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MBウイルス  作者: Takezo
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誤送された検査結果

九一の運命が反転する…

ここは九一が一人で暮らすアパート。

木造二階建て、各階5部屋。

九一の部屋は二階の1番奥にある。


階段を駆け上がる音に続いて玄関のドアが勢いよく開いた。

九一が慌ただしく駆け込んできた。

ドアを閉めると鍵をかけた。

肩で息をしながら、キャップ、ジャージ、下着を脱ぎ、洗濯機に放り込んだ。

棚に置いてあった洗濯洗剤の箱を掴み取ると大量の粉を振り、洗濯機のスイッチを入れた。


全裸になった九一は浴室に行き、シャワーを浴びた。

排水溝に流れていくお湯が赤く濁っていた。

全身にボディソープを塗りたくり、タオルで血糊をこすり落とした。

シャワーで洗い流すと再びボディソープを付け身体をタオルでこすった。それを3回くり返した。


目を閉じて頭からシャワーを浴びていると、サキの死体がまぶたの裏に浮かんだ。

お立ち台の上、椅子に座りうなだれている血まみれの死体。


もう誰かが発見しただろうか。

早めに出勤した従業員がすでに警察に通報したかも知れない。


焼き鳥屋の店主に待ち伏せしているところを見られた。

警察が来れば、不審な男を見たと名乗り出るだろう。


その男の特徴から九一にたどり着くのはそう難しくはないはずだ。タバコの吸殻も落ちている。


想像が加速的に膨張すると、今にも警察が玄関のドアをノックしそうな気がした。


サキを殺す前は逮捕されても構わないと思っていた。

何はさておきサキに復讐をすることが先決であり、その後のことはどうでもよかった。

そう遠くない日に自分は死ぬ。未来などないのだ。サキを殺した後の人生に想いを巡らす必要などそもそもなかった。

サキの殺害が人生の最終目標だった。

しかし、いざゴールに到達してみると、現実にはまだ先がある。

MBウイルス=マインド・ボムは未だ治療薬のない新型ウィルスだ。生存期間の個体差については遺伝子の解析が進められているところだが、 3ヶ月で亡くなる者もいれば、5年以上生き延びる者もいる。


発症すると精神が徐々に崩壊し、死に至る。ゆえにマインド・ボムと呼ばれる。

しかし、発症するまでは自覚症状は全くない。

現に九一もそうだ。

今は至って健康体である。


だが残りの人生が3ヶ月にせよ5年にせよ短いことは間違いない。

だとしたら刑務所で過ごすのは気が進まない。


逃げよう。

見知らぬ土地で名前を変え、ひっそりと、でも自由に暮らそう。


九一はシャワーを止めた。

新しいタオルで体を拭いた。

血は完全に洗い流された。


浴室を出ると、全裸のまま玄関脇の姿鏡の前に立った。

鏡に映る生まれたままの姿をじっと見つめた。

人を殺す前と後で俺の顔は変わっただろうか。

変わった。

どこがどう変わったのかは分からないが、鏡に映るその顔は昨日までとは確実に違っていた。


しばらくの間、鏡の前で自分自身と向き合った。

この身体が死のウィルスに蝕まれているとは自分でも信じられなかった。

肌には艶があり、血色もよかった。

全身が生命力で溢れていた。

その力がもうすぐ断ち切られようとは…


九一はこれ以上、自分を見ていることに耐えられなくなり、鏡の前を離れた。


トランクスを履きTシャツを着ると、何気なく玄関ドアの郵便受けを開けた。


一枚の封書が入っていた。

九一がMBの検査を受けた保健所の名前が記載されていた。

左上に赤い文字で「重要」とある。


九一はすでにMB陽性の検査結果を保健所から受け取っていた。

なぜ保健所からまた封書が届くのか九一には見当もつかなかった。


九一は封筒を手で破り開封した。中にはペラの紙が1枚入っていて、そこにはおおよそこう書かれていた。


「この度、先日お送りした検査結果が誤りであることが判明いたしました。


木口九一様の検査結果は「陰性」です。


誤った検査結果をお伝えしたことで、大変な御心労をおかけしましたこと、心より深くお詫び申し上げます。


今後、このような重大な過誤のないよう、再発防止に努めて参ります。


本当に申し訳ございませんでした。重ねてお詫び申し上げます。」


九一は手紙を立て続けに10回読んだ。

初めは意味が分からないのかと思ったがそうではなかった。

書いてあることが受け入れられなかったのだ。


陽性の結果を受けとったのは2週間前。

以来、九一は悲嘆に暮れ、絶望し、MBに感染させた張本人であるサキへの復讐を誓い、ついには実行へとうつした。

この2週間、九一の精神が味わい尽くしたありとあらゆる痛みは彼にしか分からないものだった。


俺は陰性だって?


この手紙が本当だとしたら、彼が繰り広げた感情と復讐の劇は何だったのか?


九一は受話器を取った。

保健所の番号を押した。

ワンコールで女性の声が応答した。

九一は名前と封書を受け取った旨を伝えた。

すると女は慌てた様子で、少々お待ちくださいと告げて、保留音が流れた。


間もなく所長と名乗る男が出た。

彼は直ちに謝罪を始めた。


九一の頭に謝罪の言葉は入ってこなかった。謝罪などどうでもよかった。

ただ彼は本当に陰性なのかを確認したいだけだった。


「木口様は陰性です」


所長は言った。


「本当に間違いないんですか」


「間違いありません」


所長によるとこのような事態が起きたのは、検査結果の誤りからではなく、送付上の手違いのためだった。つまり、陰性の被検者に陽性の結果が、陽性の被検者に陰性の結果が送付されたとのことだった。


「本当に申し訳ございません」


「遅いよ」


「・・・申し訳ありません」


「遅すぎるんだよ」


そう言って九一は電話を切った。


気がつくと九一は荷造りをはじめていた。

最低限必要なものを急いでバックパックに詰めていった。


悲しみの牢獄から唐突に解放された。再び牢獄に囚われるつもりはなかった。


『俺は悪くない。運命のいたずらに翻弄されただけだ。被害者は俺だ』


しかし、世間はそうは見ないだろう。

警察はゲイ殺しの容疑者を執拗に追い続け、彼らの世界でいうところの「罪」を償わせようとするだろう。


九一はなりふりかまわず事に及んだ。

彼の名前が捜査線上に浮かび上がるまでそう長くはかからないだろう。


「捕まってたまるか」


九一は声に出して言った。


「俺は悪くない」


バックパックを背負いキャップをかぶって九一は部屋を出た。


(つづく)

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