来への不安と、長男への怒り……。

 感情の赴くままに書いた手紙を読んだ者(末娘を溺愛している父)がどのように感じるかなど、想像していなかった。






「ベロニカ、話がある。

 お前とディートフリートのことだ」


 夫の葬儀を終えた後、弔問客として訪れていた父が真剣な面持ちでそう告げてきた。

 本当はすぐにでも部屋に戻って夫との思い出を胸に泣き明かしたいが、自分と息子についての話ならば聞かないわけにはいかない。

 客室に通して、詳しい話を聞くことにした。


「話というのは言うまでもなく、お前たちの今後についてだ」


 人払いを済ませて二人きりになると、父は早速そう切り出してきた。

 庇護者であるヘルフリートを失ったベロニカがもっとも心配していた点だ。

 おそらく、手紙に読んだ父が気を使ってくれたのだろうと考えたベロニカは胸の内を吐露した。


「ええ……あの人が死んでしまったから、私は別邸に移らないといけないでしょう。

 これまで通りに暮らしてはいけないでしょうし、ディートフリートの将来も心配なの」


 ヘルフリートが死んだ今、家督は長男に移っている。

 彼には侯爵家の長女である婚約者がいるから、きっと早々に結婚するだろう。

 そうなれば女主人の権限も長男の妻に移り、自分は別邸で暮らすことになる。

 愛しい人を失ったことに加えて新しい環境に移らなくてはいけない不安でいっぱいだった。


「それだけではないだろう」

「え?」


 だが、父が心配していたのはそんなことではなかった。


「お前がヴィルヘルミーナの息子にしてきたことを考えてみなさい。

 復讐に何をされるか分かったものじゃない」

「そんな、復讐なんて……あの子にそんな度胸はないわ」

「今までは、お前の方が立場が上だから逆らわなかっただけだろう。

 正式に当主となって権力を手にすれば、何をしてくるか分かったものじゃない」


 ベロニカの中で、ヴィルヘルミーナの忘れ形見はいつまでも小さな子供だった。

 自分の愛を求めて懸命に気を引こうとする、愚かで哀れな子供。

 だから、復讐されるなんて考えたこともなかった。


 でも、考えてみればその通りだ。

 自分はあの子供をさんざん虐げてきた。もし自分が彼の立場なら相手を恨み、憎んだだろう。

 ヘルフリートの死を悲しむ様子がなかったのも、父親をすでに見限っていたからではないか?


 ヴィルヘルミーナの生家であるブレンネン公爵家の人間は、普段は穏やかだが一度怒りに触れた相手には容赦ないことで知られている。

 彼女の面影を色濃く残している長男も、きっとその性質を受け継いでいるはずだ。


 自分だけならまだいい。

 でも、もしその怒りがディートフリートに向いたら?

 この世でヘルフリートの次に大切だった――今となっては世界で最も大切な存在となったディートフリートまで失ったら、自分はとても耐えられない。


「ああ、どうしましょう。お父様」

「簡単なことだ。ヴィルヘルミーナの息子に権力を握らせなければいい」

「どうやって?」


 魔法に長けたあの子供は、今やすっかり自分の身を守る術を覚えてしまった。

 剣に長けた家宰も傍にいるから、暗殺するのは難しいだろう。

 ベロニカの問いに、父はにこやかな笑みを浮かべた。


「ヴィルヘルミーナの息子が、ヘルフリートに毒を盛ったことにすればいい」

「そんなこと無理よ。だって、王宮の侍医があの人は病死だと診断したのよ?

 それに、あの人の死をそんなことに使うだなんて……」

「侍医の方は私が何とかしよう。

 それに、ベロニカ。ヘルフリートはお前のことを大切に思っていたのだろう?

 大事なお前と息子が復讐されるくらいなら、自分の死を上手く使って身を守ってほしいと願うはずだ」

「そう、かしら……そうよね」


 心の弱っていたベロニカには、父の言葉は正しいように思えた。


 それからベロニカは父に言われた通りほとんどの使用人に根回しを行い――さすがに、あの家宰だけは味方に引き込めないと判断したので行わなかったが――、長男が夫に毒を盛って殺したのだと訴えた。

 長男は無実を主張したが、ベロニカの息が掛かった使用人たちが口々に「怪しげな薬を調合していた」「旦那様の薬に細工している様子だった」と証言したため、その主張はほとんど受け入れられなかった。


 このままベロニカの思い通りに事が運んでいたなら、長男には有罪判決が言い渡されていただろう。

 貴族が貴族を殺した場合、毒を飲んで死ぬことになる。

 そうなれば、ディートフリートに家督が回ってきたはずだ。

 けれど、その計画は思いもよらぬ形で潰された。


「旦那様の検死を行った医師から、旦那様は間違いなく病死であったとの証言が取れました。

 また、証言によると盛られた毒は「コカトリスの水薬」であるとされていますが、魔法薬学の第一人者であるギフト博士によると……」


 ベロニカたちの訴えが虚偽だと示す証拠を、太陽のような髪を持つ家宰が淡々と読み上げていく。

 本来は平民一人の証言が採用されることなどまずないが、家宰が用意した証拠や証言は監察医や魔法薬研究の第一人者――つまり貴族から得たものだ。

 疑う余地はない。彼らを疑えば、その支援者や実家も敵に回すことになる。


 結局、家宰の証言は採用された。代わりに疑われたのは使用人たちの証言。つまりベロニカの訴えだ。

 そこが崩されれば、長男への疑いの根拠もなくなる。

 不本意ながら、彼への無罪判決を聞き入れるしかなかった。


 王命で結ばれた婚約を蔑ろにする愚かな令嬢。

 未婚だというのに既婚者と密会する日陰の女。

 先妻が亡くなって僅か一月で結婚する恥知らず。


 謂れなき誹謗に「我が子可愛さに先妻の子を陥れようとした人でなし」が加わったことに、その原因となったのが平民である家宰であることに、ベロニカの腸は煮えくり返った。

 なにより、これで長男が無事に当主になってしまえば自分とディートフリートの身が危ない。


 はやく、あの長男から権力を取り上げなくては。

 そうだ。自殺させればいい。

 それなら簡単だ。唯一の味方を取り上げれば、きっと自ら命を絶つだろう。

 だって、あの長男は自分に少し叱られたくらいで泣きだすくらい心が弱いのだから。


 ベロニカは家宰を殺すことにした。

 もちろん、合法的に。

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長男が親友を蘇らせるために頑張る話
悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[良い点] 親の代のあれこれに振り回される子とそれを助ける家宰。 家宰ががんばってるのがいい。 [一言] 〉謂れなき誹謗 いや、付随する愚かとかの感情評はともかく、事実じゃん?(;・∀・)
[一言] 公爵家の孫で婚約者が侯爵家令嬢である長男だと 生家が子爵家のベロニカは表でも裏でも勝てそうにないが
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