バングラデシュから来た掃除屋
マンゴーはゲイバー「つぶらな瞳」から1番近い電話ボックスに駆け込んだ。
事務所の番号を押す。
「はい、サッカー興業」
ドスの効いた声が応答した。
きっとマンゴーの知っている誰かだろうが判別がつかない。
バングラデシュ出身のマンゴーにとって日本人の声はどれも似たように聴こえる。
それがヤクザともなればなおさらだった。
彼らは皆一様に太い声で「ワレ、コラ、ナメてんのか、殺すぞ」の4語しか言わない。
マンゴーはときどき自分の方が日本語を知っているのではないかと感じることがあった。
「マンゴーだ。ボスに変われ」
「誰に口きいてんだワレ、ナメてんのか」
「緊急事態だ」
「ボスは今、取り込み中だ」
「グレープがパクられた」
受話器を叩きつけるような音がした。
保留音を流す心遣いなど期待すべくもなかった。
マンゴーは待った。
ボスはなかなか電話に出なかった。
真夏の電話ボックスに閉じ込められるのはバングラデシュ人といえども耐え難かった。
ベンガル語で、はよ出ろや、ボケ!と悪態をついていると唐突にボスの声がした。
「グレープがパクられたあ!?」
マンゴーがグレープ逮捕のニュースを伝えるとボスが受話器の向こうで驚きの声を上げた。
驚くのは当然だ。
暗殺集団「殺家ー」の誰一人として警察にパクられてはいけない。これまでも誰かがパクられたことはなかったし、これからもそうでなければならなかった。
にもかかわらず、パクられてしまった。
しかも、それは「殺家ー」随一の殺し屋と言われるグレープだった。もっともパクられそうにないやつがパクられてしまった。
マンゴーは拙い日本語で詳しい経緯を説明した。
定刻通り現場に到着すると、何台ものパトカーが「つぶらな瞳」の裏口付近に停車していた。
マンゴーは警察に目撃されないように野次馬にまぎれて様子をうかがった。
すると、刑事に付き添われたグレープが手錠をかけられて「つぶらな瞳」から出てきた。
彼はそのままパトカーで連行された。
ボスは受話器の向こうで、ああ・・・と嘆息をもらした。
事態の深刻さを推し量りつつ、今後どうするべきかを考えているのだろう。
しかし、ボスの答えを待つには電話ボックスの中はバングラデシュ並に熱すぎた。これ以上いたら死体になりそうだった。
「もしもし?」
マンゴーは催促するように問いかけた。
「いいぞ・・・」
「は? よくないでしょ?」
「ああ、いい・・・」
「いやいや、まずいでしょ?」
「うん、ああ、そうだな。ああ・・・いい・・・そこだ・・・」
「どこですか?」
「ああ、6時に天子湯に来い」
そう言ってボスはさっさと電話を切ってしまった。
マンゴーはわけが分からずベンガル語で、クソ熱いねん!と受話器に向かって悪態をついた。
電話ボックスを出ると外気が涼しく感じられた。
(つづく)