2.伯爵夫人になった子爵令嬢は日向で破滅の種を撒く
ヴィルヘルミーナが亡くなった一月後、ベロニカは愛する人と結婚した。
結婚することはないと思っていた娘が嫁いだことに喜んだ子爵の援助もあり、二人の式は喪が明けたばかりとは思えないほど盛大なものになった。
「まさか、こんなに早く結婚するなんてねえ」
「まだ先妻が亡くなって、一月も経っていないっていうのに」
感嘆のような当てこすりのようなことを言う者もいたが、今のベロニカには何の効果もない。
むしろ、障害が無くなったのだから少しでも早く結ばれたいという恋の情熱を知らない可哀そうな人たちだと憐れむ余裕さえあった。
結ばれた後も二人の仲は睦まじく、ベロニカは幸せでいっぱいだった。
ただひとつ気がかりとなったのは、ヴィルヘルミーナの忘れ形見である長男だった。
「ねえ、ヘルフリート。あの子、なんだかヴィルヘルミーナに似てないかしら」
「それはそうだろう。あの子はヴィルヘルミーナの子なのだから」
ヘルフリートはさも当然のようにそう言って笑ったが、ベロニカは笑えなかった。
雪のように白い肌、黒檀のように黒い髪、一途な光を秘めた菫の瞳。
まるでおとぎ話から抜け出てきたような長男は、日に日にヴィルヘルミーナそっくりになっていった。
違うのは性別と、唯一ヘルフリートに似たさらりとした癖のない髪質くらいだ。
あの子、ヴィルヘルミーナの生まれ変わりではないかしら。
そんなことを考えては追い払った。
ヴィルヘルミーナは子供を産んで数日後に亡くなったのだ。生まれ変わりであるはずはない。
分かってはいてもそのつぶらな瞳で見上げられる度、「かあさま」と舌っ足らずな口調で呼びかけられる度、ベロニカの背筋は怖気だった。
けれど、子供の死を願うほどベロニカは狭量ではなかったし、愚かでもなかった。
跡継ぎが一人しかいない今、長男が死んでしまえば家を継ぐ者がいなくなってしまう。
それは駄目だ。愛する人が必死に発展させようとしている家を途絶えさせてはいけない。
そう考えられる程度には、ベロニカは伯爵夫人としての自覚を持っていた。
自覚を持っていたがゆえに、子供の不出来さが目についた。
ヴィルヘルミーナが残した子供は、見た目は美しく魔力の量も質も申し分ない。
しかし、それ以外の勉強や運動の能力は人並み以下しか持ち合わせていなかった。
父親の真面目な気質を受け継いだのか、何事にも真摯に取り組んではいる。
それなのに努力が能力に全く反映されないのだ。
どうしてこの子は、こんなに要領が悪いのだろう。
あの人の血を継いでいるくせに。
私とあの人の婚姻を邪魔した女が産んだ子供のくせに。
こんな子供しか残せない女のせいで、私は一時とはいえ日陰の身になったの?
ヴィルヘルミーナに似た子供が不出来であるほど、ベロニカは自分が貶められているような気がした。
もともと、愛情など欠片も抱いていなかった相手だ。
向ける言葉が鋭く、突き放すようなものになるまでそう時間はかからなかった。
「かあさま!」
ある時、先日四歳になった長男が菫色の瞳をきらきらと輝かせて駆け寄ってきた。
あからさまに眉をひそめたベロニカに気づかず、長男は控えめに笑いながら口を開く。
「かあさま、みてください。
きょうは氷のまほうをつかえるようになりました!」
明るい声でそう言って、長男は軽く手を振った。
白い光が一瞬辺りを照らし、何も活けられていなかったはずの花瓶には本物と見まごうばかりに緻密な氷の薔薇が飾られる。
子供の割には、どころか大人でさえ使える者がほとんどいない繊細な魔法だ。
本来なら「とても綺麗な薔薇ね」とか「こんなに難しい魔法をよく使えるようになったわね」とでも褒めてやるべきなのだろう。
けれど、ベロニカにとってはヴィルヘルミーナと同じく繊細な魔力の制御を得意とする子供は不快でしかなかった。
「それがなんの役に立つというの?」
「え……」
褒めてもらえると思っていたのだろう。
期待に満ちていた菫色の瞳に困惑の色が浮かぶ。
それをあえて無視して、ベロニカは言葉を続けた。
「家庭教師から聞いたわ。他の子どもより、一年も遅れたところを学んでいるのですって?
あなた、魔法以外に出来ることはないの? さすがは家柄以外取り柄のなかった女の子供ね」
「……もうしわけ、ありません。どりょくします……」
ベロニカの言葉に、ヴィルヘルミーナに似た子供は瞳いっぱいに涙をためて俯いた。
気にすることはない。どうせ二、三日もすれば今日のことなど忘れてまた魔法を見せに来るのだから。
話しかければ詰られると分かっているだろうに、懲りない長男はせっせと成長の証を持ってくるのだ。
「それから「かあさま」と呼ばないでと何度言えば理解できるの?
あなたは私の子ではないのよ」
「はい……ベロニカさま」
どれだけ傷つけられても愛されようと縋ってくる子供を見ると、ベロニカの胸は軽くなった。
自分を見下していた女を負かしたような気がしたのだ。
だからベロニカは躾と称して子供をなじり、否定し、嘲笑った。
さいわい、長男は不出来だったから叱る理由には事欠かない。
将来の跡継ぎに対する躾としては不適切だ、と意見してくる使用人には暇を出して自分に追随する新しい使用人を子爵家から派遣させれば、子供を庇う者はほとんどいなくなった。
「かあさ……ベロニカさま、これ」
ある日、長男がベロニカに一枚の紙を差し出してきた。
紙には亜麻色の髪をした女性らしきものがへたくそに描かれている。
眉をひそめたベロニカに気づかず、長男はにこにこと微笑みながら言葉を続けた。
「ベロニカさま、おたんじょうびおめでとうございます。
これ、プレゼントです」
「……ああ、そう」
長男が最近自分に隠れて熱心に何かに取り組んでいたことは知っていた。
ベロニカの好きな黄色を中心とした配色に、下手ながらも丁寧に描かれたことがうかがえる絵を仕上げるにはきっととても時間がかかったはずだ。
この長男は、魔法以外ではひどく要領が悪いから。
だけど、それがなんだというのだろう。
下手な絵を一瞥したベロニカは、それを長男の手から取り上げて無造作に近くの暖炉に放り込んだ。
ベロニカが絵を受け取ってくれたことに一瞬輝いた長男の瞳が絵の行方を追い、その末路を知って息を呑む。
「あ……」
「こんなくだらないことに時間を割いている暇があるのなら、勉強でもしていなさい。
あなたは魔法以外に取り柄のない、出来損ないなんだから」
「……ごめんなさい。ごめんなさい、ベロニカさま……」
蒼白な顔をした長男は震える声で謝罪の言葉を紡ぐと、おぼつかない足取りで部屋を出て行った。
どうせ、仲のいい家宰の子供にでも泣きつくのだろう。
年が近いせいか、伯爵家に代々仕えている家宰の息子はこの家の長男に好意的だ。
といっても、自らの立場をわきまえている彼がベロニカに異を唱えてくることはない。
ベロニカとしても、伯爵家の財産を管理するだけの信頼を得ている家宰の跡継ぎを害すのは得策ではないと分かっていたから、彼らの仲を黙認していた。
家宰の跡継ぎにふさわしく優秀な子ではあるが、あれも所詮子供だ。
放っておいたところで何が出来るというのだろう。
「……いけない。あの人へ贈るハンカチなのに、間違いがあったら大変だわ」
途中になっていた刺繍に視線を落とし、止まっていた手を動かし始める。
愛しい夫へ贈るための刺繍に没頭するうち、出来損ないの長男のことは忘れていた。