風
目が覚めた時、少女はいなかった。
起き上がろうとしたが、疲労感と倦怠感で体が動かない。となると、今すべきことは、自分の情報を整理することだろう。
まず、クリシュ皇国という国など聞いたことがない。考えられる可能性は、あの少女が嘘をついていること。これが一番説明がつくが、狙いが分からない。次に、ここが俺の知らない世界である場合。誰からも好かれる人になるため、色々な分野に手を出した。その際、ラノベと呼ばれる小説に同じような展開があったのだ。所詮は小説の中の出来事だが―――と、そこまで考えたところで、なんだか馬鹿らしくなってきて、「どうでもいいか」と呟く。
どうせ死ぬ気だったんだし―――あれ、俺は何のために死のうとしていたんだ?ああ、家族のもとに行くためか。家族・・・俺の家族は、事故で死んだんだ。・・・どんな顔だった?だめだ、視界がぼやける。顔が、思い出せない。息が、くるしい。
「・・・ッ、ああああああ!!」
駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。忘れちゃいけない。そう思うのに―――思い出せない!
「駄目だ、駄目だ。思い出せ。大丈夫、忘れてない、俺は、忘れてなんかない、忘れない―――ッ!」
深い、深い湖の底にいるような息苦しさと痛みでもがく俺にかけられた、淡々とした声。
『神託の受託に必要な〝確固たる意志〟を確認。次操作、特異能力〝堕とされた神〟の権限により、対象者の進化を開始します』
先ほどまでとは比べ物にならないほどの闇が向かってくるのを感じた。少しの恐怖、そしてそれをはるかに上回る喪失感を胸に、俺の意識は闇に覆われていった・・・
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大海原の中央にいるような、晴天に浮かんでいるような。
そんな錯覚を覚える、青く澄んだ世界に、漣が広がる。
それは、緩やかに広がる波紋のようであり、一羽の蝶の羽ばたきのようでもある。
静と動。怒りと喜び。喧騒と静寂。相反するものを兼ね備え、それでいて輪と理を壊さない。「それ」を形容できる言葉など存在しない。
今、誰も知らない世界で、心を閉ざし、偽りの自分を作り上げてきた少年と、誰からも必要とされながら、誰にも認められなかった少女が出会った。
凪いだ世界に舞い落ちる、黑く、美しい一枚の羽根。誰も、気にも留めないような小さな羽が起こす風は、いつか世界をも揺るがすほどに大きくなる。
―――これは、冷たい世界で出会った、心を閉ざし、偽りの自分を作り上げてきた少年と、誰からも必要とされながら、誰にも認められなかった少女が巻き起こす風についての物語―――
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